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本編
22.監視
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重い足取りで宿舎に帰り着くと、窓から明かりが漏れていてびくっとする。
初めてのことでもないのにまだ慣れない。
「……ただいま」
「おかえり。メシできてるぞ」
「……」
当然のように上がり込んでスマホを見ている男に、マオはなんとも言えない視線を投げかけたが、非難がましいそれは受け取られることはなかった。
マオの食事事情が壊滅的だとバレてしまった日から、彼が退勤後に家に来ることが多くなった。
多くなったというか、毎日だ。
付き合いたてのふたりというものは毎日会うのが普通なのだろうか。
マオからもぎ取るように合鍵と交際許可を取り付けた男────転生者、モノベユウ。
前世では殺し合う仲だったマオとユウは、今なぜかお付き合いしている。
魔族への恨みを剣に乗せて突きつけてきた勇者は、食にうるさい恋人になった。
「今日はレバニラだ」
「おいしそう……」
「全然食事に構わないくせに、おいしそうって感情はあるんだな」
不可解そうな顔をするユウを無視してニラの絡んだレバーを口に運ぶ。
血肉というものは魔力の通りが良いので、体の調子が整う食品の代表だったが、今は味も気に入って食べている。
ユウの料理の腕は意外なほど良くて、味付けはマオ好みだ。
順調に胃袋を攻略されているマオだが、相変わらず恋だの愛だのといった感情は得られていなかった。
「こっちも食べろ」
「きゅうりの浅漬けですか。おいしいです」
「そうだろう。浅漬けの素の調合を変えてみた」
「えっ。一度自宅へ寄って持って来たんですか?」
「何を言っている。そこの冷蔵庫で漬かってるぞ」
「いつの間に……」
合鍵を強奪され、冷蔵庫を私物化され、順調に攻略されている。
大ぶりに切られた浅漬けきゅうりをポリポリかじっていると、滅多に鳴らないチャイムが響いた。
とてもめずらしいことではあるが、この家にも来客がないこともない。勝手に上がり込んでいる者はともかく。
「ちょっと出てきます」
夜も遅い時間、誰が訪ねてくるというのか、と不審そうなユウを置いて、マオは躊躇なく玄関ドアを開けた。
「こんばんは」
「こんばんは、定期連絡です。変わりない、です、か、え?」
押し開けたドアの先にいたのは予想通りの人物だったが、彼の方は予想外のことに目を見開いて動揺している。
「あ、ちょっと。部屋にいてください」
「こんな時間に訪ねてくるとか怪しいだろうが……む? 吉沼?」
「あ、え、物部さん……?」
期せずして顔を合わせた転生係の二人は、わずかな明かりの廊下でぽかんと見合ってしまった。
「えぇと、ヨシヌマさんはこの宿舎の斜め上の部屋に住んでいて、時折私の様子を見に来てくれる方です」
「様子を……?」
「……えぇと……」
異世界課、転生係職員ヨシヌマ。
前髪を長く伸ばし、背が高いがやや猫背のヨシヌマはとても人好きのする外見ではないが、これでなかなか優秀な職員らしく、主に異世界課のシステム管理、異世界門課との橋渡しなどで活躍している。
何を隠そうユウの先輩職員である。
ユウのほうが年下のはずだが、彼はなぜかヨシヌマを呼び捨てにしているし、ヨシヌマのほうもユウに丁寧語で話す。謎の関係性だ。
ヨシヌマはおどおどと肩を揺すっていたが、諦めたように口を開いた。
「英さんには定期連絡が義務付けられています。帰宅後、自宅にいるかどうか、無断で出歩いたり転居したりしていないかどうか確認してます」
「……なんだそれは。真央は監視されているということか」
「あー、まぁ有り体に言ってしまえばそうです」
ヨシヌマは一刻も早くこの場を去りたいという雰囲気だったので、マオは自分から説明すると言って彼を帰した。
ヨシヌマは何度か会釈して暗い廊下へ消えていった。
「で?」
部屋に戻ってきたマオは、仁王像と化した恋人に詰められている。
「ヨシヌマさんが言っていた通りです。夜間の無断外出がないように、彼が監視しています。買い物とか出かけるときは事前に申請をします。遠出は却下されます」
「……なんだそれは……人権侵害だろう」
「はぁ。でも私はヒトではありませんし、人権も何もないかと」
ヒトでない上に戸籍もないマオはあっけらかんと言ったが、ユウは頭痛がしていた。
以前マオが、一度異世界へ送り出した魂を再び連れ戻す仕事をさせられていることをつらそうに語ってくれた。「回収」の仕事は、魂の縁を無理やり断ち切って行うとも言っていた。
特殊能力を付与された異世界転移/転生者を無理に連れ戻すということはつまり、マオの魔術や魔力をアテにした仕事に他ならない。
元魔王であったマオの力を便利に使う一方で、外出の自由すら与えずに縛り付けている。
