短編集 【10/18追加】

キザキ ケイ

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【ハッピーBL】

極彩色の黒

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鳥の翼を持つ種族の村で、スィクは男のオメガとして生まれた。
特異な色や、オメガではあるが男でもあるせいで遠巻きにされる中、森の奥深くでだけ会うアルファの男・エスカの存在はスィクにとって救いだった。
エスカとなら、お互いに唯一の存在として幸せに生きていけるかもしれない。
仄かな希望を抱くスィクだったが、変調は音もなく二人の運命へと忍び寄っていた。

【キーワード】
オメガバース / ファンタジー / 鳥獣人 / 落ちこぼれアルファ攻め / 強気異端オメガ受け / 性描写あり


◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆



 オメガであるスィクの生涯は、生まれた時から決まっている。
 遙かなる山々と深い森によって外界から隔絶された村で、スィクは鳥の羽を持って生まれた。両親も、隣の家も、そのまた隣も同じような姿の人が住んでいる。
 しかし彼らとスィクには決定的な違いがあった。
 特異性を持ち、それがオメガだったということだ。

 スィクの住む村には特異性を持つものと持たないものがいる。
 特異性にはアルファとオメガがある。
 アルファは総じて様々な技能に優れ、特に狩猟能力が高い。村のために山の恵みを得て帰ってくる。
 オメガは数少ないが産出に優れ、特にアルファの子を生むとそれもまたアルファになり、子がアルファでなくとも幼いうちから強靭な体で生き延びやすい。
 特異性を持たない村人は特異性を持つものを敬い、崇め、支えるために日々暮らしていた。
 優秀なアルファとオメガを頂き、連綿と血筋を繋いでいくことが村の唯一の存在意義だった。

 スィクは体が丈夫ではなく、幼少期をほとんど家の中で過ごした。
 尊ばれる性であるオメガではあったが、男性の体を持つスィクは子を生みにくく、また生来の病弱さもあって村人からは敬遠されていた。
 年齢とともに少しずつ体力が付き、外に出られるようになっても、スィクが周囲に馴染めない現状は変わらなかった。
 珍しい男性オメガ。子を望みにくい。家に引きこもっていた、得体の知れない地味なやつ。
 スィクの評価はそんなものだ。しかし本人は周囲の目をそれほど気にしていなかった。

 今日もスィクは一人で家の周りを散策する。
 家の裏は畑に面していて、その奥は森だ。木々の向こうの深くには行ってはいけないと言われていたが、孤高のスィクは堂々と森に分け入っては一人で遊んでいた。
 今日は高い木に引っかかっている小ぶりな枝を見つけた。
 羽毛に埋もれた手に握るとしっくりくる、良い棒だ。それを振り回しながら森を進む。

「あ。いた」

 倒木が折り重なり見晴らしのいい広場に、今日も彼がいた。
 スィクのお気に入りの場所に時折現れる不思議なやつ。

「エスカ、こんにちは」
「……こんにちは」

 スィクはお行儀よく挨拶をして、軽やかに倒木の上へ跳び乗った。
 冷たい樹皮に座り込むのは、黒い羽を持つ少年。スィクと同じくらいの齢だとわかるのは、毛髪の間から覗く羽冠の本数が同じ2本だからだ。

「なにしてるの?」
「なにも……」
「ふーん。なにもしないをしてるんだ」

 倒木に腰掛けて見る景色はそれほど良いものじゃない。
 スィクたちは両腕の翼でもっと高く跳び上がれるし、大人になれば空を自由に飛び回ることもできるようになる。
 でもエスカはここにいる。ひとりで。だからスィクも他へは行かず、特に秀でたところのないこの場所へ来る。

「オメガがこんなとこにいていいの?」

 エスカはくさくさした気持ちをそのままスィクへぶつけた。
 森に入る前、村の上位アルファ集団に絡まれて嫌な気分だった。エスカにはどうしようもないことで責められ、詰られ、逃げ出すしかない自分への苛立ちもあった。
 しかしスィクはどこか掴みどころのない笑みを浮かべ、手にした枝をくるくると回すだけ。

「森の中はいいんだ。ここは村全体の持ちものだし、どこにいたって自由だ」
「……」

 話をはぐらかされエスカは再び深く俯いた。
 たしかにここは誰にでも開放されている場所だ。スィクがどこで何をしていようとエスカがどうこうする権利はない。一人になりたいエスカの横に来るのも自由だ。

