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【シリアスBL】
月に魅入られ
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十年前の月の美しい夜、出会ったあいつと俺は一瞬で恋に落ちた。
誰にも祝福してもらえなくても、お互いの唯一は覆すことなどできなくて、俺たちは逃げた。誰も入ってこられないこの世の果ての地へ───。
【キーワード】
魔王攻め / 勇者受け / ファンタジー / 箱庭 / 流血表現あり / 性描写あり
◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆
月のきれいな晩は、月見酒をするに限る。
家のあかりを絞って庭にテーブルを出し、お気に入りのグラスでお気に入りの酒を飲む。一人でも風流だが、二人ならもっと楽しい。
「良い月だな」
「おまえに会ったのも、こんな月の夜だった」
「はは、何回その話するんだ?」
「何度でもする。あの素晴らしい出会いがなければ、ここにこうしていることもなかった」
くつろいだ格好で背もたれに体を預ける男へ肩を寄せると、同じようにこちらへ傾いてくる。肩が触れ、手のひらが合わせられ、唇が重なる。
グロテスクなほど紅い月の下で、俺たちは何度でもキスをする。
■ 月に魅入られ ■
黒い幹と黒い枝葉、下生えの草花すら濃色に沈む禍々しい色合いの森。
その奥地に俺たちは家を建て、畑を耕し家畜を飼って暮らしている。完全な自給自足───と胸を張って言えればよかったのだが、どうしても自分たちでは育てられない食物や生活必需品は、外部に頼る部分がある。
それでも、日の出とともに起床し夕闇とともに眠る生活は思いのほか肌に合った。
引退後に夢見ていたスローライフそのものがここにはあり、多少環境が特殊でも、家が建っているのが周辺諸国から「魔の森」と呼ばれ忌避される禁足地であっても、まったりした暮らしは変わらない。
魔の森とは言われているが、真っ黒で不気味なビジュアルと、ちょっと血気盛んな魔獣がいるのが物騒なくらいでふつうに生活する上で困ることはない。
唯一この家に通ってくる商人は、あなただからその程度で済むのだといつも言うが……やり方さえ弁えれば、ここは穏やかな地だ。
それに俺だけでなく、こいつもこの森に脅威を感じてはいない。
「なんだ、その目は。誘っているのか」
「誘ってな……っん」
「キスしたくなるだろう」
「もうしてる……」
こうなると月見酒どころではない。口付けが深くなり、いやらしい水音が静かな庭に響いて消える。
本格的に淫靡な雰囲気になる前に腕を突っ張って体を離したが、すぐに引き寄せられて再び口唇を塞がれた。こいつはひときわキスが好きだ。もちろん俺も好きだ。
「は、ぁ……するなら、ベッドで」
「したいのか?」
「……ん」
小さく頷いた瞬間にはもう抱き上げられていた。
体格はそう変わらないのに、こいつは軽々とこの体を持ち上げてしまう。首に腕を回してねだると、触れるだけのキスが再び与えられた。
せっかくの満月を堪能できたのはほんのひとときだけで、そのあとは月の光をベッドに沈んだまま見るだけとなった。
「あの頃は、こうなるとは思っていなかった」
「そうか?」
小さく呟いたつもりだったが、聞こえてしまっていたようだ。
ベッドに横たわったまま庭を眺める。
月本体は見えないが、眩しいほどの月光はベッドのそばまで降り注いでいた。
手だけでも光に晒そうと伸ばすと、後ろから抱き込まれて手首を捕らえられた。そのまま引き寄せられて指先を口に含まれ、ぞわぞわと背筋が粟立つ。
あの時まではただひたすらに武の道を生き、身も心も神と民のために使い、肉欲だの愛だのとは無縁の生活を送っていたというのに、快楽に慣れるのは一瞬だった。
それとも相手がこいつだったから、だろうか。
「当たり前だろ、おまえ出会った瞬間に俺の脚を切り飛ばしたじゃないか」
「すぐにくっつけてやっただろう」
