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【ハッピーBL】
むくつけき後宮の花
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皇帝および第二皇子に仕える宮中守備隊隊長の絽峰は、第二皇子・天弦を幼い頃から弟のように可愛がって育てた。
天弦が成人を迎えるにあたり、皇子の後宮に寵姫どころか妃候補すらいないというのは体面が悪いからと、男で見目良くもない絽峰がなぜか「妃候補」として連れ込まれてしまう。
かわいい弟分の頼みということで一月だけ寵姫のふりをすることを了承した絽峰は、なぜか天弦と「初夜」をすることになってしまい───。
【キーワード】
泣き虫年下攻め / 筋肉年上受け / アジアンファンタジー / 後宮 / 絆され / 性描写あり
むくつけき:無骨でむさくるしい男を意味する語。(実用日本語表現辞典より)
◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆
きらめく金の糸がいくつも縫い込まれた、薄い紗に囲まれる。
淡い桃色で統一された部屋は、主の心を解し穏やかに過ごせるようにと考えて作られた部屋だ。
同じような構造の居室がいくつもあるこの建物は普段「奥」と呼ばれている。
この国を統べる中央宮殿の影に隠されるように建っている立地だから、というのが表向きの名目で、実際は「秘されるべき場所」だからだ。
ここはいわゆる後宮。
宮殿で交わされる欲望や利害とは一線を引く、女の園。
政に疲れた皇族たちの疲れを癒やし、時に支える「宮の花」が住まう建物だ。
一流の建築技術と一級の調度品で設えられたこの場所は、主たる皇族各人以外男子禁制。
宮殿に配属された日、ふわふわと浮かれた気持ちのまま外観を眺めたときには、まさかこんな日が来るとは思っても見なかった。
美しい彫りで作られた、無骨な男の指先では触れるだけで壊してしまいそうな硝子で作られた酒器で「花」たちは毎日晩酌をしていると聞いたとき「一度くらい忍び込んでみたい」などと考えた過去の自分を殴りたい。
部屋の中央に広げられた、繊細な紋様の敷物に胡座をかいて座る男がひとり。
「……言っておきますが、おれはまだ納得したわけじゃありませんよ」
行儀悪く片膝の上に肘をつき、傾いた上体から正面をじろりと睨みあげた男は、後宮という場所に最も似つかわしくない部類の外見をしていた。
がっしりとした体格は窮屈そうな宮中守備隊の制服に包まれている。布の上からでも、全身に纏った実用重視の筋肉がはっきり見て取れた。
極めて目付きの悪い相貌にはいくつもの古傷がある。
特に右目の上、眉を抉り取るように走った刃物傷が、男の人相を最悪の印象に仕立てていた。
おまけに男は帯剣している。
突き刺すことに特化した鋭い鋼剣が、革の鞘に包まれて男の腰に収まっている。敷地内の巡回に欠かせない装備をほとんど建物入り口に置いてきたため、男としてはこれでもかなり心もとない防御力となっている。
しかし男子どころか刃物も当然持ち込み禁止の後宮で、散々揉めた挙げ句、特例的に帯剣を許されたのだ。これ以上不満を言うのは控えている。
それでも全身から不機嫌なオーラを放つ男の前にもうひとり、男が座っていた。
「ごめんなさい、絽峰……でも、他に方法がなくて」
さっきまでさめざめと泣いていたのにまた涙を零しそうな気配に、絽峰と呼ばれた強面の男は内心慌てた。
いつものように、彼専用になっている真っ白の布巾を胸元から取り出して涙を拭ってやりたくなって───今は怒っているのだからと、なんとか姿勢もそのままに踏みとどまる。
「泣いたってだめですよ、天弦様。おれは怒ってるんですからね」
「うっ……ご、めんなさ……ひ、ひくっ……」
「……」
無意識に制服の合わせ目に伸びた手を叱咤して戻す。
絽峰にだって自覚はあった。
自分が、皇位継承権第二位の皇子・天弦を警護する守備隊長の絽峰こそが、幼い頃から彼を甘やかし構い倒したせいで、このような泣き虫のへっぽこ皇子に育ってしまったのだということは。
今までいつだって彼の願いを聞いてきた。
難しい願い事は叶えられないこともあったが、天弦は昔から控えめで聡い子供だった。