「スィクなら、もっとどこにでも行けるし、誰と過ごすかだっていくらでも選べる……」

 その権利はエスカにはない。
 スィクはエスカをじっと見つめた。卑屈なエスカの心まで見通しそうな、澄んだ瞳だった。

「おれはそれほど良いものじゃないよ。制限も多いし……でもたしかに、一緒にいたい相手は選べる。いや、おれ自身が選んでいるんだ」

 強い声色に顔を上げると、スィクはどこか遠くを見つめていた。

「本能に導かれるまま、好きでもない相手の情けを乞いながら一生を過ごすなんて、おれは嫌だ。ずっと不自由だったんだから、せめて相手だけは選びたい」
「それは……伴侶はんりょのこと?」
「うん。アルファなら誰でもいいなんて、おかしいもの。おれはおれだよ」

 嫋やかに見えるスィクの意志の強さに、エスカはしばし見惚れた。
 オメガはアルファと伴侶になるもの。
 村にはそういう空気が充満している。アルファの子を産め、そうでなければ価値などない、と。オメガは尊ばれるが、敬意をかさにきていいように操られてもいる。
 オメガであり、体が弱い彼はほとんど家から出ずに大切に育てられたはずだが、誰よりも自由な心を持つスィクには、旧来然とした考え方の押し付けは窮屈だったのだろう。
 エスカはスィクの気持ちや人生を勝手に推し測ろうとしたことを恥じたが、言葉にはできなかった。

 その日はそれ以上会話が続くことはなく、しばらくするとスィクは跳び去っていった。
 エスカは遅くまで森の中に身を潜め、夜闇に紛れるようにして村へ帰った。
 スィクは時折ふらりとやってくる。
 連日のこともあれば数日おくこともある。今回は前者のようで、スィクは再びエスカの元へやってきた。
 昨日とは違うが、同じくらい素敵な形の枝を持っている。

 スィクたち鳥の羽を持つもののうちアルファたちは、色とりどりであればあるほど価値がある。
 極彩色のアルファは強く美しく賢く、「神の愛し子」とさえ呼ばれることもある。
 優れたアルファは優れたオメガを多数娶る。
 伴侶を何人でも持てて、たくさんの優れた子を産ませることができる。
 複数の伴侶を持ったアルファは、その中で一番の気に入りを「つがい」として置く。
 つがいが唯一の伴侶となることはほとんどないが、一番であることは間違いない。伴侶を目指すオメガたちは成人前から、深い寵愛を求めてつがいの座を争う。
 一方、多くの伴侶を望めるほどの羽色を持てなかったアルファは、最上位のアルファが伴侶に選ばなかった「おこぼれ」に与るか、特異性を持たないメスを娶ることしかできない。
 真っ黒で他の色を持たないエスカは、愛し子から最も遠いアルファの面汚しだと言われているのを、スィクはよく耳にした。

「スィクは……なんでここに来るの?」

 エスカは俯き、膝を抱えたままぽつりと呟く。

「なんでって。エスカに会いに来てる以外に目的なんてないよ」

 こんな何もない場所に、わざわざ足を運ぶ理由はひとつしかない。
 アルファの面汚し、村の爪弾きものと蔑まれ、居場所のないエスカがいつも逃げ込む森の奥。そこではエスカもスィクも周囲を気にする必要がない。
 エスカは苛立ちの混じった声で、さらに問い詰めた。

「なんでぼくなんかに会いに来るんだよ!」
「そりゃあ、好きだからさ」

 エスカはスィクを見ないので、スィクもエスカを見ないまま言った。
 持ったままだった枝をぶんと振ると、先端にくっついていた枯れ葉が外れ舞い落ちていく。そのまま墜落すると思われた葉は、上昇気流を掴みスィクの鼻先まで戻ってきた。
 風に飛ばされていく枯れ葉を目で追い、真っ黒でまんまるの瞳に凝視されていることにやっと気づく。

「なに?」
「……好きって……」

 エスカは信じられない思いでスィクを見つめていた。
 村にはアルファが他にもたくさんいて、彼らは多かれ少なかれたくさんの色の羽を持っている。
 とりわけ村長の息子クィミクは、愛し子の再来と言われるほど多色の翼を見せびらかすように村を練り歩くので、媚びを売りたい下位のアルファや、明かりに惹かれる羽虫のようなオメガが群がって行列を作るほどだ。
 鳥の羽を持つものは、成人の儀を行い初めて伴侶を持つことを許される。
 それまでオメガは純潔を保ち、アルファも自制しなければならない。そうでなければ今頃、クィミクを中心とした巨大なオメガハーレムが出来上がっているだろう。
 だがそれが現実になるのも時間の問題だ。
 成人の儀は一月後に迫っている。
 だというのに、このオメガは、伴侶など持てそうもない底辺アルファに何を言うのか。

