安心快適!監禁生活

キザキ ケイ

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4.訣別

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 細かな傷が無数についた、持ち主のいない黒いネックガードを放ると、その男の顔色があからさまに変わった。

「あんた、どうやってこの首輪、」
「外したんだよ。きみたちがカギをよこしてくれないから」
「……」
「オメガのネックガードは原則オメガ自身が管理する。他人がカギを持っていたら望まない相手にうなじを噛まれる可能性があるからね。条例でも定められていることだ、知らないわけないよね」

 劣悪な環境だった。優良店とは名ばかりの、売春斡旋。
 中でも御影が勤めていたこの店舗は、嫌がるオメガに発情促進剤を飲ませて本番行為を強要していた。促進剤という名目で違法薬物を扱っていた痕跡すらある。
 薬に過剰なまでの警戒と恐怖を抱いていた、響己の大切なオメガのことを想い、自然と足が出た。
 今なお口をつぐめば逃げ切れると勘違いしているであろう、この店のオーナーの真横に靴底を叩きつける。思いのほか大きな音がした。

「こちらも大ごとにしたいわけじゃない。あの子の安寧のために一筆書いてくれ。きみたちが彼の稼ぎを横取りするためにでっち上げた、本来は初めから存在しない『御影の借金』は『完済』されたと。あの子はそういうのを気に病むからね。それと、まだあの子の荷物は捨ててないんだろう?  全てこちらに渡してもらおう」
「……そう簡単に従うと思うか」
「従うよ。まさかこの期に及んで、自分の命よりあの子を取り戻したいだなんて、戯言を吐くつもりじゃないだろうね」

 背後に控えている黒服の男たちが一歩踏み出すと、オーナーは目に見えて狼狽えた。
 事務机の下から紙袋が出てくる。御影に聞いた特徴通りのリュックに財布、いくつかの日用品に衣類、それから端のほつれたチェックのハンカチ。
 自分のオメガが自分以外のものに執着する様子は正直不快だったが、感情を全て飲み込み響己は微笑んで見せた。
 幼児のごとき悋気で失望させるより、彼の願いを叶えてやって信頼を得ることの方が大事だ。

「あんた、あいつを番にするのか」

 呻くように掛けられた問いに意味はあったのだろうか。
 ちらと男を見下ろした響己は、今も我が家で部屋の主人の帰りを待つ健気なオメガのことを想う。
 出逢った時には彼はもうボロボロだった。
 いつ呼吸が止まってもおかしくないと言われ、物心ついて以来流した記憶のない涙が勝手にこぼれ落ちた。
 もっと早く見つけてあげられれば。少しでも環境が違っていれば。
 際限なく湧き上がる後悔を、未来の保証という形で押さえ込んでくれたのは他でもない、御影自身だった。

「彼が望むならわたしはわたしを捧げるつもりだ」
「あいつが今までどんな生き方してきたか、知っているのにか。お綺麗なアルファ様は悪趣味だな」
「今まで?  ……ふふ」

 心からおかしいとばかりにくすくす笑う響己を、男は気味悪そうに目を眇めて見た。

「重要なのはあの子が生きてわたしと出逢ってくれたことだけ。そしてあの子のこれからはわたしがもらうのだから、一点の曇りもなく幸福で満たされる」
「……気色悪い。そんな世迷い言じゃあいつの過去は消えないぞ」
「彼の心は清く澄んでいる。何者も御影に爪痕を残すことができなかった証拠だ。彼はこれまでの不遇をなんとも思っていないよ」

 もうここに用はない。踵を返した響己は、何かに気付いて「あぁ」と嘆息した。

「その言葉遣い……彼の自己卑下に語彙を提供したのはおまえか」
「なんのことだ」
「知る必要はない。……少し痛い目見せてやれ」

 二人の黒服に拘束され、男は驚愕し暴れた。
 御影の首輪の鍵を渡すという要求こそ跳ね除けたものの、結局鍵を渡さずとも首輪は外されていた。それに御影の荷物を渡せば手荒な真似はしないという話だったじゃないか。

