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後天性オメガの不合理な結婚
3.罪作りな花
しおりを挟む「花屋の友人からたくさんもらってしまって……少しもらってくれませんか?」
目の前に捧げられた立派な花束に、内心「なるほどな」と思いながら黙って受け取った。
ほっとした表情の久我が、大きすぎる花束の隙間から見える。もらったという理由が嘘だとは思わないが、すべてではないだろう。
先週は映画館へ行った。その前は有名店のものだという菓子をもらった。ついでに来週末には水族館へ行く予定も入っている。もちろん久我と二人だ。ここに挙げた事柄にはすべて久我が関わっている。
急にプレゼントのようなものが増えた。外出の予定もごり押しで入れられる。つまりはどちらも「ご機嫌とり」だ。
(意外と他人のアドバイスもばかにできないな)
当然のように俺の一人暮らしの部屋に上がり込んだ久我が、鼻歌を歌いながらキッチンへ消えるのを見送る。
独居の独身男の家にあるはずもない花瓶のことより、俺はつい昨日訪れたばかりの店について思い出していた。
叶斗に連れられて行ったバーには、その後何度か訪れた。
初回に叶斗と行ってからは一人で。いつ行ってもだいたいの場合ミヤが絡んできて、おしゃべりなミヤと口数の少ないマスターに挟まれて美味い酒を飲むのが定番になった。
番になってから、久我と毎食を共にするというノルマじみた習慣はなくなった。無意識下では、それが少し寂しかったのかもしれないと今は思う。
「ほんとにその人と番解消すんの?」
「いや、俺に聞かれても。たぶんそうなるだろうなとは思うが」
「ふ~ん……」
今夜も横にミヤが陣取り、カウンター内側の少し先にマスターが立っている。ミヤはロックグラスを手の内で弄びながら、いかにもどうでもよさそうに話を聞くのでこちらとしても気楽だ。
「なにか言われたわけじゃないしな。でも、そろそろ契約を考え直さなきゃとは思っていたから」
「つまり、アルファの方が番解消したい空気出してたってことか」
「空気? ……そうかもしれない」
ぼんやりと過去に思いを馳せる。
久我と番になって一年と数ヶ月。彼のことをだいぶ理解できるようになってきたと感じる。
久我はとにかくまっすぐで素直で、嘘も分かりやすいし隠し事ができない───と、以前は思っていた。
接する時間が増えるにつれ、彼が本当に隠したいことがある場合はボロも出さないということが分かってきた。
例えば、職場の誰も知らない間に発生していたクライアントの問題を誰にも漏らさず片付け、しれっと報告してくる。同僚の失敗をスマートに解決し、本人が何か言うことはない。俺の誕生日祝いも律儀に用意してきたが、当日まで俺はなにも気がつかなかった。
だから俺から見て、久我が誰かに本気の恋をしているのかどうか察することができなくても仕方がないのだろう。
先の事例でも、何かあったのなら相談してほしかったと思った。今もそう思っているが、真面目な久我のことだ、結婚を考えることは俺を裏切ることだと考えている可能性はある。
「男ってさぁ、どうして浮気するんだろうね。本人はバレてないと思うみたいだけどバレバレだし」
自分も男のはずなのに、やさぐれた様子でミヤが言い放つ。
「そういうものか?」
「うんうん。ヤマちゃんの番もよ~く観察したら、意外と分かりやすい行動取ってるかも」
久我に好きな相手ができたとして、それが浮気に当たるかといえば違う気はするが、他に適切な単語も浮かばない。ミヤの言葉に異を唱えることはせず神妙に頷く。
「例えばどんな行動だろう」
「たとえば~、ケータイに触る頻度が増えるとか。仕事を理由に会う時間が減るとか」
「仕事は……職場が同じだからな。すぐバレる嘘になってしまう」
「あーそっか。それ以外なら、妙に優しくなるか、反対に突き放されるようになるとか。プレゼントが増えるとか。着るものがおしゃれになるとか、派手な下着が増えるとか」
