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9.プロポーズ?
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また来いと言われたからには、と、バスであのカフェに向かった。
前回の訪問から一週間ほど経っているけれど、まだ「近いうち」のはずだ。
「いらっしゃいませー、あら御影さん!」
「こ、こんにちは……」
「今日は一人? カウンターへどうぞ」
「はい……」
今日も元気な下村店長が歓迎してくれて、ぼくはカウンター席のすみっこに座った。
前はお客さんが一人いたきりだった店内は、大きなお客さんと小さなお客さんが何人もいた。
小さいお客さんというのは文字通り、子どもだ。
一段高くなっている場所はキッズスペースというものらしく、やわらかい床に転がりながら子どもたちが色とりどりの積み木で遊んでいる。
ころころふくふくした子どもが三人。
大きさはそれぞれ違って、やっと座れる程度の小ささから、ちょっぴりおしゃれなワンピースを着ている子まで。小学生くらいだろうか。
ぼくが生きてきた夜の街には子どもはほとんどいないけれど、子どもを抱えて生きなきゃいけない人は意外といて、たまに面倒を見ることがあった。これでもおしめ替えくらいはできるのだ。
「子ども、好き?」
じっと見ていたら店長さんが話しかけてきた。
ぼくは前回と同じ、つめたいカフェオレを注文してうなずく。
「かわいいよね。あれくらいが一番かわいくて大変らしいけど」
「そうなんですね」
手早く用意されたカフェオレを受け取ってひとくちすする。変わらずおいしい。
「そういう話、沖野さんともする?」
「しないです」
「あら」
てっきりそういう仲なのかと。って。
なにも言わずとも、店長さんの考えていることがわかる。
「響己さんはつがいの話はしません。そういう気はないんじゃないでしょうか?」
「それはないわね」
「えっ」
「番にする気もないのに家にオメガを入れるわけないわ、あの人が。ここに連れてくることも絶対あり得ないし」
「そう、ですか?」
なにやらずいぶんと断定口調だ。
「あの、店長さんは響己さんのこと、よく知ってるんですか……?」
「え? あぁ違うわよ。沖野さんとは大学時代から知り合いで、ちょっとだけ付き合いが長いの。それ以上でも以下でもないわ」
「はい……」
「あり得ないって言ったのはね。あの人が御影さんのことを手放す気が全然ないのが丸わかりってことよ。オメガの私にわかるくらいだから、アルファはもっと強く感じ取るでしょうね」
「そうですか……?」
「本人にはわからないものよね」
店長さんは笑う。いじわるをされているわけではないとわかるけれど、それでもいまいちピンとこない。
「それに、安心して。あの人が御影さんを番にもせず放り出すようなら、私と旦那でボコボコにしてあげるから」
「えっ! いえ、暴力はちょっと、その」
「あら、大げさじゃないわよ? 番のいないオメガがアルファの元に置かれるなんて一大事なんだから、きちんとしてくれなきゃ困るわ。宙ぶらりんで囲われたままなんて、御影さんも嫌でしょう」
「ぼくは、……」
アルファとオメガがひかれあって、お互いに唯一のつがいになる、なんてのは、夢物語。
ぼくたちがアルファに引き取られるとき、そこにはたくさんの計算が差しはさまれる。
ある程度表に出せるくらいの器量はあるか。わきまえて、謙虚でいられるか。健康な子どもを産めるか。生まれた子どもを育てられるか。子どもができたとしても、つけあがらずにいられるか。
全部、おめかけさんとしての基準。
夜の街を飛び交う愛に本物なんてない。
言葉を変え方法を変え、それでもみんなが言っていたことがぼくだけ例外なんてあり得ない。