「そういう問題じゃない」
この十年、何度もした問答だ。やりとりはもはや定型文。
その度に拗ねたようにそっぽを向けば、髪を撫でて機嫌を取ろうとしてくるこいつの行動もお約束だった。
「おまえが我を本気で殺そうとするから、身を守ったときにちょっと爪が掠っただけだ」
「爪が掠っただけで脚が弾け飛ぶ俺が悪いってか。だいたい俺の魔法なんておまえの髪の毛を焦がすことすらできなかったんだぞ」
「髪の先くらいは焼けたさ」
「フォローしてほしかったわけでもねーよ」
十年前この森で対峙し、脳髄が痺れるほど殺気を向けあった相手と、今はこうして同じベッドで眠る仲だ。
世の中どう転ぶかわかったもんじゃない。
腰まで伸びた長い髪を指に絡めてつんと引っ張る。少しだけ痛みに歪んだ端正な顔に満足感を得た。お返しとばかりに、なにも身につけていない肌に何度も歯型をつけられる。
こいつの犬歯は動物のように尖っているから、たまに皮膚が破けて血が出る。それをこいつの舌が舐め上げると途端に傷が癒える。
常人なら発狂しそうな愛撫も、とりわけ強靭な肉体と精神を持つよう育てられた俺にとっては、ちょっと気持ち悪いなと思う程度で済んでいた。
「おまえがあんまりにも我の好みだったから、手元が狂った。あのときおまえが失血死しなくて本当によかった」
当時を思い出したのか、うつ伏せだった体を反転させられて正面から抱き締められる。
力加減のないぎゅうぎゅうのハグは嬉しいが、同時に物理的な意味で苦しい。
「勇者を一瞬で掻っ攫われた俺の仲間は失血死しそうなくらい真っ青になってたけどな」
「そう……おまえの仲間。特に魔法使いと狩人……あいつらはおまえを取り返そうと何度も挑んできたな」
真っ赤な眼を恐ろしげに眇めて呻く男は、「勇者の仲間」を心底嫌っている。
絶対に命を奪うなときつく言い含めているおかげで大事には至っていないが、何度も森を出るよう説得しにくる彼らを男はいつも睨みつけ、その規格外の魔力量に物を言わせて一瞬で森の外に追い出す転移術を掛けてしまう。
彼らは苦労してこの家まで来るのに、俺と半刻やそこらおしゃべりしただけで帰らされてしまうのだ。もはやなんのために来るのか分からなくなっている頃だろう。
そんなことも十年続けば不定期のイベントごとのようなものだ。
「やつらは絶対におまえに気があるのだ。舐め回すようないやらしい目で我のものを見おって……」
「それは考えすぎだといつも言ってるだろ」
「おまえは危機感がなさすぎるのだ。だから魔法使いや狩人が性的な目的で肌に触れても、振り払いもしない」
「気にし過ぎだって。俺を抱きたいなんて思うのはおまえくらいだよ」
俺はおまえのものなんだから、と耳元で囁いてやる。
こう言われるのがこいつは一番好きだ。案の定、すぐに機嫌が直ったようでキスをいくつも贈られる。
お互いの存在すら許せず、どちらかが消えるまで戦うはずだった俺とこいつ。
俺は人々の希望を背負って立つ、神の力を受け継いだ唯一の人間で、こいつは魔のものを束ねる王だった。
絶対に交わらない道のはずだった。
それが何の因果か、お互いに極度の面食いだった俺たちは魔の森で出会いすぐに恋に落ちた。
木々の間から月光が差し、互いの姿を映し出したあの瞬間───俺はそれを一生忘れることはないだろう。
他者を寄せ付けず、恋や愛とは無縁で生きてきた若いふたりが惹かれ合い、することといえば決まっている。
転移術で瞬時に連れてこられた、王がねぐらにしていた古城。ベッドと呼ぶのも憚られる布の塊のような場所で激しく求め合い、お互いの気持ちを確認した頃にはもう相手を殺そうなどと微塵も考えられなくなってしまった。
───魔王と交わるなんて、おまえは人間を見捨てるのか───
腑抜けた俺を仲間は詰った。
王は魔のものたちから責め立てられた。
八方塞がりになった俺たちは、すべてを捨てて森の奥に引きこもった。幸い人間も魔のものも、魔の森に立ち入ろうなんてやつはいない。
