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閑話
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しおりを挟む蝶のように獲物の元を渡り歩く淫魔は、ある程度精気を得られない状態に慣れなくてはならない。
反対にひとつの獲物に狙いを定めた淫魔は、獲物の体調を考慮しながら、精気を過不足なく吸い上げ、空腹を満たしつつ相手を疲労させない技術が求められる。
その点、魔力量が魔国随一とも言われる魔王が相手であれば、格下の淫魔が遠慮をする必要はほとんどない。
「あっ、や、もう……もういいから、オレのはっ……」
「まだダメだ」
「やだ、やぁあっ……!」
胸の尖りを先の割れた舌で舐め上げられ、触れてもいないのに立ち上がったものから白濁が漏れる。
腰から生えた細い尾を指先で弄ばれるたび、高い声が飛び出すのを止められない。
確かな刺激を与えられず、空腹の体を嬲られつづけてアスモは満身創痍になっていた。
「おねが……いれて、挿れて……」
「四日ぶりなんだ。もう少し堪能させろ」
「やだ、やだぁ……お腹すいたよぉ、死んじゃうよぉ」
口から与えられる精気だけでは全く足りない。
それどころか、中途半端な量を与えられると却って飢餓感が増し、ぺったんこの腹がさっきから小さく悲鳴を上げ続けている。
必死にねだっても与えられるのは経口の唾液のみ。
より精気の多い血液を求めてゼフォンの肌に牙を立てたものの、淫魔の犬歯はあまり発達していない者が多く、アスモも例に漏れない。歯型をつけるのが精一杯で、それに嬉しそうな顔をされただけで終わった。
ならば口淫で精液を得ようと屈み込んでも、ゼフォンはまだ服を着崩した程度でベルトを緩めるところから始めなくてはならない。
もたついているうちに上体を起こされ、口付けられるうちに気力も萎えてしまった。
慣れない徹夜での仕事に、永遠と思えるほどの飢餓、いじわるで冷たいゼフォンの態度に、アスモの涙腺はみるみる緩んだ。
ボロボロと大粒の涙を流し始めた姿に、ゼフォンは驚いて身を起こす。
「すまない、焦らしすぎたか」
「も、ばか、バカぁ……」
「泣くな。おまえの涙は心臓に悪い」
「なら泣かすなってばぁ……」
唇で涙を吸われ、宥めるキスを受け入れる。
やっとゼフォンの指先が下腹へ伸び、奥まった場所に触れた。心はそれを待ち望んでいたが、数日間自分で触れることすらなかった蕾は固く閉じられてしまっている。
離れていた時間の切なさを想って、紫の瞳がまた一粒涙を零す。それをまたゼフォンが手のひらで拭い、アスモは濡れた頬を擦り寄せた。
魔法によって滑りの良くなった腸壁を、長く節くれだった指がゆっくりと侵す。
「あ、あぁっ、ぜふぉ、早くしろよぉ」
「待て、急かすな」
触れられることのない小ぶりな屹立は、少量の精液をとぷとぷと溢れさせている。腰が物欲しげに動き、痙攣に似た反応をするたびそれが揺れる。
アスモの両脚はだらしなく広げられ、ただひたすら逞しい雄に貫かれるのを待つだけのものになっていた。前立腺だけでなく、内側を擦られるとどこもかしこも気持ちよくてたまらなくなる。
ぬめった指が引き抜かれ、灼熱の昂りが入り口に押し当てられたとき、アスモは歓喜に身を震わせて啼いた。
「ゼフォン、きて、ぁ、ああ────っ」
いつもより余裕のない挿入から、男もこの行為を望んでいたのだと嬉しさが湧く。
反射的にしがみついた体から顔をあげると、頬にぽたりと雫が垂れる。見上げたゼフォンの表情には余裕がなく、漆黒の髪が乱れて額に張り付いていた。
濡れた前髪を指先でそっと除け、口元へ流れた汗の粒を伸ばした舌で舐め取る。
「ふは……甘ぇ」
下腹を串刺しにされ、喘ぎ混じりに呼吸を乱れさせながらアスモは目を細めた。
弧を描く唇と、色を濃くしたかと錯覚する紫水晶の瞳が醸し出す気配は「妖艶」の一言に尽きる。
それに煽られるように、荒々しい律動が始まった。
「あっ、んああっ! ぜふぉ、すき、好きぃ……」
「アスモ……」
「ぁ、はやく、奥に……っ」
揺さぶられ、肩に回した腕に力を込める。
上り詰めたのはほぼ同時だった。絶頂の嬌声はゼフォンの口内に奪われ、声になることはなかった。
最奥に熱いものがじわりと広がる感触と、急速に腹が満たされていく感覚にアスモの身体は力が抜けていく。
ついでに瞼も重くなり、このまま眠ってしまおうかと考えて────ぱっちりと目が開いた。
汚れた体の後始末をしようとしていたゼフォンを押しのけ身を起こす。
「どうした?」
「ヤバいっ! まだ仕事が残ってるんだ、すぐ戻らなきゃ!」
ベッドから降り、床へ脱ぎ散らかしたシャツを拾い上げようとして、足に力が入らなかった。
膝からかくりと折れ、寝台横の絨毯の上に倒れ込む。
「あ、あれ」
「無理をするな。慣れない業務で疲れが出たんだろう」
「でも、オレが行かないと、仕事が……」
軽々と抱えられベッドに戻されたあとも、アスモはもがいた。
涙目になって追い縋ってきた同僚の姿が脳裏に浮かぶ。
