21 / 74
第一章
20.襲撃
しおりを挟む
ハカセはムルジムに話を通して、すぐに荷を整えた。
といってもろくな所持品はなく、持ち物といえば丈夫な体と立派な毛皮のみ、ほとんど身一つだ。
向こうでの滞在中はハカセが生活の一切を面倒見てくれるらしい。
行き先は西、森を突っ切って進んだ先の大きな町。
そこにはハカセの研究所があって、それ以外にも多くの施設やお店、獣人たちの住処が立ち並ぶのだという。
町には楽しいことがたくさんある、とハカセは言うけど、そういうものに心躍らせることはきっとない。
楽しさを分かち合う相手が隣にいなければ、ただの風景でしかない。
心細いが、頷いてしまった以上取り消すことはできなかった。
とぼとぼとハカセの後ろについていき、外へ出る。
レグルスはムルジムと連れ立って、屋敷の正門まで見送りに来てくれた。
「……やっぱりオレもタビトといっしょに行っちゃダメ?」
「ダメです。坊っちゃんはお勉強がありますから」
「うぅ……」
すでに何度かなされたやり取りで、レグルスの声には諦めが滲んでいる。
「タビトぉ……」
「早く帰ってこられるようがんばるね」
「うん……いってらっしゃい」
送り出す言葉と裏腹に泣きそうなレグルスに苦笑して別れた。
町へはハカセが乗ってきた「車」を使う。
「これにのるの?」
車の横にはウマがいた。
茶色い毛の、タビトが見上げる大きさの、立派な体つきのウマだ。
ここでは車は動物が引いてくれて、ウマが引くものは「馬車」と呼ばれているという。
「ごあいさつできるかな」
「……よろしく、です」
首や体に車を引くためのベルトをたくさんつけたウマが、タビトの挨拶にぺこりとお辞儀してくれたように見えた。
タビトが知っている車は、速いかわりに固くて臭くてうるさいものだったが、ハカセが乗る車はウマが引っ張るもので、速さはそれほどでなく臭くもうるさくもない。
「嬉しいなぁ、タビトを研究所に招待できるなんて。もらった毛だけじゃ分析に限界があるからね。きみのような子を調べられるなんて私は幸運だ」
「……」
「そう不安そうにしないでくれ。長くとも一月で帰れるよ。それまでに人化を習得すればレグルス坊っちゃんも喜んでくれるだろう?」
「……うん」
一ヶ月もレグルスに会えないのか。
無性に泣きたくなって、でも泣きたくなくて、窓の外を睨みつけた。
あまり揺れない車の中で、移りゆく風景を眺め続ける。ハカセが話しかけてくることもなく、静かな道行き。
変化があったのは、流れる景色が濃い木々の集まりになった頃だった。
レグルスの屋敷の裏にある森は思っていたよりずっと深くて、奥に行くほど光が届かず暗くなっていく。そのうちまた明るくなるとハカセは言ったけど、今はまるで夕暮れみたいだ。
そんな場所で、車がガタンと大きく揺れた。
「わっ」
「なんだ?」
大きな揺れと同時に車は進まなくなった。
ウマが足を止めてしまったようだ。がたがたという物音に、鳴き声も聞こえる。
「倒木でもあったかな。どうかしたか?」
ハカセが車を出た。タビトもおそるおそる後に続く。
車の外には、明らかな緊張感が漂っていた。肌に感じるその圧力に体がこわばる。
首を回すと、車の前方に黒っぽい影が立っていた。