中心へ近づくほどに邪悪な気が渦巻いていて、只人が一歩踏み入れば正気を失い肉体が崩れる───そんな地獄に入りたがるのは俺たちくらいだった。
このままここで二人とも死ぬんだと思った。
それでもいいと。
だが俺は死ななかった。王も生き残った。
それからは二人だけの場所で、のんびりとした暮らしを続けている。
空を眺め、森に分け入り、風の音をききながら微睡む。二人だけで心を寄り添わせ、時折体も求める。
それだけの暮らしが、ただひたすらに幸せだった。
人間を守るために剣を握ったことなど一度もない。
ただ魔のものを滅するため、己の前に立ちはだかるものを斬り倒すために作られたからそう生きてきただけだ。
見捨てるもなにも、はじめから抱え込んでなどいなかった。
王はそんな空っぽの心に寄り添ってくれた。
何もない俺を笑うことも責めることも、憐れむこともなかった。ただ共に生きると言ってくれた。
その言葉に俺がどれだけ救われたかなんて、当の本人にも分からないに違いない。
「そろそろ、結界の掛け直しの頃かな」
「そうか。次は我が術を施そう」
「だめ、おまえがやると誰も通れなくするだろう。次も俺だ」
「他のものが入ってくる必要などない。我にはおまえだけいればいい」
先程まではすべてを支配せんとばかりに俺を苛んでいたのに、今はどこか頼りなく気弱なようすを見せる。
縋るような声で抱き込まれるのに俺はすぐ絆されてしまう。愛しさが込み上げて、この偉そうな男をどろどろに甘やかしてしまいたくなる。
しかし結界の件は別だ。
只人である商人の老爺は、俺が作った結界の道がなければここまで辿り着けない。
「やっぱりだめ。商人のじいさんがここに来れなくなったら、月見酒もできなくなるからな」
「……ちっ」
「舌打ちをするな」
話は終わったとばかりに布間から抜け出して、開け放たれたままの窓に近寄る。
首を伸ばして見上げた先には、さっきと変わらない、昔と全く同じ大きな満月があった。まるでのし掛かってくるかのような、すべてを押し潰すのかと見紛う巨大な赤。それなのに放つ光はどうしてか優しい。
肌触りのいい長衣を肩から掛けられて振り向くと、紅と目があった。
月より濃くて鈍い赤は、心配そうに少しだけ揺れている。魔力が高濃度で滞留しているこの森は常にぬるい気温で保たれているので、裸で歩き回っても風邪など引かないのだが、この男は妙に心配性だった。
どんなものでも指先ひとつで壊せてしまうのに、俺が壊れることを恐れるなんてなんだか滑稽だ。
「……なにを笑っている」
「いやぁ、おまえホント俺のこと好きだな、と思って」
「好きでは足りない。愛している」
真顔でそんなことを言う男がどうしてもおかしくて、絹布を搔き合せて口元を隠した。しかし漏れる声は隠しようがなく、笑っていることはとうにバレているだろう。
「我の愛を疑うか」
「そんなこと言ってないだろう」
「大笑いしているではないか。仕置きが必要だな」
「わっ、おい!」
デジャヴだ。
さっきと同じようにひょいと抱え上げられ運ばれる。俺の意思なんてないも同然に、ベッドへ逆戻りとなった。
「疑う余地がないほど愛してやる」
こいつは常に有言実行だった。俺の口角が引き攣る。
男の腿の上に座る体勢を取らされ、深い口付けがなされる。口腔を絶え間なく弄られながら空いた手が火照った皮膚を撫で付けた。脆弱な人間の体はそれだけでびくびくと跳ね、酸素を求めて喘ぐとさらに奥まで男の長い舌を迎え入れてしまう。
ついでとばかりに目と鼻を大きな手のひらで塞がれた。気道が完全に絶たれる。
いやこれは本当に、冗談じゃなく。
「ち……窒息する……! は、はぁ……やめろ馬鹿!」
「丁度いい、しばらく気絶でもしていろ」
「気絶した俺をどうする気だこの鬼畜! あっこら……!」
ついさっきまで男を受け入れていた後孔は緩んでいて、不埒な指の侵入を簡単に許してしまった。ぐちぐちと音がするほど潤滑液まみれの場所に、すっかり立ち上がって熱を持ったものが押し当てられる。
綻んだ蕾が歓喜に震えるのが自分でも判る。
「あ、っは……ふ、ふは」
「なにを、笑っている」
