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14.見せない一面
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響己さんが戻ってきたのではないことは見なくてもわかった。足音がぜんぜん違う。
「おいおい、こんなとこにオメガが二匹もいるじゃねぇか。どうりで臭うと思った」
「……なんですか、いきなり」
「あ? この店はアルファにオメガを斡旋してくれんだぜ、知らねーで入ってきたのか?」
げらげらと下品にわらう男はとても酒臭い。
「おーおーどっちも首輪つきか。俺の番にしてやろうか? たまになら相手してやるよ、発情期にヤるの相当イイって聞くしなァ」
「……あ、こいつ……!」
ユカちゃんが耳打ちしてくる。
見覚えがあると思ったら、ぼくらがいたお店で女の子にひどいことをして出入り禁止になったアルファだ、と。
それだけじゃなく、似たようなことを近くの他のお店でもやっていて一帯で出禁になっている、とても厄介な男だと。
「近頃見ないと思ったらこんなとこに来てたんだ、油断した……ミカゲ、出よう」
「うん」
「おいおい~アルファ様を無視するとかおまえら生意気すぎんか? それともわざと冷たくして気を引きたいってか?」
「ちょっ……離して!」
「ユカちゃん!」
腕をつかまれたユカちゃんは抵抗したけれど、席に押し込まれてしまって振りほどけない。
ぼくはアルファの背中に飛びついた。
ユカちゃんを守らないと。ぼくはそのために、みんなのためにずっと生きてきたんだから。
「やめてくださいっ」
「うっせぇ離せ……あ? おまえ……」
濁ったひとみがぼくを見る。背筋がぞっと寒くなる。
いやな目だ。こんな目をするお客さんは、ぼくらをひどくしかあつかわない。
「なんだおまえ、こんなとこにいたのか。この女と同じ店にいたよな? ゴミ処理係のオメガちゃん」
「……ぁ……」
「ゴミのくせにこんな店でアルファ漁りかよ、身の程知らずだなぁ。俺が直々にしつけ直してやろうか。それともこの店のアルファたちに、おまえがどれだけ人間以下の汚物かってこと、教えて回ってやろうか? あァそれより、おまえの前でこの女を噛んでやるほうが楽しいかもな?」
男のきたない口がユカちゃんの首筋に近づく。いたずらでもやっちゃいけないことだ。ぼくはまだユカちゃんを守れてない。
「……わかり、ました。ユカちゃんには手を、ださないで。ぼく……ぼく、が」
「御影」
肩にあたたかいものが触れた。
それがゆっくりと背中をおおって、ぼくのふるえる喉を首輪ごしに撫でて、やわく腰を抱かれて引き起こされる。
床にしゃがみこみそうだったぼくを助けおこしてくれたのは。
「ひびき、さん」
「なんだァ? もうアルファを引っ掛けてたのかよ、さすがフーゾク上がりのオメガは媚びを売るのが上手いん、」
「黙れ」
ぼくをやさしく抱く響己さんが、空いている手で男の襟首を掴んだ。
まるで重力がないみたいに、それなりの体格のはずのアルファ男が宙に浮く。手を掻きむしっても足をばたつかせても、響己さんの腕は離れない。
ぼくはぽかんとそれを見ているしかなくて。
男から解放されたユカちゃんがせき込みながらぼくの手を引いて下がった。
「てめ……ッ、なにすんだっ離せッ」
「囀るね、嫌だったら逃げてみなよ。あぁ、わたしの気配を察知して避けられなかった時点で無理か。アルファのくせに低能で弱いなんて生きてて恥ずかしくないの?」
「くそがァッ」
「このまま絞め落としてもいいけど、オーナーが死にそうな顔で首振ってるから許してあげる。ほら」
「ぐぇっ」
唐突に手を離されて、男は床に這いつくばった。
げほげほとせき込んで、それでも響己さんをにらみつけるひとみの色は変わらない。
「はっ……そんなにそのオメガが大事かよ。そいつはなァ、あの店で最底辺の、」
「黙れって言ってるだろう」
あごを蹴られて今度こそ男はしゃべらなくなった。
「ごめん御影、遅くなった」
「……」
あの男にちゅうちょなく暴力をふるっていたのとは別人みたいに、ぼくをやさしく抱きしめてくれる響己さん。
それからぼくは響己さんの肩ごしに、オーナーのナガシマさんとお店のお客さんたちに謝られた。
もっと早く助けに入れればと何度も頭を下げられて、ぼくもユカちゃんも困り果ててしまう。悪いのはオーナーでも周りのひとでもない。
あの男は警察を呼んで引き渡すという。
店で暴れて他の客に手を出すなんて言語道断だと息巻くナガシマさんに、ぼくはすこし怖くなった。
響己さんも乱暴なことをした。あっちが先に手出ししてきたといっても、響己さんが男に暴力をふるったのは事実で、みんなが見ていた。
警察につれていかれたりしないだろうか。
「沖野さんはあたしたちを助けてくれたんだ、大丈夫だよ」