獣人だ。
ウマの姿がなく、代わりに茶色い布を身に纏ったヒトが倒れている。
このときはじめて、車を引っ張ってくれていたのがウマの獣人だったことを知った。
「なんだきみたちは」
「金目の物を置いていけ。命までは取らない」
ハカセは影の要求に応えず、身を低くした、その時。
前のめりにハカセが倒れた。
「っ、ハカセ!?」
急に後ろから現れた獣人に背中を殴られたのだ。
幸い意識は奪われなかったが、不意をつかれ痛みに呻くハカセの体は、あっという間に拘束されてしまった。
「くっ、盗賊か!」
「半分正解だ。そっちは副業だが……どうやら今回は本業の方もできそうだ」
「何……?」
盗賊と呼ばれた男たちは二手に分かれ、半分が車の中を物色し始める。
残る半数はハカセとウマ獣人の元に残り、そして一番背が高く威圧感のある男が、こちらを見た。
声を出すこともできず、ただ目を見開いて固まっていたタビトに向けられる、ぞっとするほど色のない視線。
「アルビノのトラの子か。こいつは珍しい。もらっていくぞ」
男が冷たく、鋭く、「珍しいもの」を眺める目でタビトを見るのを、震えて受け止めることしかできなかった。
怖い。
ここにいる者は皆タビトより強い。おまけに、他者を害することになんのためらいも持ってない。────へたに動けば殺される。
歯の根が合わずぶるぶる震えるタビトに、男は手早く首輪を付けた。
太く分厚いそれを引っ張られると抵抗できない。引きずられていくしかない。
「やめろっ、タビトを離せ! くそっ、こんなもの……!」
ハカセが縛られた体をねじって暴れても、拘束はとけない。
獣人なら誰しも呼吸をするようにできるはずの、獣への変化ができないらしい。
タビトを引きずる盗賊が鼻で嗤った。
「諦めな。あんた見たところ大型のネコ科だろ。獣化されると面倒なんでな、そのままそこで転がってろ」
「くぅ……っ」
「金とこいつは頂いていくが、あとのもんは残しといてやる。無駄な抵抗はするな。イヌに噛まれたと思って忘れろ」
車の中を物色していた盗賊たちが戻ってきて、彼らが連れてきたウマに跨る。
森へ入るつもりだ。
ハカセから離れたら……もう二度と帰れない。
目裏にレグルスの笑顔が瞬いた。
「ぅわぁああっ!」
力を振り絞り、恐怖に強張っている体を無理やり動かして、タビトは暴れた。
目の前にあった獣人の足に渾身の力で噛みつく。
爪を全開にして、男の体や、襲い来る獣人の腕、飛びかかってきたものの顔、触れたものすべてを引っ掻く。
「こいつっ大人しくしろ!」
「やだ! さわるなっ!」
「ん? おまえ、獣人だったのか」
全力の抵抗も長くは続かず、結果的にはちょっとした反抗にしかならなかった。取り押さえられ、首輪を掴まれ男の眼前に晒される。
その顔も引っ掻いてやろうとしたけど届かない。
後足も振り回したけど、あっさり掴まれて封じられてしまう。
獣人共通語を喚くタビトを、盗賊の男はつまみ上げてにやりと嗤った。
「アルビノのトラ、しかも獣人とは……こりゃ大儲けだ」
「はなせってば! やだ、やだ!」
「人型にならなかったのは賢明だったが、こんなチビじゃな。諦めろ、おまえは売られるんだ」
売られる?