「だって……触ってもないのにおまえの、がちがちじゃん。そんなに俺が欲しいのか」
「欲しい。食わせろ」
汗が浮いた首筋をひと撫でしたかと思えば、喉仏の下を思いっきり噛まれた。同時に衝撃を感じるほどの熱量がねじ込まれ、僅かな悲鳴と共に肺に溜まった空気が押し出される。
鋭い痛みが体を縦に引き裂くように響いた。また血が出るほど噛み付いているらしい。
相手は吸血鬼でもないのに、俺はしょっちゅう流血させられる。
俺の下半身に触れるときは、傷つくことなど絶対に許さないとばかりにどろどろになるまでしつこく前戯を施すのに、上半身は血塗れになるほど齧るというのはどういうことなのか。
「ぅぐ……本当に食うつもりかよ」
「そんなわけないだろう。味見しただけだ」
「痛ぇんだよ馬鹿力!」
ぽっかりと牙の形に穴が空いているであろう首筋を熱心に舐められながら、ゆっくりと腰が動きはじめる。
痛みと快感が同時に襲ってきて集中できないのに、俺の体はどんどん昂ぶって勝手に涙が流れた。血と一緒にそのしょっぱい水分も舐め取られていく。
「はぁっ、あ、あっ……くそ、いてぇ……」
「喘ぐか悪態をつくかどちらかにしたらどうだ」
「おまえのせいだっての! んぁあっ」
傷の治癒が終わったのか、今度は肩口に歯を立てられた。
対面座位で揺さぶられ、背中側に逃げようとする体を爪の長い手が引き戻す。赤黒い爪がなぞるごとに薄皮が裂けるので、きっと腕や背中は大惨事になっていることだろう。
頭が朦朧としてきているのは、度重なる情事とひっきりなしの出血のせいだ。
「も、終わりにしてくれ……っ」
肩に張り付いている頭を引き剥がし、両手で頬を掴んでキスを仕掛けた。血の味がする。
なぜ責め苦に似た行為を強いられているのかわからないが、これは長引くと危険だ。命の危険すら感じる。
ことこの男にとって人間の肉体は脆弱すぎて、力加減が分かっていない節があるから尚更だ。
回らなくなりつつある頭で考えた苦肉の策だったが、どうやら機嫌を取ることには成功したらしい。舌を絡めあっているうちに下肢の動きが激しくなり、内部に熱を感じた。それに引き摺られるように精を放って、ようやく俺は解放される。
人と変わらぬ見た目であっても、こいつは魔のものの王だ。遠慮なく貪られれば身が持たない。
ある程度好きにさせて、それ以降はこちらが主導権を握るくらいでないと一瞬で意識も生命も刈り取られる。もはや情交というよりは死闘に近い。
シーツに触れる背がびりびり痛むので脇腹を下にして横たわると、長い爪がなくなった白い指が優しく俺の前髪を梳いた。
「……」
「すまない、無理をさせた」
どんなに手酷いセックスでも、どれだけ傷をつけられても、俺はこいつを憎めない。嫌いになることすらできない。
「自覚があるんなら、せめて爪を引っ込めてくれよ」
「感情が昂ぶると勝手に伸びるんだ……だが、気をつけよう」
「そうしてくれ、はぁ……」
血の滲む皮膚に男の手が滑ると、浅い傷は跡形もなく消える。
遠慮なく背中からベッドに沈めば男も横にぴったりとくっついて寝そべった。重怠い腕を持ち上げて、白くて少しだけ冷たい体を抱き寄せる。
「で? なんで臍曲げてた」
「……」
「言えよ」
「…………おまえが月に見惚れていたからだ」
それっきりぷいと向こうを向いてしまったこいつは、つまるところ、月に嫉妬したということだ。
堪らず噴き出して笑うと、絡めた足を軽く蹴られた。
その子供っぽい仕草がますますおかしく、また愛おしい。
「悪かった、今後は月見にもおまえの許可を取ろう」
「そうしてくれ」
美しい月と穏やかな月光に背を向けて目を閉じる。
おまえが他のなにもいらないと言うのと同じように、俺もおまえ以外なにもいらないと思っていることを、彼はいつ気づくのだろう。
言葉で告げるのは簡単だが、それはなんとなく悔しい気がした。
とはいえ時間はたっぷりある。
未だ俺の体温に慣れない、不安を抱えたままの孤独な王が、心からの愛を知る日もそう遠くはない。
「おやすみ、───……」
空を見上げなくても、俺のためだけの月はここにある。
