異世界課の『元』魔王

キザキ ケイ

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本編

03.転移

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 多元宇宙対策本部内にある別棟の業務用異世界転移門前で、必要書類ばかり多い煩雑な移動申請を済ませ、それが受理され門が起動するまでの間、マオはぼうっと中空を見つめていた。
 モノベはなぜマオのような地味な他係の男に構うのだろう。
 あの見た目だ。男も女も寄っていく者のほうが多いだろうに、逃げるマオにめげず声をかけてくる。
 いっそ逃げないほうが早く興味を失ってくれるだろうか。
 いやでもそれはつまりマオがモノベの相手をしなければならないという意味で。あの弾けるように生命力豊かな男と楽しく談笑する自分など、到底思い描けない。

「今まで通り無難にあしらうしかないか……そのうち飽きてくれるのを待って……はぁ」

 マオだって心ある生き物だ。誘いを断り続けるのは気分が悪い。
 無論、向こうのほうがマオよりずっと気分を害しているだろうことは理解している。
 モノベもそろそろ断られすぎて意地になっているのではないかとも思う。
 だからといって彼と一緒に休憩時間を過ごしたり、彼の車で送られたり……なんて絶対に嫌だ。無理だ。
 うまく言い表せないが、マオはとにかくモノベが苦手なのだ。
 ろくに接点もないのになぜこんなにも忌避感があるのか、自分でも不思議なくらい。

(どこかで会ったことある気もする……まさか『前』に……?)

 考えて、首を振る。確率的にあり得ないことだ。
 やはりただ単にモノベのキラキラした雰囲気が苦手なだけなのだろう。
 もっともマオが見るのは、輝かしい男のしかめられた顔ばかりだが。

「ハナブサさーん。三番ゲートへどうぞ~」
「はい」

 やけに重く感じる腰をなんとか持ち上げ、ゲートへ向かう。
 まるで病院の待合室のような呼びかけはどうにかならないものか、といつも思う。

「う……」

 ゲートをくぐる瞬間、腹をかき回されるような不快感に耐える。
 異世界へ移動する際の浮遊感・不快感は人によって程度が異なるらしいが、マオは弱い方だ。
 だからなるべく、取引先に直接赴いて交渉するような場面は避けているというのに、今回のような不測の事態は特段珍しくないので悩ましい。
 降り立った世界は、だだっ広い草原にゲートだけがぽつんとあった。
 振り向くと、マオは草地に埋もれかけたレンガ造りの円陣のようなものから出てきたとわかる。
 立った状態でゲートをくぐり、横向きになって出てきたのだから船酔いのような症状が出るのも当然だ。
 気持ち悪い腹を抱えて、結果如何によってはこの世界は即ブラックリストに入れてやると毒づきながら、マオは足を引きずるように歩き出した。
 目指すは草原の先、王城だ。
 転移ゲートを交渉場所の近くに設置していないところも大いにマイナスだ、と思う。

 結論から言って、話は結局まとまらず、相手の態度は強硬なまま物別れに終わった。
 異世界転移者受け入れを了承してくれた若い魔法使いがいない。代わりに席についたのは中年の偉そうな男と、顔中髭に覆われ古めかしい杖を持った老人。
 この段階でマオは、諦め度を半分から90パーセントまで引き上げていた。
 だからといって、わざわざ出向いた以上諦めず交渉せねばならない。口端を無理やり上げて微笑み、相手を翻意させる話術を展開した────しかし。

「どうしても受け入れていただけませんか……」
「結論はとうに出ている。転移者は不要だ」
「ですがこちらで手配した転移予定者の魂は、この世界に順応できるよう調整済みでして……気圧や重力への対応のほか、言語既習得チート機能や、そちらからの要請に応じた魔法の適正追加など、」
「くどい! 不要と言ったら不要だ!」

 高圧的な態度はいかにも普段から他者に命令し慣れているもので、マオはすでに愛想笑いを取り繕うことすらできなくなっていた。
 均衡を失いつつある世界を救うため、すでにある程度の分別のつく年齢まで育った異世界の魂を召喚し、平和を取り戻そうとした若い魔法使いたちとマオは、長いこと調整を続けていた。
 それをいかがわしい企みと断じ、彼らを追放して異世界の使者たるマオまで追い出そうとしているのは、無理解な老害たち。
 絵に書いたような、崩壊直前の世界の様相だ。
 疲れと落胆とその他もろもろの感情を制御しきれず、マオはついにくすくすと笑ってしまった。