その言葉を投げつけられるのは初めてじゃない。
母さんを奪い、帰る場所を奪い、尊厳を、誇りを、希望を、未来を、大切な何もかもを奪ったあいつらも、同じことを言ってた。
こいつらも同じだ。悪党だ。
体中の血が沸き立つように怒りが燃えた。
よみがえるのは────絶対に忘れられない記憶。
僕が「珍しい」ばかりに、僕らは追い立てられ、かあさんは地に伏せた。
耳をつんざく轟音。ぐったりと動かない体。赤い生命が流れ出して大地に吸い込まれていく。
凪いだ水の底のように濁った目は、もう僕を映してくれることはない。
あの日の悲しみと怒りがこの身を激しく揺さぶった。
視界が赤く染まっていく。
「あっ、こら!」
盗賊が焦った声を出して手を伸ばしてくる。
それが嫌で、触られたくなくて、タビトは四肢をがむしゃらに振り回した。
さっきはダメだったその抵抗が、今度はなぜか成功した。タビトは魔の手から逃れ、地面に尻もちをついた。
痛い。地面がとても冷たい。
「人化したか。だがまぁ、その姿のほうが非力そうだ」
「え?」
男の言葉が理解できず自身を見下ろす。
白いはずのタビトの体は、毛が全然生えていなかった。
レグルスのものとは違う、どちらかといえばフェルカドのものに近い小麦色のつるつるした肌。
わけのわからない方向に折れ曲がっている足と、明らかに長くなっている腕。指も細長く、尖った爪だけがトラらしさを残している。
地表をざり、と撫でたしっぽは腰から伸びていて、おそるおそる触れた頭のてっぺんには慣れ親しんだ感触の耳が生えている。
鏡はないけど、わかる。
タビトは今、「人の姿」をしている。
「おら、大人しくしろ」
「……ッ! や、やだっ!」
「いてっ引っ掻くな!」
盗賊はニヤニヤと下卑た笑みを隠そうともせず腕を伸ばしてくる。
移動しようとしても、まるで四肢が自分のものじゃないみたいにぐにゃぐにゃして、ちっとも使いこなせない。
このままじゃまた捕まってしまう。
「助けて、たすけてレグルスーっ!」
情けなくも潤む視界と、力の入らない体を必死に動かして、叫んだ。
レグルスはいないのに。自ら置いてきてしまったのに。
「タビトっ!」
だから、レグルスの声がするはずないのに。
「あれ、タビトだよな?」
姿形が変わってしまったタビトに一瞬驚いて、すぐに笑顔を向けてくれた黒と金の獣人。
人型のレグルスの背後に庇われて、嗅ぎ慣れたケモノの匂いに包まれて、タビトは堪えきれず小さく鳴いた。
だって来てくれた。たった一匹のタビトの主が。
「おまえらっタビトに何すんだ!」
「威勢のいいガキだな。まとめて捕まえるぞ」
とはいえ事態はあまり好転していなかった。
多勢に無勢は変わらず、レグルスとて子どもだ。オトナの獣人たちに敵いそうもない。
レグルスはタビトを背にかばい、鋭い犬歯を剥き出しにして唸ってくれたが、盗賊は人型の子ライオンを脅威に感じなかったようだ。
ダメだ、このままじゃ捕まってしまう。タビトだけじゃなくレグルスまで。
逃げて、と言いかけたとき、タビトたちの目前に迫っていた盗賊が突然横倒しになった。
「ぐ、ぁあああっ! てめぇっ」
男を襲っているのは、大きなクロヒョウだった。
全身の筋肉が隆起して、太い前肢が男を押さえつける。
強靭な牙と顎は捕らえた獲物を決して逃さない。
突然現れた、この場で最も強い獣に、盗賊たちが子ども二匹を放り出して戦闘態勢を取る。
しかし誰一人獣型にはならなかった。
盗賊たちの中に大型のネコ科に敵う種類の獣人がいないのだ。
「坊っちゃん。タビトを馬車まで連れて逃げて」
「わかった。行こうタビト」
クロヒョウは聞き覚えのある声でしゃべった。
ハカセの声だ。盗賊が言ったように、彼は大型のネコ科だった。
ぐぉおん、と地響きのような声で唸るハカセは、味方とわかっていても恐ろしい。直接睨まれている盗賊たちは、その隙のない肉食獣の威容に一歩も動けないらしかった。
タビトはレグルスに腕をひかれながらどうにか窮地を脱した。