滅多に呼ばない男の真名は、夜闇に溶けて誰に聞かれることもなかった。
おわり
誰にも祝福してもらえなくても、お互いの唯一は覆すことなどできなくて、俺たちは逃げた。誰も入ってこられないこの世の果ての地へ───。
【キーワード】
魔王攻め / 勇者受け / ファンタジー / 箱庭 / 流血表現あり / 性描写あり
◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆
月のきれいな晩は、月見酒をするに限る。
家のあかりを絞って庭にテーブルを出し、お気に入りのグラスでお気に入りの酒を飲む。一人でも風流だが、二人ならもっと楽しい。
「良い月だな」
「おまえに会ったのも、こんな月の夜だった」
「はは、何回その話するんだ?」
「何度でもする。あの素晴らしい出会いがなければ、ここにこうしていることもなかった」
くつろいだ格好で背もたれに体を預ける男へ肩を寄せると、同じようにこちらへ傾いてくる。肩が触れ、手のひらが合わせられ、唇が重なる。
グロテスクなほど紅い月の下で、俺たちは何度でもキスをする。
■ 月に魅入られ ■
黒い幹と黒い枝葉、下生えの草花すら濃色に沈む禍々しい色合いの森。
その奥地に俺たちは家を建て、畑を耕し家畜を飼って暮らしている。完全な自給自足───と胸を張って言えればよかったのだが、どうしても自分たちでは育てられない食物や生活必需品は、外部に頼る部分がある。
それでも、日の出とともに起床し夕闇とともに眠る生活は思いのほか肌に合った。
引退後に夢見ていたスローライフそのものがここにはあり、多少環境が特殊でも、家が建っているのが周辺諸国から「魔の森」と呼ばれ忌避される禁足地であっても、まったりした暮らしは変わらない。
魔の森とは言われているが、真っ黒で不気味なビジュアルと、ちょっと血気盛んな魔獣がいるのが物騒なくらいでふつうに生活する上で困ることはない。
唯一この家に通ってくる商人は、あなただからその程度で済むのだといつも言うが……やり方さえ弁えれば、ここは穏やかな地だ。
それに俺だけでなく、こいつもこの森に脅威を感じてはいない。
「なんだ、その目は。誘っているのか」
「誘ってな……っん」
「キスしたくなるだろう」
「もうしてる……」
こうなると月見酒どころではない。口付けが深くなり、いやらしい水音が静かな庭に響いて消える。
本格的に淫靡な雰囲気になる前に腕を突っ張って体を離したが、すぐに引き寄せられて再び口唇を塞がれた。こいつはひときわキスが好きだ。もちろん俺も好きだ。
「は、ぁ……するなら、ベッドで」
「したいのか?」
「……ん」
小さく頷いた瞬間にはもう抱き上げられていた。
体格はそう変わらないのに、こいつは軽々とこの体を持ち上げてしまう。首に腕を回してねだると、触れるだけのキスが再び与えられた。
せっかくの満月を堪能できたのはほんのひとときだけで、そのあとは月の光をベッドに沈んだまま見るだけとなった。
「あの頃は、こうなるとは思っていなかった」
「そうか?」
小さく呟いたつもりだったが、聞こえてしまっていたようだ。
ベッドに横たわったまま庭を眺める。
月本体は見えないが、眩しいほどの月光はベッドのそばまで降り注いでいた。
手だけでも光に晒そうと伸ばすと、後ろから抱き込まれて手首を捕らえられた。そのまま引き寄せられて指先を口に含まれ、ぞわぞわと背筋が粟立つ。
あの時まではただひたすらに武の道を生き、身も心も神と民のために使い、肉欲だの愛だのとは無縁の生活を送っていたというのに、快楽に慣れるのは一瞬だった。
それとも相手がこいつだったから、だろうか。
「当たり前だろ、おまえ出会った瞬間に俺の脚を切り飛ばしたじゃないか」
「すぐにくっつけてやっただろう」
「そういう問題じゃない」
この十年、何度もした問答だ。やりとりはもはや定型文。
その度に拗ねたようにそっぽを向けば、髪を撫でて機嫌を取ろうとしてくるこいつの行動もお約束だった。