「気が変わった」

 死に物狂いで喚き散らす男に一瞥もしないまま、地下のかつて売春窟だった店を後にした。
 じきに警察がやってきてあの男を捕らえる手筈だ。そのときに生きてさえいれば文句はないはず。
 あの男も、自らのバックにいる組織に捕まるよりは檻に守られた方が長生きできるとすぐに理解するはずだ。これは善行とすら言える。

「いやその理屈は通らないだろ。こんな悪党丸出しのとこ、ミカゲちゃんに見せられるか?」
「……うるさい」
「出た出た、都合が悪いとすぐそれ。どうせミカゲちゃんの前ではどでかいネコ被ってんだろ?  今度動画に撮って送ってよ」
「おまえが御影の名を呼ぶな。穢れる」
「手伝ってやったってのにその態度はどーかと思いますけど!」

 怒ったように言う割に、そいつは笑っていた。
 腐れ縁だ。彼の後ろ暗い部分に響己は踏み込みすぎないようにしていた。それが今は、利用するにまで堕ちてしまった。

「ネックガードのこと、助かった。おまえにあんな人脈まであったとはな」
「んやぁ、アレは家業関係じゃなくて普通に友達。ゲームで知り合ったやつのフレンド繋がりで」
「……鍵開け師のゲーム友達?  にわかには信じられん」
「ねぇ。俺もびっくりしたけど、腕は確かだし良いやつだろ。おまけにゲームテクも折り紙付きだ」
「それは興味ない。…………いや」

 この男が時折ゲームで遊んでいるところは見かけたことがある。
 ちょっとした暇つぶしにちょうど良いなどと言いつつ、結構嵌っていることも知っている。
 幼い頃から家族がなく、負の面に偏った人間関係にばかり置かれていた御影にとって、打算のない関係性は恐らく存在しない。御影を利用しようとするか、御影を陥れようとするか、あるいは無関心に通り過ぎるだけの者ばかり。
 そんな彼の心を癒すには、響己だけでは不足かもしれないと思っていたところだった。

「そのゲームとやら、詳しく教えろ」
「へ?」
「なんだ」
「いや響己がゲームに興味示すなんて初めて……あぁ、ミカゲちゃんにどうかって?」
「そうだ。まだしばらくは自由にしてやれないし、わたしの家はお世辞にも娯楽が足りているとは言えない。テレビは見るが、あまり興味はないらしいから、あの子が気にいるものを探しているところだ」
「そっかそっか。それならすぐ手配する。他の面白そうなゲームもセットでな」

 いきなり男が愉快そうにスマホをいじりだし、それが響己の家にゲームの一式を宅配するためだと気付いて、慌てて止める。

「どうしたいきなり。詳細を教えてくれるだけでいいと」
「いいんだよ、善は急げだ。響己おまえ自覚してないと思うけど、他人のためにそんな風に思ったり行動したりなんて、今まで一度もなかったことなんだぜ?  そんな親友に俺が一肌脱がずにいつ脱ぐってんだ」
「……」

 他人のために。
 言われてみればそうだった。なんの疑問もなく、煩わしいはずの他人の世話を焼いて、心を砕いて、失う恐怖に怯えて。
 御影のためならなんでもできる。苦労は惜しまない。彼の苦痛を全て取り除いてやりたい。
 そうしていつか、御影が憂いも痛みもなく笑ってくれる日が来たら、響己はそれだけでいいと、本心から思っている────。

「恩に着る」
「おう、貸しひとつだぜ。なぁ、ミカゲちゃんは何色が好き?  このゲーム機、コントローラーの色が左右で何色もあるからさ」
「……取っ手の色に何の意味があるんだ?」
「何の意味もなくてもいいだろが!  ほら、わかんないなら今電話かけて聞け!」
「……」

 渋々自宅に電話をかけ始めた響己を、親友の男はいつまでも穏やかな笑みで見守っていた。
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