「……本部長の指示か」
地獄の底から響くような低い声で問われ、マオはびくびくしながら首を振った。
「誤解です、本部長が最大限緩和してくれてこの措置なんです。こちらに来た当初は私、どこかの地下に監禁されてましたから」
「か……」
「本部長が連れ出して、保護者として本部で引き取ると言ってくれたんです。魔力をきちんと制御して、人間社会に溶け込むのなら普通に暮らしていいと。衣食住の保証も、彼が粘ってくれたおかげです。だからそんな、人を殺せそうな目で虚空を見つめるのはやめてください」
ユウはしばらくものすごい眼力で中空を見つめていたが、やがて腹落ちしたのか殺気を収めてくれた。
「はぁ……それで? なんで吉沼がそんなことやってるんだ」
「ヨシヌマさんも本部長が保護してる異世界転移者なんです。彼は魔族とかじゃないらしいですけど。ヨシヌマさんが私の様子を本部長に報告することで、私とヨシヌマさんの確認が同時に取れるという寸法ですね」
本来なら、国からもっと物騒な見張りが派遣されてくるはずだったのを、キヌガワ本部長が守ってくれたのだと聞いている。
だからマオはキヌガワの役に立とうと働いているし、おそらくヨシヌマも同じ思いなのだろう。
ユウにはそのへんの機微が、理解はできても納得できないらしいが。
「話はわかった。不本意だが、真央が不便を感じていないのなら尊重しよう」
「ありがとうございます?」
「だが何かあれば俺はアンタをすぐさま取り戻す。いいな」
「はい、……?」
気圧されて頷いたものの、マオにはユウが何のことを言っているのかよくわからなかった。
取り戻すも何も、マオは現状で満足している。
元魔王なんて取り扱い注意なものを、ほとんど野放しにしているのだから、この世界はとても寛容だ。
魔王であった頃のほうが、上司同僚部下、死にかけてからは神殿にと監視され続けていたので、今はほぼ誰の目もなくのびのび生きているほどなのに。
でも、なんの監視もなければ人権も保証されているユウからすれば、マオの状況は不便なのかもしれない。
「あの、モ……ユウ」
「なんだ」
「本部長にメッセージすれば、少しなら遠出できるので、その」
「……! あぁ、そうだな。今週末は空いているか? どこか出かけよう」
「はぇ、あ、はい」
それほど不便じゃないよ、と伝えようとしたマオの言葉は、なぜか遠回しなデートの誘いに捉えられていた。
こうして不思議なカップルは、初めてのデートへ赴くことになったのだった。
初めてのことでもないのにまだ慣れない。
「……ただいま」
「おかえり。メシできてるぞ」
「……」
当然のように上がり込んでスマホを見ている男に、マオはなんとも言えない視線を投げかけたが、非難がましいそれは受け取られることはなかった。
マオの食事事情が壊滅的だとバレてしまった日から、彼が退勤後に家に来ることが多くなった。
多くなったというか、毎日だ。
付き合いたてのふたりというものは毎日会うのが普通なのだろうか。
マオからもぎ取るように合鍵と交際許可を取り付けた男────転生者、モノベユウ。
前世では殺し合う仲だったマオとユウは、今なぜかお付き合いしている。
魔族への恨みを剣に乗せて突きつけてきた勇者は、食にうるさい恋人になった。
「今日はレバニラだ」
「おいしそう……」
「全然食事に構わないくせに、おいしそうって感情はあるんだな」
不可解そうな顔をするユウを無視してニラの絡んだレバーを口に運ぶ。
血肉というものは魔力の通りが良いので、体の調子が整う食品の代表だったが、今は味も気に入って食べている。
ユウの料理の腕は意外なほど良くて、味付けはマオ好みだ。
順調に胃袋を攻略されているマオだが、相変わらず恋だの愛だのといった感情は得られていなかった。
「こっちも食べろ」
「きゅうりの浅漬けですか。おいしいです」
「そうだろう。浅漬けの素の調合を変えてみた」
「えっ。一度自宅へ寄って持って来たんですか?」
「何を言っている。そこの冷蔵庫で漬かってるぞ」
「いつの間に……」
合鍵を強奪され、冷蔵庫を私物化され、順調に攻略されている。
大ぶりに切られた浅漬けきゅうりをポリポリかじっていると、滅多に鳴らないチャイムが響いた。
とてもめずらしいことではあるが、この家にも来客がないこともない。勝手に上がり込んでいる者はともかく。
「ちょっと出てきます」
夜も遅い時間、誰が訪ねてくるというのか、と不審そうなユウを置いて、マオは躊躇なく玄関ドアを開けた。
「こんばんは」
「こんばんは、定期連絡です。変わりない、です、か、え?」
押し開けたドアの先にいたのは予想通りの人物だったが、彼の方は予想外のことに目を見開いて動揺している。
「あ、ちょっと。部屋にいてください」
「こんな時間に訪ねてくるとか怪しいだろうが……む? 吉沼?」