宙ぶらりんの立場でも、響己さんがやさしいままでいてくれるなら、それ以上は望まない。
だからわきまえないといけない。
だけど、のどが詰まったみたいに言葉が出てこない。
「御影さん?」
「あなた、ミカゲっていうの?」
ふしぎそうな店長さんの声をさえぎるみたいに、小さな影が割り込んだ。
ぼくの隣にえんりょなく座り、ぼくの顔をえんりょなくのぞきこんできたのは、ツインテールの少女だった。
さっきまであのやわらかい床のスペースで、小さな子たちと遊んでいたはずなのに、いつのまにか近くに来ていたみたい。
あっけに取られるぼくをにらみ「ねぇ、どうなの」なんて怖い声を出すので、ぼくはあわてて首を何回も縦に振った。
「はい、ぼくは御影です」
「ふぅん。どんな字?」
「えぇと……そういう名前の石があって」
ぼくはがんばった。「ご飯のご」とか「防御のぎょ」とか、知ってる限りの単語で御影の「み」を説明したけど、どれも「知らない。習ってない」と言われてしまえばそれまでだった。
みかねた店長さんがペンを持ってきてくれて、カウンターのナプキンに漢字を書いて見せたところ、「ふーん。変なの」と言われてしまった。
無事伝わったけど、なんだかどっと疲れた。
「ミカゲは新顔よね。まずはあたしにあいさつがあるべきだと思うんだけど?」
「あっ、そういうシステムなんですね。はじめまして、ぼく御影です」
「最初からそうしてればいいのよ。あたしはヒナ。あっちにいるのがニイナとコージュ」
「ニイナさんとコージュくんにも挨拶したほうがいいかな」
「あの子たちにはあたしから言うからいいわ」
ヒナさんはまるで物語のお姫さまやお妃さまみたいに、威厳のある少女だった。
さっきの店長さんの質問に答えなくてよくなって、少しほっとしたのだけど、こっちはこっちでいろいろと質問責めにあう。
どこから来たのかとか、どこの学校に通っているのかとか、好きな教科とか、好きなスポーツとか、積み木はうまいか、あやとりはできるか、家にテレビゲームはあるか……。
どれもこれもうまく受け答えできないぼくが唯一ほめられたのは、家にテレビゲームがあることだけで、響己さんがくれたそれを伝えると「ふーん。やるじゃん」と言われた。なにがどうやるのかちっともわからない。
「てかさ。ミカゲ、そんなおしゃべり下手で生きてけるの?」
ぼくよりよほどおしゃべり上手なヒナさんが、足をぶらぶらさせながら問う。
「あんまりうまくは生きられなかったから、これからがんばろうと思ってるんだ」
「ふーん。それはいいココロガケね。ミカゲ、生きるの下手そうだもん」
「ヒナさんはかしこいし、物知りだから、上手く生きられそうだね」
「当たり前でしょ? あたし、アルファだもん」
こんな小さな子でもバースを知っているのかと驚いた。
でも考えてみれば、ぼくも小さな頃にオメガと診断されて、それがきっかけでお店に引き取られたのだからふしぎなことじゃないのかも。
「そっか、ヒナさんはアルファなんだ」
「そーよ」
「……」
「……なんかないの、言うこと」
「え?」
「ミカゲはオメガでしょ? ヒナはアルファだから、すごいとか、うらやましいとか、そういうのないのって言ってんの」
そういうのないのと言われても、なかった。
アルファ相手にうらやましいなんて思わない。
しいていえばうらやむ相手はベータだ。彼らには発情期がないし、オメガの発情もアルファの威圧も感じとるすべを持たない。
それにアルファは、怖い。
ヒナさんくらい幼ければ大丈夫だけど、アルファがいると無意識に身がすくむ。肩がこわばって、口元が勝手に笑みの形に固まる。
そうならないのは響己さんだけだ。
ぼくがそんなことをぼうっと考えていたのが、ヒナさんを不機嫌にさせてしまったのか。彼女は高いカウンター椅子から飛び降りて、ニイナさんたちのいる席へ行ってしまった。
「ごめんね御影さん。相手してくれてありがとう」