「スィクは、クィミクの伴侶にならないの?」
「えー?」

 スィクは嫌そうに鼻で笑う。
 クィミクはたしかに色鮮やかな羽を持つが、どうにも横柄で思いやりに欠け、伴侶になってもいないオメガを我が物顔で扱うところがある。
 乱暴な気性はスィクの好むものではなかった。

「おれはつがいになるならエスカがいいなぁ」
「えぇっ」

 枝を放り投げながら言うスィクに、エスカはやっぱり驚いて仰け反った。
 倒木から落ちそうになり慌てて体勢を立て直す。そんな仕草にスィクは笑って、手を差し伸べた。

「なにやってんだよ。ほら」
「あ、ありがと……」

 エスカは安定を取り戻したが、握られた手は離れていかなかった。
 自分から離してと言えず、距離をとることもできずエスカは頬を真っ赤に染め、隣に座る少年を盗み見る。
 オメガは多色で生まれない。せいぜいが地味な三色ほどで、スィクは二つの色を持っていた。
 白と、赤。
 他のオメガと比べても明らかに異質なその色は、スィクの体を病弱にさせ、今でも日差しの強い屋外での活動を制限する。
 スィクが森の中を好むのは、直射日光を遮る梢の存在があるからでもあった。
 筆で描いたようになだらかで滑らかな輪郭。
 陽の光を跳ね返しきらめく艶々の羽。
 流れる小川のようにさらさらとした頭髪と、ぴんと立った羽冠。
 長くしなやかな足に、意外と喧嘩っ早くて強かな腕。
 零れ落ちそうなほど大きな赤水晶の眼と、対称的に小さく慎ましい口。
 奇異な色だが、そんな異質さを跳ね返すほどの魅力をスィクは備えている。

 エスカだって、スィクが好きだ。
 一目見た時から恋していた────他のアルファと同じように。
 だが落ちこぼれのエスカがスィクのような美しいオメガになど、想いを寄せることすら許されない。だから人目もスィクも避けられるよう、こんな何もない場所に来ているというのに。
 よりによって一月後、他の男の伴侶になる想い人は、エスカに向かって愛を囁こうとする。

「エスカ、こっち向いて?」
「……やだ」
「なんで。向けって、ほら」
「うぅ」

 見かけより華奢ではない少年の手が、頑ななエスカの顎を掴んで向きを変える。
 正面から見つめたスィクの美貌にエスカは息を詰め、それがどんどんと近づいてくることに混乱した。
 すり、と、スィクは口端をエスカのそれに擦りつけ、そのまま頬をぴったりとくっつける。
 まつげが絡まりそうな距離で見つめられたエスカは、初めてするその触れ合いが、成人前に伴侶の約束をするための行為だと思い至って顔を真っ赤に染め上げた。

「あはは、エスカ変な顔」

 スィクは何事もなかったように腹を抱えて笑っている。
 冗談にしてもたちが悪い。真っ赤なエスカはスィクを睨んだが、スィクはどこ吹く風で取り合わなかった。
 それどころか。

「エスカ。おれはクィミクの伴侶にはならない。他の誰でもない、エスカのつがいになりたいんだ」
「……う、うそだ」
「嘘じゃないよ。約束、今したろ」
「……でも……」
「オメガが羽の色で相手を選ぶとしても、伴侶に選ぶかどうか最後はアルファが決めるんだ。おれはエスカを選ぶ。エスカもおれを選んで」

 神秘的で、しかしどこか蠱惑的な朱色の瞳に見つめられ、頷くことしかできない。

「ありがと。待ってる」

 情けない返答ではあったがスィクは満足したのか、ひらりと倒木から飛び降り、そのまま滑空して森の中へ消えていった。
 取り残されたエスカは、スィクの言葉や行動の意味を考えすぎてまた顔を熱くさせてしまった。
 オメガたちはこれから一月の間、成人の儀のためみそぎを行う。
 その間はエスカも他のアルファたちも、スィクたちオメガに会うことは叶わない。
 スィクはその間に心移りしてしまうのではないか。でもあんなに心根の強い彼が、約束を反故にすることがあろうか。それならその先、エスカはスィクと。

