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本編

05.書店

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 この仕事の数少ない長所は、カレンダー通りに休みがあることだ。
 とはいえマオの属する異世界課は相手ありきな部分も多く、先方の事情に合わせたら日曜の早朝に出勤となった、というケースも間々ある。
 休日出勤は残業同様推奨されていないが、発生は抑止できない。異世界と時間の流れが違ったりしていると、どんなに擦り合わせても土曜にしか会えない、なんてことはざらだ。
 まして転移係は互いの信頼が重要となる仕事ばかり。顔を合わせての打ち合わせは基本だ。
 そのため、三半規管が比較的弱いマオのような職員は、転移ゲート多用で体調を崩したりしやすい。
 休日はしっかりと休むようにと言われている。
 そんなマオが貴重な休日にやってきたのは、最寄駅近くの大型書店である。

 どんな業種でも真面目にやるからには、日々勉強が欠かせない。
 マオの仕事に資格は不要だが、市場の動向や流動的なニーズ、流行などが存在しており、常に敏感に情報収集していなければあらゆる面で支障をきたす。
 そのため、マオは主に休日を使って資料を買い漁り、読み込んでコツコツと勉強している。
 今日も目指す書棚は同じだ。

(新刊が出ているな。業務に役立ちそうなものは……)

 手に取るのは、可愛らしい表紙イラストのついた文庫本。
 いわゆる「異世界モノ」の小説や漫画であった。
 異世界転移を希望する魂の多くは若者だ。
 彼らはこういった作品に触れ、様々な理想を持って希望を出してくる。彼らが異世界転移に抱く希望や都合のいいイメージは多岐に渡り、創作された専門用語も多い。

 たとえば、異世界へ渡るものがある程度活躍できるようあらかじめ付与する特別な能力のことを、若者は「チート」と呼ぶ。
 そこから転じてチートを用いて異性にモテモテになることを「チーレム」などと言う。さらには転移後、チートを使いこなして強く生き抜くことを「つよニュー」と言ったりと、事前知識なしでは理解できない用語は多数あるのだ。
 こうした価値観を知らずに転移希望者たちに対応することはもはや不可能だ。
 ジェネレーションギャップとかいうレベルじゃない。何を言っているのか、まったく理解できないことすらあると、よく係長が嘆いている。
 そんなとき日頃の勉強が役にたつのである。
 当初は係長と同じく、専門用語と独特の価値観で描かれたライトノベルやマンガにたじたじだったマオも、最近は趣味の一環としてこれらの作品群と接せられるようになってきた。

 新刊の棚にあった「異世界」とつくタイトルの書籍を数冊、事前にインターネットで情報を仕入れた業務に関係しそうな内容のマンガを一冊、それからこれはマオの純然たる趣味として新刊の推理小説を一冊手に取り、レジへ向かう。
 この頃はどこの小売店も無人レジばかりになり、休日に外出して一言も口を開かず帰宅することはめずらしくない。
 もっともマオはあまり社交的な性質ではないので、そういう日々も苦ではない。
 しかしその日は、いつもと少し違った。

「っ。……え?」

 最初マオは何が起こったかわからなかった。
 気がつくと尻もちをついていて、手に持っていたはずの書籍が床に散らばっている。
 見上げると、ぽかんと口を開けている青年と目が合った。
 その顔がみるみる焦りを帯びていって、眉がへにょと下がる。

「ごめんなさい! ケガしてないですか!?」
「あ、はぁ。大丈夫です」
「すみませんっ俺の不注意で、ほんとごめんなさいっ!」
「大丈夫ですので」

 どうやら、棚の影から出てきた青年とぶつかり、マオだけが転倒したらしい。
 青年は何度も謝罪しながら落ちた本を集め、マオに差し出した。幸い、会計前の本たちに目立った汚れや瑕疵はないようだ。

「本当にすみません……」
「いえいえ、こちらこそぶつかってしまって」
「もし後日どこか痛いとかあったら、これ、連絡してください!」

 青年が突き出すように渡してきた紙切れを断ることができず受け取る。
 彼は急いでいたらしく、ぺこぺこ頭を下げながら店を出て行った。半ば呆然とそれを見送り、手元の紙片を見る。
 そこには走り書きの電話番号が書かれているのみだった。

「今どきめずらしい若者だな……」

 交通事故ならいざ知らず、成人男性同士が徒歩でぶつかって連絡先の交換もないだろう。
 それにお互い様のはずの事故でマオだけが倒れたのは、おそらくマオが疲弊しており足元がおぼつかなかったからで、彼の過失とは言い難い。
 連絡することはないだろうが、個人情報だし自宅で処分しよう。
 紙片をポケットへ仕舞い、書籍を無人レジで買い終わった頃には、マオは青年のことをほとんど忘れてしまった。

