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02.現状把握
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その後、俺はカタンが泊まっている宿の部屋へ通された。
あのまま往来で話をするのも、ということだが、それにしてもこいついい部屋借りてんなぁ。
カタンの部屋は天井が高く、小さなシャンデリアみたいなランプが下がっている。両開きの窓はガラスの歪みなくクリアで、クリーム色の壁には穴もへこみもない。詰め込めば男二十人くらい入りそうな余裕のある室内はほんのり花の香りがして、見れば小洒落た応接テーブルに黄色い花がいけられていた。寝返りを打っても落ちなさそうな幅のベッドに、シミもシワもない寝具。
同じ冒険者としてこうも違うのかと打ちのめされそうになりつつ、俺はどうにか羨望を顔に出さないようぶすっと唇を曲げて部屋に入った。
「……で? コーマはこれが何なのか知ってるのか」
「あぁ。あ、いや知ってると断言できるかはちょっと微妙なんだが」
「煮え切らないな」
ソファに座るカタンは小指の糸を眺めている。
俺は糸を手繰る方向で試したが、こいつは糸を切ろうと試みたらしい。
「話の前に聞くが、カタン、おまえはどういう状況でこの糸に気づいたんだ?」
「今朝目が覚めたら、この糸が指に絡まってた。魔術の気配は感じないが念のため侵入者や襲撃の気配がないかどうか探って、その後は切れないかどうか試してた」
「そう、それ焦ったわ。なんですぐ破壊しようとするんだよ」
「こんな得体の知れないもの付けたままにしておけるか。もっとも、切断を試みた剣もナイフも刃こぼれ、ハサミは力を入れすぎて壊してしまったが」
カタンはテーブルに放り出されているハサミを指差す。
さっき俺が取り上げたものは二本目らしい。刃を束ねるネジが外れてしまったものを見て、俺はゾッとした。
もしかしたらこの糸、思っているよりヤバい存在なんじゃないか。
血の気が引く思いをしながら、俺は女神様の夢と、糸を手繰ってここまできたという話をした。
「信じられん……これが恩寵?」
予想通りカタンは頭を抱えてしまう。
まぁ俺も、王族でも神官でもないただの冒険者に女神の夢を見たなんて言われたら信じられるわけがない。鼻で笑って終わりだ。
彼が俺の話を最後まで聞いてくれたのは、ひとえに今目の前に不可解な物体が実際に存在しているからだ。
「正直俺も信じられないんだけど、現にここに何をしても切れない糸があるんだよな……」
「……うぅむ」
カタンは唸って俯いてしまった。
俺とカタンは顔見知りだ。
友人、と言えるほどじゃない。どちらかと言えば戦友か。
同じ町で同じ冒険者家業をやってれば嫌でも知り合う。もっともこいつは嫌な知り合いじゃないが。
カタンは直剣といくつかの短剣を扱う前衛の戦士だ。
剣の達人として通っている。
索敵や罠の解除、弓による攻撃を行う狩人の俺とは相性が良くて、カタンがこの町にやってきてから4、5回組んでダンジョンに潜った。
あらくればかりの冒険者家業において、カタンは比較的穏やかで話の通じる男だ。
狩人である俺はダンジョン探索に必須の存在ではあるが、モンスターを倒すのにはあまり自信がないし、力も強くなければ体も小柄で軽い。
それを生かした職に就いているのだから軽んじられるいわれはないが、ナメられやすいのが実情だ。
しかしカタンは俺を見下すことも侮ることもなく、対等な仲間として接してくれる。
脳筋が多い前衛職にあっては、なかなか稀有な存在だ。
(しかしなんで糸がカタンと……あれ?)