「タビト、後ろ足で立てない? その走り方じゃ手がキズついちゃうよ」
「わかんない……二つ足で歩いたことなんてないもん」
「だよなぁ」
タビトは必死に、異様に長く伸びた後肢を持て余しながらヨタヨタ走った。
地面に前足を突くたび、石くれや木の根が柔い肌に突き刺さって痛い。通り過ぎる枝葉が体に当たるのも痛い。
人型とはなんて弱く扱いにくい姿だろう。
なんとか馬車にたどり着き、しかし狭い車内に入る気になれず木々の隙間を睨みつける。
レグルスはタビトの無毛の肌に布を巻いてくれた。毛が生えていないとすぐに体が冷えてしまうらしい。
しばらく待っていると、下草を割りながらクロヒョウが戻ってきた。
同時に見覚えのある栗毛のウマも姿を現す。
「ハカセ! 無事だったんだ」
「もちろん。坊っちゃん、タビトを守れて偉かったですね」
「うん、間に合ってホントによかったよ」
クロヒョウはウマとも話をした。
馬車を引いてくれていた馬獣人に大きなケガはなく、拘束されただけらしい。森を駆け抜けて町に盗賊のことを知らせに行って、戻ってきてくれたのだという。
「すぐに自警団が駆けつける。追跡は彼らに任せよう。タビト、怖い思いをさせてごめんね」
上手く立てずレグルスにしがみついているタビトに向かって、ハカセは黒い頭を垂れた。
ハカセが謝ることじゃない、と思うのに、本当に怖かったからすぐに言葉が出なかった。
なにかしゃべったら、また涙腺が緩んでしまいそうで。
ハカセはそんな気持ちをわかっているようで、自警団が到着するまで獣の姿のまま周囲を警戒してくれた。
といってもろくな所持品はなく、持ち物といえば丈夫な体と立派な毛皮のみ、ほとんど身一つだ。
向こうでの滞在中はハカセが生活の一切を面倒見てくれるらしい。
行き先は西、森を突っ切って進んだ先の大きな町。
そこにはハカセの研究所があって、それ以外にも多くの施設やお店、獣人たちの住処が立ち並ぶのだという。
町には楽しいことがたくさんある、とハカセは言うけど、そういうものに心躍らせることはきっとない。
楽しさを分かち合う相手が隣にいなければ、ただの風景でしかない。
心細いが、頷いてしまった以上取り消すことはできなかった。
とぼとぼとハカセの後ろについていき、外へ出る。
レグルスはムルジムと連れ立って、屋敷の正門まで見送りに来てくれた。
「……やっぱりオレもタビトといっしょに行っちゃダメ?」
「ダメです。坊っちゃんはお勉強がありますから」
「うぅ……」
すでに何度かなされたやり取りで、レグルスの声には諦めが滲んでいる。
「タビトぉ……」
「早く帰ってこられるようがんばるね」
「うん……いってらっしゃい」
送り出す言葉と裏腹に泣きそうなレグルスに苦笑して別れた。
町へはハカセが乗ってきた「車」を使う。
「これにのるの?」
車の横にはウマがいた。
茶色い毛の、タビトが見上げる大きさの、立派な体つきのウマだ。
ここでは車は動物が引いてくれて、ウマが引くものは「馬車」と呼ばれているという。
「ごあいさつできるかな」
「……よろしく、です」
首や体に車を引くためのベルトをたくさんつけたウマが、タビトの挨拶にぺこりとお辞儀してくれたように見えた。
タビトが知っている車は、速いかわりに固くて臭くてうるさいものだったが、ハカセが乗る車はウマが引っ張るもので、速さはそれほどでなく臭くもうるさくもない。
「嬉しいなぁ、タビトを研究所に招待できるなんて。もらった毛だけじゃ分析に限界があるからね。きみのような子を調べられるなんて私は幸運だ」
「……」
「そう不安そうにしないでくれ。長くとも一月で帰れるよ。それまでに人化を習得すればレグルス坊っちゃんも喜んでくれるだろう?」
「……うん」
一ヶ月もレグルスに会えないのか。
無性に泣きたくなって、でも泣きたくなくて、窓の外を睨みつけた。
あまり揺れない車の中で、移りゆく風景を眺め続ける。ハカセが話しかけてくることもなく、静かな道行き。
