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第一章
17.ライオンのおうじさま
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話し言葉が扱えているおかげで、タビトはわりと早い段階で文字を覚えた。
ムルジムにも「覚えが早い」とお墨付きをもらい、勉強がたのしくなった。
文字が読めれば単語もそれほど苦労せず読めるようになり、意味を知らなくても尋ねたり調べたりできるようになった。
「タビト、すっかり字が読めるようになったねぇ。ベンキョー、むずかしくないの?」
「最初はぜんぜん見分けがつかなかったけど、なんとなくわかるようになってきたよ。わかるようになると、ベンキョーもつらくない」
「タビトはすごいねぇ……」
寝そべる二匹の目の前には、お互いのしっぽがある。
レグルスの先っぽだけがふわふわと膨らんだしっぽは、とても手触りがよく魅力的で、揺れているとついつい前足が出てしまう。
タビトがレグルスのしっぽに飛びつくと、お返しとばかりにタビトのしっぽも掴まれた。
「やっ! はなしてよぉ」
「やだっオレもタビトのしっぽであそぶ」
「あそぶなぁ~」
お互いにお互いのしっぽを追いかけ、いつしか転がって笑い合う。
自分のしっぽを追いかけてもすぐ飽きてしまうのに、レグルスのしっぽを追いかけるのはちっとも飽きないのが不思議だった。
ひと遊びしてひと休みしたあとは、まだまだ勉強が待っている。
今日は文字の勉強の一環にと、本を読むことになった。
レグルスの部屋にたくさんある本の中から、絵がたくさん入っているものをピックアップしてもらう。
庭やベッドで寝転びながらたどたどしく文字を追って朗読するタビトに、レグルスが補足や解説を加えていく形に落ち着いた。
タビトにとっては文字を読むことどころか、物語というものに触れることさえ初めての試みだ。
描かれていないものを想像するのも大事と教わり、絵を見ながら情景を思い浮かべることもやっている。どうしても読むのは遅くなるが、レグルスは辛抱強く付き合ってくれた。
今日は、薄くて大判の絵本をベッドの上で開いている。物語は終盤だ。
「『ライオンのおひめさまは、ライオンのおうじさまのキスで、めをさましました』……」
「うん、読めてるよ」
「レグルス、キスってなに?」
二匹は絵本の挿絵を見た。
ふわふわした布に包まれた獣人のメスライオンが、体の線にそった服を来たオスライオン獣人に捕食されている絵だ。
オスライオンはメスライオンの顔に口をつけている。
顔の肉から食べることを言うのだろうか。骨と皮ばかりであまりおいしくない部位だと、母は言っていたが。
タビトが物騒なことを考えている間に、レグルスは四つ足でとことこと分厚い本を持ってきた。
辞書という、言葉の意味がわからないときに開く重い本だ。
言葉がわからないのに言葉で解説されても理解できないのでは、と思ったものだが、実際に使ってみると便利ですごいものである。とてつもなく重いのが難点だが。
「キス……くちびるをあいてのからだにつけること。アイジョーヒョーゲン……」
「くちびる?」
「ここのこと」
レグルスの鼻先がつついたのはタビトの口だ。
「ここは口だよ」
「うーん、そうなんだけど。口って、歯より中のことをいうみたいなんだよね。歯より手前にある、このやわかいとこのことだよ」
「そうなんだ……」
前足に押し付けると、歯と前足を隔てる薄い肉があることがわかる。
これがくちびる。
つまり、くちびるとくちびるを合わせることが、キス?