もしかしたら俺がカタンを巻き込んでしまったことになるのだろうか。それともこの巡り合わせにも女神様の深慮遠謀があるのだろうか……考えながら小指を見た俺は、右手に巻き付けながら回収したはずの大量の赤い糸が、ずいぶんと嵩を減らしていることに気づいた。
いや、糸が現在進行系で減っている。
手首を赤く覆っていた無数の糸は、今やもう数本しかない。
そのうちその数本も収束していき、残りは俺とカタンを繋ぐ腕一本分くらいの長さのみになった。
まるで目の前で小指に吸い込まれていくように減っていった糸の動きは、どう考えても自然な存在ではない。
「……」
「……」
それをカタンも見ていた。
凝視して、自分の小指を見て、それから俺の手を見る。
その時俺は、カタンの赤い糸が俺とは逆の左手小指に結ばれていることに気づいた。目下、右利きのカタンの邪魔にはなっていなさそうだとホッとする。
「いやいや安心してる場合じゃない。どうすんだこれ」
「そうだな……まずは、この糸がどんなものなのか理解したい。コーマも協力してくれ」
「いいけど、何するんだ?」
「魔術由来の物質でないことはすでに確認済みだが、女神の創ったものなら神官がなにか知っているかもしれない。神殿に行こう」
「なるほど、そうだな」
連れ立って近場の神殿へ向かう。
俺の拠点である下町には、孤児院併設の寂れた神殿しかないが、貴族街に面したこの宿場町なら歩いて数分で立派な神殿にたどり着くことができた。
神官へ面会を申し出、しばし待つ。
俺たちが歩いている間、糸は伸びたり縮んだりしながらも存在していた。
大体、少しだけたわむくらいの長さで安定しているらしい。不意に俺たちの間の距離が伸びるとピンと張る。
(運命の赤い糸、って物語の糸って、こんな物理的なモノじゃないよなぁ……)
神殿の固いベンチでぼうっと待っていると、老齢の神官が姿を現した。
多分、大神官とかいうかなり偉い立場のやつだ。
ずるずる引きずる白い衣で、待たせているくせにゆっくり歩いてくる。
まぁ神官ってのは老いも若きも偉そうなものだと分かっているので気にはしない。向こうも冒険者など乱暴者の集まりだと思っていることだろう。
「女神様の恩寵を賜ったというのは」
「俺たちです。これなんですけど」
俺は右腕を、カタンは左腕を持ち上げた。
神官はしげしげと俺達の指を見つめている。二人の腕が並んでいると、長さも筋肉量も全然違うことがはっきりと分かっていたたまれない。
何もわからないかもしれないと覚悟したが、神官は数回頷いて、やたらと重々しく告げた。
「確かに女神様の恩寵です。御告げにあった通りです」
「おつげ?」
「えぇ。神官や王族でないものに恩寵を与えたので、彼らが尋ねてきたら無下にせず、そっと見守るようにと」
「……え、見守る? それだけ、ってことですか」
「えぇ。御告げによれば、それはあなた方への祝福であると同時に、試練でもあるとのこと。我らが助力するのではなく、あなた方が自らの力で克服し、試練を真に恩寵たるものへ為すことを女神様はお望みです」
ですから、頑張ってくださいね。
大神官はそう言って、シワくちゃの顔をさらにシワだらけにしてにっこりと笑い、若い神官を引き連れ去って行った。
後には呆然と取り残される男が二人。
「……宿に戻るか」
「……あぁ」
そして俺たちはすごすごとカタンの宿へ戻った。
革張りのソファに座ると疲労を感じて、つい深く腰掛けてしまう。
収穫はあったが、対策は見つからなかった。どうしようもない、ということが分かった、それだけだ。
「コーマ、悪いが夢で話したという女神の言葉、できるだけ詳しく教えてくれ。その中にヒントがあるかもしれない」
「いいけど、ヒントって?」
「この状況を打開するような何かだ」
