安心快適!監禁生活

キザキ ケイ

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3.薬と首輪

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 見知らぬ家に閉じ込められている、という現状を自分なりに飲み込むことができるようになってから、ぼくはたずねた。
 外に出てもいいですか、と。

 こう見えてぼくははたらいている。
 昔からずっとやっていることなので慣れているし、職場と同じ場所に家もあるから通勤ゼロ分でとても便利だ。仲間たちは女オメガばかりだけど、たまに男オメガが入ってくることもあって、そういう人たちに仕事のコツを教えたり、体調不良がないかどうか管理したりする立場だったりする。
 だからきっと、ぼくがいなくなって困っていると思う。
 いや、ぼくのかわりはいくらでもいるけど、職場のすみっこに置いてあったぼくの荷物とか、寝るときに使っていたぼろのカーペットとか、いつも邪魔だっていわれていたから。
 もう何日も無断欠勤で、そういうキャストはすぐクビになっていたから、ぼくもたぶんクビだろう。
 だけど荷物は取りに行きたい。あのまま置いておいたらきっと捨てられてしまう。
 正直、荷物の中で取っておきたいものって思い浮かばないんだけど、わずかばかりお金の入った財布とか、使い古しなのに丈夫で全然壊れない大きなリュックとか、昔仲間にもらった好きな色のタオルハンカチとか。
 捨てられてしまうと思うと、ちょっとだけ惜しい。

「どうして?」
「え?」
「どうして外に出たいの?」

 青と緑のチェックのタオルハンカチに思いを馳せていたら、つめたい響己さんの声が思考を割った。

「えと、あの」
「ここは安全でしょう。嫌なことも、痛いことも苦しいこともない、お金もかからないし、きちんとしたベッドだとよく眠れるって嬉しそうにしていたじゃないか。どうして外に行きたいの」
「あ、の、ぼくの、家に、職場、に」
「職場? きみを道具以下に使うあの場所に何の用があるの。行かせないよ。きみをみすみす壊させるわけにいかない。あんなところには、二度と」
「ひびきさんっ」

 いつもおだやかに、ゆっくり、ぼくが怖くないように語りかけてくれる響己さんが、怖い。
 ぶるぶるふるえる腕を力づくで握りこんで、ぼくは必死に顔を上げた。
 おどろいたように固まっている響己さんの目を見つめる。

「ぼく、言葉をまちがえました。職場に、ぼくの持ちものが置いてあって、捨てられたら悲しいから取りに行きたかっただけなんです。でももういいです、きっともう捨てられてしまっただろうから。だから、いいんです」
「……みかげ」
「ぼくはここにいます。痛いことも苦しいこともないから」

 本当は、苦痛はない代わりになにも対価を払わない今を、居心地がわるいと思わなくもなかった。
 響己さんはぼくを使わないし、ぼくがしていることといえばつたない家事と、寝ることだけ。存在価値はないに等しい。
 でもそんな後ろめたさを、こんな顔をしている響己さんに投げかけていいとは思えなかった。
 響己さんはしばらくだまっていた。
 ぼくはずっと目を見ていることができなくて、すぐにうつむいてしまった。人の目は、見えすぎる。疲れてしまう。
 どれくらい経った頃か、響己さんがみじろいだ。ぼくの手におそるおそる触れて、そっと持ち上げられる。
 倒れたときや体を洗ってもらうとき以外、響己さんは、ぼくの手にしか触れない。

「ごめん、御影。大きい声を出したりして」
「いえ……」
「御影にもうこれ以上傷ついてほしくないんだ。それだけなんだ。御影が外に出たがっていることは知っていた、でも出したくなかった。外は危険がいっぱいだろう? おまけに御影はまだ体調が悪いし、外で倒れたら、今度こそわたしが助けられなかったらと思うと……頭がどうにかなりそうなくらい、苦しいんだ」
「ひびきさん」
「御影、どこにも行かないで。ここにいてくれ。いつか飛び立ってしまうとしても……今だけは……」

 いつだってぼくを包み込むように守ってくれている響己さんの、弱々しいおねがい。
 包むように握られている手を、響己さんの手にかさねる。
 ぼくから響己さんに触れるのは────ぼくが「つとめ」のつもりで触れた以外では────初めてのことだった。

「響己さんも、こわいの?」

 つながる肌に力がこもる。苦しそうな吐息がもれる。

「怖いよ、怖い。なにかを怖いと思ったことなんて今までなかったんだ。どうしたらいいか全然わからない。わからないことは怖い」
「うん……」
「御影がわたしを怖がりにしたんだ。御影だけが……」

