異世界課の『元』魔王

キザキ ケイ

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本編

33.再来

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 世界が軋む音がする。

 重いまぶたを押し上げて、うっすらと見えたのは暗い光だ。
 かすむ視界を何度か瞬いて晴らし、周囲を見回すと、薄暗い部屋だった。
 天井近くに明かり取りの小さな窓。隙間なく積まれた石壁。石の床。そして一方には、檻の嵌った鉄扉。
 典型的な牢屋だ。

「殺されなかっただけマシか」

 ゆっくりと身を起こすと、背中に激痛が走った。
 なんらかの魔術を喰らって倒れたところを捕まりここに入れられたらしい。
 魔力は問題なく流れている。魔術は使えるようだ。背に意識を集中させ治癒を発動する。
 それにしても手足の拘束くらいしなくていいのだろうか。敵ながら心配になる。

「起きたか、勇者」

 鉄の扉の向こうから低い声が聞こえ、ユウはそちらへ目をやった。
 耳障りな音を立ててドアが開く。
 現れたのは、先ほど円卓の部屋でマオにすがりついていた魔族のひとりだ。
 拘束されてなくて魔術も使える元勇者に、魔族領の重鎮らしき人物が単身で会いにきてしまった。危機管理とは。

「我らの魔術をまともに喰らって死なないとは、魔族殺しの異能は健在のようだな」

 魔族の男は身の危険など微塵も感じていないようなので、ユウも普通に接することにした。

「悪いが、俺はもう勇者じゃない。いくつか能力は持ってるが、体は一般人だ」
「は、よく言う。それだけの量の魔力を身に纏っておいて一般人だと?」
「事実だが……あ、そうか」

 焼け焦げが目立つジャケットのポケットを探り、スマートフォンを取り出す。
 背面にぶら下げた細長い石は未だ大量の魔力を内包し、空気中の魔素と反応してキラキラと輝いていた。
 マオの居場所を探るために魔力を使ったが、その程度で尽きる量ではなかったようだ。

「そ、それは!」
「真央の……アンタたちの元魔王様の魔力がこめられてる。これがなければ俺自身に魔力はほとんどないだろう」
「確かに……どうやらもう勇者ではないというのは本当のようだな。それよりその石、渡してもらおうか」
「嫌だと言ったら?」
「力ずくでも渡してもらう」

 ユウは石をチェーンから外して舌の上に乗せた。
 魔族が身を乗り出して慌てている。

「ま、待てやめろ! 何をする気だ!」
「これは俺の大切なものだ。奪われるくらいなら今ここで飲み込む」
「そんなことをしたらお前の腹を裂いてそれを手に入れるまでだぞ!」
「どうせ俺は帰れないし、遅かれ早かれ殺されるんだろう。それならアンタらの手間を一つでも増やしてやろうと思ってな」
「待て、わかったから早まるな。今はそれを見せてくれるだけでいい」

 いきなり下手に出た魔族を訝しげに思いつつ、ユウは手のひらに石を乗せて差し出した。
 魔族は本当に奪う気はなくなったようだ。
 おそるおそる近づいて来て、食い入るように石を見つめている。

「これがあれば……もしかしたら……」

 魔族はぶつぶつと何か言いながら出ていった。そしてすぐに戻ってきた。
 今度は大事そうに何かを両手で捧げ持っている。

「それは?」
「こちらは『次代様』だ。次の魔王となりうる、そして次世代の魔界樹ともなりうる御方だ。頭が高いぞ」
「小石……いや、種、か?」
「こら、頭を下げろと言っている」

 柔らかい布を敷き詰めた台に乗った、小さな一粒。
 大きさはちょうどクルミくらい。クルミより黒っぽくて、微かに魔力の波動を感じる。
 これがマオの魔力のこもった石となんの関係があるのだろう、と思っていると、何か大きく耳障りな音がした。
 目を覚ましたときにも聞こえた音だ。

「おい魔族。この音はなんだ」
「魔族と呼ぶな。……ん、音だと? なんのことだ」
「聞こえないのか?」

 鉄板を引っ掻くような、耳を塞ぎたくなる不快な音。地鳴りとはこういう音だろうか……。
 その時、地が揺れた。

「うわっ! なんだこれは」
「大丈夫か。次代が落ちそうだぞ」
「うわわわ」

 激しい揺れに立っていられなくなった魔族を支えてやっていると、地鳴りと地震は激しさを増し────壁が吹き飛ぶ。

「わーっ!」

 壁から太い木の根が生えた。
 次の瞬間、石組みの地下牢の壁が跡形もなく崩れ、大穴から何者かが入ってくる。
 ぼこぼこと波打つ床、飛びかかる破片をなんとか避けつつ絶叫する魔族、うねうねとのたうつ木の根。
 混沌とした状況を、ベッドに腰掛けたまま警戒するユウは目を見開いて驚いた。
 現れたのはさっき見送ったばかりの恋人────マオだった。

「……浮気ですか?」

 幻覚かと疑うほど現実感のない光景で、無表情なマオがぽつりと変なことを言う。
 ユウは首を傾げ、なぜかユウに抱きついて震えている魔族を見た。

「浮気じゃない。地面が揺れて立っていられなくなったんだ」
「あぁ、私のせいだと言いたいのですね」
「いや……というか、なぜ真央がいるんだ。帰ったんじゃなかったのか?」
「一度帰りましたよ。すぐ戻ってきたんです。色々面倒だったので、世界の境界こじ開けて来ました」