カタンも手詰まりを感じているのだろう。
それも仕方がない、お互い降って湧いた災難────もとい恩寵だ。むしろ俺のほうが、女神様から説明してもらえたぶん恵まれている。
刻一刻と失われていく夢の内容を、できるだけ細かくカタンへ聞かせた。
「気になるのはこの一言だな。『人生をより豊かに』する恩寵であること、しかし『未完成』であること……」
同意だ。女神様はたしかにそう言っていた。
もしかすると、女神様は本当に物語にあるような「運命の赤い糸」を創ろうとしたのかもしれない。
しかし未完成であるからこんな、糸が太かったり物理的だったりするのだろう。
「この糸が未完成で、まだ『恩寵』そのものでないなら、神官の言う通り何らかの『試練』を乗り越えるしか道はない……ってことか。コーマ、女神は試練について何か言ってたか?」
「……いや、何も言ってなかったと思う。悪い、さっきも言ったが俺は学がなくて、女神様の言うことの半分くらいは理解できなかったんだ」
「謝る必要はない、相手は神だ。俺たちが及ばない部分があって当然だ。しかし……これ以上はどうしようもないな」
俺の言葉をメモしていた紙とペンを置いて、カタンは沈黙する。
確実に俺より冷静であろう彼の思考を邪魔するのは気が引けたが、俺はおずおずと話しかけた。
「カタン、あの、聞いてほしいんだけど」
「なんだ?」
「この糸、俺たちが思ってるより危険だと思う」
「どういうことだ」
ずっと糸の挙動について考えていた。
俺とカタン、二人の距離が変化することで伸びたり縮んだりする赤い糸。
ここへ来るまでに俺は何本もの道を通り、町を通り、その間何人もの町人とすれ違った。女性、子ども、老人もいた。
そして、ハサミどころか、カタンのよく手入れされた剣ですら断ち切れない……ほつれさせることすらできない、強靭で、太い糸。
「俺たちが離れて、もしこの糸が町のどこかにピンと張って、そこを子どもが走り抜けたら……高さがあれば、馬車だって」
女神の恩寵がとんでもない被害を引き起こすかもしれない。
俺はその可能性に気付いてから気分が悪くて、背筋がずっと冷たかった。できるだけカタンと距離を空けないよう歩いたが、彼とは身長差から歩幅も違い、どうしても離れてしまう。
そのたびに、間を誰かが通ろうとしないか気が気じゃなかった。
カタンも俺の懸念をすぐに理解してくれた。
「たしかに危険極まりないな。民を救うための俺たち冒険者が、何の罪もない町人を危険に晒すことはできない」
「うん……」
「わかった。この状況がどうにかなるまで、コーマ、おまえこっちに移動してこい」
「うん……うん?」
こっちってなんだ。
見るとカタンは指を差していた。床に向かって。つまり……同じ宿屋に移動しろという意味か。
「いやいや、何言ってんだよ。こんなとこ俺の財力で泊まれるわけないだろ。おまえが俺の方に来い」
「コーマが泊まってるのはあそこだろう、あの治安の悪い……」
「そうだけど、俺が移動するのは無理。モンスター退治メインじゃない支援職は実入りが少ないの! 優秀な剣士様と一緒にすんなよ」
「そんなに違うものか?」
心底不思議そうな顔をする男にイライラしながら、仕方なく懐から財布を出して中身を見せてやった。
貧しさなんて他人に知られたくなどないが、この宿一泊が俺の宿の何泊分になるかと想像するだけでゾッとする。中身があってないような俺の財布を覗き込み、カタンは頷いた。
「わかった、すまん。だがあの宿屋だけは勘弁してくれ、大通りの北の方ならどうだ」
「……まぁ、そこなら。何、あの町に嫌な思い出でもあるの?」
「いや。単純にあの町は汚いし臭いし治安が悪すぎる」
「汚くて臭くて治安の悪い町の宿に住んでて悪かったな!」
カタンは多少話のできるやつだが、粗野で雑なところはいかにも冒険者らしく、おまけに俺とは価値観が全然違う。