 しおれた花みたいにうつむいてしまった響己さんの、しおれた葉のように垂れさがる髪に触れる。
 ぼくが苦しいとき、怖いとふるえていたとき、こうしてくれた仲間たちがいた。あのとき与えられたやさしい気持ちを、ぼくも響己さんへわたしたかった。

「ここにいます」

 指の間を通り抜ける髪はさらさらと手触りがよくて、ぼくのものとは大違いだ。
 なのに、ぼくも響己さんも怖くて泣きそうなところはおんなじ。
 同じなんだ、この人も。
 この夜ぼくと響己さんは、どうしてもはなれがたくて、いっしょに座ったソファで眠り込んでしまった。
 朝方目が覚めたとき、ぼくも響己さんもソファに倒れこんだみたいに寝ていて少しおかしかった。でも握った手だけは、離れていなくて。
 ぼくはそれがとても心地良くて、もう一度眠った。

 響己さんがどうしてぼくをここに閉じ込めているのか、少しだけわかった夜。
 その日のできごとが、ぼくに勇気を与えてくれた。
 ぼくが恐ろしいのとおなじように、響己さんにも恐ろしいがある、ということ。

「響己さん。この薬は、どういうものですか」

 夜、仕事から帰ってきた響己さんが手渡した白い錠剤を手にのせたままたずねる。
 ぼくにとって薬は良くないもの。
 響己さんがぼくを「使わない」から、子どもができないようにする薬は必要ない。同じ理由で、ぼくの苦痛を取りのぞく薬でもない。
 それならこれはお店で渡されるようなものじゃなくて、いじわるなお客さんがときどきぼくに無理に飲ませたり、腕に突き刺してくる薬ではないのか。
 たどたどしく、言葉につまりながらそう聞くと、響己さんはとてもおどろいたみたいだった。
 いつになくぼくの手を強くつかんで、でも乱暴にはならない強さでソファにつれてかれる。
 響己さんの顔色は少し悪かった。膝が触れあうかたちで二人座って、しっかり目を見つめ合いながら、説明してくれた。

「この薬は、御影の体を正常に戻すために、お医者さんが処方してくれたものだよ。オメガ特有のホルモンのバランスを調整するための薬だ」

 響己さんから渡された紙には、一度も聞いたことのないカタカナの薬剤名が書かれていた。
 そこにはたしかに、過剰に生成されているホルモンを減らす薬という解説がくっついている。響己さんの説明とちがうところはない。

「今御影は、ずっと微熱が続いている。それは、弱い発情が続いてる状態なんだ。長い発情期は負担が大きい。それがずっと続くとなれば、御影の体の負担は計り知れない。だから御影がここにきたばかりの頃、お医者さんが来てくれて、薬をもらったんだ」
「そう、なんですか……」
「御影の状態がもう少し良くなったら、お医者さんを交えて説明するつもりだった。不安にさせてごめん……、……」
「響己さん?」

 響己さんのきれいな青い瞳が、みるみる潤んでいく。
 涙は流れなかった。響己さんが乱暴に目元をこすってしまったから。でも泣きそうだった。

「どうしたの? どこかいたい?」
「痛いのは御影だよ! あの日、あと少しでも保護するのが遅れていたら死んでいたかもしれないって言われたんだ。御影がこんな状態だったのに、わたしは、それを知りもしないで……きみを、失うところだったんだ……!」
「ぼく、そんなにひどかったんだ……」

 目元にこぶしを強く押し当ててうつむく響己さんの頭をさらさらとなでる。
 年齢や背丈だけで言えば、こうして頭をなでるのがぼくのほうだというのは、響己さんにはクツジョクかもしれない。でも嫌がられたことはないので、ぼくは響己さんがつらそうなときこうすることに決めている。

「あの日、響己さんがぼくを見つけてくれたから、こうしていられるんだ。その前の、響己さんがぼくなんかのこと知りもしなかったときのことを悲しんでもしかたないよ」
「……っ、だが……っ」
「だいじょうぶ、響己さんは失ってないよ。ぼくはここにいるよ」

 この数日間でわかってきたこと。
 響己さんにとってぼくは、ぼく自身が思っているより大事な存在で、見えないところに行ってほしくないし、死んでほしくないと思われているということ。
 そんなふうに思ってもらえたことなんてないから、ぼくはどうすればいいかよくわからなかった。
 わからないなりに、この家にいればいいのかと思って、おとなしくしていた。けれどそれだけじゃ、足りなかったんだろう。