変化があったのは、流れる景色が濃い木々の集まりになった頃だった。
レグルスの屋敷の裏にある森は思っていたよりずっと深くて、奥に行くほど光が届かず暗くなっていく。そのうちまた明るくなるとハカセは言ったけど、今はまるで夕暮れみたいだ。
そんな場所で、車がガタンと大きく揺れた。
「わっ」
「なんだ?」
大きな揺れと同時に車は進まなくなった。
ウマが足を止めてしまったようだ。がたがたという物音に、鳴き声も聞こえる。
「倒木でもあったかな。どうかしたか?」
ハカセが車を出た。タビトもおそるおそる後に続く。
車の外には、明らかな緊張感が漂っていた。肌に感じるその圧力に体がこわばる。
首を回すと、車の前方に黒っぽい影が立っていた。
獣人だ。
ウマの姿がなく、代わりに茶色い布を身に纏ったヒトが倒れている。
このときはじめて、車を引っ張ってくれていたのがウマの獣人だったことを知った。
「なんだきみたちは」
「金目の物を置いていけ。命までは取らない」
ハカセは影の要求に応えず、身を低くした、その時。
前のめりにハカセが倒れた。
「っ、ハカセ!?」
急に後ろから現れた獣人に背中を殴られたのだ。
幸い意識は奪われなかったが、不意をつかれ痛みに呻くハカセの体は、あっという間に拘束されてしまった。
「くっ、盗賊か!」
「半分正解だ。そっちは副業だが……どうやら今回は本業の方もできそうだ」
「何……?」
盗賊と呼ばれた男たちは二手に分かれ、半分が車の中を物色し始める。
残る半数はハカセとウマ獣人の元に残り、そして一番背が高く威圧感のある男が、こちらを見た。
声を出すこともできず、ただ目を見開いて固まっていたタビトに向けられる、ぞっとするほど色のない視線。
「アルビノのトラの子か。こいつは珍しい。もらっていくぞ」
男が冷たく、鋭く、「珍しいもの」を眺める目でタビトを見るのを、震えて受け止めることしかできなかった。
怖い。
ここにいる者は皆タビトより強い。おまけに、他者を害することになんのためらいも持ってない。────へたに動けば殺される。
歯の根が合わずぶるぶる震えるタビトに、男は手早く首輪を付けた。
太く分厚いそれを引っ張られると抵抗できない。引きずられていくしかない。
「やめろっ、タビトを離せ! くそっ、こんなもの……!」
ハカセが縛られた体をねじって暴れても、拘束はとけない。
獣人なら誰しも呼吸をするようにできるはずの、獣への変化ができないらしい。
タビトを引きずる盗賊が鼻で嗤った。
「諦めな。あんた見たところ大型のネコ科だろ。獣化されると面倒なんでな、そのままそこで転がってろ」
「くぅ……っ」
「金とこいつは頂いていくが、あとのもんは残しといてやる。無駄な抵抗はするな。イヌに噛まれたと思って忘れろ」
車の中を物色していた盗賊たちが戻ってきて、彼らが連れてきたウマに跨る。
森へ入るつもりだ。
ハカセから離れたら……もう二度と帰れない。
目裏にレグルスの笑顔が瞬いた。
「ぅわぁああっ!」
力を振り絞り、恐怖に強張っている体を無理やり動かして、タビトは暴れた。
目の前にあった獣人の足に渾身の力で噛みつく。
爪を全開にして、男の体や、襲い来る獣人の腕、飛びかかってきたものの顔、触れたものすべてを引っ掻く。
「こいつっ大人しくしろ!」
「やだ! さわるなっ!」
「ん? おまえ、獣人だったのか」
全力の抵抗も長くは続かず、結果的にはちょっとした反抗にしかならなかった。取り押さえられ、首輪を掴まれ男の眼前に晒される。
その顔も引っ掻いてやろうとしたけど届かない。
後足も振り回したけど、あっさり掴まれて封じられてしまう。
獣人共通語を喚くタビトを、盗賊の男はつまみ上げてにやりと嗤った。
「アルビノのトラ、しかも獣人とは……こりゃ大儲けだ」
「はなせってば! やだ、やだ!」
「人型にならなかったのは賢明だったが、こんなチビじゃな。諦めろ、おまえは売られるんだ」
売られる?