なぜか店長さんが申し訳なさそうに礼を言ってくる。
どうやら彼女たちとその親御さんは常連で、ヒナさんはいつもあんな感じらしい。止めても聞かないので、ぼくがふつうに相手してくれて助かったとのこと。
「でもヒナが絡むの、普段は同じくらい常連の方だけなの。あれで人見知りなとこがあって、妹のニイナを守ろうとしてるのよ」
「ニイナさんがオメガだからですか」
「この距離でもわかる? その通りよ。最近診断が確定したらしくて、アルファとして妹を守ろうって躍起になってるみたいなの」
「そうなんですか……」
そう聞くとなんともほほえましい話だ。
ぼくは見慣れないオメガとして警戒されたのだろう。同じオメガに危害を加えるものは少ないが、ベータよりはオメガのほうがある意味危険かもしれない。ぼくのいたお店もオメガばかりたくさんいたから、ケンカや仲違いは日常だった。
でもあんなに小さな子に嫌われてしまったと思うと、ちょっぴりへこむ。
気まずいまま半分ほどに減っていたカフェオレを最後まで飲み干し、おいとましようと腰を上げた。
お財布をポケットから取り出して、ふと下に気配を感じる。
「これあげるわ」
「え?」
まっすぐにぼくを見上げるヒナさん。
まっすぐに差し出されているのは、一輪のお花だ。
何も見ないで「花を描け」と言われたときに思い浮かぶような花弁の黄色い花。長い茎が湿っていて、今まさにどこかの花瓶から取ってきたような切り花だ。
戸惑うぼくに花が突きつけられ、反射的に受け取ってしまった。
ヒナさんは満足げにしている。そこへ店長が目をむいて割り込んできた。
「ちょっとヒナちゃん何してるの! それテーブル席のお花でしょ!」
「ヒナがミカゲにあげたの。だからもうミカゲのものよ」
「お店のものなんだけど!?」
「ふん、ケチね。お金なら出すわ」
「あなたのご両親が稼いだお金でしょうが!」
妙にテンポのいい言い争いにはさまれ、ぼくはなぜだか笑ってしまった。
ヒナさんが常連だというのもうなずける。店長とヒナさんは年齢も背丈も全然ちがうのに、とても仲良しだ。
「店長さん、よかったらこの花いただけませんか? お花のお代はぼくの会計につけてください。ヒナさん、どうしてこのお花をぼくに?」
しゃがんで目線を合わせると、年のわりに大人びたひとみが輝くのがよく見えた。
「そんなの決まってるわ。予約よ」
「よやく?」
「いつかミカゲがあたしのことすごいアルファだってみとめたら、ツガイにしてあげる。そのための予約よ」
「え……」
この黄色い花にそんな重大な意味があったとは。
お金の問題とかじゃなく受け取ってはいけないのでは、と思ったときにはもうヒナさんはスカートをひるがえして、お母さんたちのところへ戻ってしまった。
ちらりと見えた耳や頬がとても赤くて、照れていたのかもしれない。
ぼくは店長と顔を見合わせて、困り笑いを浮かべるしかなかった。
「お代はいりませんから、受け取ってあげてください。そしてそのうち完膚なきまでにフってやってください」
「責任重大ですね……」
「あはは。また来てくださいね」
「はい、また来ます」
店長さんが切り口に濡らしたナプキンをくっつけてくれて、ぼくは花がしおれる前に家に帰った。
響己さんの家には見たところ花瓶がないので、空いたペットボトルにいけておく。響己さんが帰ってきたら花瓶がないか聞いてみないといけない。
それにしても、女の子からお花をもらったのなんて初めてだ。
思うよりずっと嬉しい気持ちになるんだなぁ、なんてのんきに家主の帰りを待っていたのだけれど。
「この花は……」
出迎えた響己さんはまっさきにお花に気づいて、一瞬だけ、すごく悲しそうな顔をした。
それからきれいだね、と褒めてくれて、花瓶がないことを残念がっていた。買ってこようかと提案されたけど、断った。
ぼくは響己さんが浮かべた悲しみの正体を知りたかったけれど、聞けなかった。
