安心快適!監禁生活

キザキ ケイ

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5.首輪外し

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「御影。ここに人が来たら嫌かな」

 いつになく強張った表情でそう告げる響己さんに、ぼくは首をかしげた。

「響己さんのおうちなんだから、誰が来てもいいと思います」
「そうだね。でも今は御影のおうちでもあるよ。御影が嫌だと思うなら、ここは二人きりのおうちのままにする」
「嫌ではないですけど……」

 この家にはふしぎなほどに来訪者がない。
 日用品などを通信販売で買っているはずだけど、呼び鈴が鳴ったことがない。
 響己さんの知り合いだけじゃなく、酔っ払いも、警察の人も、物を買ってほしいという男の人も、神様を信じているか聞いてくる女の人も来ない。
 やってくるのはベランダの手すりに止まる鳥さんたちくらい。

「御影に会ってもらいたい人が二人いるんだ」
「ふたり?」
「一人は、ネックガードを外してくれる人」

 首元に触れると、いつもそこにある感触。
 ぼくの首輪はお店の人にもらったものだ。オメガは絶対に首を守らなきゃいけないからって、とにかく頑丈なものだって。
 お店のみんなのはきれいな模様が入ってたり、レースみたいなすてきな形だったりしていたけど、ぼくの首輪は黒くて分厚くて硬い。
 おかげさまで、一度も壊れたり欠けたりしたことがないし、つけたままでお風呂にも入れる。不意に首を噛まれても絶対につがいにされない、安心首輪。

「じゃあ、お店のひと、ここに来る?」
「いや来ない」

 響己さんがあまりにもきっぱり言うものだから、ぼくは思わずうなずいたけれど。
 首輪のカギは、首輪を買ったお店の人が持ってるんじゃないのだろうか。カギを持っている人を呼ばないのに、首輪を外してくれる人が来るという。
 ぼくがわからないなりにうなずいたせいか、響己さんは話を進めた。

「もう一人はお医者さんだ。御影をここに連れてきたばかりの頃、お医者さんを呼んで薬を出してもらったことは話したね。その人をもう一度ここに呼びたい」
「お医者さんって、病院に行かないと会えないんじゃ?」
「数は少ないけど、おうちに来てくれるお医者さんもいるんだ。あのときの御影は動かせる状態じゃなかったからね」
「へぇ……」

 お医者さんがおうちまで来てくれるなんて、すばらしいことだ。
 ぼくの仲間は病院に行けない人たちがたくさんいて、痛くても苦しくても咳が止まらなくても、体を治す薬は手に入らなかった。お店の人が買ってくる湿布や包帯を自分たちで使うくらいしかできなくて。
 ぼくよりもっとつらいだろう彼らより先に、ぼくがお医者さんにかかることになって後ろめたい思いがつのる。
 でも響己さんがお医者さんを呼びたいと言うからには、ぼくが拒否するのは変だし。

「あのね、ぼく病院に行くよ。ここまで来てもらうのはお医者さんに悪いから」
「……あー、いや、……」
「あ……そっか」

 響己さんの、ものすごく変なものを噛んだみたいな表情を見て、ぼくは思わずちょっとだけ笑ってしまった。
 響己さんが、ぼくを外に出したくないんだった。

「その、お医者さんと、首輪の人。気が向いたら、来てもらってください」
「わかった、ありがとう御影」

 ほっとして笑う響己さんにぼくも笑いかける。
 お医者さんは次の日にやってきた。
 どうやら響己さんがお医者さんを呼んだというよりは、お医者さんのほうがぼくの心配をしていてくれたらしい。

「まぁまぁ、すっかり顔色が良くなって」
「あ、あの、ありがとうございます」
「お行儀がいいのね。どれ、体の音を聴かせてちょうだい。それから口を開けて」
「あー……」
「そうそう、はい、いいわよ」

 服のすそをほんのすこしたくし上げて、そこから聴診器を入れて。
 口は反対に目一杯開けさせられて、舌の奥まで見られて。
 一通りぼくを診察したお医者さんは、にっこり笑った。

「どうなることかと思ったけれど、すっかり元気になったわね。安心したわ」

 おうちに来たお医者さんは、なんとおばあちゃんだった。
 この家に来て初めて呼び鈴の音を聞いて、響己さんが玄関に迎えに行ったのも納得のヨボヨボ具合だった。腰が曲がっていて杖をついていて、思わずぼくもお医者さんの体を支えるために廊下を走った。
 駆けつけたぼくをおばあちゃん先生は目を丸くして見つめて、それから笑ってくれた。「元気になったわね」って、先生がここに来てからもう5回は聞いてる。

「響己ちゃんがオメガの男の子を保護したなんて聞いたときは、どうなることかと思ったけれど。きちんとした子だし、すぐに元気になったし、あたしもそろそろお迎えかね」
「縁起でもないこと言わないでください先生」