「ひびきさんがいらないと思う日まで、ぼくはここにいるよ」
「……いらないなんて、思うわけがない……」
「そっか。じゃあぼくたち、ずっといっしょだね」

 ずっといっしょ、なんて、幼い頃にちょっとだけ読んだ絵本のなかにも出てこなかった言葉だ。
 そんな不確かで、なんの役にも立たない世迷い言のような誓いで、響己さんはついにひとつぶだけ涙をこぼした。
 ぼくはそれを見ないふりして、ただひたすら髪をなでた。
 片手に白い錠剤、片手に響己さんをなでなでの状態でしばらくたった頃。
 そのうち響己さんが鼻をすする音もやんで、つかまれていた手を離される。コップを渡されたので薬を流し込んで、また向かい合った。

「あのね、ぼくずっと聞きたかったんだけど」
「なに、御影」
「響己さんはぼくに、したいこととかない?」

 持ち直した響己さんのメンタルが、再び崩れる音が聞こえるようだった。
 真っ青になった響己さんが、揺れるみたいに首を振って「そんなことをさせるために御影を保護したんじゃない」と繰り返す。
 もはや響己さんのほうがよっぽど病人みたいで、ぼくは少しだけ笑ってしまったけれど、響己さんは全然笑いごとじゃないと怒り出してしまった。

「ごめんなさい、響己さんがぼくを『使う』つもりがないのは、もうわかったから。そうじゃなくて、ほら、なんだっけ……アルファの、独占欲?」

 アルファという人々は強い人が多い。それは肉体的なものや、頭の良さだけでなく、欲についてもそうだと聞いたことがあった。
 ぼくのいたお店で、キャストがお店をやめていくことはときどきあった。
 よくない道へ足を踏み入れてしまって、二度と会えないところへいってしまう子もいたけれど、そうじゃない人とも二度と会えないと言われていた。
 アルファがオメガを見初めたときだ。
 アルファはオメガに対する独占欲がとても強くて、徹底的に囲い込む。自分以外を見ないように視線の先まで管理したがると、ぼやくオメガ仲間は多かった。
 ぼくはここ数日響己さんの家にずっといて、閉じ込められている。でもそれ以外は、なにかをしろと言われたことはない。
 家事は自分が勝手にやっていることで、薬を飲ませるのはお医者さんの指示。響己さん自身の要望はないのかと、少しふしぎに思っていたくらいだ。

「でも、昨日から渡される服がいままでと違ってて、これって響己さんのシュミ、だよね?」
「……」

 これまでは、ぼくも知っている大手量販チェーンの無地の服が渡されていた。服の種類によってはサイズが違うこともあって、響己さんが歯がゆそうにしていたことには気づいてた。
 でも昨日の、ぼくがハダカで脱衣所を出てしまった日から、ぼくのための服は明らかに質のいいものに変わった。
 手触りがよくて、襟ぐりが広めにとられていて、裾が長めであわい色の服。

「好きな服を着てほしいと思ってるなら、もっといろいろぼくにしてほしいこととか、変えてほしいこととかあるんじゃないかなって思って」
「……」
「ぼく、できるだけ変えられるようにがんばるよ?」
「あぁもう、御影はどうしてそういうところだけ鋭いんだ……」

 観念したとばかりに首をふる響己さんに、ぼくは得意げに胸を張ってみせた。
 長年の接客業で、相手の要望はなんとなくわかってしまうのだ。
 いつだってやさしい響己さんは、ためらいがちに手を伸ばしてきた。触れたのはぼくの首だった。

「ネックガードを外してほしい。そして、わたしの選んだものをつけてほしい」

 この要求はごもっともだった。
 首輪はオメガの首を守るためにある。
 オメガは発情期に首のうしろ、うなじをアルファに噛まれると「つがい」というものにされてしまう。
 アルファのつがいになったオメガは、そのアルファにしか発情しなくなる。それどころか、他の誰かに触れられるのを嫌がるようになる。
 そうなるとおつとめはできないし、つがいになった発情期でだいたい妊娠してしまうので、お店のオメガはお店が用意した分厚くて絶対に外せないネックガードを装着することになってる。
 ぼくの首にも黒くて分厚い首輪がはまっていて、きっと響己さんはずっとこれが気になっていたんだろう。

「ぼくはいいけど、この首輪、外せないんです」
「知ってる。外せるなら外していいんだね?」
「はい。この首輪あんまり好きじゃないし、重いから、外せるなら外したい」
「わかった。すぐ外そう。それからわたしの用意したものをつけてくれ。それでいいね?」
「はい。……でもぼく、新しい首輪、必要?」
「………………」

 響己さんは長いこと固まって、いろいろなことを考えていたみたいだったけど、ぽつりと「必要だ」とだけ言って、それ以上はなにも言わずに寝室へ引っ込んでしまった。
 薬の心配がなくなったその日ぼくは、とてもよく眠ることができた。
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