「……っ」

 今更ながらとんでもないことが起きたと、エスカは再び動揺して足を滑らせる。
 今度は支えてくれる手もなく、倒木から落ちてしまった。

 親元から離れ、アルファと接することなく過ごす一月。
 周囲は特異性のない世話人と、成人の儀を待ち侘びるオメガだけになる。
 スィクは村で唯一の男オメガであるため、他のオメガとは距離を置いて日々を過ごしていた。
 それでも他人と全く接しないと言うことは無理で、嫁入り前のオメガに施す教育の時間などは他のオメガとも過ごす。スィクにとってはそれが何より窮屈だった。

(エスカに会いたいなぁ)

 オメガらしいとされる縫い物の課題をこなしながら、スィクは成人の儀でエスカに再会する日のことばかり想像していた。
 村の大人が新成人のために編み上げる織物は、背が高いエスカにきっと似合うだろう。羽の色に埋もれて目立たないが、エスカは体がしっかり大きく翼も丈夫で、羽冠も尾翼も立派なのだ。
 貧弱で小さなスィクと違って、遠くからでもきっとよく見える。
 他のオメガがクィミクに群がっている間に、スィクはエスカを捕まえよう。儀式をさっさと終わらせて、二人きりになる。誰も邪魔しない、異議を唱えない。二人だけのつがいに。
 その日を想うだけでスィクは胸がじんわりとあたたかくなった。

「はぁ、退屈」
「早く成人の儀を迎えたいわ」
「あんたもクィミク様狙いよね?」
「当たり前よ。あんなに多色の美しいアルファ、他にいないわ」
「ねぇあんたは……」
「あぁ、スィクは、ね……」

 度々手を止めておしゃべりに興じるオメガの娘たちが急に水を向けてきたかと思えば、スィクの顔を見て含みのある苦笑を漏らした。そのまま愛想笑いで無駄話へ戻っていくのを、冷めた目で見送る。
 スィクは同じオメガたちには気味の悪い存在だと思われている。
 たった一人しかいない男のオメガ。男なのに子を孕み生む、異形のようなものだと。
 両親さえもやや距離を置く自身の存在意義は、長いこと不明だった。
 孤独な闇の中を藻掻き生きるような日々だった。
 それもエスカと出会うまでだ。彼の墨色の翼を見て、その向こうに隠された悲しみを湛えた孤独な瞳を見て、この身は彼と出会うためにあったのだと知った。
 だがそれも、エスカとつがえなければ意味がない。

(……早く成人になりたいなぁ)

 無心で縫い物を進めながら、スィクは毎日エスカを思った。
 そんな退屈で平和で怠惰な日々が半分ほど過ぎた頃、スィクが身を寄せる禊の長屋がにわかに騒がしくなった。

「クィミク様!?」
「アルファ様! どうしてここへ?」

 耐え難い喧騒にのそのそと寝床から顔を出すと、群がるオメガたちの合間に長身の姿があった。

「よォ、俺のかわいい小鳥たち。元気にしてたか?」

 地味な色合いの翼に取り囲まれているのは、派手な頭髪の男。
 クィミクだ。いつみても下品に派手派手しくて、いけすかないアルファ。
 わざとらしく羽ばたかせる翼はたしかに多色だが、伝承にある愛し子のように美しい色合いではない。他人の羽を無造作に差し込んだように不規則で節操のない崩れた虹色としかスィクには認識できない。
 巻き込まれたくなくて部屋に戻ろうとしたスィクを、目ざとい男は見とがめた。

「おい、色なし!」
「……」

 強く翼の付け根を握られ、顔を顰めながら振り返る。
 鼻持ちならない男だ。アルファ禁制の長屋に入り込んだばかりか、穢れを禊いでいる最中のオメガに触れるなんて。
 振り払うとすぐに手は外れたが、クィミクは離れていかなかった。

「気の強いことだな。おまえ、儀式が終わったらもらわれるアテあんのか?」
「……あんたには関係ない」
「んなこたぁねぇ。この村のオメガは全部俺のものだからな。おい、嫁ぐ先がないなら俺がもらってやろうか」

 クィミクの背後で甲高い悲鳴が上がる。どうしてあんな色なしが、と露骨にスィクを罵る声もある。
 アルファから伴侶の申し出があれば、オメガは安泰だ。唯一無二のつがいにはなれずとも、子を孕む順番くらいには引っかかれる。
 しかしスィクにとって、エスカ以外の男などただ不快なだけだった。

「必要ない。おれに構うな」
「なっ……おまえ、俺の伴侶になりたくないのか!?」
「オメガなら誰でもあんたに股を開くと思っているのか? おめでたい鳥頭だな」
「このっ……出来損ないの色なしが!」