噛み付く俺を面倒くさそうにあしらったカタンは、さっさと宿を引き払い俺の手────ではなく糸を引っ張った。
「行くぞ」
「やめろ糸引っ張んな! 指がもげたらどーすんだ!」
「これいいな、犬の紐みたいで。引っ張るとコーマが釣れる」
「犬の紐でも釣り糸でもねーよ!!」
引っ張られる腕に翻弄され、俺はカタンの後に続くことしかできなかった。
あのまま往来で話をするのも、ということだが、それにしてもこいついい部屋借りてんなぁ。
カタンの部屋は天井が高く、小さなシャンデリアみたいなランプが下がっている。両開きの窓はガラスの歪みなくクリアで、クリーム色の壁には穴もへこみもない。詰め込めば男二十人くらい入りそうな余裕のある室内はほんのり花の香りがして、見れば小洒落た応接テーブルに黄色い花がいけられていた。寝返りを打っても落ちなさそうな幅のベッドに、シミもシワもない寝具。
同じ冒険者としてこうも違うのかと打ちのめされそうになりつつ、俺はどうにか羨望を顔に出さないようぶすっと唇を曲げて部屋に入った。
「……で? コーマはこれが何なのか知ってるのか」
「あぁ。あ、いや知ってると断言できるかはちょっと微妙なんだが」
「煮え切らないな」
ソファに座るカタンは小指の糸を眺めている。
俺は糸を手繰る方向で試したが、こいつは糸を切ろうと試みたらしい。
「話の前に聞くが、カタン、おまえはどういう状況でこの糸に気づいたんだ?」
「今朝目が覚めたら、この糸が指に絡まってた。魔術の気配は感じないが念のため侵入者や襲撃の気配がないかどうか探って、その後は切れないかどうか試してた」
「そう、それ焦ったわ。なんですぐ破壊しようとするんだよ」
「こんな得体の知れないもの付けたままにしておけるか。もっとも、切断を試みた剣もナイフも刃こぼれ、ハサミは力を入れすぎて壊してしまったが」
カタンはテーブルに放り出されているハサミを指差す。
さっき俺が取り上げたものは二本目らしい。刃を束ねるネジが外れてしまったものを見て、俺はゾッとした。
もしかしたらこの糸、思っているよりヤバい存在なんじゃないか。
血の気が引く思いをしながら、俺は女神様の夢と、糸を手繰ってここまできたという話をした。
「信じられん……これが恩寵?」
予想通りカタンは頭を抱えてしまう。
まぁ俺も、王族でも神官でもないただの冒険者に女神の夢を見たなんて言われたら信じられるわけがない。鼻で笑って終わりだ。
彼が俺の話を最後まで聞いてくれたのは、ひとえに今目の前に不可解な物体が実際に存在しているからだ。
「正直俺も信じられないんだけど、現にここに何をしても切れない糸があるんだよな……」
「……うぅむ」
カタンは唸って俯いてしまった。
俺とカタンは顔見知りだ。
友人、と言えるほどじゃない。どちらかと言えば戦友か。
同じ町で同じ冒険者家業をやってれば嫌でも知り合う。もっともこいつは嫌な知り合いじゃないが。
カタンは直剣といくつかの短剣を扱う前衛の戦士だ。
剣の達人として通っている。
索敵や罠の解除、弓による攻撃を行う狩人の俺とは相性が良くて、カタンがこの町にやってきてから4、5回組んでダンジョンに潜った。
あらくればかりの冒険者家業において、カタンは比較的穏やかで話の通じる男だ。
狩人である俺はダンジョン探索に必須の存在ではあるが、モンスターを倒すのにはあまり自信がないし、力も強くなければ体も小柄で軽い。
それを生かした職に就いているのだから軽んじられるいわれはないが、ナメられやすいのが実情だ。
しかしカタンは俺を見下すことも侮ることもなく、対等な仲間として接してくれる。
脳筋が多い前衛職にあっては、なかなか稀有な存在だ。
(しかしなんで糸がカタンと……あれ?)