ミヤが挙げた内容をもとに過去を思い返してみる。
携帯に触る頻度は変わっていない気がする。少なくとも俺の前では。
久我が俺に接する態度もあまり変わらない。いや、どちらかといえば優しくなった、だろうか。優しいというか、発情期のときはそこまでする必要ないというくらいドロドロに甘やかされているというか。
プレゼントは……一度菓子をもらったが、苦手な味のものを客からもらって捨てるわけにもいかないと引き受けたから、贈り物には換算されないだろう。
着るものは、以前に比べおしゃれになった。これは確実だ。なぜなら同僚も彼を褒めていたからだ。「垢抜けた」とか「ちょっとした小物のセンスが良くなった」と評されていた。
下着は、まったく分からない。久我の下着を見る機会は発情期中にしかない。発情していると頭がぼんやりしてしまい、気がついたら終わっていることが多い。でもそこまでどぎつい色のパンツを履いているということはないのではないか。
ぼうっと考え込んでいる俺を、ミヤとマスターが注意深く観察していた。
「今のところコレって浮気の決め手はないみたいだねぇ」
「……あまり焦らない方が良いよ。オメガの番は一生ものなんだからね……」
「でもマスター、相手がアルファだからって浮気されっぱなしなのは嫌じゃない? そうなるくらいならオメガの方から切り捨ててやる、って思うの、気持ち分かるな~」
ミヤは時折、アルファに対して辛辣だ。彼はベータだが、アルファに嫌な思い出があるのかもしれない。マスターも肩を竦めて反論することはなかった。
俺もベータだった頃は、生まれついた性の違いだけであんなに優秀になれるなんてと、鬱屈した思いを抱くこともあった。
今はそこまでアルファに対して敵愾心を持つことはないが、それも久我以外のアルファを知らないからというだけかもしれない。
「とにかく!浮気アルファなんて気にせず、ヤマちゃんの思うようにやりなよね。なんならオレが慰めてあげるし」
「はは、ありがとう」
身長はあるものの細身なミヤの胸に泣きつく自分は想像できなかったが、彼の気遣いはありがたく受け取ることにする。
ニコニコしているミヤと、心配そうに見つめてくるマスターに礼を言ってその日は店を後にした。
───その次の日にこれだ。
俺の部屋に花瓶などという洒落たものはないので、部屋中探し回って、結局大きめのペットボトルを切って花を活けることにした。
久我が水切りした花束をそのままペットボトルに突っ込んだだけのものだが、テーブルの上に置くと部屋の印象が一気に変わる。久しく嗅いでいなかった花の匂いが室内を満たした。
「なんか、俺の部屋じゃないみたいだな……」
「雰囲気変わりますね」
しばし二人で花を眺める。
久我はどう感じているのだろう。横顔からはなにも読み取れない。
鮮やかな花々の存在によって、「浮気」をしている罪悪感が少しは薄れるのだろうか。もしかすると、契約の決まりに反していないから浮気だとも思っていないかもしれない。
それならこれは、彼の人生からもうすぐ退場する男に対する最後の慈悲のつもりなのか。
(いかん、ネガティブにも程がある。発情期が近いからか)
相変わらず座るところがないのでベッドに腰掛けると、久我も花の様子に満足したのか再びキッチンへ入っていった。
久我が家に来るときは大体彼が夕食を作ってくれる。今日も材料を買い込んでいたから、手早くなにか作ってくれるのだろう。
意外なことにしっかり自炊する久我がよく訪れるこの部屋には、これまで袋ラーメン用の片手鍋がひとつしかなかったとは思えないくらい、調理用具が充実し始めている。
それも久我が来なくなれば不用品だ。
(面倒だな……)
フライパンや大鍋など、あんな大きな鉄製品を処分したことなどない。
かといって、誰も使わない調理器具を置いておくのも未練たらしい気がして嫌だ。
これ以上考えたくなくて、俺は目元を手で覆った。
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