その言葉を投げつけられるのは初めてじゃない。
母さんを奪い、帰る場所を奪い、尊厳を、誇りを、希望を、未来を、大切な何もかもを奪ったあいつらも、同じことを言ってた。
こいつらも同じだ。悪党だ。
体中の血が沸き立つように怒りが燃えた。
よみがえるのは────絶対に忘れられない記憶。
僕が「珍しい」ばかりに、僕らは追い立てられ、かあさんは地に伏せた。
耳をつんざく轟音。ぐったりと動かない体。赤い生命が流れ出して大地に吸い込まれていく。
凪いだ水の底のように濁った目は、もう僕を映してくれることはない。
あの日の悲しみと怒りがこの身を激しく揺さぶった。
視界が赤く染まっていく。
「あっ、こら!」
盗賊が焦った声を出して手を伸ばしてくる。
それが嫌で、触られたくなくて、タビトは四肢をがむしゃらに振り回した。
さっきはダメだったその抵抗が、今度はなぜか成功した。タビトは魔の手から逃れ、地面に尻もちをついた。
痛い。地面がとても冷たい。
「人化したか。だがまぁ、その姿のほうが非力そうだ」
「え?」
男の言葉が理解できず自身を見下ろす。
白いはずのタビトの体は、毛が全然生えていなかった。
レグルスのものとは違う、どちらかといえばフェルカドのものに近い小麦色のつるつるした肌。
わけのわからない方向に折れ曲がっている足と、明らかに長くなっている腕。指も細長く、尖った爪だけがトラらしさを残している。
地表をざり、と撫でたしっぽは腰から伸びていて、おそるおそる触れた頭のてっぺんには慣れ親しんだ感触の耳が生えている。
鏡はないけど、わかる。
タビトは今、「人の姿」をしている。
「おら、大人しくしろ」
「……ッ! や、やだっ!」
「いてっ引っ掻くな!」
盗賊はニヤニヤと下卑た笑みを隠そうともせず腕を伸ばしてくる。
移動しようとしても、まるで四肢が自分のものじゃないみたいにぐにゃぐにゃして、ちっとも使いこなせない。
このままじゃまた捕まってしまう。
「助けて、たすけてレグルスーっ!」
情けなくも潤む視界と、力の入らない体を必死に動かして、叫んだ。
レグルスはいないのに。自ら置いてきてしまったのに。
「タビトっ!」
だから、レグルスの声がするはずないのに。
「あれ、タビトだよな?」
姿形が変わってしまったタビトに一瞬驚いて、すぐに笑顔を向けてくれた黒と金の獣人。
人型のレグルスの背後に庇われて、嗅ぎ慣れたケモノの匂いに包まれて、タビトは堪えきれず小さく鳴いた。
だって来てくれた。たった一匹のタビトの主が。
「おまえらっタビトに何すんだ!」
「威勢のいいガキだな。まとめて捕まえるぞ」
とはいえ事態はあまり好転していなかった。
多勢に無勢は変わらず、レグルスとて子どもだ。オトナの獣人たちに敵いそうもない。
レグルスはタビトを背にかばい、鋭い犬歯を剥き出しにして唸ってくれたが、盗賊は人型の子ライオンを脅威に感じなかったようだ。
ダメだ、このままじゃ捕まってしまう。タビトだけじゃなくレグルスまで。
逃げて、と言いかけたとき、タビトたちの目前に迫っていた盗賊が突然横倒しになった。
「ぐ、ぁあああっ! てめぇっ」
男を襲っているのは、大きなクロヒョウだった。
全身の筋肉が隆起して、太い前肢が男を押さえつける。
強靭な牙と顎は捕らえた獲物を決して逃さない。
突然現れた、この場で最も強い獣に、盗賊たちが子ども二匹を放り出して戦闘態勢を取る。
しかし誰一人獣型にはならなかった。
盗賊たちの中に大型のネコ科に敵う種類の獣人がいないのだ。