「あ、え、物部さん……?」
期せずして顔を合わせた転生係の二人は、わずかな明かりの廊下でぽかんと見合ってしまった。
「えぇと、ヨシヌマさんはこの宿舎の斜め上の部屋に住んでいて、時折私の様子を見に来てくれる方です」
「様子を……?」
「……えぇと……」
異世界課、転生係職員ヨシヌマ。
前髪を長く伸ばし、背が高いがやや猫背のヨシヌマはとても人好きのする外見ではないが、これでなかなか優秀な職員らしく、主に異世界課のシステム管理、異世界門課との橋渡しなどで活躍している。
何を隠そうユウの先輩職員である。
ユウのほうが年下のはずだが、彼はなぜかヨシヌマを呼び捨てにしているし、ヨシヌマのほうもユウに丁寧語で話す。謎の関係性だ。
ヨシヌマはおどおどと肩を揺すっていたが、諦めたように口を開いた。
「英さんには定期連絡が義務付けられています。帰宅後、自宅にいるかどうか、無断で出歩いたり転居したりしていないかどうか確認してます」
「……なんだそれは。真央は監視されているということか」
「あー、まぁ有り体に言ってしまえばそうです」
ヨシヌマは一刻も早くこの場を去りたいという雰囲気だったので、マオは自分から説明すると言って彼を帰した。
ヨシヌマは何度か会釈して暗い廊下へ消えていった。
「で?」
部屋に戻ってきたマオは、仁王像と化した恋人に詰められている。
「ヨシヌマさんが言っていた通りです。夜間の無断外出がないように、彼が監視しています。買い物とか出かけるときは事前に申請をします。遠出は却下されます」
「……なんだそれは……人権侵害だろう」
「はぁ。でも私はヒトではありませんし、人権も何もないかと」
ヒトでない上に戸籍もないマオはあっけらかんと言ったが、ユウは頭痛がしていた。
以前マオが、一度異世界へ送り出した魂を再び連れ戻す仕事をさせられていることをつらそうに語ってくれた。「回収」の仕事は、魂の縁を無理やり断ち切って行うとも言っていた。
特殊能力を付与された異世界転移/転生者を無理に連れ戻すということはつまり、マオの魔術や魔力をアテにした仕事に他ならない。
元魔王であったマオの力を便利に使う一方で、外出の自由すら与えずに縛り付けている。
「……本部長の指示か」
地獄の底から響くような低い声で問われ、マオはびくびくしながら首を振った。
「誤解です、本部長が最大限緩和してくれてこの措置なんです。こちらに来た当初は私、どこかの地下に監禁されてましたから」
「か……」
「本部長が連れ出して、保護者として本部で引き取ると言ってくれたんです。魔力をきちんと制御して、人間社会に溶け込むのなら普通に暮らしていいと。衣食住の保証も、彼が粘ってくれたおかげです。だからそんな、人を殺せそうな目で虚空を見つめるのはやめてください」
ユウはしばらくものすごい眼力で中空を見つめていたが、やがて腹落ちしたのか殺気を収めてくれた。
「はぁ……それで? なんで吉沼がそんなことやってるんだ」
「ヨシヌマさんも本部長が保護してる異世界転移者なんです。彼は魔族とかじゃないらしいですけど。ヨシヌマさんが私の様子を本部長に報告することで、私とヨシヌマさんの確認が同時に取れるという寸法ですね」
本来なら、国からもっと物騒な見張りが派遣されてくるはずだったのを、キヌガワ本部長が守ってくれたのだと聞いている。
だからマオはキヌガワの役に立とうと働いているし、おそらくヨシヌマも同じ思いなのだろう。
ユウにはそのへんの機微が、理解はできても納得できないらしいが。
「話はわかった。不本意だが、真央が不便を感じていないのなら尊重しよう」
「ありがとうございます?」
「だが何かあれば俺はアンタをすぐさま取り戻す。いいな」
「はい、……?」
気圧されて頷いたものの、マオにはユウが何のことを言っているのかよくわからなかった。
取り戻すも何も、マオは現状で満足している。
元魔王なんて取り扱い注意なものを、ほとんど野放しにしているのだから、この世界はとても寛容だ。
魔王であった頃のほうが、上司同僚部下、死にかけてからは神殿にと監視され続けていたので、今はほぼ誰の目もなくのびのび生きているほどなのに。
でも、なんの監視もなければ人権も保証されているユウからすれば、マオの状況は不便なのかもしれない。
「あの、モ……ユウ」
「なんだ」
「本部長にメッセージすれば、少しなら遠出できるので、その」
「……! あぁ、そうだな。今週末は空いているか? どこか出かけよう」
「はぇ、あ、はい」
それほど不便じゃないよ、と伝えようとしたマオの言葉は、なぜか遠回しなデートの誘いに捉えられていた。
こうして不思議なカップルは、初めてのデートへ赴くことになったのだった。
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