もしかしたら俺がカタンを巻き込んでしまったことになるのだろうか。それともこの巡り合わせにも女神様の深慮遠謀があるのだろうか……考えながら小指を見た俺は、右手に巻き付けながら回収したはずの大量の赤い糸が、ずいぶんと嵩を減らしていることに気づいた。
いや、糸が現在進行系で減っている。
手首を赤く覆っていた無数の糸は、今やもう数本しかない。
そのうちその数本も収束していき、残りは俺とカタンを繋ぐ腕一本分くらいの長さのみになった。
まるで目の前で小指に吸い込まれていくように減っていった糸の動きは、どう考えても自然な存在ではない。
「……」
「……」
それをカタンも見ていた。
凝視して、自分の小指を見て、それから俺の手を見る。
その時俺は、カタンの赤い糸が俺とは逆の左手小指に結ばれていることに気づいた。目下、右利きのカタンの邪魔にはなっていなさそうだとホッとする。
「いやいや安心してる場合じゃない。どうすんだこれ」
「そうだな……まずは、この糸がどんなものなのか理解したい。コーマも協力してくれ」
「いいけど、何するんだ?」
「魔術由来の物質でないことはすでに確認済みだが、女神の創ったものなら神官がなにか知っているかもしれない。神殿に行こう」
「なるほど、そうだな」
連れ立って近場の神殿へ向かう。
俺の拠点である下町には、孤児院併設の寂れた神殿しかないが、貴族街に面したこの宿場町なら歩いて数分で立派な神殿にたどり着くことができた。
神官へ面会を申し出、しばし待つ。
俺たちが歩いている間、糸は伸びたり縮んだりしながらも存在していた。
大体、少しだけたわむくらいの長さで安定しているらしい。不意に俺たちの間の距離が伸びるとピンと張る。
(運命の赤い糸、って物語の糸って、こんな物理的なモノじゃないよなぁ……)
神殿の固いベンチでぼうっと待っていると、老齢の神官が姿を現した。
多分、大神官とかいうかなり偉い立場のやつだ。
ずるずる引きずる白い衣で、待たせているくせにゆっくり歩いてくる。
まぁ神官ってのは老いも若きも偉そうなものだと分かっているので気にはしない。向こうも冒険者など乱暴者の集まりだと思っていることだろう。
「女神様の恩寵を賜ったというのは」
「俺たちです。これなんですけど」
俺は右腕を、カタンは左腕を持ち上げた。
神官はしげしげと俺達の指を見つめている。二人の腕が並んでいると、長さも筋肉量も全然違うことがはっきりと分かっていたたまれない。
何もわからないかもしれないと覚悟したが、神官は数回頷いて、やたらと重々しく告げた。
「確かに女神様の恩寵です。御告げにあった通りです」
「おつげ?」
「えぇ。神官や王族でないものに恩寵を与えたので、彼らが尋ねてきたら無下にせず、そっと見守るようにと」
「……え、見守る? それだけ、ってことですか」
「えぇ。御告げによれば、それはあなた方への祝福であると同時に、試練でもあるとのこと。我らが助力するのではなく、あなた方が自らの力で克服し、試練を真に恩寵たるものへ為すことを女神様はお望みです」
ですから、頑張ってくださいね。
大神官はそう言って、シワくちゃの顔をさらにシワだらけにしてにっこりと笑い、若い神官を引き連れ去って行った。
後には呆然と取り残される男が二人。
「……宿に戻るか」
「……あぁ」
そして俺たちはすごすごとカタンの宿へ戻った。
革張りのソファに座ると疲労を感じて、つい深く腰掛けてしまう。
収穫はあったが、対策は見つからなかった。どうしようもない、ということが分かった、それだけだ。
「コーマ、悪いが夢で話したという女神の言葉、できるだけ詳しく教えてくれ。その中にヒントがあるかもしれない」
「いいけど、ヒントって?」
「この状況を打開するような何かだ」
カタンも手詰まりを感じているのだろう。
それも仕方がない、お互い降って湧いた災難────もとい恩寵だ。むしろ俺のほうが、女神様から説明してもらえたぶん恵まれている。
刻一刻と失われていく夢の内容を、できるだけ細かくカタンへ聞かせた。
