異世界課の『元』魔王

キザキ ケイ

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本編

23.外出

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 待ち合わせは、地下鉄と地上線を使って行く、降り立ったことのない駅だ。
 そこそこのにぎわいを見せる駅前をきょろきょろ歩くマオは、大きなオブジェの前に派手な男が立っているのを見つけた。

「お待たせしました」
「いや、俺もいま来たところだ。それより連絡手段がないのが不安だな……合流できなかったらどうしようかと思った」
「はぁ。なくてもそれほど困りませんよ」
「俺は困る。方法を考えるか……」

 マオはスマホを持っていない。持てないというのが正しい。
 正式な戸籍のないマオは本人確認の類を持っていないので、スマホやらクレジットカードやら、便利そうなものにはとんと無縁だ。
 一方で、年金や保険料や住民税は給与から引かれている。帳簿上どのように帳尻を合わせているのか、知りたいような知りたくないような。

「それで、今日はどこへ行くのですか?」
「まずは服を買う」
「服?」

 マオは自身を見下ろした。

「服は着ていますが」
「物がほとんどないあの部屋に、出かけるための服があるとは俺も思っていなかった。それにしたって仕事着で来ることないだろう」
「はぁ」

 どうやらユウは、マオがシャツとセーターとスラックスのほぼ出勤スタイルで来たことが気に入らないらしい。

「でも、ユウも、ジャケット着てるじゃないですか」
「これは仕事のときは着ないジャケットだ」
「はぁ……」

 たしかにユウの首元に見慣れた三角襟がないし、ボタンもない。グレーのジャケットの下はセーターだろうか、なんだか洒落ている気はする。
 それに靴がおしゃれだ。本体カラーと違う色のついた紐の靴は動きやすそうに見える。
 よく見ると、いつもは流されているか、額を出して後ろで縛っている長い金髪も、なんだかよくわからない形になっている。三つ編みだ。何個かある。あれ自分でやるんだろうか。

「……アンタ、よく見ると何考えてるかわかるな。ファッション全然わかりませんって顔だ」
「失敬な。おしゃれだなと思っている顔ですよ」
「ふーん? そう思うなら、おしゃれな俺の横に野暮ったいアンタを歩かせるわけにいかないこともわかるよな?」
「やぼったい……」

 ショックを受けるマオを置いて、ユウはさっさと歩き出してしまった。慌てて後を追う。
 たどり着いたのは駅近の商業施設だった。
 ちょっとした公園かと思うくらい広い敷地に、あらゆるジャンルの店が軒を連ねて身を寄せ合っているらしい。ブランドの店を始め、飲食店、美容室、果ては医院まである。
 案内図を見ているだけで目が回りそうなマオと比べ、ユウはすいすいと人波を避けて歩いていく。
 店が多いし、敷地は広いし、こんなにたくさんの人間に揉まれるのは駅のホームくらいのマオは、すっかり参ってしまった。

「モノベさ……」

 差の開いてしまった距離では、手を伸ばしても声をかけても届かない。
 なんだか目眩までしてきた。ここは人族が多すぎる。
 気の制御などろくにしない人族は、何もかもを垂れ流す。魔力に似たなにか、生命力、感情まで。
 それらが弱ったマオに流れ込もうと牙を剥く。
 あぁ、なんでこんなところに来てしまったのだろう。断ればよかった。
 人族なんてろくなものじゃないのに。

「真央、こっちだ」

 うずくまりかけたマオを、よく知る気配が引き上げた。
 腕を掴まれたまま通路の端にあるベンチへ誘導される。腰を落ち着けることができて、ほう、と長く息を吐き出せた。

「すみませ……」
「いや、こっちこそアンタの様子に気づかず悪かった。人酔いか?」
「はい……人族が多いところは、感情が多くて、苦手です」
「感情? 魔族特有の感覚か。悪い、こんなところに連れてきて」
「いえ……」

 上体が揺らぎ、ユウが受け止めてくれた。
 彼の肩にもたれるような形になって、ふとうるさいばかりの周囲が遠くなったように感じる。
 音が遠のき、過剰なまでに明るい電灯が薄らぎ、暴力的だった人族の気配が止む。
 この腕の中は安心できる。

「ん……」

 そっと抱き寄せられ、ユウの胸の中に収められたマオは、ようやく深く息を吸い込むことができた。
 しばしそのままで、ついでのようにユウはマオの手から魔力を吸い出しているようだった。どうやらもう体内に魔力が多く溜まってしまっていたらしい。

「あの、ありがとうございました」
「いや。立てそうか」
「はい、もうすっかり良くなりました。魔力過剰のせいもあったみたいです」
「そうか」

 未だ心配そうなユウを促して、本来の目的地へ向かわせる。
 その際、繋がれた手は解かれなかった。

「まだ魔力を十分に吸えてない。もう少しこのまま歩く」
「そ、そうですか……」

 目立つ金髪の男が、野暮ったい男の手を引いている光景はさぞかし目立つだろうと思われたが、通り過ぎる人々の視線は感じるものの、あからさまに興味や嫌悪を示すものはいなかった。
 それになんだかほっとする。ほっとした事実に少し驚く。
 自分が人族にどう思われようと気にしたことなどないのに、ユウがマオと居てどう思われるかは気になるなんて、変なの。
 そんなことをぼうっと考えているうちに、ユウは目当ての店に入り、マオの体に服を当てまくり、そのうちのいくつかをマオに押し付けて試着室へ放り込んだ。

