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本編

09.上司

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 ひたすら画面とにらめっこする一日だった。
 ガチガチに固まった肩と首を回しながら、マオは長い息を吐き出す。
 横と正面の急ごしらえのデスクに座る同僚たちも似たりよったりで、みな昼食を食べる暇すらなく働き通しだった。
 誰かが入れてきてくれた紙コップのコーヒーは、一口飲んだきりで冷めている。
 風味のないそれを喉に滑り落とし、よろよろと帰り支度を始める。

 転生係の一室に人はまばらだ。
 部屋の主たる転生係のメンバーはちりぢりに会議や話し合い、調整に走り回って戻ってこない。
 助っ人の者たちも自分の部署で作業していたり、先に戻っていたり。
 そんな状態だからか、疲れ切った同僚たちは小声ながらも遠慮なく弱音を吐きあう。

「転生の『緊急クエスト』ってこんなキツいんですね……やってもやっても終わる気がしない……」
「うちの振り分けだけでいくつでしたっけ。一万、二万? で今日終わったのが」
「やめて、数字を突きつけないで。絶望しそう……」

 マオ以上にしょぼしょぼしている同僚たちにどう声をかけるべきか思案していると、こつこつと高らかに靴音を響かせながら本部長がやってきた。

「やぁ転移係のみんな、おつかれさま。首尾はどうかな、英くん」
「皆不慣れな中でよくやってくれました。この調子なら全工程余裕もって間に合うと思います」

 同僚たちの「本当に?」という疑いの眼差しをびしばし感じるが、根拠のない励ましではない。
 今回のメンバーは皆仕事が丁寧で手が早く、細かなミスなどはマオが拾っているため、日程を見てもそれほど酷いことにはならないはずだ。
 それにいざとなれば皆は休ませてマオが残業すればいいだけ……と、これは言わないでおこうと思ったマオの肩を、キヌガワ本部長がパシンと叩いた。
 まるで考えを見透かされているよう。

「安心したよ。じゃあみんな、明日も頼むね。今日は上がって」
「はい、おつかれさまです」

 手荷物をまとめ、退勤するため隣の転移係へ戻っていく同僚たち。
 マオはキヌガワに肩を掴まれたままなので動けない。

「さて、英くんはこっちね」
「はい……」

 肩にあった肉厚の手がするりと落ちて、ゆるく手を握られる。
 行き先は本部長室か、近くの会議室。どちらにしても人目はない。
 廊下に出て歩き始めたキヌガワに、マオは何も言わずついていくだけ、のはずだった。

「これってセクハラにならないんですか、本部長」

 空いたほうのマオの腕がぐっと引かれた。
 踏ん張れずに後ろへ倒れかけたマオは、背の高い男の胸に受け止められたらしい。
 キヌガワは一歩先でこちらを振り返った。

「誤解だよ、物部モノベくん」
「何が誤解なんですか。肩を触っていたこと? 手を握っていたこと? 人気のない部屋へ連れ込もうとしていること?」
「……」

 マオは「そう列挙されるとスケベオヤジにしか思えないな」とぼんやり考えていたが、キヌガワのほうも同じだったらしい。
 彼は苦笑しながら、降参を表すように両手を上げた。

「本当に誤解なんだが、僕が言っても信じてもらえそうにないね。英くん、また明日。物部くんも気をつけて帰りなさい」
「……」

 返答せず、ただ睨みつけるモノベにキヌガワはおどけた仕草で肩を竦め、踵を返し去っていった。
 人の通らない廊下は奇妙に静かで薄暗い。

「モノベさん、あの」
「本部長とはどういう関係だ」
「……えーと」

 とにかく体勢を変えたい。背中に人肌を感じるのは慣れない。
 一歩離れて振り返ったマオを、モノベが一歩追い詰めた。
 一歩下がる、一歩詰められる。
 三歩目は廊下の壁に阻まれた。
 モノベに壁際へ追い詰められ、腕は離してもらえず、顔も近い。
 これはドンされていないだけで実質壁ドンでは。ラノベ知識が頭をよぎったが、ほぼ現実逃避だ。