「おまえが我を本気で殺そうとするから、身を守ったときにちょっと爪が掠っただけだ」
「爪が掠っただけで脚が弾け飛ぶ俺が悪いってか。だいたい俺の魔法なんておまえの髪の毛を焦がすことすらできなかったんだぞ」
「髪の先くらいは焼けたさ」
「フォローしてほしかったわけでもねーよ」
十年前この森で対峙し、脳髄が痺れるほど殺気を向けあった相手と、今はこうして同じベッドで眠る仲だ。
世の中どう転ぶかわかったもんじゃない。
腰まで伸びた長い髪を指に絡めてつんと引っ張る。少しだけ痛みに歪んだ端正な顔に満足感を得た。お返しとばかりに、なにも身につけていない肌に何度も歯型をつけられる。
こいつの犬歯は動物のように尖っているから、たまに皮膚が破けて血が出る。それをこいつの舌が舐め上げると途端に傷が癒える。
常人なら発狂しそうな愛撫も、とりわけ強靭な肉体と精神を持つよう育てられた俺にとっては、ちょっと気持ち悪いなと思う程度で済んでいた。
「おまえがあんまりにも我の好みだったから、手元が狂った。あのときおまえが失血死しなくて本当によかった」
当時を思い出したのか、うつ伏せだった体を反転させられて正面から抱き締められる。
力加減のないぎゅうぎゅうのハグは嬉しいが、同時に物理的な意味で苦しい。
「勇者を一瞬で掻っ攫われた俺の仲間は失血死しそうなくらい真っ青になってたけどな」
「そう……おまえの仲間。特に魔法使いと狩人……あいつらはおまえを取り返そうと何度も挑んできたな」
真っ赤な眼を恐ろしげに眇めて呻く男は、「勇者の仲間」を心底嫌っている。
絶対に命を奪うなときつく言い含めているおかげで大事には至っていないが、何度も森を出るよう説得しにくる彼らを男はいつも睨みつけ、その規格外の魔力量に物を言わせて一瞬で森の外に追い出す転移術を掛けてしまう。
彼らは苦労してこの家まで来るのに、俺と半刻やそこらおしゃべりしただけで帰らされてしまうのだ。もはやなんのために来るのか分からなくなっている頃だろう。
そんなことも十年続けば不定期のイベントごとのようなものだ。
「やつらは絶対におまえに気があるのだ。舐め回すようないやらしい目で我のものを見おって……」
「それは考えすぎだといつも言ってるだろ」
「おまえは危機感がなさすぎるのだ。だから魔法使いや狩人が性的な目的で肌に触れても、振り払いもしない」
「気にし過ぎだって。俺を抱きたいなんて思うのはおまえくらいだよ」
俺はおまえのものなんだから、と耳元で囁いてやる。
こう言われるのがこいつは一番好きだ。案の定、すぐに機嫌が直ったようでキスをいくつも贈られる。
お互いの存在すら許せず、どちらかが消えるまで戦うはずだった俺とこいつ。
俺は人々の希望を背負って立つ、神の力を受け継いだ唯一の人間で、こいつは魔のものを束ねる王だった。
絶対に交わらない道のはずだった。
それが何の因果か、お互いに極度の面食いだった俺たちは魔の森で出会いすぐに恋に落ちた。
木々の間から月光が差し、互いの姿を映し出したあの瞬間───俺はそれを一生忘れることはないだろう。
他者を寄せ付けず、恋や愛とは無縁で生きてきた若いふたりが惹かれ合い、することといえば決まっている。
転移術で瞬時に連れてこられた、王がねぐらにしていた古城。ベッドと呼ぶのも憚られる布の塊のような場所で激しく求め合い、お互いの気持ちを確認した頃にはもう相手を殺そうなどと微塵も考えられなくなってしまった。
───魔王と交わるなんて、おまえは人間を見捨てるのか───
腑抜けた俺を仲間は詰った。
王は魔のものたちから責め立てられた。
八方塞がりになった俺たちは、すべてを捨てて森の奥に引きこもった。幸い人間も魔のものも、魔の森に立ち入ろうなんてやつはいない。
中心へ近づくほどに邪悪な気が渦巻いていて、只人が一歩踏み入れば正気を失い肉体が崩れる───そんな地獄に入りたがるのは俺たちくらいだった。
このままここで二人とも死ぬんだと思った。
それでもいいと。
だが俺は死ななかった。王も生き残った。
それからは二人だけの場所で、のんびりとした暮らしを続けている。
空を眺め、森に分け入り、風の音をききながら微睡む。二人だけで心を寄り添わせ、時折体も求める。
それだけの暮らしが、ただひたすらに幸せだった。
人間を守るために剣を握ったことなど一度もない。
ただ魔のものを滅するため、己の前に立ちはだかるものを斬り倒すために作られたからそう生きてきただけだ。
見捨てるもなにも、はじめから抱え込んでなどいなかった。
王はそんな空っぽの心に寄り添ってくれた。
何もない俺を笑うことも責めることも、憐れむこともなかった。ただ共に生きると言ってくれた。
その言葉に俺がどれだけ救われたかなんて、当の本人にも分からないに違いない。
「そろそろ、結界の掛け直しの頃かな」
「そうか。次は我が術を施そう」
「だめ、おまえがやると誰も通れなくするだろう。次も俺だ」
「他のものが入ってくる必要などない。我にはおまえだけいればいい」
先程まではすべてを支配せんとばかりに俺を苛んでいたのに、今はどこか頼りなく気弱なようすを見せる。
縋るような声で抱き込まれるのに俺はすぐ絆されてしまう。愛しさが込み上げて、この偉そうな男をどろどろに甘やかしてしまいたくなる。
しかし結界の件は別だ。
只人である商人の老爺は、俺が作った結界の道がなければここまで辿り着けない。
「やっぱりだめ。商人のじいさんがここに来れなくなったら、月見酒もできなくなるからな」
「……ちっ」
「舌打ちをするな」
話は終わったとばかりに布間から抜け出して、開け放たれたままの窓に近寄る。
首を伸ばして見上げた先には、さっきと変わらない、昔と全く同じ大きな満月があった。まるでのし掛かってくるかのような、すべてを押し潰すのかと見紛う巨大な赤。それなのに放つ光はどうしてか優しい。
肌触りのいい長衣を肩から掛けられて振り向くと、紅と目があった。
月より濃くて鈍い赤は、心配そうに少しだけ揺れている。魔力が高濃度で滞留しているこの森は常にぬるい気温で保たれているので、裸で歩き回っても風邪など引かないのだが、この男は妙に心配性だった。
どんなものでも指先ひとつで壊せてしまうのに、俺が壊れることを恐れるなんてなんだか滑稽だ。
「……なにを笑っている」
「いやぁ、おまえホント俺のこと好きだな、と思って」
「好きでは足りない。愛している」
真顔でそんなことを言う男がどうしてもおかしくて、絹布を搔き合せて口元を隠した。しかし漏れる声は隠しようがなく、笑っていることはとうにバレているだろう。
「我の愛を疑うか」
「そんなこと言ってないだろう」
「大笑いしているではないか。仕置きが必要だな」
「わっ、おい!」
デジャヴだ。
さっきと同じようにひょいと抱え上げられ運ばれる。俺の意思なんてないも同然に、ベッドへ逆戻りとなった。
「疑う余地がないほど愛してやる」
こいつは常に有言実行だった。俺の口角が引き攣る。
男の腿の上に座る体勢を取らされ、深い口付けがなされる。口腔を絶え間なく弄られながら空いた手が火照った皮膚を撫で付けた。脆弱な人間の体はそれだけでびくびくと跳ね、酸素を求めて喘ぐとさらに奥まで男の長い舌を迎え入れてしまう。
ついでとばかりに目と鼻を大きな手のひらで塞がれた。気道が完全に絶たれる。
いやこれは本当に、冗談じゃなく。
「ち……窒息する……! は、はぁ……やめろ馬鹿!」
「丁度いい、しばらく気絶でもしていろ」
「気絶した俺をどうする気だこの鬼畜! あっこら……!」
ついさっきまで男を受け入れていた後孔は緩んでいて、不埒な指の侵入を簡単に許してしまった。ぐちぐちと音がするほど潤滑液まみれの場所に、すっかり立ち上がって熱を持ったものが押し当てられる。
綻んだ蕾が歓喜に震えるのが自分でも判る。
「あ、っは……ふ、ふは」
「なにを、笑っている」
「だって……触ってもないのにおまえの、がちがちじゃん。そんなに俺が欲しいのか」
「欲しい。食わせろ」
汗が浮いた首筋をひと撫でしたかと思えば、喉仏の下を思いっきり噛まれた。同時に衝撃を感じるほどの熱量がねじ込まれ、僅かな悲鳴と共に肺に溜まった空気が押し出される。