「……あの、私、自分の服代くらい払えますが」
「気にするな。俺が贈りたいだけだ」
「でも……」

 マオは自身を見下ろした。さっきと全然違う服が目に入る。
 何度も試着室の中から「この服サイズが違います」「いいから着ろ」とやりとりした、肩がずいぶん下の方にあるダボダボのセーター。
 黒のズボンは足首が見えてしまっている。
 寸足らずの裾の先にはスニーカー。いつの間にか試着室の前からマオの靴が消えていて、これを履くしかなかった。

「アンタもダボダボのセーターやら寸足らずのパンツやらに金払いたくないだろう? これは俺の勝手だ。黙ってもらっておけ」
「はぁ、そうですか。ではそちらの、今まで着ていた方は私が持ちますので」
「俺が見ていない間にアンタが着替えないよう、これは見張っとく」
「着替えませんよ……」

 荷物を取り戻したかったが、右手をユウに囚われているので奪えそうもない。
 大人しくとぼとぼ歩くマオに、ユウは能天気に「靴のサイズ大丈夫か?」なんて聞いてくる。

「サイズは合ってます。それに歩きやすいです」
「そうか。休日くらいは革靴じゃなくスニーカーにしてみるといい。歩きやすい靴があると散歩に行きたくなったりするかもしれない」
「経験則ですか?」
「あぁ。この世界のスニーカーは履き心地がいい。あの世界の靴は硬いか、柔らかすぎで紐で縛るしかないようなものばかりだったからな。長い旅の間に何度も足を腫らしたものだ」
「ふふ、そうでしたね……」

 何気ない会話をしているうちに、奪われた衣服も繋がれたままの手も気にならなくなった。

「そろそろ昼食にどこか入るか。何の気分だ?」
「気分がどうしたんですか?」
「何を食べたいのかという意味だ」
「何を……食べたいか……?」
「真央に聞いた俺が馬鹿だった」

 中身のない会話をしながら、各階の案内板に載っている食事処を見ていく。
 一品の料理の写真しかないがどれもおいしそうだ。
 ユウは馬鹿にするが、マオだって味覚がないわけじゃない。おいしいマズイくらいはわかる。ただ食に対する意欲が薄いだけだ。

「天ぷらなんてどうだ」
「ではそれで。えぇと、何階ですかね……」
「きゃあッ!」

 マオたちの後ろで鋭い悲鳴が上がった。
 振り向くと、少し先で男女がもみ合っている。女は髪を振り乱しながら腕を突っ張っている。男は腕を振り上げて女を殴ろうとしているようだ。
 いわゆる痴情のもつれ、というものだろうか。
 傍観するべきかと考えたマオは、女の足元に落ちている肩掛けカバンの紐が切断されているのを見た。

「まさか、刃物……!」

 倒れ込んだ女に、男が鈍く光るものを振り上げ、躊躇なく振り下ろされ────刃が突き刺さる直前に、男の体が吹き飛んだ。

「ぐぁっ!」
「何をしている!」

 猛然と走ったユウが男を蹴飛ばした。肩で息をしながら、体を広げて女を庇う。
 しかし男はずいぶんと執念深いようで、すぐに体勢を立て直し、妙にぎらつく暗い目でユウを睨みつけ……間髪入れず、再び襲いかかってきた。

「モノベさんッ!」

 マオは何かを考えて飛び出したわけではなかった。
 男とユウの間に滑り込み、両手を翳す。
 体内で魔力が吹き上がり、そして────噴出した。
 マオの手のひらから溢れた魔力は「光り輝く防壁」となって出現する。
 男の刃はマオの防壁に弾かれた。男は奇妙な顔になり、完全に不意を突かれている。
 マオはそのまま腕を振りかぶって、防壁で男の横っ面を張り飛ばした。
 男が床に転がり、勢いよく滑っていく。
 遠巻きに推移を見ていた客たちが悲鳴を上げて距離を取ったが、一人の勇敢な客が男の取り落としたナイフを蹴って遠くへやってくれた。これで脅威は去っただろう。
 なおも立ち上がろうとあがく男の背中を、マオは容赦なく踏みつけた。
 乱れて顔に落ちかかってきた髪を払って、呆然としているユウと女を振り返る。

「大丈夫ですか、おふたりとも」
「……アンタ……」

 言葉もないユウと、へたり込んでいる女にケガはないらしい。
 ほっと一息ついたマオは、今更ながら多くの人族に囲まれていることに気づいた。
 彼らは口々に何か言っているが小声で聞こえない。そのうちなぜか拍手が自然発生し、マオは見知らぬ人間たちに健闘をたたえられていることに気づいた。
 彼らが口々に言っているのも、「すごい」「かっこいい」といったもので悪意は感じられない。
 さっきまでは感情に酔っていたのに、全身へ伝わるこの波は全く気持ち悪くなかった。
 どこかこそばゆい、不思議な感覚だ。
 その後すぐに施設の警備員がやってきて、その後警察官も来た。
 犯人は連行され、女は別室へ移動し、マオとユウは数人の客と共に目撃者としていくつか質問を受けた。

「申し遅れました、私こういう者です」

 警察や他省庁の者と接触したときはすぐ名刺を渡せと言われている。
 警官たちは驚いたのちに納得したようで、素人ながら刃物を持った男に飛びかかったことを注意されることもなく、解放された。
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