彼らでは天界文字の翻訳はできない。書類は毎時溜まっていく。ゼフォンに嘆願した通り、いつか増員が寄越されるとしても、それまではアスモが仕事をしておかなければならない。
焦るアスモとは対象的に、ゼフォンは至って冷静だった。
情事の余韻の抜けきらないアスモの体をシーツに押し付け、穏やかな声で囁く。
「俺が代わりに行こう」
「へ?」
「おまえが来るまでは、何度か翻訳の手伝いをしていた。それに、疲れ果てたおまえをもう一度職場に戻らせたくはない」
「で、でもゼフォンは他に仕事が……今だって、プライベートの時間で……」
「心配するな。……眠っていろ、俺が戻るまで」
その言葉が耳から入り込んだ瞬間、アスモはすとんと眠りに落ちていた。
意識が沈んでいく間際、額に唇が触れるのを感じる。それ以上はもうなにも考えることはできなかった。
書類の山に埋もれた二人の文官が、時折うめき声をあげながら仕事に励んでいた。
翻訳課の仕事量はとにかく多い。
それさえなければ激務というほどではないのだが、なにせ堅苦しい魔界文字が読み解けないから易しい表現に直せ、などという書類まで押し付けられるものだから、仕事の山は減らず、実質休みなしの地獄のような部署だった。
眼鏡がずり落ちるのをイライラと指先で直す女性文官が、書類の束を捌きながら呟く。
「アエーシュマ、遅いわね……これだから淫魔は食事が長くて好きじゃないわ」
「まぁそう言うなよ。新人の割によく働くし、弱音も吐かずがんばってるほうだよあいつは」
文官にしてはガタイのいい男性悪魔が、同じく紙の山を崩さないよう整えながらペンを走らせる。
最年長の同僚が定年で退職してからというもの、翻訳課は文字通り目の回る忙しさだった。人権など無いに等しい扱いで、仕事が多すぎて苦しい現状を上司に談判しにいく時間すらない。
だから案外と早く新しい文官が寄越されると聞いて、二人は涙を流して喜んだものだった。
アエーシュマという名の新人はまだ若く、成人したての小柄な青年だった。
彼を連れてきたときの、人事部の微妙によそよそしい態度が気にかかったが、聞いていた通りの完璧な天界文字翻訳に、やや粗暴なものの明るく人懐こい性格でそれも気にならなくなった。
そのため、まともな事務仕事すら初めてだという彼に甘えすぎてしまったらしい。
アエーシュマが空腹だと言って部屋を飛び出して行ってからすでに数時間が経過していた。
「なぁ、あいつ城からは出てないんだろ?」
「そのはずよ」
「じゃあ、どこで……誰と食事してんだろうな」
二人の淀みない筆記が、わずかの間止まる。
城勤めの悪魔は総じてエリート揃いだ。田舎から出てきたばかりの淫魔が引っ掛けられる相手がいるとは思えない。
外から通ってくる侍従や清掃員などが相手の可能性はあるが、月が空高く掛かるこの時間まで残っているものだろうか。
淫魔は総じて色っぽく、他者を誘う雰囲気を生まれながらに備えているという。
その点紫色の髪の淫魔は、無邪気な少年らしさは持ち合わせていても、色気を感じることはなかった。あれでは城に出入りする貴族や軍団長に取り入るのは難しいだろう。
では相手は誰なのか。
「見栄を張って、相手がいるようなことを言っただけじゃない? 本当は食堂で食べてくるのかも」
「そうだなぁ。あいつに高位悪魔の愛人がいるとはとても────」
「失礼する」
人の出入りが多いせいで開けっ放しの部署の扉を、誰かが潜った。
扉に一番近い眼鏡の女文官が振り返り、小さく悲鳴を漏らす。
「どうした?」
「あ、あ……貴方様は……! どうしてこんなところへ」
常に冷静沈着な彼女の尋常ではない様子に、男文官も慌てて立ち上がって入口の方を見遣った。
そこに立っていたのは、この城の最高責任者。
「ま、魔王様……」
「そのままで。平伏は必要ない」
咄嗟に床に跪こうとした二人を押しとどめ、魔王は室内へ足を踏み入れた。
普段は一分の隙もなく着込まれている黒いジャケットは袖を通しただけで、前合わせに絡められている金の装飾も取り外されている。髪も軽く後ろに撫で付けただけのラフな姿だった。
魔王は迷いなく部屋の中を進み、今は主が不在の事務机の前に立つ。
「アス……アエーシュマの代わりに来た。この机の書類はすべて天界文字のものか?」
「は、はい! そうであります!」
「分かった。おまえたちは引き続き業務を行うように」
そう言い捨て、魔王ゼフォンは決して座り心地の良くない事務椅子に腰掛け、紙束とペンを手に取った。
呆然とする二人の前で、静かに仕事を始める。
(もしかして、アエーシュマの相手って……)
頭の回転が速く、優秀な文官二人はすぐにそれを察し、余計なことは何も言わず業務へと戻った。
後日、「翻訳課に魔王の愛人がいる」という噂が広まる。
魔王の愛人を恐れて翻訳課に出入りしたがらない悪魔が増え、山のようだった未処理書類は少しずつ嵩を減らしていった。
「これじゃ偽名使ってる意味ないじゃんか!」
噂を聞いたアスモが、元凶である魔王にキレ気味に訴えるのはそのすぐ後のことだった。
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