ただ胸がぎしぎし痛んで、急にお花の黄色が色あせて感じられた。
前回の訪問から一週間ほど経っているけれど、まだ「近いうち」のはずだ。
「いらっしゃいませー、あら御影さん!」
「こ、こんにちは……」
「今日は一人? カウンターへどうぞ」
「はい……」
今日も元気な下村店長が歓迎してくれて、ぼくはカウンター席のすみっこに座った。
前はお客さんが一人いたきりだった店内は、大きなお客さんと小さなお客さんが何人もいた。
小さいお客さんというのは文字通り、子どもだ。
一段高くなっている場所はキッズスペースというものらしく、やわらかい床に転がりながら子どもたちが色とりどりの積み木で遊んでいる。
ころころふくふくした子どもが三人。
大きさはそれぞれ違って、やっと座れる程度の小ささから、ちょっぴりおしゃれなワンピースを着ている子まで。小学生くらいだろうか。
ぼくが生きてきた夜の街には子どもはほとんどいないけれど、子どもを抱えて生きなきゃいけない人は意外といて、たまに面倒を見ることがあった。これでもおしめ替えくらいはできるのだ。
「子ども、好き?」
じっと見ていたら店長さんが話しかけてきた。
ぼくは前回と同じ、つめたいカフェオレを注文してうなずく。
「かわいいよね。あれくらいが一番かわいくて大変らしいけど」
「そうなんですね」
手早く用意されたカフェオレを受け取ってひとくちすする。変わらずおいしい。
「そういう話、沖野さんともする?」
「しないです」
「あら」
てっきりそういう仲なのかと。って。
なにも言わずとも、店長さんの考えていることがわかる。
「響己さんはつがいの話はしません。そういう気はないんじゃないでしょうか?」
「それはないわね」
「えっ」
「番にする気もないのに家にオメガを入れるわけないわ、あの人が。ここに連れてくることも絶対あり得ないし」
「そう、ですか?」
なにやらずいぶんと断定口調だ。
「あの、店長さんは響己さんのこと、よく知ってるんですか……?」
「え? あぁ違うわよ。沖野さんとは大学時代から知り合いで、ちょっとだけ付き合いが長いの。それ以上でも以下でもないわ」
「はい……」
「あり得ないって言ったのはね。あの人が御影さんのことを手放す気が全然ないのが丸わかりってことよ。オメガの私にわかるくらいだから、アルファはもっと強く感じ取るでしょうね」
「そうですか……?」
「本人にはわからないものよね」
店長さんは笑う。いじわるをされているわけではないとわかるけれど、それでもいまいちピンとこない。
「それに、安心して。あの人が御影さんを番にもせず放り出すようなら、私と旦那でボコボコにしてあげるから」
「えっ! いえ、暴力はちょっと、その」
「あら、大げさじゃないわよ? 番のいないオメガがアルファの元に置かれるなんて一大事なんだから、きちんとしてくれなきゃ困るわ。宙ぶらりんで囲われたままなんて、御影さんも嫌でしょう」
「ぼくは、……」
アルファとオメガがひかれあって、お互いに唯一のつがいになる、なんてのは、夢物語。
ぼくたちがアルファに引き取られるとき、そこにはたくさんの計算が差しはさまれる。
ある程度表に出せるくらいの器量はあるか。わきまえて、謙虚でいられるか。健康な子どもを産めるか。生まれた子どもを育てられるか。子どもができたとしても、つけあがらずにいられるか。
全部、おめかけさんとしての基準。
夜の街を飛び交う愛に本物なんてない。
言葉を変え方法を変え、それでもみんなが言っていたことがぼくだけ例外なんてあり得ない。
宙ぶらりんの立場でも、響己さんがやさしいままでいてくれるなら、それ以上は望まない。
だからわきまえないといけない。
だけど、のどが詰まったみたいに言葉が出てこない。
「御影さん?」
「あなた、ミカゲっていうの?」