「うーん。人型だけのやりかたみたいだよ。ヒトにはもっとちゃんとくちびるがあって、毛がはえてないからくっつけやすいんだ」
「毛がはえてない……ムルジムははえてるよ?」
「あれはくちびるの上にはえてるヒゲ。くちびるからは毛がはえないんだって」
「ふーん……」
試しにレグルスの顔にくちびるをつけてみる。
着地したのはヒゲの根元あたりで、太い白毛がぴぴっと震える。
タビトはくちびるを開いて、レグルスの頬をもにゅもにゅ揉んだ。歯は立てない。舐めるのとも噛むのとも違う、くわえるに近い感触。
レグルスはくすぐったそうに頭を振って、やりかえしてきた。タビトの顔や首筋や耳にくちびるで触れる。
正直、いまいちピンと来なかった。
口先でちょんと触れるだけでは物足りないし、舐めたほうがスキンシップとしても気持ちがいい。
「こういうの、人型のみんながやってるってことかなぁ」
「かたっぽだけでもやってみる?」
レグルスが毛皮を脱ぎ、人型へ変わる。
タビトの白い毛を、無毛の五本指がもしゃもしゃと撫でた。
この手に撫でられるのは好きだ。毛づくろいとは違う気持ちよさがある。
不意に、無毛のくちびるがタビトの額に触れた。それから左右のまぶたに、鼻頭に、左の耳の下、右の頬、最後にくちびる。
「どう?」
「……なんか、いいかも」
「ほんと? はやくオレにもやってほしいなぁ」
ころんと横たわったレグルスはすぐに四つ足になってしまって、少しだけ惜しむ気持ちが湧いたことにタビト自身驚いた。
ヒトの姿を取る獣人たちの存在にやっと慣れてきたところで、まだ少し緊張するときがあるというのに、人型のレグルスに優しく触れられるのは足りないと思ってしまうなんて。
「本当に僕もレグルスみたいに、二つ足になれるのかなぁ……」
「なれるよ! いっしょにがんばろ?」
「うん……あ、つづき読もっか」
ほったらかしにしていた絵本のページをめくる。
最後のページには、やわらかな色合いで描かれる空と草原、大きな三角形の建物、飛び立つ小鳥と、寄り添って微笑み合う人型がふたり。
「『おうじさまのキスでめざめたおひめさまは、まほう、で、おしろのみんなをおこしました。にぎやかさをとりもどしたおしろで、ライオンのおうじさまは、ライオンのおひめさまと、いつまでも、しあわせ……に、くらしました』だって。キスってすごいんだね……」
「うーん、キスがすごいんじゃなくて、おうじさまがすごいんじゃない?」
「そうなの? じゃあ、レグルスもおうじさま?」
タビトの疑問にレグルスは目を見開いて驚き、少し考え込んだ。
「そういえば、オレの家は『草原の王』ってよばれることがあるんだ。オレのお父さんがそうだからって。だから……」
「レグルス、おうじさまだ!」
「そうかも……!」
新たな発見に二匹は大喜び。ベッドの上で跳ね回り、レグルスは何度もタビトにキスを贈った。
「僕もまほう、使えるようにならないかな?」
「それはムリかも……」
「でもじゃあ、僕がねむったまま目をさまさなかったら、レグルスがキスでおこしてね?」
「いいよ! それならオレはタビトより先におきなくちゃね!」
「……そうじゃなきゃ、ムルジムのキスでおきることになるかも……」
「ぜったいヤダ!」
あはは、と笑い合って転がりまわって、二匹は眠ってもいないのにキスを贈りあった。
その後、勉強をさぼっているレグルスを連れ戻しにやってきたムルジムが、ヒゲで覆われた唇を笑われ不可解な顔をするという一幕があったのだった。
ムルジムにも「覚えが早い」とお墨付きをもらい、勉強がたのしくなった。
文字が読めれば単語もそれほど苦労せず読めるようになり、意味を知らなくても尋ねたり調べたりできるようになった。
「タビト、すっかり字が読めるようになったねぇ。ベンキョー、むずかしくないの?」
「最初はぜんぜん見分けがつかなかったけど、なんとなくわかるようになってきたよ。わかるようになると、ベンキョーもつらくない」
「タビトはすごいねぇ……」
寝そべる二匹の目の前には、お互いのしっぽがある。
レグルスの先っぽだけがふわふわと膨らんだしっぽは、とても手触りがよく魅力的で、揺れているとついつい前足が出てしまう。
タビトがレグルスのしっぽに飛びつくと、お返しとばかりにタビトのしっぽも掴まれた。
「やっ! はなしてよぉ」
「やだっオレもタビトのしっぽであそぶ」
「あそぶなぁ~」
お互いにお互いのしっぽを追いかけ、いつしか転がって笑い合う。
自分のしっぽを追いかけてもすぐ飽きてしまうのに、レグルスのしっぽを追いかけるのはちっとも飽きないのが不思議だった。
ひと遊びしてひと休みしたあとは、まだまだ勉強が待っている。
今日は文字の勉強の一環にと、本を読むことになった。
レグルスの部屋にたくさんある本の中から、絵がたくさん入っているものをピックアップしてもらう。
庭やベッドで寝転びながらたどたどしく文字を追って朗読するタビトに、レグルスが補足や解説を加えていく形に落ち着いた。
タビトにとっては文字を読むことどころか、物語というものに触れることさえ初めての試みだ。
描かれていないものを想像するのも大事と教わり、絵を見ながら情景を思い浮かべることもやっている。どうしても読むのは遅くなるが、レグルスは辛抱強く付き合ってくれた。
今日は、薄くて大判の絵本をベッドの上で開いている。物語は終盤だ。
「『ライオンのおひめさまは、ライオンのおうじさまのキスで、めをさましました』……」
「うん、読めてるよ」
「レグルス、キスってなに?」
二匹は絵本の挿絵を見た。
ふわふわした布に包まれた獣人のメスライオンが、体の線にそった服を来たオスライオン獣人に捕食されている絵だ。
オスライオンはメスライオンの顔に口をつけている。
顔の肉から食べることを言うのだろうか。骨と皮ばかりであまりおいしくない部位だと、母は言っていたが。
タビトが物騒なことを考えている間に、レグルスは四つ足でとことこと分厚い本を持ってきた。
辞書という、言葉の意味がわからないときに開く重い本だ。
言葉がわからないのに言葉で解説されても理解できないのでは、と思ったものだが、実際に使ってみると便利ですごいものである。とてつもなく重いのが難点だが。
「キス……くちびるをあいてのからだにつけること。アイジョーヒョーゲン……」
「くちびる?」
「ここのこと」
レグルスの鼻先がつついたのはタビトの口だ。
「ここは口だよ」
「うーん、そうなんだけど。口って、歯より中のことをいうみたいなんだよね。歯より手前にある、このやわかいとこのことだよ」
「そうなんだ……」
前足に押し付けると、歯と前足を隔てる薄い肉があることがわかる。
これがくちびる。
つまり、くちびるとくちびるを合わせることが、キス?
