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本編

16.夜空

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 魔素のある場所から無い場所へ転移すると、ひどい違和感に襲われる。
 表皮のざわざわとする不快さに耐えてゲートを出ると、マオは転移門の部屋に詰めている職員へ声をかけ、利用者リストに名前と時刻を記載して部屋を出た。
 その足で「資源管理課」へ赴き、魂を引き渡す。ここでも利用者リストへ記名する。

 転移係へ帰り着くと誰もいなかった。
 窓の外は暗闇で塗りつぶされ、あの世界の時間の流れが違うのを失念していたこと、その上で長居してしまったことを悔いる。
 明かりの消えた部屋は一箇所だけライトがつけっぱなしにされていた。
 行ってみるとそこは係長のデスクで、マオ宛のメモ書きがあった。
 報告書は後日受け取ること、それから労いの言葉。
 きっと定時後に戻ってこないマオをしばらく待っていてくれたのだろう。
 係長のデスクランプを消し、今度は自席のランプを点ける。
 こんな気の滅入る作業を明日に持ち越したくない。その一心でマオは文書ソフトを立ち上げ、画面に向き合った。

「こんな時間まで残業か」

 不意に投げかけられた声に肩が震え、かなりの時間が経っていたことに気づく。
 ほとんど真っ暗な空間からゆっくりと現れたのは、モノベだった。

「残業はなるべく避けるよう言われているだろう。転移の係長はこれを許しているのか」
「いえ、今日は私の戻りが遅かったので。係長は続きは明日でいいと」

 ライトの有効範囲にやってきたモノベは、暗がりにもわかるくらい眉根をぎゅっと寄せた。

「そうか。なら帰るぞ」
「えぇ、そうします」
「送っていく」
「えっ」

 なんだか既視感のあるやりとりだ。
 以前マオはこの申し出を強引に断って終電で帰った記憶がある。

「いつも以上に酷い顔だ。このまま帰したら電車とホームの隙間にでも落ちそうな顔をしている」
「どんな顔ですか……」

 どうやら今回は離してもらえそうにない。
 マオは諦めてモノベの後をついていく。普段全く行くことのない庁舎の裏手、職員用駐車場にモノベの車が停まっている。
 駐車場には他にも数台の車が停まっていて、見上げると庁舎のところどころから光が漏れている。改めてこの業種の闇深さを感じた。

「すみません、お世話になります。駅で降ろしていただければ十分ですので」
「最寄り駅はどこだ」
「えぇと……」
「最寄り駅」
「……はい……」

 利用者に詰められても絶対こんな風に折れたりしないのに、モノベ相手だとどうも調子が狂う。
 夜闇に沈むモノベの車は派手な色には見えず、左ハンドルなことを除けば車内はそれほど華美ではなかった。おまけに彼の運転は思いのほか丁寧だ。
 マオは免許を持っていないため、道路事情に疎い。そのため自分が全く最寄り駅の方向へ向かっていないことに気づかなかった。

「あの、ここは」
「公園だ」
「はぁ」

 見ればわかる。
 ぽつぽつと電灯がある以外は木々ばかりが立ち並ぶそこは、紛うことなき公園であり、決して駅でなければマオの宿舎の近くでもない。
 なのにモノベは公園へずんずん入っていってしまうので、後を追うしかなかった。
 半ば誘拐のようなものではないのか、と思いつつ入った公園はかなり大規模で、こんな深夜でも犬の散歩やランニングをする人がちらほらいた。無人でないことに妙に安心する。

「モノベさん、どこへ……」
「ついたぞ」

 マオたちは公園の中心近く、開けた広場に来ていた。
 きれいに手入れされた芝生にはところどころベンチや電灯があるが、それだけだ。
 モノベは何も言わずベンチの一つに腰掛ける。
 戸惑うマオを招き寄せて隣に座らせ、空を指さした。

「星が見える」
「そうですね」
「貧相な夜空だ。まともに見えるのは二等星までといったところか。このへんは特にビルや商業施設が夜中まで稼働しているから見えない。光害というらしい」
「はぁ」
「俺の故郷は違った」

 モノベの生まれは、首都圏と呼ばれる地域の中でも田舎の方だったという。
 そこで学校に上がる前の数年間を過ごした。
 周囲は皆知り合いのような山裾で生まれ育ち、自然の中を駆け回り、川を超え山を登り、夜は屋根に上がって好き勝手に星をつなげた。