「気になるのはこの一言だな。『人生をより豊かに』する恩寵であること、しかし『未完成』であること……」
同意だ。女神様はたしかにそう言っていた。
もしかすると、女神様は本当に物語にあるような「運命の赤い糸」を創ろうとしたのかもしれない。
しかし未完成であるからこんな、糸が太かったり物理的だったりするのだろう。
「この糸が未完成で、まだ『恩寵』そのものでないなら、神官の言う通り何らかの『試練』を乗り越えるしか道はない……ってことか。コーマ、女神は試練について何か言ってたか?」
「……いや、何も言ってなかったと思う。悪い、さっきも言ったが俺は学がなくて、女神様の言うことの半分くらいは理解できなかったんだ」
「謝る必要はない、相手は神だ。俺たちが及ばない部分があって当然だ。しかし……これ以上はどうしようもないな」
俺の言葉をメモしていた紙とペンを置いて、カタンは沈黙する。
確実に俺より冷静であろう彼の思考を邪魔するのは気が引けたが、俺はおずおずと話しかけた。
「カタン、あの、聞いてほしいんだけど」
「なんだ?」
「この糸、俺たちが思ってるより危険だと思う」
「どういうことだ」
ずっと糸の挙動について考えていた。
俺とカタン、二人の距離が変化することで伸びたり縮んだりする赤い糸。
ここへ来るまでに俺は何本もの道を通り、町を通り、その間何人もの町人とすれ違った。女性、子ども、老人もいた。
そして、ハサミどころか、カタンのよく手入れされた剣ですら断ち切れない……ほつれさせることすらできない、強靭で、太い糸。
「俺たちが離れて、もしこの糸が町のどこかにピンと張って、そこを子どもが走り抜けたら……高さがあれば、馬車だって」
女神の恩寵がとんでもない被害を引き起こすかもしれない。
俺はその可能性に気付いてから気分が悪くて、背筋がずっと冷たかった。できるだけカタンと距離を空けないよう歩いたが、彼とは身長差から歩幅も違い、どうしても離れてしまう。
そのたびに、間を誰かが通ろうとしないか気が気じゃなかった。
カタンも俺の懸念をすぐに理解してくれた。
「たしかに危険極まりないな。民を救うための俺たち冒険者が、何の罪もない町人を危険に晒すことはできない」
「うん……」
「わかった。この状況がどうにかなるまで、コーマ、おまえこっちに移動してこい」
「うん……うん?」
こっちってなんだ。
見るとカタンは指を差していた。床に向かって。つまり……同じ宿屋に移動しろという意味か。
「いやいや、何言ってんだよ。こんなとこ俺の財力で泊まれるわけないだろ。おまえが俺の方に来い」
「コーマが泊まってるのはあそこだろう、あの治安の悪い……」
「そうだけど、俺が移動するのは無理。モンスター退治メインじゃない支援職は実入りが少ないの! 優秀な剣士様と一緒にすんなよ」
「そんなに違うものか?」
心底不思議そうな顔をする男にイライラしながら、仕方なく懐から財布を出して中身を見せてやった。
貧しさなんて他人に知られたくなどないが、この宿一泊が俺の宿の何泊分になるかと想像するだけでゾッとする。中身があってないような俺の財布を覗き込み、カタンは頷いた。
「わかった、すまん。だがあの宿屋だけは勘弁してくれ、大通りの北の方ならどうだ」
「……まぁ、そこなら。何、あの町に嫌な思い出でもあるの?」
「いや。単純にあの町は汚いし臭いし治安が悪すぎる」
「汚くて臭くて治安の悪い町の宿に住んでて悪かったな!」
カタンは多少話のできるやつだが、粗野で雑なところはいかにも冒険者らしく、おまけに俺とは価値観が全然違う。
噛み付く俺を面倒くさそうにあしらったカタンは、さっさと宿を引き払い俺の手────ではなく糸を引っ張った。
「行くぞ」
「やめろ糸引っ張んな! 指がもげたらどーすんだ!」
「これいいな、犬の紐みたいで。引っ張るとコーマが釣れる」
「犬の紐でも釣り糸でもねーよ!!」
引っ張られる腕に翻弄され、俺はカタンの後に続くことしかできなかった。
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