はきだめに青い鳥

キザキ ケイ

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8.男が戻った

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 吐息が荒く乱れるのを、唇で堰き止められて苦しさに喘ぐ。
 激しくキスを繰り返しながらお互いの衣服を剥ぎ取り合って、口唇が離れたらまた吸い付く。

「っん、ん……」

 再会して誤解も解け、そういう行為になだれ込むことに違和感はなかった。
 腰が砕けそうになった敬太を、マツリは難なく抱き留め、体を押し込むように奥へ進む。
 敷きっぱなしの布団にそっと横たえられ、その優雅な仕草と色気の欠片もないシチュエーションの落差に苦笑してしまう。

「どうして笑うの?」

 脈絡なくくすくすと笑った敬太に訝しそうな目を向けるマツリの首に、するりと裸の腕を回して自分からキスをねだった。
 唾液を流し込まれるかのように長く情熱的な口づけは、ボロ部屋の隅で背を丸めて暮らしていたマツリにはとことん似つかわしくない。でも彼の本性はこれなのかもしれない。
 敬太には想像することもできない、逃げ出したくなるほどの重圧。それが彼本来の性格を抑圧してしまったのか。
 そう考えると、目を隠すための前髪も自信のなさそうな言動も、すべてが可愛く可哀想に思えてしまう。
 マツリの家庭環境に思いを馳せたところで、敬太ははたと思い至った。

「そういえば、あの綺麗な女のことはいいのか?」

 敬太の下穿きをするりと脱がせた姿勢のまま、マツリが固まった。

「……もう一つ、言い訳させて」
「聞こう」
「あれは親が勝手に決めた、婚約者で……勝手に準備が進んでたから、断りを入れたんだ。そうしたら家まで探して押しかけてきて……」

 夜も深い時間に女性ひとりでやってきたものを無下にするわけにもいかず、仕方なく家に上げた。
 その後はなにかあるはずもなく、髪を振り乱して泣く彼女にタクシーを呼んで帰らせた。
 とても気まずそうに、つっかえながら話すマツリはパンツ一枚で、同じくパンツ一枚の敬太は一通り話を聞いて頷いた。

「金持ちってのも苦労があんだな」
「なにもかも、黙っててごめんなさい。でも僕が好きなのは敬太さんだけだから……」

 聞き慣れない単語が飛び出して、敬太はぽかんと口を開けた。そのままの勢いで問う。

「俺のこと好きなのか、あんた」

 初めて知った、とつぶやく敬太にマツリは今度こそ絶句した。

「…………ごめん、最初からやり直させて」

 布団の上に投げ出したままだった腕を引かれ、上体を起こす。
 下着姿で向き合う男二人は相当間抜けな光景だったが、マツリは気にならないようだった。

「敬太さん……好きです。僕には敬太さんだけです」

 真剣な瞳の輝きに射抜かれる。
 マツリの両手で包み込まれた左手が熱く感じられて、敬太は口端を綻ばせた。
 今にも手の甲にキスでもしそうな、王子様みたいに綺麗な男が、必死になって敬太の愛を乞うている。
 およそ現実とは思えない光景に、敬太の方も気持ちの箍が外れてしまったようだ。
 自由な右手を使ってくしゃくしゃ髪の頭を引き寄せ、口づける。

「俺もマツリだけだよ。あんたのメシがないと痩せるばっかりなんだ、責任取れよな」

 至近距離で見つめたマツリは薄っすらと目の下に隈を作っていた。痛々しいそれに指を這わせてもう一度キスを落とす。
 敬太的には、「毎日味噌汁を作ってくれ」と同じくらい勇気のいる告白だったのだが、マツリは悲痛に顔を歪めて敬太の腹や腕を撫で擦った。
 運動習慣がない敬太は元から筋肉もあまりないが、今はさらに痩せて骨と皮ばかりになってしまっている。
 触り心地が悪いであろう肌を触られるのにはやや抵抗があったが、拒絶するほどではない。
 黙ってされるがままになっていると、マツリは余計に痛ましそうに目を眇めた。

「僕がご飯を作らなかったばかりに、こんなに痩せて……ごめん、ほんとにごめんね……」
「あ、いや、今のはものの喩えというか」
「でも、もっとごめん。これから無理させる。───我慢できそうにないから」

 敬太を見下ろすマツリの眼は、謝る言葉と裏腹に強く欲を滲ませていた。
 これまでのなし崩し的な行為ではない。
 お互いが求めあって、お互いを決して逃さないための交わり。恋情や愛なんて綺麗なものではない、もっと原初的な欲望だ。

「いいぜ、我慢なんかするなよ」

 シーツに体が逆戻りして、最後の下着も取り払われる。
 期待に体の奥底が疼くのが止められない。そういった気持ちもきっと伝わってしまっているだろう。敬太の興奮に煽られるようにマツリの指先に熱が灯る。
 掴み合うように互いの体を愛撫する。
 しかし敬太は下敷きになっているせいでどうしても不利だ。存在を主張する胸の突起を弄られると、それは顕著になった。