「だがそれでも見えるのは小さな星ばかりで、幼い頃からなぜか物足りなさを感じていた。俺はもっとすごい景色を知っている。星々が落ちてくる雄大な景色を」
「……」
「あの世界の夜空は、毎晩祭りの日のように賑やかだったな」

 前世のことを言っているのだとすぐにわかった。
 マオたちが生まれた惑星は彗星の通り道にあり、ほとんど毎日色々な角度から流星が押し寄せた。
 ほとんどは通過するだけだったが、いくらかは星にぶつかって人や文明や大地に多大な影響を齎した。隕石の衝突で生態系が変わることは星の歴史から見ればそれほどめずらしい頻度ではなかった。
 だからこそ魔術が発達し、魔術に秀でた才を持つ特別な種族がいたのだろう。
 マオの故郷はいつだって眩しいほど騒がしい夜空で、この世界の夜を初めて目の当たりにして「なんて静かなんだろう」と驚いたものだ。
 彼にも同じような経験があるらしい。

「帰りが遅くなったと言ったな。異世界へ行っていたのか」
「えぇ」
「嫌な仕事だったのだろう。話して楽になることもある。俺相手なら守秘義務もそれほど気にしなくていい」

 つまり話せということか。なんて不器用な言い草だろう。
 ふ、と笑みが溢れる。

「……モノベさんは、異世界課の業務に『回収』という工程があることを知っていますか」
「回収? いや」
「本日の私の業務は『魂の回収』でした。異世界転移した魂を……向こうでの生を終わらせた上で、回収する仕事です」

 モノベの気配が強張ったが、マオはそちらを見なかった。
 ただただ星に向かって独白する。

「彼は私がコーディネートした魂でした。不幸にも命を奪われた善良な魂。資源管理課で対面した彼は、控えめな人でしたが、魂の輝きは十分にありました。先方の要求通りに様々な優遇を付加して送り出し、結果は上々でプロジェクトは完了しました」

 しかし、彼は世界が望んだ以上のものを欲しがるようになった。

「彼が降り立った国は政治腐敗が極まっていて、彼は王族や貴族に利用された。大切な宝物のように扱われ、なんでも与えられ、結局彼は……腐ってしまったと判断され、『返品』されました」
「な……そんなことが許されるわけがない!」
「公的にはそうです。異世界課が用意する魂は先方の希望通りですし、役立つように育てるのは向こうの仕事です。けれど……世界の意志が取り除けないほど大きくなってしまった『癌』は我々が……私が、取り除くことになります」
「アンタが……いつから、そんなことを」
「最初からですよ。人類には扱いきれない魔力を溜め込む危険な『私』を生かしているのは、抑止力とするためです。万が一の時に対処できるものがいてこそ、異世界という多種多様な存在と対等に交渉できる」

 たくさんの言葉を話して疲れを感じたマオは、初めて横の男を見た。
 モノベは変な顔をしていた。
 怒っているように見えたが、目元は悲しみを湛えていた。
 だからだろう、マオの口から、誰かに聞かせたことなどない弱音がこぼれ落ちてしまったのは。

「世界を救うんだといって、この手で送り出した魂を、他でもない私が摘み取る、なんて。私の仕事は、わたしは、なんの意味もないことをしているんじゃないかって、時々、引き裂かれそうになるんです」

 転移を望む魂たちを送り出す自分と、「失敗作」を回収する自分。
 足元が崩れ落ちそうに感じることも一度や二度ではなかった。

「どうすればよかったのでしょう、私は、あの世界で、朽ちていれば、」

 伸ばされた手がマオの頬を撫でていく。
 まるで涙を拭うかのような仕草の彼の手のひらは濡れなかったが、モノベは構わずマオの頭を捕まえて引き寄せた。
 モノベの肩にやや痛みを伴いながら墜落したマオは、ぱちぱちと瞬きする。

「俺は、アンタが生きていたと知って嬉しかった」

 マオの後頭部に添えられた手に少しだけ力がこもる。

「嬉しかったんだ。アンタに、何も伝えられずに死なせてしまったと、ずっと後悔していたから」

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