「だな、正当防衛だ。でもまぁこのままここにいたら事情聴取だのなんだの、面倒なことにはなる。三人とも、裏口から出るといい。警察には上手く言っておくよ」
「あ……ありがとうございます」
ぼくはともかく響己さんを面倒なことにさせちゃいけない。
ただ、ユカちゃんは残ると言った。
「こいつが目覚めて暴れた理由を聞かれたら、オメガがいたって言うはずよ。どっちかは残らなくちゃ」
「でもユカちゃん、」
「あたしは平気。むしろ警察の人にあることないこと吹き込みまくって罪状を重くしてやるわ。それからこの辺のお店の子たちにこいつの手配書回さないと! 一人でも嫌な思いする子が減るようにね」
そう言って、気絶している男の写真を撮りまくりはじめたユカちゃんは、お店にいたときと同じ強くて頼れる仲間だった。
こうしてぼくらだけがバーの裏口からこっそり外へ出た。響己さんはずっとぼくを抱きしめて離さなくて、ぼくは自分より大きなひとを半ば引きずりながら歩くしかなかった。
「怖い思いさせてごめんな」
最後まで申し訳無さそうに、裏口から手を振ってくれるナガシマさんに手を振りかえして、非常階段をのぼる。
その頃にはやっと響己さんもぼくからはがれて、手をつなぐかたちになっていた。
「ナガシマさんとのお話、ちゃんと終わった?」
「うん、終わったよ。そのせいで割り込むのが遅れて、ほんとうにごめん」
「響己さんのせいじゃないよ、気にしないで。……かえろ?」
「そうだね、急いで帰ろう」
バスと違って待たなくていい車での帰宅は、本当にすぐ着いた。
地下の駐車場に、響己さんによく似合うぴかぴかの青い車をとめてエレベーターで上がる。そうすればおうちはすぐだ。
響己さんは車を降りるとき以外はずっと手をつないでいてくれた。
そしていつもの見慣れた、内外どちらにもカギが必要なドアの前に来て、ぼくは、動けなくなった。
「御影?」
手を離す。手がはなれる。
隠していたわけじゃなかった。
みんなのためにはたらくことが、おつとめを果たすことがぼくにとって一番だったから。
誰かになんと言われても、ぼくはぼくの役割を果たせることが一番だった。
だけど、急に怖くなった。
「ひびきさん。ぼく、ほんとうは響己さんのつがいになれるようなオメガじゃないんです」
ふるえて折れそうな足をふんばって立つ。
「お店の人に言われたらどんなことでもしてきました。うなじだけは首輪が守ってくれたけど、それ以外はぜんぶ、よごれてる。あのアルファが言ってたこと、ほんとなんです。ぼくは……きれいな響己さんに、ふれてもらえる、噛んでもらえるようなオメガじゃないんです」
「わたしが触れるようなオメガって、なんだい?」
「え……」
しずかな声だった。
ぽとり、としたたり落ちるような問いかけに顔をあげると、響己さんはぼくをまっすぐ見ていた。
怒っても悲しんでもいない。
「御影も見ていただろう、わたしだって御影が思うほど品行方正でお綺麗なアルファじゃない。他人を害することになんの躊躇いも持てない。御影は真鍋が苦手と言ったけど、わたしだってあいつと同類だ。日に当たるか影にいるか、それだけの違いでしかない」
「え、と……」
「ごめん、むずかしいことを言ってしまったね。つまり、わたしはわたしが欲しいと思うものに手を伸ばしているに過ぎないってこと。わたしに何が相応しいかは、わたしが決める。それは御影にも委ねられない」
握りしめた手をそっとほどかれて、指先をつなぐ。
ぼくのふるえが響己さんにまで伝わってしまう。
「御影の過去や属性には興味ない。きみの今と未来が欲しい。きみの気持ちがまるごと欲しい。わたしはきっと御影が誰かの番であっても、奪って閉じ込めただろうね。それだけ本気なんだ。……わかってないよね?」
手の甲にくちびるが触れて、ほんのすこしの吐息が当たる。
ふるえは止まっていた。
ぼくの生まれも過去も、男でオメガであることも、うなじの傷の有無さえ、この人はどうでもいいのだろうか。そんなことが、あるのだろうか。
返事をできないぼくに響己さんは「やっぱり理解してなかったね」と笑った。
「いいよ、これからゆっくりわかってもらうから。番になって後悔するとしたら、それはわたしじゃなく御影のほうだってことをね」
「……ぼく、後悔しません。響己さんだから」
「ありがとう、嬉しいよ。……あぁ言ったけど、御影が誰のものにもなっていなくて本当によかった。仮定でも口に出したくないね、こんなのは」
ドアを開ける電子音が鳴る頃には、響己さんは少し唇をまげてすねる、いつもの響己さんで。
ぼくはくすくす笑って、自分からおうちへ入る。
小さな音がかちゃんと鳴って、ドアが閉まった。
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