「あっ……ん、んぅ」

 快感にとろけた甘い声が漏れ、慌てて手で塞ぐ。
 いつもはそのまま進む行為は、マツリによって中断された。

「敬太さん、今日は声抑えなくていいよ」
「ぇ、なんで?」
「お隣、さっき出かけたでしょ。反対隣は引っ越したみたいで、ポストが塞がれてた。……誰にも聞かれないよ」

 だから、僕にだけ聞かせて。
 吐息混じりに熱くそう吹き込まれ、それだけで感じてしまった敬太は悔しくなった。
 愛の告白なんて今更し合わなくたって、敬太はもうすっかりマツリに身も心も奪われている。堰き止めていた想いが濁流のように押し寄せて、より抑えが効かなくなっただけだ。
 聞かせろと言われて素直に喘ぐほど、敬太は主導権を譲るつもりはない。
 マツリの頭を鷲掴みにして唇を押し付けると、少し驚いたように目を見開いたマツリと敬太の闘争が始まった。
 いつもより熱く感じる舌を絡め合い、口蓋を舐め、奥を目指して潜り込む。

「んっ、は、あ! あっ……」

 息苦しさに敬太が負けてしまっても、マツリの攻めが緩むことはなかった。
 薄紅に染まった尖りを捻るように摘まれ、微弱な電撃のような感覚が下半身にまで及ぶ。
 敬太の雄芯はすでに勃ち上がって透明な汁を零していた。一方のマツリはまだ余裕があるようで、決定的なところに触れてこない。それがもどかしくて、敬太は下腹へ手を伸ばした。

「あ、ちょっと、今触らないで」
「やだ。……もうこんなガチガチなのかよ」
「……っ」

 敬太の手のひらに包み込まれたマツリの昂りがぴくりと震える。
 ゆるゆると扱き上げようとした敬太の手は、焦ったマツリにすぐ外されてしまった。
 余裕のない表情がおかしくて、くすくすと笑ってしまうのを止められない。

「悪いけど、久しぶりなんだ。しっかり解さないと挿れられないからな」
「わ、分かってるよ……」

 揶揄われたのが悔しかったのか、再び荒々しく唇を塞がれ敬太も笑ってはいられなくなった。
 敬太自ら仕込んだ、敬太を悦ばせる手管に翻弄され始める。

「ん、あっ……そっちばっか、引っ張るなよ」

 平坦な胸元を探る指先は、執拗に片方の粒しか弄らない。
 反対側も触れてほしくて健気に主張しているのに、放置されていた。さっき取り上げられた手は頭上で一纏めに拘束されていて、自分で慰めることも叶わない。
 なんとも言えない侘しさに敬太は身を捩ることしかできなくなった。

「でも敬太さん、左の乳首のほうが好きでしょ?」
「んな、こと……あ、あぅっ」

 ようやく手首が解放され、同時に両方を攻め立てられる。右側は手で、左はマツリの舌が這う。
 その官能的な光景に敬太は息を呑んだ。視覚の暴力が直に腰にくる。
 思わず内腿を擦り合わせると、空いたマツリの左手がとうとう敬太の雄を捉えた。
 反り返って際限なく先走りを漏らしているそこは、マツリの手によってさらに高められていく。
 男としては、早く出してしまいたい。
 しかし敬太はそれよりも、マツリと繋がりたいと強く思った。
 咄嗟にマツリの手を抑え視線を絡める。

「んっ、それ、いらない……出したら疲れるから……」
「わかった。じゃあこっち」

 双玉をいたずらに掠めた掌に敬太が身悶えると、すぐに後孔に望んだものが這入ってきた。
 マツリと使っていた潤滑剤は、彼が出ていってしまってからもそのままだった。
 片付ける暇がなかった───と言い聞かせて、いなくなってしまった存在のことを考えないようにしていた。片付けてしまえば、いよいよなんの繋がりも想いもなくなってしまうようで。
 そんな敬太の複雑な心境などマツリは微塵も考えていないだろう。
 ただひたすらに、自らの熱を埋めるための場所を拓いていく。敬太の体もそれに応じる。
 たっぷりとジェルを纏った指がピストンされるたび、縁が柔らかく緩んでいくのを、敬太自身も感じていた。

「あっ、あ、ぅ」

 解す作業の合間に前立腺を掠められ、そのたびに体が跳ねる。
 思わず目の前の体に縋り付いた。
 すぐに背に腕が回り、抱き締められたままもどかしい快感に耐える。
 首元に感じるマツリの吐息は熱く、忙しなくて、重なった胸の鼓動はどちらのものか分からないほど激しい。
 自分と同じくらいマツリも興奮しているのだと思うと、敬太の胸はよくわからない感情で埋め尽くされてしまいそうだった。