ふしぎそうな店長さんの声をさえぎるみたいに、小さな影が割り込んだ。
ぼくの隣にえんりょなく座り、ぼくの顔をえんりょなくのぞきこんできたのは、ツインテールの少女だった。
さっきまであのやわらかい床のスペースで、小さな子たちと遊んでいたはずなのに、いつのまにか近くに来ていたみたい。
あっけに取られるぼくをにらみ「ねぇ、どうなの」なんて怖い声を出すので、ぼくはあわてて首を何回も縦に振った。
「はい、ぼくは御影です」
「ふぅん。どんな字?」
「えぇと……そういう名前の石があって」
ぼくはがんばった。「ご飯のご」とか「防御のぎょ」とか、知ってる限りの単語で御影の「み」を説明したけど、どれも「知らない。習ってない」と言われてしまえばそれまでだった。
みかねた店長さんがペンを持ってきてくれて、カウンターのナプキンに漢字を書いて見せたところ、「ふーん。変なの」と言われてしまった。
無事伝わったけど、なんだかどっと疲れた。
「ミカゲは新顔よね。まずはあたしにあいさつがあるべきだと思うんだけど?」
「あっ、そういうシステムなんですね。はじめまして、ぼく御影です」
「最初からそうしてればいいのよ。あたしはヒナ。あっちにいるのがニイナとコージュ」
「ニイナさんとコージュくんにも挨拶したほうがいいかな」
「あの子たちにはあたしから言うからいいわ」
ヒナさんはまるで物語のお姫さまやお妃さまみたいに、威厳のある少女だった。
さっきの店長さんの質問に答えなくてよくなって、少しほっとしたのだけど、こっちはこっちでいろいろと質問責めにあう。
どこから来たのかとか、どこの学校に通っているのかとか、好きな教科とか、好きなスポーツとか、積み木はうまいか、あやとりはできるか、家にテレビゲームはあるか……。
どれもこれもうまく受け答えできないぼくが唯一ほめられたのは、家にテレビゲームがあることだけで、響己さんがくれたそれを伝えると「ふーん。やるじゃん」と言われた。なにがどうやるのかちっともわからない。
「てかさ。ミカゲ、そんなおしゃべり下手で生きてけるの?」
ぼくよりよほどおしゃべり上手なヒナさんが、足をぶらぶらさせながら問う。
「あんまりうまくは生きられなかったから、これからがんばろうと思ってるんだ」
「ふーん。それはいいココロガケね。ミカゲ、生きるの下手そうだもん」
「ヒナさんはかしこいし、物知りだから、上手く生きられそうだね」
「当たり前でしょ? あたし、アルファだもん」
こんな小さな子でもバースを知っているのかと驚いた。
でも考えてみれば、ぼくも小さな頃にオメガと診断されて、それがきっかけでお店に引き取られたのだからふしぎなことじゃないのかも。
「そっか、ヒナさんはアルファなんだ」
「そーよ」
「……」
「……なんかないの、言うこと」
「え?」
「ミカゲはオメガでしょ? ヒナはアルファだから、すごいとか、うらやましいとか、そういうのないのって言ってんの」
そういうのないのと言われても、なかった。
アルファ相手にうらやましいなんて思わない。
しいていえばうらやむ相手はベータだ。彼らには発情期がないし、オメガの発情もアルファの威圧も感じとるすべを持たない。
それにアルファは、怖い。
ヒナさんくらい幼ければ大丈夫だけど、アルファがいると無意識に身がすくむ。肩がこわばって、口元が勝手に笑みの形に固まる。
そうならないのは響己さんだけだ。
ぼくがそんなことをぼうっと考えていたのが、ヒナさんを不機嫌にさせてしまったのか。彼女は高いカウンター椅子から飛び降りて、ニイナさんたちのいる席へ行ってしまった。
「ごめんね御影さん。相手してくれてありがとう」
なぜか店長さんが申し訳なさそうに礼を言ってくる。
どうやら彼女たちとその親御さんは常連で、ヒナさんはいつもあんな感じらしい。止めても聞かないので、ぼくがふつうに相手してくれて助かったとのこと。