 スィクは今度こそ振り向かず場を離れた。
 出来損ないでも色なしでも、エスカがもらってくれる。それだけでスィクにはもう価値があるのだ。
 それを他人に理解される必要などなかった。

 ────それなのに。

「ねぇ、あれ誰かしら」
「なんて素敵な翼なの……それに見て、雅な色だわ」
「十、十五、十八……二十色以上あるかも」
「あんな方、この村にはいなかったはずよね?」

 成人の儀で、身を清めたオメガたちを迎えるアルファの群れに彼はいた。
 その変貌ぶりに誰もが首をひねる中、スィクだけにはわかった。わかってしまった。

「エスカ……」

 目の覚めるような美しい色合い。遠目では色を数えることすらできない、虹の化身そのもののような翼。
 繊細な白い網目の肩掛けがひらりと舞う。成人のアルファに贈られるものだが、その素晴らしい出来は多彩な翼に呑まれて目立たなくなっているほどだ。
 黒のままの頭髪に、鮮やかな橙色の羽冠が差し挟まれている。
 光を弾く墨色の向こうには、スィクが愛した優しい瞳があるはずなのに。

「素敵だわ……クィミクなんて目じゃないくらい」
「オメガならああいうアルファの子を生まなくては」
「行きましょう」
「早く行って伴侶にしてもらわなきゃ」

 一瞬でオメガたちに取り囲まれてしまったエスカに、スィクだけは駆け寄れずにいた。
 スィクのアルファ。
 地味で自信がなくて、アルファだったのに。
 思わず後ずさり、そのまま背を向けた。
 森に向かって走り、儀式の係の者を振り切り、村人の制止も聞かず、高く高く跳躍する。

(どうして、どうして……エスカ……!)

 あんな姿になってしまっては、オメガなら誰もが憧れるような男になってしまっては────出来損ないの色なしになど、振り向いてもらえるはずがない。
 黒く地味で誰の目にも止まらないアルファでなければ、手に入れられない。
 唯一が欲しかった。
 他のオメガと順番を競い、寵愛を争うなんて死んでもごめんだった。
 あの目と見つめ合った瞬間、恋に落ちたと同時に、誰にも奪われない唯一を手に入れられるかもしれないと期待した。それなのに。

(期待したのが悪かったのかな。子を孕むだけのオメガが、分不相応を望んだのがいけなかったのかな……?)

 禊の期間に学んだ村の歴史の中で、過去の愛し子のことを習った。
 その昔に存在したある愛し子は、幼い頃は誰にも見向きされない醜くみすぼらしい小鳥だった。
 しかしある時、古い羽毛を脱ぎ捨てるように鮮やかな色を纏い、誰よりも美しく強いアルファとなったのだと。
 嫌な予感がしないでもなかった。しかしスィクは不吉な想像を無視した。
 大昔のおとぎ話だ。スィクには……エスカには関係ないと。

「う、うぅ……エスカ、エスカぁ……」

 情けなくも流れる涙を止められない。
 オメガたちに囲まれたエスカは堂々としていた。
 倒木の上で膝を抱えて蹲っていた、後ろ指差されるアルファでは決してなかった。スィクと同じではなくなってしまった。

「スィク」

 びくりと震えて涙が止まる。
 スィクは無意識にあの場所へ来ていた。開けた木立と倒木だけがある広場。
 目印もなく道もないその場所へ真っ直ぐ来られるのは、スィクの他にはエスカだけだ。

「スィク、どうして逃げるの?」
「来るな!」

 スィクの拒絶にエスカは動きを止め、悲しそうに立ち竦んだ。
 愛した男のそんな姿にスィクの胸は痛んだが、自分を守るためにはそうするしかない。

「来るな、そして戻れ、愛し子。こんなところで、おれみたいなのに構ってる暇はないだろ」
「何を言ってるの?」
「昔の愛し子みたいに換羽かんうしたんだろ。良かったじゃないか、そんな翼ならオメガなんて誰でも何人でも選び放題だ」
「ぼくが欲しいのは一人だけだよ」
「……っ、そんな翼になってしまったら、誰も放っておいてくれない。村中のオメガがあんたの種を欲して群がる。一人だけなんて、認められるはずない!」
「そんな心配をしてたの? ぼくの伴侶は一人だけだよ。村長にも、他のアルファにも了承は得てる。今まで落ちこぼれだったのに、突然愛し子になったから、他のオメガを奪わないでくれるならむしろ助かるって感謝までされたんだ」