「坊っちゃん。タビトを馬車まで連れて逃げて」
「わかった。行こうタビト」
クロヒョウは聞き覚えのある声でしゃべった。
ハカセの声だ。盗賊が言ったように、彼は大型のネコ科だった。
ぐぉおん、と地響きのような声で唸るハカセは、味方とわかっていても恐ろしい。直接睨まれている盗賊たちは、その隙のない肉食獣の威容に一歩も動けないらしかった。
タビトはレグルスに腕をひかれながらどうにか窮地を脱した。
「タビト、後ろ足で立てない? その走り方じゃ手がキズついちゃうよ」
「わかんない……二つ足で歩いたことなんてないもん」
「だよなぁ」
タビトは必死に、異様に長く伸びた後肢を持て余しながらヨタヨタ走った。
地面に前足を突くたび、石くれや木の根が柔い肌に突き刺さって痛い。通り過ぎる枝葉が体に当たるのも痛い。
人型とはなんて弱く扱いにくい姿だろう。
なんとか馬車にたどり着き、しかし狭い車内に入る気になれず木々の隙間を睨みつける。
レグルスはタビトの無毛の肌に布を巻いてくれた。毛が生えていないとすぐに体が冷えてしまうらしい。
しばらく待っていると、下草を割りながらクロヒョウが戻ってきた。
同時に見覚えのある栗毛のウマも姿を現す。
「ハカセ! 無事だったんだ」
「もちろん。坊っちゃん、タビトを守れて偉かったですね」
「うん、間に合ってホントによかったよ」
クロヒョウはウマとも話をした。
馬車を引いてくれていた馬獣人に大きなケガはなく、拘束されただけらしい。森を駆け抜けて町に盗賊のことを知らせに行って、戻ってきてくれたのだという。
「すぐに自警団が駆けつける。追跡は彼らに任せよう。タビト、怖い思いをさせてごめんね」
上手く立てずレグルスにしがみついているタビトに向かって、ハカセは黒い頭を垂れた。
ハカセが謝ることじゃない、と思うのに、本当に怖かったからすぐに言葉が出なかった。
なにかしゃべったら、また涙腺が緩んでしまいそうで。
ハカセはそんな気持ちをわかっているようで、自警団が到着するまで獣の姿のまま周囲を警戒してくれた。
2
[気持ちを送る]
感想メッセージもこちらから!
お気に入りに追加
477
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
【完結】転生して妖狐の『嫁』になった話
那菜カナナ
BL
【お茶目な挫折過去持ち系妖狐×努力家やり直し系モフリストDK】
トラック事故により、日本の戦国時代のような世界に転生した仲里 優太(なかざと ゆうた)は、特典により『妖力供給』の力を得る。しかしながら、その妖力は胸からしか出ないのだという。
「そう難しく考えることはない。ようは長いものに巻かれれば良いのじゃ。さすれば安泰間違いなしじゃ」
「……それじゃ前世(まえ)と変わらないじゃないですか」
他人の顔色ばかり伺って生きる。そんな自分を変えたいと意気込んでいただけに落胆する優太。
そうこうしている内に異世界へ。早々に侍に遭遇するも妖力持ちであることを理由に命を狙われてしまう。死を覚悟したその時――銀髪の妖狐に救われる。
彼の名は六花(りっか)。事情を把握した彼は奇天烈な優太を肯定するばかりか、里の維持のために協力をしてほしいと願い出てくる。
里に住むのは、人に思い入れがありながらも心に傷を負わされてしまった妖達。六花に協力することで或いは自分も変われるかもしれない。そんな予感に胸を躍らせた優太は妖狐・六花の手を取る。
★表紙イラストについて★
いちのかわ様に描いていただきました!