「止めに入らないほうが良かったか?」
「え?」
「あのまま二人でどこかに行くつもりだったんだろう。アンタは拒んでいなかった。……本部長と付き合ってるのか?」

 マオの思考が止まる。
 この男は何を言っているのか。深読みにも程がある。
 いやでも、終業後に二人で手を繋いでどこかへ行こうとした自分たちは十分に怪しい。だからといってマオとキヌガワの仲がどうこうというのはさすがに飛躍しすぎではないか。
 答えないマオにモノベは舌打ちした。
 完全に誤解された、と鈍いマオにも理解できた。

「アイツは既婚者だぞ。もうだいぶ大きい娘がいる。そんなやつと寝るほどアンタ、愚かだったのか」
「いえ違います。本当に違います」
「どうだか。即答しなかったろう。目も泳いでた」
「目が泳いでたかどうかはわかりませんが、即答しなかったのはモノベさんがあまりにも突拍子もないことを言うので驚いてしまったからです」
「突拍子なくないだろう。……俺の手は、振り払うのに」

 そんなことがあっただろうか、覚えてのない行為で責められている。
 あ、いや確かに振り払ったな。転移酔いでフラついているところを介抱してもらったときに。
 なるほど、モノベはあのときのマオの不義理を根に持っていたらしい。
 未だ掴まれたままの腕からモノベの手をやんわり外し、少し躊躇い、マオはえいやっとその手を握った。
 マオよりいくらか高い体温がじんわりと沁み入るように伝わる。

「すみませんでした、モノベさん。その、私は、不意に手に触れられるのが苦手で。魔力が漏れるおそれがあるので、他者との接触は極力避けているんです」

 握ってみるとマオとモノベは手の大きさが結構違う。指の太さも。
 そういえば先程背中で触れた体はしっかりと厚みがあって、骨太な気がした。
 絡めた指をにぎにぎしてみる。
 肌の色も違う気がする。マオの手は青白い。
 モノベの反応がないので顔を上げると、見上げた彼は赤くなっていた。

「そ、そうか。急に触って悪かったな。……魔力?」
「えぇ。この体は元の、魔術があった世界のものですから。私は手のひらで魔力を練って魔術を行使するタイプだったので、どうしても触れられるのに抵抗が」
「アンタ、記憶だけじゃなく体も転生したのか!?」

 噛みつきそうなほど詰め寄られ、マオは目を白黒させた。

「は、はい。私は『転生者』ではなく『転移者』ですから」

 暗黙の了解として、多元宇宙対策本部各課には、転生者や転移者が一定数在籍していると知られている。
 といっても総数はごく僅かだ。
 転生/転移者にとってここで働くことは、地球で生きるための足掛かり的な側面がある。
 異なる世界からやってきた異物の自覚のあるものたちが、人間社会に溶け込むために勤める場所。ある程度の基礎教養を詰め込まれたあと、実際に「人間として」生きられるかどうか試される。ここはそういう機関でもあるのだ。
 現に転移係にも転移者が何人か在籍している。
 本人に転生/転移の経歴を軽々に尋ねるのはハラスメント扱いだが、長く在籍していれば空気感でわかってしまうものだ。

「じゃあアンタは……正真正銘、あの世界の魔王、なんだな」
「元、魔王、ですけどね。私が倒された時点で王城は新たな王の選定を開始したでしょうから、今の私は魔王の成れの果てといったところです」
「そうか……だがこの世界をその体で生きるのは難しいんじゃないか。この世界には魔術がないだろう」
「えぇ、だからこそキヌガワさんなんです」

 マオは当然だと思って名前を出したが、モノベの眉を寄せた顔を見て納得した。
 その者が転生/転移者かどうか、普通はわからないものなのだと。

「キヌガワ本部長も転移者です。私は彼に魔力の発散を手伝ってもらっているんです」
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