「でもヒナが絡むの、普段は同じくらい常連の方だけなの。あれで人見知りなとこがあって、妹のニイナを守ろうとしてるのよ」
「ニイナさんがオメガだからですか」
「この距離でもわかる? その通りよ。最近診断が確定したらしくて、アルファとして妹を守ろうって躍起になってるみたいなの」
「そうなんですか……」
そう聞くとなんともほほえましい話だ。
ぼくは見慣れないオメガとして警戒されたのだろう。同じオメガに危害を加えるものは少ないが、ベータよりはオメガのほうがある意味危険かもしれない。ぼくのいたお店もオメガばかりたくさんいたから、ケンカや仲違いは日常だった。
でもあんなに小さな子に嫌われてしまったと思うと、ちょっぴりへこむ。
気まずいまま半分ほどに減っていたカフェオレを最後まで飲み干し、おいとましようと腰を上げた。
お財布をポケットから取り出して、ふと下に気配を感じる。
「これあげるわ」
「え?」
まっすぐにぼくを見上げるヒナさん。
まっすぐに差し出されているのは、一輪のお花だ。
何も見ないで「花を描け」と言われたときに思い浮かぶような花弁の黄色い花。長い茎が湿っていて、今まさにどこかの花瓶から取ってきたような切り花だ。
戸惑うぼくに花が突きつけられ、反射的に受け取ってしまった。
ヒナさんは満足げにしている。そこへ店長が目をむいて割り込んできた。
「ちょっとヒナちゃん何してるの! それテーブル席のお花でしょ!」
「ヒナがミカゲにあげたの。だからもうミカゲのものよ」
「お店のものなんだけど!?」
「ふん、ケチね。お金なら出すわ」
「あなたのご両親が稼いだお金でしょうが!」
妙にテンポのいい言い争いにはさまれ、ぼくはなぜだか笑ってしまった。
ヒナさんが常連だというのもうなずける。店長とヒナさんは年齢も背丈も全然ちがうのに、とても仲良しだ。
「店長さん、よかったらこの花いただけませんか? お花のお代はぼくの会計につけてください。ヒナさん、どうしてこのお花をぼくに?」
しゃがんで目線を合わせると、年のわりに大人びたひとみが輝くのがよく見えた。
「そんなの決まってるわ。予約よ」
「よやく?」
「いつかミカゲがあたしのことすごいアルファだってみとめたら、ツガイにしてあげる。そのための予約よ」
「え……」
この黄色い花にそんな重大な意味があったとは。
お金の問題とかじゃなく受け取ってはいけないのでは、と思ったときにはもうヒナさんはスカートをひるがえして、お母さんたちのところへ戻ってしまった。
ちらりと見えた耳や頬がとても赤くて、照れていたのかもしれない。
ぼくは店長と顔を見合わせて、困り笑いを浮かべるしかなかった。
「お代はいりませんから、受け取ってあげてください。そしてそのうち完膚なきまでにフってやってください」
「責任重大ですね……」
「あはは。また来てくださいね」
「はい、また来ます」
店長さんが切り口に濡らしたナプキンをくっつけてくれて、ぼくは花がしおれる前に家に帰った。
響己さんの家には見たところ花瓶がないので、空いたペットボトルにいけておく。響己さんが帰ってきたら花瓶がないか聞いてみないといけない。
それにしても、女の子からお花をもらったのなんて初めてだ。
思うよりずっと嬉しい気持ちになるんだなぁ、なんてのんきに家主の帰りを待っていたのだけれど。
「この花は……」
出迎えた響己さんはまっさきにお花に気づいて、一瞬だけ、すごく悲しそうな顔をした。
それからきれいだね、と褒めてくれて、花瓶がないことを残念がっていた。買ってこようかと提案されたけど、断った。
ぼくは響己さんが浮かべた悲しみの正体を知りたかったけれど、聞けなかった。
ただ胸がぎしぎし痛んで、急にお花の黄色が色あせて感じられた。
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