恐れ入りますが無断転載はご遠慮くださいm(__)m
いちのかわ様へのイラスト発注のご相談は、
下記サイトより行えます(=゚ω゚)ノ
https://coconala.com/services/248096
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。

小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
誓いを君に
たがわリウ
BL
平凡なサラリーマンとして過ごしていた主人公は、ある日の帰り途中、異世界に転移する。
森で目覚めた自分を運んでくれたのは、美しい王子だった。そして衝撃的なことを告げられる。
この国では、王位継承を放棄した王子のもとに結ばれるべき相手が現れる。その相手が自分であると。
突然のことに戸惑いながらも不器用な王子の優しさに触れ、少しずつお互いのことを知り、婚約するハッピーエンド。
恋人になってからは王子に溺愛され、幸せな日々を送ります。
大人向けシーンは18話からです。
中国ドラマの最終回で殺されないために必要な15のこと
神雛ジュン@元かびなん
BL
どこにでもいる平凡な大学生・黒川葵衣(くろかわあおい)は重度の中国ドラマオファン。そんな葵衣が、三度も飯より愛するファンタジードラマ「金龍聖君(こんりゅうせいくん)」の世界に転生してしまった! しかも転生したのは、ドラマの最終回に主人公に殺される予定の極悪非道皇子。
いやいやいや、俺、殺されたくないし。痛いのイヤだし。
葵衣はどうにか死亡フラグを回避しようと、ことなかれの人生を歩もうとする。
とりあえず主人公に会わなきゃよくない?
が、現実は厳しく、転生したのは子供時代の主人公を誘拐した直後。
どうするの、俺! 絶望まっしぐらじゃん!
悩んだ葵衣は、とにかく最終回で殺されないようにするため、訳アリの主人公を育てることを決める。
目標は自分に殺意が湧かないよう育てて、無事親元に帰すこと!
そんなヒヤヒヤドキドキの溺愛子育てB L。
====================
*以下は簡単な設定説明ですが、本文にも書いてあります。
★金龍聖君(こんりゅうせいくん):中国ファンタジー時代劇で、超絶人気のWEBドラマ。日本でも放送し、人気を博している。
<世界>
聖界(せいかい):白龍族が治める国。誠実な者が多い。
邪界(じゃかい):黒龍族が治める国。卑劣な者が多い。
<主要キャラ>
黒川葵衣:平凡な大学生。中国ドラマオタク。
蒼翠(そうすい):邪界の第八皇子。葵衣の転生先。ドラマでは泣く子も黙る悪辣非道キャラ。
無風(むふう):聖界の第二皇子。訳があって平民として暮らしている。
仙人(せんにん):各地を放浪する老人。
炎禍(えんか):邪界皇太子。性格悪い。蒼翠をバカにしている。

神は眷属からの溺愛に気付かない
グランラババー
BL
【ラントの眷属たち×神となる主人公ラント】
「聖女様が降臨されたぞ!!」
から始まる異世界生活。
夢にまでみたファンタジー生活を送れると思いきや、一緒に召喚された母であり聖女である母から不要な存在として捨てられる。
ラントは、せめて聖女の思い通りになることを妨ぐため、必死に生きることに。
彼はもう人と交流するのはこりごりだと思い、聖女に捨てられた山の中で生き残ることにする。
そして、必死に生き残って3年。
人に合わないと生活を送れているものの、流石に度が過ぎる生活は寂しい。
今更ながら、人肌が恋しくなってきた。
よし!眷属を作ろう!!
この物語は、のちに神になるラントが偶然森で出会った青年やラントが助けた子たちも共に世界を巻き込んで、なんやかんやあってラントが愛される物語である。
神になったラントがラントの仲間たちに愛され生活を送ります。ラントの立ち位置は、作者がこの小説を書いている時にハマっている漫画や小説に左右されます。
ファンタジー要素にBLを織り込んでいきます。
のんびりとした物語です。
現在二章更新中。
現在三章作成中。(登場人物も増えて、やっとファンタジー小説感がでてきます。)
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる