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第一章
10.変身の練習
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「いい? いくよ?」
「うん」
「それっ」
掛け声とともに体に力を入れ「人型になれ!」と心の中で唱える。
肉球を触れ合わせていたはずのレグルスは、ベッドに寝そべったまま人型に変化していた。その手にやわらかな肉球はなく、平たい皮膚だけがある。
一方タビトは、白いトラのまま。
「うーん、やっぱりだめかぁ」
「ごめん……」
「タビトがあやまることじゃない。できないものはしかたないよ」
「うん……」
目の前の人間から、慣れ親しんだ獅子の声が出るのは何度見ても違和感がある。
今は人化の練習中だ。
もっとも、変化できない獣人はタビトだけ。
レグルスから人型化のコツのようなものは教わったものの、体の中心に力を込めるとか、ぐっとしてにょ~んとか、ふわっとしたアドバイスだけでできるはずもなく。
「タビトのまわりに獣人はいなかったんだよね?」
「うん。母さんも他の動物も、ヒトになったりしなかったよ。人間が動物の姿になるなんて聞いたことない」
「ケモノしかいない土地だったのかな……たまたまタビトだけ獣人に生まれたのかな?」
「ねぇ、そもそもどうしてレグルスは僕を獣人だと思うの?」
至極当然の問いに、レグルスは心底驚いたようで、明るいオレンジの眼を真ん丸にさせた。
「そんなこと考えたこともなかった。だってタビトは獣人だもん。オレたちのナカマだもん」
「じゃあ『なんとなく』ってこと?」
「うーーん……」
子ライオンの姿のときより長い腕を器用に組んで、レグルスが唸る。
頭の上の耳は子ライオンのときのままで、きゅっと後ろを向いている。
「獣舎とか森にいるケモノとオレたち獣人は、ことばで話すことはできないんだ。でもタビトとは話せる。それと……タビトはいいにおいがするから、かな」
「においで判断してるの?」
「うーーん。それもなんかちがう気がするけど……でもケモノにはおもわないきもちが、タビトにはおもうから」
「気持ち?」
「うん。かわいいとか、さわりたいとか、くっつきたいとか」
相変わらず判断基準はよくわからなかったが、さわりたいとかくっつきたいとか思われているなんてストレートに言葉にされると、なんだか照れる。
「どうすればいいのかなぁ。ムルじいか、おいしゃさんにきいてみようか。タビトもはやく人型になりたいよね?」
レグルスの問いかけは迷いがなかった。他の選択肢なんて思いつかないかのように。
「ヒトになりたいなんて思わないよ」
「えっ、そうなの?」
「だって人間って、おそろしい生き物なんだよ。残酷で狡猾で、ウソをつく、こわい生き物……」
ぞっと逆立った全身の毛を、深く呼吸することで落ち着ける。
やっぱりまだ人間は怖い。
レグルスだとわかっていても、彼が二つ足の姿だと本能が怯える。逃げ出したくなる。
逃げられなんてしないのに。
人間に捕まってしまったらもうおしまいだ。
特にタビトのような「めずらしい」は絶対にダメだ。母さんにもそう言われていたのに、僕は、母さんは……。
「タビト?」
はっと顔をあげると、心配そうな子ライオンが目の前にいた。
人化を解いて、見慣れた獅子の姿になったレグルスだ。思わずほっと安堵の吐息が漏れた。
「タビト、こわいかおしてた。だいじょぶ?」
「だ、だいじょうぶ……ごめん、ちょっと考えごとしてた」
「そっか」
ぽしゃぽしゃした頭がこすりつけられ、腕の辺りをざりざり舐められる。
恐ろしい過去の記憶に囚われそうになったタビトのささくれた心を、レグルスは丁寧に撫で付けて落ち着かせてくれた。
「タビトが人型になれないのは、なりたいとおもわないからかもね」
「そうかもしれない……」
「でも、こまったな。獣人はオトナになると、外ではずっと人型でいなきゃいけなくなるんだ」
「そうなの?」
彼が人型になれないタビトを気遣う理由はそれだった。
獣人はケモノの姿のままだと、他のケモノと縄張り争いをしてしまう習性がある。
外には村や町といった、獣人がまとまって暮らす集落があり、そこには色々な獣型を持った獣人たちが住んでいるという。
強くて大きな獣が顔を合わせるたびにケンカをしたら大変だ。