 どうやらおばあちゃん先生は響己さんのことを昔から知ってるみたい。
 お祖母ばあちゃんってこういうものなのかな。ぼくにはお祖母ちゃんもお祖父じいちゃんもいないからわからないけれど。
 先生は、発情の熱をおさえる薬をまた出してくれた。
 お医者さんが紙を出して、それを薬局に持って行くという流れをぼくはテレビで知っていたのだけど、おばあちゃん先生は一人で診察も処方もできるすごい人だった。

「御影、どうだった? 緊張したり、嫌な気持ちになったりは?」
「なかったよ。響己さんこそ嫌だったんじゃない?」
「……否定はできない」

 ぼくもずいぶん響己さんの気持ちがわかるようになってきた。
 くすくす笑うと、響己さんはふてくされたように唇をひん曲げて、でもすぐに仕方なさそうに眉を下げて笑う。
 そうだ。あの日から響己さんは、困った笑顔にならなくなった。
 眉をへにょんと下げて笑うときこの人は、どうしようかなって困ったり迷ったりしていたのに。手を取り合って、涙をぬぐったあの日から、響己さんの固かったところが少し取れたのかな、と思う。

 お医者さんが来た日からそれほど間を置かず、この家に再びおとずれる人があった。
 まだ聞き慣れない呼び鈴が鳴って、響己さんが玄関へ向かう。
 もしかしたらまたヨボヨボのおばあちゃんかもしれないので、ぼくもリビングから出た。廊下をのぞくとちょうどドアが開くところで。
 ひと目見て、わかった。同じだって。

「おじゃましまーす。……お、そちらがもしかして?」
「あぁ御影、見に来てたんだね。紹介しよう、彼は宇佐見さんだ」
「はじめまして、ミカゲ氏。『首輪外し』の宇佐見でーす」
「は、はじめましてっ。ぼく、み、宮田みやた 御影といいますっ」
「あははーガチガチになっちゃって。沖野おきの氏ィ、この子かわいいね」
「あげないよ」

 気安い会話をする二人をぼくはぽかんと見つめた。
 宇佐見さんは、ぼくとも響己さんとも違った雰囲気を持っていた。着古したTシャツにジャージのパンツ姿。玄関で脱いだ靴はサンダルだった。なにもつけていなさそうな髪は無造作風じゃなく、気にしていないだけなんだろう。
 なによりぼくが惹かれたのは、無造作前髪の間からちらりと見える灰色の目だった。

(……きれい……でも、かなしい色)

 なにも気にしていないような気軽な雰囲気にまったく似つかわしくない瞳だ。
 がさがさに乾いた土になんとか水を含ませている、そんな色。死にたくなるくらいかなしい思いをした人の目だと思った。そんな目を幾対もみてきた。鏡の中にも「それ」はある。
 言葉もなく見つめ合ったのは一瞬だった。
 でも宇佐見さんはぼくがどんなことを思ったのかわかってしまったみたいで、おどけたように肩をすくめた。

「警戒されてるわけじゃないみたいだね。上がらせてもらっても?」
「あぁ、どうぞ」
「御影氏もいいかな?」
「あっはいっ、こちらへどうぞ!」

 ぼくが廊下をふさいでいたから宇佐見さんは入ってこられなかったんだ。失敗した、恥ずかしい。
 ぼくは追い立てられたねずみみたいに素早く廊下を駆け抜けて、リビングへもどった。
 お客さんが来たときはどうすればいいんだろう。お店と同じでいいのかな。それなら飲み物を出さなきゃ。
 キッチンの方へ行きかけたぼくは、二人に止められた。

「御影はソファへ。宇佐見さんはきみのお客様だからね」
「そうそう、高級なお茶とか高級お茶請けとかは沖野氏に用意させればいいよ。御影氏はこっち」
「あ、あの……はい……」

 お茶とお茶請けを「高級」に限定されてしまった響己さんが、なにかもの言いたげにしつつ無言でキッチンへ入っていく。
 ぼくらはそれを見送って、少しだけ笑い合った。

「出てくるかな? 高級なお茶」
「どうでしょう……コーヒーはおいしいですよ」
「そうなんだ、ではお茶請けの方に期待しよう。……さて」

 二人がけのソファで膝をつきあわせ向かい合う。

「御影氏、きみはこの首輪を外したい?」

 宇佐見さんのふざけた空気が消えて、真剣なまなざしだけがまっすぐにぼくをつらぬく。
 自分の欲望のためだけに、オメガをだまして首輪を外そうとするアルファはいくらでもいる。そうしてだまされて、痛々しい傷を負わされて去っていったオメガをたくさん見てきた。
 ぼくが首輪を外す日が来るなんて、思ったこともなかった。けれど。

「外したいです」
「沖野氏は嘘をついているかもしれない。御影氏を騙して、貶めて、自分のためにオメガのうなじを噛んで満足したいだけかもしれない」
「響己さんは優しいです。そんなことはしないと思う。いつもぼくの意思を確かめようとしてくれる」
「私利私欲のためにオメガを手に入れようとするアルファはなりふり構わない。御影氏も、そういう酷い現実を知っているんじゃない?」
「知ってる。でも響己さんはだいじょうぶだから。それに」