鋭い痛みが体を縦に引き裂くように響いた。また血が出るほど噛み付いているらしい。
相手は吸血鬼でもないのに、俺はしょっちゅう流血させられる。
俺の下半身に触れるときは、傷つくことなど絶対に許さないとばかりにどろどろになるまでしつこく前戯を施すのに、上半身は血塗れになるほど齧るというのはどういうことなのか。
「ぅぐ……本当に食うつもりかよ」
「そんなわけないだろう。味見しただけだ」
「痛ぇんだよ馬鹿力!」
ぽっかりと牙の形に穴が空いているであろう首筋を熱心に舐められながら、ゆっくりと腰が動きはじめる。
痛みと快感が同時に襲ってきて集中できないのに、俺の体はどんどん昂ぶって勝手に涙が流れた。血と一緒にそのしょっぱい水分も舐め取られていく。
「はぁっ、あ、あっ……くそ、いてぇ……」
「喘ぐか悪態をつくかどちらかにしたらどうだ」
「おまえのせいだっての! んぁあっ」
傷の治癒が終わったのか、今度は肩口に歯を立てられた。
対面座位で揺さぶられ、背中側に逃げようとする体を爪の長い手が引き戻す。赤黒い爪がなぞるごとに薄皮が裂けるので、きっと腕や背中は大惨事になっていることだろう。
頭が朦朧としてきているのは、度重なる情事とひっきりなしの出血のせいだ。
「も、終わりにしてくれ……っ」
肩に張り付いている頭を引き剥がし、両手で頬を掴んでキスを仕掛けた。血の味がする。
なぜ責め苦に似た行為を強いられているのかわからないが、これは長引くと危険だ。命の危険すら感じる。
ことこの男にとって人間の肉体は脆弱すぎて、力加減が分かっていない節があるから尚更だ。
回らなくなりつつある頭で考えた苦肉の策だったが、どうやら機嫌を取ることには成功したらしい。舌を絡めあっているうちに下肢の動きが激しくなり、内部に熱を感じた。それに引き摺られるように精を放って、ようやく俺は解放される。
人と変わらぬ見た目であっても、こいつは魔のものの王だ。遠慮なく貪られれば身が持たない。
ある程度好きにさせて、それ以降はこちらが主導権を握るくらいでないと一瞬で意識も生命も刈り取られる。もはや情交というよりは死闘に近い。
シーツに触れる背がびりびり痛むので脇腹を下にして横たわると、長い爪がなくなった白い指が優しく俺の前髪を梳いた。
「……」
「すまない、無理をさせた」
どんなに手酷いセックスでも、どれだけ傷をつけられても、俺はこいつを憎めない。嫌いになることすらできない。
「自覚があるんなら、せめて爪を引っ込めてくれよ」
「感情が昂ぶると勝手に伸びるんだ……だが、気をつけよう」
「そうしてくれ、はぁ……」
血の滲む皮膚に男の手が滑ると、浅い傷は跡形もなく消える。
遠慮なく背中からベッドに沈めば男も横にぴったりとくっついて寝そべった。重怠い腕を持ち上げて、白くて少しだけ冷たい体を抱き寄せる。
「で? なんで臍曲げてた」
「……」
「言えよ」
「…………おまえが月に見惚れていたからだ」
それっきりぷいと向こうを向いてしまったこいつは、つまるところ、月に嫉妬したということだ。
堪らず噴き出して笑うと、絡めた足を軽く蹴られた。
その子供っぽい仕草がますますおかしく、また愛おしい。
「悪かった、今後は月見にもおまえの許可を取ろう」
「そうしてくれ」
美しい月と穏やかな月光に背を向けて目を閉じる。
おまえが他のなにもいらないと言うのと同じように、俺もおまえ以外なにもいらないと思っていることを、彼はいつ気づくのだろう。
言葉で告げるのは簡単だが、それはなんとなく悔しい気がした。
とはいえ時間はたっぷりある。
未だ俺の体温に慣れない、不安を抱えたままの孤独な王が、心からの愛を知る日もそう遠くはない。
「おやすみ、───……」
空を見上げなくても、俺のためだけの月はここにある。
滅多に呼ばない男の真名は、夜闇に溶けて誰に聞かれることもなかった。
おわり
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