特に大型のネコ科は何もしなくても他の獣人を強く威圧してしまうものらしく、大きく育つと人型でいなければならないと決まっている。人型になれば、肉食獣特有の威圧感が減るのだとか。
タビトがこのままでは、いつか一緒にいられなくなる。外を自由に出歩くこともできなくなる。
同時に、この屋敷に獣化した大人がいない理由もわかった。
縄張り意識だけが原因ではなかった。獣舎でタビトが家畜たちに怖がられたことを思い出す。
「少しずつ、人型になれるようがんばってみない?」
「……がんばってみる」
頷くとレグルスはぱっと笑顔になった。
「がんばろ! オレもおうえんするから。人型になれるとたのしいよ!」
「楽しいの? たとえばなにが?」
「うーん、高いところのものを取れるようになるし、手でなんでもつかめる。あとね、野菜をおいしくたべられる!」
「えー? 草を?」
「草じゃないってば! 野菜は動物にはほとんどいらないけど、人の姿をもつ獣人にはヒツヨウで、だから人型の舌ではおいしくかんじるようになってるんだって」
「へぇ~」
初めて人型というものに興味が湧いた。
一日二回食事に出てくる草、もとい野菜は今でこそソースのおかげで食べられているけど、好きなわけじゃない。
しかし人間という生き物は極めて雑食で、さまざまなものを食べられるし、トラの体でおいしくないものを美味と感じることができるのだという。
母と暮らしていた頃は考えたこともなかった、食べ物の味という概念。
恵まれた環境にある今、食べ物の味を追求するというのもおもしろいかもしれないと素直に思った。
この世には────食べたくなどないのに吐くことすら許されない底辺の世界が存在していると、知っているからかもしれない。
「人型になれるオトナはケーキも食べられるんだよ!」
「けぇき、ってなに?」
「ケーキはね、あまいクリームがたくさんのってて、チョコレートクリームのこともあって、フルーツもなんでものせてよくて……とにかくおいしくて、ほっぺたが落ちちゃうもの!」
「顔のお肉が……!?」
その後は「頬が落ちる」という慣用句について議論が交わされ、人型になる訓練は一旦終了となった。
「うん」
「それっ」
掛け声とともに体に力を入れ「人型になれ!」と心の中で唱える。
肉球を触れ合わせていたはずのレグルスは、ベッドに寝そべったまま人型に変化していた。その手にやわらかな肉球はなく、平たい皮膚だけがある。
一方タビトは、白いトラのまま。
「うーん、やっぱりだめかぁ」
「ごめん……」
「タビトがあやまることじゃない。できないものはしかたないよ」
「うん……」
目の前の人間から、慣れ親しんだ獅子の声が出るのは何度見ても違和感がある。
今は人化の練習中だ。
もっとも、変化できない獣人はタビトだけ。
レグルスから人型化のコツのようなものは教わったものの、体の中心に力を込めるとか、ぐっとしてにょ~んとか、ふわっとしたアドバイスだけでできるはずもなく。
「タビトのまわりに獣人はいなかったんだよね?」
「うん。母さんも他の動物も、ヒトになったりしなかったよ。人間が動物の姿になるなんて聞いたことない」
「ケモノしかいない土地だったのかな……たまたまタビトだけ獣人に生まれたのかな?」
「ねぇ、そもそもどうしてレグルスは僕を獣人だと思うの?」
至極当然の問いに、レグルスは心底驚いたようで、明るいオレンジの眼を真ん丸にさせた。
「そんなこと考えたこともなかった。だってタビトは獣人だもん。オレたちのナカマだもん」
「じゃあ『なんとなく』ってこと?」
「うーーん……」
子ライオンの姿のときより長い腕を器用に組んで、レグルスが唸る。
頭の上の耳は子ライオンのときのままで、きゅっと後ろを向いている。
「獣舎とか森にいるケモノとオレたち獣人は、ことばで話すことはできないんだ。でもタビトとは話せる。それと……タビトはいいにおいがするから、かな」
「においで判断してるの?」
「うーーん。それもなんかちがう気がするけど……でもケモノにはおもわないきもちが、タビトにはおもうから」
「気持ち?」
「うん。かわいいとか、さわりたいとか、くっつきたいとか」
相変わらず判断基準はよくわからなかったが、さわりたいとかくっつきたいとか思われているなんてストレートに言葉にされると、なんだか照れる。
「どうすればいいのかなぁ。ムルじいか、おいしゃさんにきいてみようか。タビトもはやく人型になりたいよね?」
レグルスの問いかけは迷いがなかった。他の選択肢なんて思いつかないかのように。
「ヒトになりたいなんて思わないよ」
「えっ、そうなの?」
「だって人間って、おそろしい生き物なんだよ。残酷で狡猾で、ウソをつく、こわい生き物……」
ぞっと逆立った全身の毛を、深く呼吸することで落ち着ける。
やっぱりまだ人間は怖い。
レグルスだとわかっていても、彼が二つ足の姿だと本能が怯える。逃げ出したくなる。
逃げられなんてしないのに。
人間に捕まってしまったらもうおしまいだ。
特にタビトのような「めずらしい」は絶対にダメだ。母さんにもそう言われていたのに、僕は、母さんは……。
「タビト?」
はっと顔をあげると、心配そうな子ライオンが目の前にいた。
人化を解いて、見慣れた獅子の姿になったレグルスだ。思わずほっと安堵の吐息が漏れた。
「タビト、こわいかおしてた。だいじょぶ?」
「だ、だいじょうぶ……ごめん、ちょっと考えごとしてた」
「そっか」
ぽしゃぽしゃした頭がこすりつけられ、腕の辺りをざりざり舐められる。
恐ろしい過去の記憶に囚われそうになったタビトのささくれた心を、レグルスは丁寧に撫で付けて落ち着かせてくれた。
「タビトが人型になれないのは、なりたいとおもわないからかもね」
「そうかもしれない……」
「でも、こまったな。獣人はオトナになると、外ではずっと人型でいなきゃいけなくなるんだ」
「そうなの?」
彼が人型になれないタビトを気遣う理由はそれだった。
獣人はケモノの姿のままだと、他のケモノと縄張り争いをしてしまう習性がある。
外には村や町といった、獣人がまとまって暮らす集落があり、そこには色々な獣型を持った獣人たちが住んでいるという。
強くて大きな獣が顔を合わせるたびにケンカをしたら大変だ。
特に大型のネコ科は何もしなくても他の獣人を強く威圧してしまうものらしく、大きく育つと人型でいなければならないと決まっている。人型になれば、肉食獣特有の威圧感が減るのだとか。
タビトがこのままでは、いつか一緒にいられなくなる。外を自由に出歩くこともできなくなる。
同時に、この屋敷に獣化した大人がいない理由もわかった。
縄張り意識だけが原因ではなかった。獣舎でタビトが家畜たちに怖がられたことを思い出す。
「少しずつ、人型になれるようがんばってみない?」
「……がんばってみる」
頷くとレグルスはぱっと笑顔になった。
「がんばろ! オレもおうえんするから。人型になれるとたのしいよ!」
「楽しいの? たとえばなにが?」
「うーん、高いところのものを取れるようになるし、手でなんでもつかめる。あとね、野菜をおいしくたべられる!」
「えー? 草を?」
「草じゃないってば! 野菜は動物にはほとんどいらないけど、人の姿をもつ獣人にはヒツヨウで、だから人型の舌ではおいしくかんじるようになってるんだって」
「へぇ~」
初めて人型というものに興味が湧いた。
一日二回食事に出てくる草、もとい野菜は今でこそソースのおかげで食べられているけど、好きなわけじゃない。
しかし人間という生き物は極めて雑食で、さまざまなものを食べられるし、トラの体でおいしくないものを美味と感じることができるのだという。
母と暮らしていた頃は考えたこともなかった、食べ物の味という概念。
恵まれた環境にある今、食べ物の味を追求するというのもおもしろいかもしれないと素直に思った。
この世には────食べたくなどないのに吐くことすら許されない底辺の世界が存在していると、知っているからかもしれない。
「人型になれるオトナはケーキも食べられるんだよ!」
「けぇき、ってなに?」
「ケーキはね、あまいクリームがたくさんのってて、チョコレートクリームのこともあって、フルーツもなんでものせてよくて……とにかくおいしくて、ほっぺたが落ちちゃうもの!」
「顔のお肉が……!?」
その後は「頬が落ちる」という慣用句について議論が交わされ、人型になる訓練は一旦終了となった。
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現在二章更新中。
現在三章作成中。(登場人物も増えて、やっとファンタジー小説感がでてきます。)
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