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本編

34.帰宅

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 マオは、目眩と吐き気が落ち着いたユウを支えながら異世界門課に戻った。
 異世界門課では、ユウを待ち構えていた者たちに取り囲まれた。

「物部さん戻って来れたんですね。指示通り門閉じたものの心配で……」
「物部さぁん! 自己犠牲で俺たちのこと帰そうとするなんてキャラじゃなさすぎですよ! 無事でよかったぁ……っ」

 心から安堵したヨシヌマと、半泣きのヤクシジに挟まれて、ユウは鬱陶しそうにしていたが、かろうじて礼は口にしている。
 感動の再会に距離をおいていたもう一人が、のんびりと近づいてきた。

「物部くん、英くん。色々とお騒がせだったね」
「本部長」
「僕の名前出して門開けたでしょ。それに一般人の転移。びっくりしちゃったよ、普段優等生だとこういうとき何するかわかんなくて怖いねぇ」

 キヌガワ本部長は口では文句を言いつつ、叱責する気はなさそうだった。
 ユウもこればかりは弁明しようがない。大人しく頭を下げている。

「門の開閉はぎりぎり職務範囲内でゴリ押しできそうだけど、薬師寺くんの件は庇いようがないから、物部くん戒告ね。土日でしっかり反省してきて」
「はい」
「それから英くんもね。転移門を使わないでゲートこじあけるとか、規則違反すっ飛ばして法律違反だからね。ちゃんと閉じたからいいものの、大事になってたら停職じゃ済まなかったよ。というわけできみは減給ね」
「ご迷惑おかけしました……」

 処分を言い渡して肩の荷がおりた本部長は、さっそくヤクシジに粉をかけている。
 転移者で魔術の素養あり、本人も異世界関連企業で働く意欲あり。そんな有望な人材を本部長が見逃すはずもない。
 結局、今日実施するはずだった職場見学を本部長が直々に行うことになり、ヤクシジは拉致されていった。
 マオたちはただちに帰宅することを言い渡された。

「吉沼は大丈夫だったか?」
「はい、本部長が庇ってくれて。すみません、僕のぶんまで物部さんの処分が重くなったかも……」
「気にするな。それより吉沼、今日から日曜まで真央は俺の家に来るから、定期連絡は適当にごまかしておいてくれ」
「え?」
「はい?」

 突然マオの住まいを勝手に決めた男は、なぜか堂々と胸を張っている。

「そういうわけだから頼んだ。真央、帰るぞ」
「え、ちょっと、どういうことですか。私は自宅に帰ります」
「寄ってもいいが、その後は俺の家だ。朝昼晩とメシ作ってやるから」
「そういうことじゃなくて」

 抵抗むなしく、自宅には衣類や歯ブラシを取りに戻ったくらいで、結局マオは拉致されてしまった。
 ナビ通りに進み、意外と堅実な走りをしたユウの車は、大通りから逸れ細道をしばらく行き、一軒の家屋の軒先へ停まった。
 丁寧に車庫入れをしているところから、ここが自宅か。しかし一軒家だが。

「亡くなった祖父母の家だ。職場に近いから住まわせてもらっている」

 マオの疑問を察したユウが、玄関を解錠しながら言う。

「この大きなお宅に、ひとりで?」
「あぁ。両親と弟は川向こうに住んでる」
「弟さんがいるんですね」
「高校生だ。生意気な盛りだよ」

 上がり込んだ家は、外見の印象と同じくマオの目を引いた。
 いわゆる日本家屋だ。木のうねりをそのまま生かした太い柱や梁、障子に襖。廊下以外はどの部屋も畳敷きで、色褪せてはいるがきれいな藺草の畳表が並んでいる。
 通された部屋には分厚い絨毯が敷かれ、現代的なシンプルデザインのソファが置かれていた。PCデスクやプリンタの乗ったラックもあり、ここはユウが日常を過ごす場所のようだ。

「客間を片付けてくる。待っていてくれ。手洗いは廊下を出てすぐ右だ」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて。私はなんでここに連れてこられたんですか?」
「む……」

 ユウはなぜか目をそらし「その話は後で」と言い残して去った。
 なんだあいつ、と思いつつ、ここまで黙って連れてこられてしまったからには自宅に戻れそうもないし、大人しくしているしかないと思い直す。
 ユウはすぐ戻ってきた。

「干したばかりの布団があってよかった。ここで寝起きしてくれ」

 通された客間はがらんとして家具がなかった。
 その代わり床の間や地袋のある絵に書いたような和室で、埃っぽさはなく手入れが行き届いている。
 一人暮らしで客間まで掃除するとか、休みの日は布団を干すとか、自分でけっこう料理するとか、この男が意外とマメなことを知りつつある。

「ありがとうございます。それで、どうしてここに連れてきたんですか?」
「簡単に言えば、誰にも邪魔されないところでアンタと過ごしたかった」
「はぁ、確かにあなたの家なら誰も来ないのでしょうけど」
「真央」

 呼ばれて顔を上げると、そっと頬を捕えられ、ユウの唇が重なる。
 なんの脈絡もないキスは何度か続き、口だけでなく額や鼻の頭にまでユウは口づけてきた。
 なんだこの甘ったるい空気は。
 困惑するマオが見つめるなか、ユウは金のまつ毛に縁取られたまぶたをゆっくりと押し上げる。
 そこにあったのは、溶けてしまいそうに甘くとろけた黄金の瞳。

「真央、助けに来てくれて嬉しかった。それから妬いてくれたことも」
「は……はい? やく? なにを」
「あの魔族と俺が抱き合っていると思ったんだろう。あのとき抱き締めてやれなかったことが悔やまれる。だが俺は、神殿で再会した日からずっとアンタ一筋だ。安心してくれ」
「ちょ、な、なんの話」
「迎えに来てくれたとき。アンタは俺に『浮気か』と聞いたな?」

 なにかを考えて言った言葉ではなかった。
 ただ妙に距離が近い魔族とユウを見て、今まで一度も口にしたことのないその単語が出たことを、マオが一番驚いていたというのに。

「あのとき、アンタは苦しそうな顔をしていた」

 どうしてあの状況で、マオの表情なんか見ているんだ。
 感情の制御なんて知らない。表情の制御なんてできない。これまでマオの心は動かされたりしなかったからだ。
 こいつだけ。
 ユウだけが、マオの感情を揺さぶり、表情を歪ませる。
 他の誰にも見せない顔を隠すやりかたなんてわかるわけない。

「俺の何分の一だったとしても、アンタの中に俺と同じ想いが芽生えてくれたのなら嬉しい」
「……」
「愛してる、真央」
「……やだ」
「ん?」
「その言葉、嫌です。あなたと……もう二度と、会えないかと思った……」
「悪かった。あんな無茶はもう絶対にしない」
「当たり前です。朝昼晩と、ごはん作ってくれるんでしょう」
「あぁ。三日と言わず、一生アンタのために食事を作ろう」
「……ふふ。たまには私も担当しますよ」

 求められたからだけではない、与え方を知りたいと思った。
 それに、マオからも求めてみたい。
 限界以上の力を使えばどうなるかわからないのに、彼のためにそうすることに躊躇なんてなかった。
 ただユウを取り戻さなければならないと夢中だった。
 他のどこでもない、マオの手に取り戻さなければ、と。

「私も、あなたのことを好きになったみたいです」

 あたたかくも甘酸っぱくもない感情は、厄介な欲を伴って、マオの胸にすとんと収まった。
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