「うーん。人型だけのやりかたみたいだよ。ヒトにはもっとちゃんとくちびるがあって、毛がはえてないからくっつけやすいんだ」
「毛がはえてない……ムルジムははえてるよ?」
「あれはくちびるの上にはえてるヒゲ。くちびるからは毛がはえないんだって」
「ふーん……」
試しにレグルスの顔にくちびるをつけてみる。
着地したのはヒゲの根元あたりで、太い白毛がぴぴっと震える。
タビトはくちびるを開いて、レグルスの頬をもにゅもにゅ揉んだ。歯は立てない。舐めるのとも噛むのとも違う、くわえるに近い感触。
レグルスはくすぐったそうに頭を振って、やりかえしてきた。タビトの顔や首筋や耳にくちびるで触れる。
正直、いまいちピンと来なかった。
口先でちょんと触れるだけでは物足りないし、舐めたほうがスキンシップとしても気持ちがいい。
「こういうの、人型のみんながやってるってことかなぁ」
「かたっぽだけでもやってみる?」
レグルスが毛皮を脱ぎ、人型へ変わる。
タビトの白い毛を、無毛の五本指がもしゃもしゃと撫でた。
この手に撫でられるのは好きだ。毛づくろいとは違う気持ちよさがある。
不意に、無毛のくちびるがタビトの額に触れた。それから左右のまぶたに、鼻頭に、左の耳の下、右の頬、最後にくちびる。
「どう?」
「……なんか、いいかも」
「ほんと? はやくオレにもやってほしいなぁ」
ころんと横たわったレグルスはすぐに四つ足になってしまって、少しだけ惜しむ気持ちが湧いたことにタビト自身驚いた。
ヒトの姿を取る獣人たちの存在にやっと慣れてきたところで、まだ少し緊張するときがあるというのに、人型のレグルスに優しく触れられるのは足りないと思ってしまうなんて。
「本当に僕もレグルスみたいに、二つ足になれるのかなぁ……」
「なれるよ! いっしょにがんばろ?」
「うん……あ、つづき読もっか」
ほったらかしにしていた絵本のページをめくる。
最後のページには、やわらかな色合いで描かれる空と草原、大きな三角形の建物、飛び立つ小鳥と、寄り添って微笑み合う人型がふたり。
「『おうじさまのキスでめざめたおひめさまは、まほう、で、おしろのみんなをおこしました。にぎやかさをとりもどしたおしろで、ライオンのおうじさまは、ライオンのおひめさまと、いつまでも、しあわせ……に、くらしました』だって。キスってすごいんだね……」
「うーん、キスがすごいんじゃなくて、おうじさまがすごいんじゃない?」
「そうなの? じゃあ、レグルスもおうじさま?」
タビトの疑問にレグルスは目を見開いて驚き、少し考え込んだ。
「そういえば、オレの家は『草原の王』ってよばれることがあるんだ。オレのお父さんがそうだからって。だから……」
「レグルス、おうじさまだ!」
「そうかも……!」
新たな発見に二匹は大喜び。ベッドの上で跳ね回り、レグルスは何度もタビトにキスを贈った。
「僕もまほう、使えるようにならないかな?」
「それはムリかも……」
「でもじゃあ、僕がねむったまま目をさまさなかったら、レグルスがキスでおこしてね?」
「いいよ! それならオレはタビトより先におきなくちゃね!」
「……そうじゃなきゃ、ムルジムのキスでおきることになるかも……」
「ぜったいヤダ!」
あはは、と笑い合って転がりまわって、二匹は眠ってもいないのにキスを贈りあった。
その後、勉強をさぼっているレグルスを連れ戻しにやってきたムルジムが、ヒゲで覆われた唇を笑われ不可解な顔をするという一幕があったのだった。
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