後天性オメガの合理的な番契約

キザキ ケイ

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後天性オメガの不合理な結婚

1.決心

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 ついにそのときが来たのだと、すぐに分かった。
 大きな通りの反対側を歩いている男女。カップルとすれば珍しくもない距離感、表情、仕草。ふつうなら目を留めることもない。
 唯一見るべき点があるとすれば、男のほうが俺の番のアルファだということだろう。
 普段はまっすぐ前だけ向いて、他の歩行者なんて見つめたりしないのに、こういうときに限って眼球を引っ張られるかのように視線が向く。不思議なものだ。

「なんだよ。かわいい子じゃねーか……」

 信号が青になっても動けない俺は、小さくつぶやいて立ち尽くすしかなかった。
 半月ほど前、久我くがから「お見合いをする」という報告は受けていた。

「すみません、どうしても断りきれなくて……何度も辞退したんですが」

 申し訳なさそう、を通り越して泣きそうな顔になっている久我をちらっと見て、俺は視線を手元の雑誌に戻す。

「構わねぇよ。部長は言い出したら聞かない人だしな」
「本当にすみません……」

 もう一度謝罪を口にして、久我は俺を抱き寄せる。
 肩の当たりにぐりぐりと頭を押し付けられるのにももう慣れた。柔らかくもなく、良い匂いもしない俺のような男オメガによく懐く気になるものだと、いつものことながら感心する。
 久我は聞いてもいないのにお見合い相手のデータを詳細に伝えてきた。
 先方は部長の親戚の女性で、オメガ。職種の関係で異性との出会いが少ないので見合いをしているとのこと。
 社内でも管理職や一部の人事担当には、他の社員データと一緒に俺たち「後天性」のバース転換のことを知らされている。部長も当然それらの情報を把握できる立場だ。
 しかし、いち社員の個人的なデータを使ってアルファの部下に粉をかけようとは、もはや職権乱用だろう。そこまでしないといけないくらいお相手が切羽詰まっているということか。
 断っても断ってもしつこい部長に久我はどうしようもなくなって、番がいることを告げたらしい。
 しかし驚くべきことに相手方は、すでに番がいるアルファであっても結婚さえしていなければ気にしないと言っているそうだ。

「物好きだな。もしくはおまえのことをよっぽど気に入ったのか」
「勘弁してくださいよ……」

 本当に嫌そうに苦々しく言う久我が面白くて笑うと、若干ヘソを曲げられてしまった。拗ねた様子で手を引っ張られるので、片手で雑誌のページをめくりつつもう片方は久我に預ける。
 俺と久我の手に指輪の類は嵌っていない。
 番を得たアルファはたいてい、番と籍もいれる。
 結婚はベータの人生にとって比重の大きい事柄だが、アルファやオメガにとっても他人事ではない。アルファは番を強く束縛することが多いため、戸籍まで縛り付けたいという考えなのだろう。
 その点久我は、番持ちではあるが結婚はしていない。
 複数の相手と結婚することは法律上許されていないが、番を複数持つことは問題ないとされる。経験が浅いながらも、めきめきと頭角を現す優秀なアルファを手に入れたいと思う者がいるのも、当然といえば当然だ。
 俺と久我は番関係にあるが、それは本能を抑え込むための利益重視の繋がりだ。
 久我が誰と結婚しても構わないし、初めからそういう決め事の上で番った。こいつが俺にいちいちお伺いを立ててくることのほうが異常なんだ。
 ましてや、発情期でもないのに家に上がり込んではベタベタしてこようとするなんて、もはや意味不明だ。

「せっかくの機会だし、楽しんでこいよ」

 部長の段取りで見合いをするのなら、会場は高級ホテルか料亭か。気を紛らわせるために言ったのだが、久我はますます口をへの字に曲げてしまう。

「楽しめるわけないでしょう……真嗣まさつぐさんのいけず……」

 脇腹をつついてくる手をはたき落として立ち上がると、久我は小さく溜息を吐いていた。

 あの会話の後、お見合いは滞りなく終了し、久我は先方にしっかり断りを入れたと報告してきた。
 俺はただ頷いてそれを聞いただけだったが、断ったという部分は嘘だったのだろう。あの仲睦まじい様子を見れば、二人は結婚秒読み段階であることも察せられる。

(嘘をつかないと、俺が暴れて嫌がるとでも思っているのかね)

 天井を振り仰いで溜息を零すと、思ったより深刻そうな重い空気が漏れた。
 契約だけの番として、久我の手を極力煩わせないよう気をつけてきたつもりだ。
 互いの利益を重視した関係とは言うが、オメガである俺の利点のほうがアルファのそれに比べて遥かに大きい。
 発情期のたびに久我が付き合ってくれるので、俺の発情状態は短くて済み、ありがたいことに営業職も引き続き続けさせてもらえている。
 アルファの手を借りずに発情期を過ごした経験は俺にはないが、その場合オメガの負担は計り知れないという。一週間まるまる、昼夜問わず苦しみ、得られもしないアルファの助けをひたすら待つことになるとか。抑制剤を摂取しても苦痛の軽減には限界がある。
 さらに番持ちのオメガは、何度も発情期をアルファ不在で過ごせば肉体か精神に異常を来し、壊れてしまう者もいるという。
 久我という番が傍にいることが、俺にとってどれだけ幸運か。感謝してもし足りない。
 だからせめて結婚くらいは、彼が自分で選んだ好きな相手とするべきだと、俺は常日頃から考えていた。

(となれば、俺にできることは)

 背もたれにだらしなく凭れていた体を起こし、テーブルの上に放ってあった端末を手に取る。
 連絡先を表示したのは、一年ほど前に出会い、たまに連絡を取り合う仲になったオメガの友人だった。
 明日にでも会えないかとメッセージを送ると、すぐに返信があった。急な誘いだったにも関わらず了承の旨が書かれている。

「いくら番持ちでもいいと言ってるってもなぁ……」

 想像してみる。
 見合いとはいえ、お互いある程度好感を持たなければ結婚までは至らないだろう。
 憎からず想っている結婚相手が、三ヶ月に一度他所へ行く。他人の、それも男のオメガを抱きに。
 俺の発情期は、久我が付き合ってくれていても最短三日だ。長いときは五日ほど掛かってしまう。その間既婚者を拘束するというのは───気が引ける、とかそういう次元じゃない。自分なら絶対に嫌だ。
 もし俺がお相手の立場なら、結婚するなら番とは別れてくれと言うだろう。
 オメガは番契約を破棄できない。しかしアルファにはそれができる。
 久我が番を解消しようと言ってきたら……。

(了承するしかない、だろうなぁ)

 明日の夜、友人と会う段取りがついた携帯を再び放り出す。
 近いうち手放すことになるであろう、可愛い後輩で、俺にはもったいないほどのアルファである男を思い浮かべる。
 笑顔など何度も見ているはずなのに、今はどうしてもその顔を思い出すことができなかった。
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