 ここまで信じたアルファに裏切られたら、どのみちぼくはきっと、もう二度と。
 微笑むぼくの目をじっと見て、宇佐見さんはゆっくりとうなずいた。

「御影氏の意思を確認した。この仕事、請け負うと沖野氏にも伝えるよ」
「はい。……あ、そういえばあの、沖野っていうのは……響己さんの名字ですか?」
「……ちょっと待て。名字も知らないの? やっぱりこの仕事はナシだ」
「あっ待って宇佐見さん! ぼくが聞かなかったのが悪いんですっ、ぼくずっとここにいるから、名字を知らなくても困らなかったからっ」
「…………」

 顔半分が前髪で隠れていても、宇佐見さんがものすごい表情をしていることがわかってしまう。
 そこへタイミング悪く、響己さんがどこからか出してきたきれいな缶入りのクッキーを携えて、お茶を持ってきたものだから。

「沖野響己。そこへ座れ。詳しく事情を説明しろ、そうでなければ首輪は外さない」
「えっ。はい……」

 世にも珍しい、ソファで足組みするオメガの前に、床で正座するアルファという場面が繰り広げられたのだった。
 ぼくはあわあわしながらなりゆきを見守るしかなくて。
 でも響己さんはぼくを閉じ込めてはいるけれど、ぼくはいやじゃないし、生活には何不自由なくしてくれて、料理もおいしいし、お医者さんも呼んでくれたし。
 ぼくの必死の取りなしが上手くいったのか、最後は宇佐見さんも首をタテに振ってくれた。ものすごく大きな溜め息つきだけど。

「アルファってすぐ監禁するよな、テンプレでもあるの? まぁいいや。仕方ないから今回は仕事するけど、御影氏のきちんとした許可を得る前に不埒なことしたら、千切る・・・からね」
「肝に銘じるよ」
「御影氏も。その場の雰囲気とか、恩があるとかお金を払ってもらってるとかそういう理由じゃなく、きちんと自分で考えるんだよ。オメガのつがいは一生ものだからね」
「はい。心配してくれてありがとう、宇佐見さん」

 それから宇佐見さんは少し冷めたお茶をぐっと飲み干して、来たときから小脇に抱えていた四角い革鞄を開けた。
 中から何本かの細い針金を取り出して、ちょっと曲げたり重ね合わせたりしたあと、ぼくの首を傾けさせて、普段は隠されている鍵穴を露出させ、針金を差し込む。
 かちっ。

「外れたよ」
「え?」

 宇佐見さんが首輪に触れて、5秒も経っていなかった。
 ずるりと黒い金属の半円がずれて、ソファの上とぼくのひざに転がり落ちる。

「それじゃあ帰るね。くれぐれも御影氏に無理させないようにね、沖野氏」
「あ、あぁ。もちろん」
「御影氏、沖野氏が嫌になったらここへ連絡して。まっとうなオメガ用シェルターから反社会的な逃げ道まで、なんでも用意するから」
「は、はい……」

 手早く荷物を片付け、宇佐見さんは去っていった。
 ぼくも響己さんもなんだかぽかんとしてしまって、お見送りにも行かなかった。
 あとに残されたのは飲み残しのないお茶のカップと、ひとつ持ち去られた高級クッキー、それから外れた首輪だけ。

「『首輪外し』ってすごいんですね……」
「わたしもあんなにすごいとは思ってなかった……でもこれで、御影に選んでもらえる」

 響己さんはただの金属の塊となった首輪を片付け、なにやら箱を持ってきた。
 模様もなにもない白い箱を開けると、きれいな首輪があった。
 透かし彫りみたいなかたちの繊細な金属はふしぎとあまり冷たくなくて、うなじをすっぽり覆うくらい幅広だ。
 かたわらに同じ模様の入ったカードタイプのカギもある。

「なるべく首や皮膚に負担のかからないものを選んだ。それから、簡単に外せないものを。御影にこれをつけてほしいんだ」
「……きれいですね……わ、軽い」
「えっ、もうつけたの?」
「え? はい」

 ぼくが流れるように首輪をつけたので、とても驚いたらしい。
 響己さんがつけてほしいって言ったからつけたのに。ぼくがくすくす笑うと、響己さんはばつが悪そうにちらりと玄関の方を見た。

「宇佐見さんに散々脅されたからね……でも御影、宇佐見さんの話じゃないけど、嫌なことやしたいことがあればすぐに言ってくれ。できるだけ叶えるし、御影の意思を無視して首に触れることは絶対にしないと誓う」

 響己さんは今だって、ぼくの手にしか触れない。
 いつだってやさしい言葉と態度で、最低限しか触れないんだから嫌なことなんてあるはずがない。

「響己さん。首輪、ありがとうございます。気に入りました」
「あぁ、気に入ってもらえて嬉しいよ」
「はい。だから響己さん、この首輪を外したくなったら言ってくださいね」

 つけさせるからには、いつかは外したいのだろう。
 ぼくの言葉は響己さんにゆっくりゆっくり届いたみたいだ。
 ゆっくり見開かれていく目にぼくは、いたずらが成功した子みたいに笑った。
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