「貴様、何がおかしい」

 おそらくこの国の王であろう男(自己紹介されなかった)は不快そうにマオを見下ろす。
 その虚勢も、世界が壊れれば消えるのだと思うと、余計に笑いが止まらなくなってしまった。一人で笑い続けるマオを、王と老魔法使いが不気味に見つめる。

「ははは……はぁ。わかりました、もう結構です。転移者は不要、前任者もすでに退職済み……ということですね」
「やっとわかったか。早く帰れ」
「それでは失礼します。……あぁそうだ」

 持参した書類をケースに仕舞い終え立ち上がったマオは、やや芝居がかった仕草で振り向いた。

「前任の方と我々が交わした契約書は、ご覧になりましたか?」
「契約書? いや」
「そうですか、だからそんな態度でいられたのですね。契約書はもう効力を発揮しております。もちろん契約解除に関する規定に則り、そちらの不当行為として相応のペナルティがございます。これは担当者が退職していても関係ありません。契約は、世界と世界の間で交わされるものですから」

 二人の男の顔色が目に見えて悪くなり、マオは再びにっこりと愛想笑いを浮かべられるようになった。

「せいぜい早く前任の方を探して契約書を見せてもらうことです。まぁそれも、心の準備くらいの意味しかありませんが。あぁ、彼らは前途有望な魔法使いですから、こんな壊れかけの世界などすでに捨ててしまったかもしれませんね。もし会うことができたら、我々異世界課を頼るよう言伝をお願いします。では」

 何かを喚いている者たちを置いて城を出る。
 追手を掛けられたので、建物を出たところで手元の携帯転移ゲートを起動した。
 持ち運びができる優れものだが、これは多元宇宙対策本部に帰るときにしか使えず、案件が不調の場合の万が一でしか借り出しできず、さらには転移酔いが半端ないのでなるべく使いたくない代物だ。
 目の前の景色が一瞬で切り替わり、鬼気迫る兵士たちの群れが消え、見慣れた白い床の部屋に降り立つ。

「……っ、う、ぅ……」

 気持ち悪さが最高潮だ。
 とにかく吐かないようにヨロヨロ移動する。
 顔見知りのゲート管理員が心配そうにマオを見ているのがわかったが、追いかけては来なかった。彼もワンオペで、仕事中に持ち場を離れられないつらい立場だ。

「はぁ……言い過ぎたかな……でも、あの魂になんて説明すれば……」

 どうせ出禁にする世界だからと捨て台詞を吐いたことを、マオは早くも後悔していた。
 とはいえすべて事実の羅列で、脅しでもなんでもなかったのだが、あの異世界の重鎮たちはそうは思わなかっただろう。上長経由で文句の二三つけられるかもしれない。どうせ出禁だが。
 それより気が重いのは、調整済みの魂への対応だ。
 日本で若くして亡くなり、望んでいた異世界転移を心待ちにしていた純朴な青年。
 望む全てではないが特殊能力チートもいくつか付与して、いざ転移というこんなときに。
 調整済みの魂は、元の世界の輪廻に戻してやれない。
 このままではあの魂は、瑕疵のある魂として凍結処理され倉庫にしまい込まれる。
 死ぬことも消えることも、まして生き返ることなど到底できず、いじくられた魂を受け入れてくれる世界が現れるまで眠りにつく。廃棄処分にならないことを救いと思ってもらいたいなんて、間違っても思えない。

「ぐ、ぅ……」

 転移酔いに加えて頭痛までしてきた。
 思わず廊下の壁に寄りかかり荒い呼吸を繰り返したが、この程度のことで最悪の体調がどうにかなるわけがない。
 短時間に激しいストレスを受けすぎると、マオの体はこうして機能不全に陥るようになってしまった。
 そうだ、有給を取ろう。旅行でもしよう。一人で気ままに温泉地でも訪れて、気持ちいい湯に全身浸ってストレスをすべて洗い流そう。そうでもしなければこの心身は癒やされない。係長も課長も今回ばかりは同情してくれるはず。
 そう奮い立たせでもしなければ、仕事場に帰る前に足が崩折れてしまいそうだ。

「っ……!」
「おっと」

 引っかかるところなどないはずの床で躓き、前のめりに倒れかけたマオを、誰かが受け止めた。
 なんだか既視感のあるシーンだ。
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