 地下室を覆いつくさんばかりに雪崩れ込んだ木の根を伝って、マオが降り立つ。
 魔族の男はユウを突き飛ばすように離れ、マオの足元に平伏していた。何か言っているが、涙声すぎてよくわからない。
 しかしマオの方は聞き取れたらしい。
 捧げ持たれたあの種を無造作につまみ、しげしげと眺めている。

「なるほど、探す手間が省けました。では帰りましょうか」
「帰れるのか」
「えぇ、こちらからどうぞ」

 マオが指し示す場所は、どう考えても土の中に繋がっているはずだったが、木の根がゲートの役割をしているらしく、目に見えて時空が歪んでいた。
 ユウはゆっくりと立ち上がり、マオへ歩み寄る。
 手が差し伸べられ、それを掴むと意外なほど強く引き上げられた。その勢いのままゲートをくぐる。
 去り行くユウたちの耳に、魔族の男の悲痛な声が聞こえた。

「我々はいつまでもお待ちしております、魔王様────」

 真っ暗な空間を進み、唐突に明るい場所へ出る。
 灰色の床と無機質な壁。嗅ぎ慣れた空気。電灯の不自然な光。

「帰ってき────ぅおえ」
「あっちょっと待って、我慢してください。トイレすぐそこですから」
「ぅぐ……きもち、わる、い」
「あと十歩ほどです、がんばって」

 ずいぶんと急拵えだったのだろう、人体への負担があまり考慮されていない転移門をくぐると、信じられないきつさの転移酔いが発生する。
 眼球をかき混ぜられているかのような平衡感覚の消失と、胃を引き絞られながらぐるぐる回されているかのような猛烈な吐き気に、ユウはしばらくトイレの個室から出られなかった。

「……異世界門課の技術者たちには頭が下がる。今度なにか差し入れよう」
「そうですね、技術の進歩は本当にすばらしいです」

 転移酔いがひどい者のための休憩室で、ユウはぐったりと簡易ベッドに横たわった。
 マオはけろりとしている。

「アンタ、いつも門使うと調子悪そうにしてたよな。自分で開いたゲートだと酔わないのか?」
「あの体調不良は魔力過剰と相乗効果で出ていた症状なので、魔力がほぼ底をついている今は軽い目眩だけですね」
「魔力がほぼない……?」
「無理やり世界を超える転移をしたのですから、当然です」

 あのあと。
 「退去命令書」で帰還させられたマオは、すぐさま行動を起こした。
 中に職員がいるにも関わらず閉じられた転移門は不正終了に該当するらしく、再起動でしばらく動かせない。
 門を閉じる原因となったのは他の省庁からの横槍で、マオはすぐに本部長を通して健在をアピール、むしろ余計なことしてくれたおかげで優秀な職員が異世界に取り残されててなんかあったらどう責任取ってくれるのかと軽く恫喝、ただちに事態を沈静化させた。

 問題は異世界と現代日本との「時差」だ。
 異世界門が有効化されている間は、謎の技術で可能な限り時間の流れに差が出ないよう調整されている。
 しかし今門は閉じられてしまった。
 異世界のほうが時間の流れが早い。門の再起動を待つ間に何日も何ヶ月も経つ可能性があり、その間、魔族にとって敵であるユウの命の保証はない。
 焦れたマオは、門を開くことはできないが繋がってはいる回線を無理やりこじあけ、簡易的なゲートを作り上げた。

「あの方法なら安全な座標を選ばなくとも、あなたの側に出ればいいだけだったので」
「かなり過激な方法だったがな。あの魔族、吹き飛びそうになってたぞ」
「魔族は丈夫なので吹き飛んでも死にません」
「木の根のようなものが出ていたが、あれが魔界樹か?」
「そうです。今回あのひとは私を捕まえようと邪魔してくれたので、足りない魔力を補填させました。今頃急激に魔力を失って地上部が何割か枯れてるんじゃないですかね」
「恐ろしいことをする……」
「もう知りません、あんな世界。魔族も魔界樹も勝手に滅びればいいんです」

 マオはむっつりと唇を尖らせている。
 やけに機嫌が悪いマオに、ユウは首を傾げた。

「怒っているのか」
「当たり前でしょう」
「俺が捨て身でアンタを帰そうとしたからか?」
「そうですよ。私がいたからなんとかなったものの、敵陣の真っ只中に残るなんてどうかしてます。案の定牢屋に入れられてるし。魔族に抱きつかれてるし。あんなやつ、私が王だった頃は産毛の生えたひよっこでしたよ。それでも魔族であることには変わりないですし、あなたを殺そうとしたかもしれません。なのにあなたは呑気に構えて、ぼけっとしてて。私がどんなに苛ついたことか」

 唇をつんとさせたまま文句を連ね始めたマオは、今までになく人間味のある表情をしている。
 きっと本人に自覚はないのだろう。

「真央」
「なんですか。言い訳ですか。私は怒っているのですが」
「言い訳はしない。アンタを救いたい気持ちが先走って無謀なことをした。すまなかった」
「ふ、ふーん。わかればいいです」
「抱き締めていいか?」
「は? 嫌ですけど」

 返事を聞く前に抱き寄せると、マオは嫌と言いつつ抵抗しなかった。
 強張っていた背が次第に力を失い、くにゃりと溶けてユウの肩に重みがかかる。

「心配かけて悪かった」

 しばし髪を撫でてやっていると、一度だけ、鼻をすする音が聞こえた。
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