 頭を掻きながら困ったように笑うその顔は、スィクが大好きな彼のままで。
 止まったはずの涙が一粒落ちる。
 ふわりと軽やかに倒木の天辺までやってきた極彩色が、そっとスィクの頬を拭った。

「スィク、ぼくが望むのは君だけ。どうかぼくと一対になって」
「……おれでいいの? 色なしの、出来損ないで」
「色ならある。触れるのが怖いくらい澄みきった白、それに朝焼けの陽光みたいにきれいな朱。見て、僕にもスィクの色があるんだ」

 エスカが広げた翼は美しい色の階段を描き出していた。
 肩は頭髪の黒に似た紺から始まり、夜、夕日、朝焼けの色彩を広げながら、最後は白く消えている。
 翼を重ねると、途中から境界がなくなる。エスカの翼がスィクの翼に溶けるそれは、まるで二人のためのような配色だった。

「でもね、残念なことにスィクの瞳の朱だけはこの翼のどこにもなかったんだ。スィクがぼくの最期の一色。きみがいないとぼくの翼は完成しない」
「……く、口説き文句のつもりかよ……っ」

 なんて台詞だ。スィクを喜ばせるためのものでしかない。
 照れ隠しに突き放すと、エスカはぽかんと目を丸くし、それからみるみる赤面していく。

「そ、そうだけど、ダメだった? 気の利いたことを言いたくて、この羽になってから毎日必死で考えたんだ……」
「本当に口説き文句なのか……はは、くっ、あははは……!」

 緊張が途切れスィクは腹を抱えて笑ってしまった。
 外見は違っても中身はエスカのままだ。自分は何を恐れていたのだろう。
 一頻り笑って、ふと落ちた沈黙にエスカが動いた。
 そっと頬を触れ合わせ、擦る。
 視線が絡み合い、頬から口端クチバシを超え、唇が重ねられた。

「ん……エスカ……」
「スィク、さっきの返事ちょうだい」
「これが答えの代わりじゃだめ?」
「ダメ」
「……おれも、エスカだけだ」

 言うが早いかスィクの体は宙に浮いていた。

「わぁ!?」
「嬉しいっありがとうスィク! ぼくのつがい!」

 抱きかかえられたまま大きな翼がふわりと広がり、二人分の体重を感じさせない速度で滑空し倒木から降りる。エスカはそのまま地面には着地せず、木々の枝葉を蹴って跳躍した。
 辿り着いた場所は、小さいが清潔な森の中の小屋だった。
 オメガは心身を清めるために一月籠もるが、その間アルファはオメガを迎えるために自分だけの巣を作る。
 そこで蜜月を過ごし、成人すると彼らは大人の仲間入りをすることになる。
 あれよあれよと巣に連れ込まれたスィクは、中を眺める暇もなく柔らかな何かの上に押し倒された。
 すぐに唇が合わせられ、何度も角度を変えて擦り合う。

「ま、待って、先に儀式を」
「待てない……早くスィクを伴侶にしたい……」
「待てってば! おれは未成年とまぐわうつもりはないぞ!」
「うっ……」

 やっとスィクから離れたエスカを座らせ、巣の中を見回す。
 儀式と蜜月の間だけの仮住まいではあるが、隙間なく屋根がかれ居心地の良い空間となっていた。清浄な森の香りで満ちた部屋はとてもエスカらしい巣だ。
 枝と枯れ草と綿で作られた寝台も上等で、スィクが暴れても壊れそうにないくらい大きい。
 儀式に十分な環境だと判断し、スィクは翼を差し出した。

「エスカも出して」
「うん」

 スィクたちの種族は羽を持って生まれるが、飛ぶために必要な風切羽は長じるまでは短く飛ぶことができない。
 成人の頃が近くなると風切羽は長く伸びるが、羽毛が絡みついてすぐに飛行することはできず、また羽毛を自分で払うことは禁止されている。
 成人の儀とは、伴侶と翼を繕いうことで不要な羽毛を取り除き、空を飛べる翼に変えることを言う。

「ん、んっ……」
「スィク、ここも」
「うん」

 繊細な羽を口先で割りながら、唇でそっと羽毛を取り除く。
 やがて互いの両翼を白くくすませていた幼毛が消え、スィクは眩く光り輝くような純白を、エスカはさらに鮮やかな愛し子の翼を現した。
 伴侶を定め、成人となった二人を隔てるものはなくなる。
 言葉もなく口吻を重ね、舌を絡めた。再び背が寝台に当たり、エスカのことしか見えなくなる。
 オメガは成人を迎えると年に一度、発情するようになる。
 最初の発情は儀式の直後だ。スィクも慣例通り、腹の底が発火しているような情欲を感じていた。

「エスカ、きて……」

 愛液を零し、どろどろの状態で健気に勃っているスィクの男の象徴。その奥で息づく、愛撫の必要がないほど溶け解れた交接孔をエスカがじっと見つめている。それを恥ずかしいと思うほどの余裕はスィクにはなかった。
 愛する男で全てを埋め尽くしたい。それだけだ。

「痛くないようゆっくりするね」

 エスカは羽毛を掻き分け生殖器を取り出した。思わずスィクの視線が吸い寄せられる。
 鳥には穴を埋めるための突起物は存在しないが、人であるスィクたちにはそれが存在する。
 生殖器と交接孔。オメガでありながら生殖器を持つのはスィクだけで、それを見られたらエスカの興奮が萎えてしまうのではないかと、少しだけ不安があった。
 しかし今エスカの状態を見るに、むしろスィクの媚態に興奮が弥増いやましているように思える。
 その証拠に、彼はあろうことかスィクの生殖器に手を伸ばした。使われることのないそれは健気に震え、刺激に驚いて蜜を溢れさせる。

「あっ、そこいらないっ、もっと奥、きてぇ……っ」
「ここもスィクの一部だよ。かわいい……いっぱい触りたい」
「やだ、やぁっ……はやく、じらすなよぉ」

 そこも快感を得はするが、欲しいのはそこじゃないのに。堪えきれずぽろぽろと落涙するスィクにエスカは慌てて涙を口唇で吸い取った。

「ご、ごめんスィク。すぐするから」
「うんっ……ぁ、あぁ、は、あ……!」

 性急に侵入してきた昂りを体全体で歓迎する。膣と化した交接孔はぐねぐねと男を食み、奥へ奥へと誘った。
 未知の感覚に唸りながら、しかし必死に理性を掻き集めてゆっくりと侵入を果たし、エスカは深く息を吐き出した。愛するオメガの腹の底のなんと熱く甘美なことか。

「全部入ったよ」
「ん、あぁ……えすか、エスカっ」
「うん。ゆっくりしようね……」

 体を屈めて唇をついばむと、思いのほか体格差があることに気づく。
 スィクはいつでも堂々としていて、孤独にも境遇にも屈しない強さを持っていた。だからこうして抱き合うまでは、彼が小柄でオメガらしい薄い体をしていることに気づけなかった。
 この誇り高き鳥を自分だけのものにできた。
 エスカの中に今まで存在しなかった強烈な欲望が湧き上がる。
 愛するものを得た苦楽、そしてそれを独占したいと希求する心。
 まだ見慣れない多色の翼でスィクをすっぽり包み込むと、腕の中の白翼がびくりと震えた。

「ぁ、エスカの羽……ほんとにきれい……」
「ありがとう。スィクのためにがんばったんだ」
「そっか……でもおれは、前の黒も好きだった、けどな」

 少しだけ寂しそうに微笑む伴侶に口付けを落としながら、ゆっくりと腰を動かす。スィクはぴぃぴぃと嬌声を上げ、肉襞を何度も引き絞った。

「ひゃ、ぁああ……あっあっ」
「……うっ」

 堪らず最奥へ怒張を押し込み、精を放つ。
 熱い飛沫が中に流れ込み、スィクはその刺激にすら軽く絶頂を味わったようだった。弱々しいさえずりが漏れる。
 生殖器をそっと抜くと、スィクはまた鳴いた。白い羽の上には白い体液が飛び散り、膝がふるふると震えている。エスカを見上げる瞳は潤んで虚ろだ。

「大丈夫?」
「……うん……気持ち良かった。これが交尾なんだ……」
「ぼくも気持ち良かった。ありがとうスィク」

 何度言っても言い足りない気がする感謝の言葉にスィクは微笑む。
 伴侶を得、唯一の愛まで獲得したオメガは凄絶な色気を放ち始めていた。これもまた、成人したことの証として受け止められるのだろう。

「おれたちの子ども、できたかなぁ」

 つがいの色気に当てられている男をよそに、スィクは呑気に腹を撫でている。

「スィクは早く子どもが欲しいの?」
「うーん。授かりものだし、早く欲しいってわけじゃないけど……エスカとの子なら」
「……」

 発情中のオメガは高い確率でたまごを孕むが、男のオメガは確率が下がる。産卵にも女オメガより危険が伴うため、エスカは子作りを急ぐつもりはなかった。
 しかし他でもないつがいが欲するならば、それに応えるのがアルファのつとめだ。