 昼でも妙に薄暗い社宅へ帰りつき、家事や食事もそこそこに買ってきたばかりの本を開く。
 ソファなんてものはない一人暮らしの部屋には、これだけはとこだわった座椅子がある。
 長時間座っていても疲れにくいそれに腰掛け、日が暮れるまでのんびりと読書を楽しむ。
 時には没頭してしまい、夕食を食べ忘れることもある。いまいち好みじゃない作品を読み終えて生じた消化不良感を、次なる本を読むことで癒すかどうか悩んだりもする。
 マオはそんな贅沢な休日を大切にしていた。
 狭い室内の壁はほとんど本棚で埋まっている。それでも本が溢れてしまうので、不定期に職場へ持って行って適当に置いておくと、いつのまにか回し読みされていたり誰かがもらったりしてくれる。
 趣味と実益を兼ねるとはまさにこのことだと思っている。

「これは……異世界転移モノか。目が覚めたら魔王になっていた……」

 あらすじもろくに読まずに買った小説は、マオにとってノスタルジーを感じさせる内容だった。
 現代日本でトラックに轢かれ死んだ少年が異世界で目を覚ますと、魔王になっていた。周囲は少年を魔王の降臨とばかりに持て囃すので、現代科学知識とチートを使って魔王として生きていく────というお話だ。

「魔族というものはどこもこう、向こう見ずなところのある種族ということか……」

 もちろんこの作品の著者が本物の魔族を知っているわけではないだろう。
 しかしマオは不思議と親近感を覚えた。

 マオの前世において、幼かった頃のことはあまり覚えていない。

 魔族の一員に生まれたマオは、物心ついた頃にはひとりで必死に生きていた。
 生みの親らしきものはいたが頼れるような存在ではなかった。
 少しの間面倒を見てくれたものもいたが、姿を消してそれっきりだった。
 がむしゃらになんとか生き延びて、いつのまにか一人前と認められる年齢に達していたらしい。
 それからは軍の仕事に従事した。
 真っ先に使い潰されるような下請けの端くれ、末端もいいところだったが、マオなりに一生懸命勤め、いつしかそれなりの地位に押し上げられていた。
 なにしろ魔族軍の労働環境はブラックを通り越してダーク。
 失敗すれば良くて折檻、悪ければ命を奪われる。血気盛んな魔族はしょっちゅう他種族と戦っているため、上も下もどんどん戦場に出ては散っていなくなる。
 そんな中でマオは、死ぬような失敗がなく、体が丈夫で死ににくかったことから戦場でみるみる出世して、ついには無理やり最高位の責任者に────「魔王」に就任させられた。
  
 下々に指示を出すことが主な仕事となっても激務は変わらず、逃げ出したくとも当時のマオはこれ以外の生き方を知らなかった。
 自分より優秀な部下がどんどん心身を壊していく中で責任を負い続けることは困難を極めた。
 それでもマオは、自分が追い詰められるほどにつらいという気持ちを自覚していなかった。
 ただ必死で生きていた。

 ある日「勇者」がマオの元へ乗り込んできた。
 勇者とは、特殊なスキル持ちの人間のことを指す。
 いわゆる「魔族特効」スキルだ。
 魔族相手にめっぽう強い勇者は、たった数人の仲間だけを引き連れ魔王城の精鋭魔族たちをばったばったと倒して進んできた。
 城に入り込まれ、部下を好き放題されては魔王が出て行かざるを得ない。
 マオは勇者と対峙し、戦いの末に敗れた。
 完膚なきまでの負けに初めて出くわし、驚き、これ以上生き続けることはできないと諦めた。
 それ以上は抵抗せず、勇者の太刀を甘んじて受け入れた。
 そうして終えた前世の記憶を、なんの因果かそのまま持って、マオは今でも激務の仕事ばかりやっている。

「はぁ……フレックスタイム制で在宅勤務可で給料そこそこで有給取り放題のとこに転職したい……」

 勝手に出てしまう独り言をぽつりとこぼし、マオは虚しさに深く嘆息した。
 前職でマオは、これからは好きなだけ眠れると思いながら生を終えた。
 今の仕事はストレスフルだし理不尽なことも多いが、残業は少ないし、なにより失敗しても命を取られることがない。睡眠時間も確保できている。福利厚生がしっかりしていて、時期を選べば有給もとれる。
 だからといって、勤労のつらさが薄れるかといえばそうではないわけで。

「はぁ……」

 途中で栞を挟んでいた文庫本を再び開く。
 今夜は眠気が訪れるまで空想の世界に没頭しよう。そう決めた。
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