「敬太さん……いい?」
「ん……はや、く」

 ぐちゅぐちゅと卑猥な音で掻き回されていた孔から指が引き抜かれる。
 内壁の媚肉を見せつけるかのようにひくひくと口を開けるそこに、限界まで昂ぶった熱塊が押し当てられた。
 淫らに咲き誇った蕾が、マツリの先端を物欲しげに吸っているのが敬太にも分かってしまう。
 やがて固く太いものが押し入ってきて、敬太は安堵すら覚えた。

「あぁっ……あ、あ」
「敬太さん、敬太さん……」
「マツリ、ん、んぅ」

 ずっとどこか欠けているように思っていたものが、埋まる感覚。
 感極まったマツリに呼吸を奪われながら、長大な雄芯が根本まで収められた。
 一仕事終えたとばかりに息を吐き、濡れた前髪を掻き上げたマツリに、後孔がなんとも素直に反応してしまう。
 以前もあったシチュエーションに一瞬時間が止まり、二人で笑い合った。

「ホントに好きだね」
「うるせ。あんただって俺のこと好きなんだろ」
「うん、大好き。もう離れないし、放してあげないんだから」
「上等だ」

 にやりと笑った敬太に、とろけそうな笑みを浮かべたマツリがキスを雨のように降らせる。
 我慢比べのようにお互い唇を重ね合い、体を触り合って後孔が馴染むのを待った。
 マツリとするセックスはねちっこくて濃厚で、敬太が経験したことのないものだった。
 それは今まで敬太が経験してきた行為に、愛情が伴っていなかったからなのだろう。欲を吐き出せば終わりの、淡白な交合だった。
 きっと最初から、マツリとは、適当に性欲を発散させるための行為などなかった。

「マツリっ……ぁ、奥、もっと……」
「っく、敬太さん……っ!」

 揺さぶられて不安定だった脚をマツリの腰に絡み付けると、剛直が最奥をさらに抉った。
 小刻みに行き止まりをノックされるたびに、全身に快楽が広がっていく。

「あぁ、イく、ぅあっ、あ、あ───」

 互いの境界をなくそうかとするほどに強く抱き合ったまま、敬太は絶頂に至った。
 激しく蠕動する腸壁に煽られ、マツリも熱を放つ。ゴム越しでも脈打っていることがわかるその反応に、敬太は汗だくの顔に薄く笑みを浮かべる。
 心の繋がりがあるセックスの心地よさを初めて知った。
 今までしてきた性行為など比較にならないほど、身も心も満たされる。求められることの安堵感はなにものにも代えがたい精神的な充足をもたらしていた。
 マツリの背中に取り縋っていたせいで疲れ切った腕を持ち上げ、ふわふわした黒髪に触れる。
 汗と部屋に充満する熱気で少ししっとりしている前髪の向こうには、なんとも言えない色を湛えたマツリの濃灰青の瞳がある。

「敬太さん、好きだよ」

 あぁ、これが愛しいということなのか。
 マツリの目に宿る感情も、きっとそれだ。じゃあ敬太も今このとき、こんなに崩れて情けない顔をしているのだろうか。

「……っ」
「わ、ぷ! 痛いよ」

 無性に恥ずかしくなって、目の前の頭を掴んで胸に抱き込んだ。
 胸板にマツリの高い鼻が衝突したらしく、くぐもった抗議が聞こえる。その呼気にすら燻っている劣情を掘り起こされそうになって、敬太は意識的に大きく息を吐き出した。
 だいぶ質量がなくなったものの、後ろにはマツリのものがまだ収まっている。
 情事の後、こうしてゆっくり過ごすことはこれまでなかった。性欲を処理するだけならそんな時間はいらないのだから当然だと思っていたが、もしかするとマツリは不満に思っていたかもしれない。
 抱え込んだ頭を無造作に撫で回しながら、ふと、まだ敬太の方からは「その言葉」を告げていないことに気がついた。
 別に今更言わなくても伝わっているだろう。
 でも気が向いたから、気づいてしまったから。だからこれはいつもと同じ、気まぐれだ。

「好きだよ。マツリ」
「……!」

 がばっと顔を上げたマツリの驚愕の表情を笑う前に、強く抱擁されて背骨が軋んだ。
 ついでに中のものが硬さを取り戻すのが分かってしまって、敬太は苦笑するしかない。

「おい、もう一回するならゴム変えろよ」
「……なんでそんな色気ないこと言うの……せっかくの敬太さんからの告白が……」
「んな有り難いもんじゃない。一緒にいりゃいつでも聞けるだろ」
「!」

 驚きから喜びにころころと顔色を変えるマツリと、浅く深くキスをする。
 相変わらずお互いの過去も、素性も、詳しいことはなにも知らないに等しいが、心が通じ合っていればなにも問題はないように思えた。
 隣人がアパートの階段を上がる喧しい音が聞こえてくるまで、二人は失った時間を取り戻すかのようにときに激しく、ときに穏やかに夜を超えていった。


おわり
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