「よし。じゃあがんばろうか」
「え?」
「本当はスィクの体調を見ながら、今日は一回で良いかと思ったんだけど。スィクがお望みなんだから仕方ないよね」
「いや、急ぐわけじゃ」
「あと三回はできそうだから覚悟してね」
「ぴぇ……」

 こうしてスィクは成人早々伴侶に貪り尽くされ、丈夫だと思っていた巣が半壊に陥るまで揺さぶられたのだった。
 様々な体液でどろどろの体をなんとか清め、もう一歩も動けない体を巣に戻す。どこもかしこも鬱血や歯型で大変な有様だ。

「も、無理」
「さすがに無理させたよね、ごめん。後のことはぼくがやるから」

 エスカは申し訳無さそうにスィクの世話を焼く。
 スィクが泣いたり暴れたりしたせいで、枝で出来た丈夫な巣は一部崩れてしまった。寝そべって巣をつついていたスィクは、枝葉の間から見覚えのある太い棒が覗いていることに気づく。

「あ、これ。ぼくが持ってったやつ」

 倒木の広場へ持っていき、エスカの前で振ってみせた何にでも丁度いい枝は、巣の下支えとしても立派に役目を果たしていたようだ。
 それからは眠気が訪れるまで、ぽつぽつと会話をした。
 一月会わなかった日々のことを互いに報告し合う。
 エスカはひたすら巣作りに追われ、アルファ同士で熾烈な枝争いをしていたという。その最中、病気かと思うほどに羽が抜け始め、その下から色とりどりの翼が現れたのだと。

「びっくりしたよ。いきなり羽がほとんど全部抜けて、跳び上がることもできなくなったんだから」
「それは驚くなぁ」
「それから愛し子だなんて呼ばれるようになって、村のみんなの態度も急に変わるし……でものんびりしてられない時期だったからね。必死で巣作り再開して、抜けた羽も下敷きに使ったよ」
「この下にあの黒い羽あるのか? あとで見せて」
「うん」

 スィクは退屈だった禊の期間を話して聞かせた。
 途中、アルファのクィミクが乱入して絡まれたことを話すと、エスカの羽毛がぶわっと逆立った。

「なんだそれ……禊中のオメガに会いに行くなんて非常識すぎる。やっぱりぼく、あいつ嫌い」
「気が合うな、おれもだ。絡まれたけどすぐ振り払ったし、あとは無視したから」
「振り払った?」
「ん? あぁ、肩を掴まれて」
「肩……?」

 嫉妬に駆られたエスカがスィクの肩を舐めたり齧ったりしたせいで、スィクはますます人前に肌を出せない有様になってしまった。

「クィミクはきっと焦ったんだろうね。ぼくの羽が生え変わったのがそれくらいだから」
「あぁ……」

 禊の長屋で見かけたクィミクを思い出す。
 彼は昔から人気者だった。それなのに掟を破ったのは、スィクにまで粉をかけたのは、急に現れた愛し子の極彩色に気圧されて焦っていたからだったのか。
 エスカはスィクしか選ばなかった。この巣は丈夫で大きいが、二人しか入れない。
 結果的に彼の元にはたくさんのオメガが残ったはずだ。

「でも良かった、スィクがぼくを選んでくれて」
「違うよ。エスカがおれを選んだんだ。言ったろ、最後はアルファが選ぶものだって」
「それでも……スィクがぼくを見つけてくれなきゃ、僕は翼を恥じて縮こまって、今もきっとあの倒木に座り込んだままだったと思う。スィクのおかげだよ」

 エスカの手がさらさらとスィクの頭髪を撫で、羽冠を掬い取り口付ける。
 スィクの羽冠は三本になっていた。エスカも同じだ。
 羽冠は本当に親しい相手にしか触れさせない。スィクもエスカの羽冠に手を伸ばし撫でた。つやつやしてこしがあり、良い羽だ。そのまま黒い頭髪も撫でつける。
 髪を撫でた姿勢のまま、エスカの胸に寄り掛かた。安心できる場所だ。
 願わくば、命尽きるまでこの人とだけの一対でいたい。

「大好きだよ」

 こうしてスィクはやっと、生涯を共に送る運命の相手と結ばれたのだった。



おわり
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