滅多に会えぬ父母を想って頬を濡らす以外、無茶なおねだりや無謀な要求をしてくることは殆どない。寂しさも、ひとり寝台で泣いて晴らすような子供なのだ。
そんないじらしい態度が絽峰はかわいくて仕方がなく……10離れた年の差から、時に子のように、時に弟のように接するうち天弦も心を許し、ふたりは宮中一の主従と言われるまでに互いを信頼している関係となった。
天弦が長じるにつれ、皇子としての責任が重くのしかかってくるようになっていることに絽峰も当然気がついていた。
しかし実際にこうして自らが厄介事に巻き込まれるまでは、どんな問題も解決できるだろうと根拠なく信じていた部分は、確かにあった。
天弦はやや弱虫な性格ではあるが、聡明で非常時にも狼狽えない胆力がある。
皇族としての政務に関しては、さすがに絽峰に手伝えることはない。せいぜい日々鍛錬に励み、有事の際この身を賭して天弦を守れるよう保つことしかできなかった。
それが急に「お願い、絽峰にしか頼めないんだ」なんて可愛い弟分が泣きついてきたら……一も二もなく了承してしまうものだろう。
(それがまさか、こんな内容とは……)
すすり泣く天弦を見ないようにしながら、絽峰は首を巡らせて室内を見渡した。
見れば見るほど豪奢で美しい部屋だ。自分に似合う位置は一寸もない。
警備のために廊下を歩くことすら、奇異の目で見られることだろう。
それなのに絽峰は、少なくとも短期間、この部屋で暮らさなければならなくなってしまった。
天弦の「未来の皇妃」として、だ。
威嚇するようにだらしなく崩していた姿勢を少し正して、絽峰は己の主をじっと見つめた。
ことの始まりは数時間前。
いつものように宮殿の、第二皇子居住区周辺を重点的に警邏していた絽峰の元に、天弦の使いの者がやってきた。すぐに来てほしいと言付けされる。
天弦から呼び出されることは珍しくない。ほとんどは畏まった内容でもないので、最低限の装備だけを携えて彼の居室へ向かった。
「失礼いたします……皇子?」
「……ろほう……」
絽峰の住まう独身士官用の借家がまるまる二個ほど入ってしまいそうなほど広い、天弦の部屋の真ん中に、彼はいた。
椅子に座って項垂れていた頭が、絽峰のほうへ僅かに傾く。
長く伸ばされた皇族らしい美しい髪の隙間から、呻くような泣き声のような音が漏れてきて、絽峰は思わず駆け寄った。
「皇子! どうされたのですか、お加減が良くないのですか?」
「違う、違うんだけど……」
医師を呼ぼうと駆け出そうとする絽峰を、天弦のか細い声が引き止める。
どうやら病の気や怪我でないらしいと悟り、絽峰は再び椅子の足元に跪いて主君を見上げた。
「それならどうして、そんなにも苦しげなのですか」
「絽峰……お願いが、あるんだ。こんなこと、絽峰にしか頼めない」
「……天弦」
衣服の胸元を掻き合わせ、苦しそうに声を絞り出す主の手を絽峰はそっと取った。
今にも泣き濡れてしまいそうな瞳と目が合う。
いつも強面だと忌避され、異性どころか同僚にまで恐れられる顔面に、絽峰は精一杯優しい笑みを浮かべてみせた。
「おまえの苦しみは、おれの苦しみだ。少しでもおまえの苦悩を消し去る手伝いができるのなら、おれはこの命さえ惜しくはない」
「滅多なこと言わないでよ、絽峰!」
「冗談のつもりはないぜ、死なないに越したこたないけどよ。で? おれの可愛い弟分を泣かせるのはどんな悩みなんだ」
他の者がいないときだけ砕ける絽峰の言葉と態度に、天弦は強張った表情をやっと少しだけ綻ばせた。
「ありがとう、絽峰。わたしはいつもあなたに助けられてばかりだ」
「気にすんな。おまえのためなら例え火の中水の中、だぜ」
「うん……。でもそういうことなら、これから行くところはずっと居心地がいいと思う」
「お? どこかへ行きたいのか」
天弦の手を捧げ持ったまま椅子から立たせると、絽峰は連れ立って部屋を出た。いやどちらかといえば天弦に先導されていた。
しきりに「ありがとう」「やっぱり絽峰は頼りになる」などと褒められまくる道中では、行き先を尋ねることもできず、絽峰はあれよあれよという間にこの「奥」へ連れてこられたのだった。
男子禁制の建物に立ち入るというのに、すれ違う後宮付きの女官たちから絽峰を見咎めないことに違和感を覚えつつ、きらびやかな花園の景色に目を奪われている間にこの部屋へと連れ込まれてしまった。
室内のど真ん中で呆然と立ち尽くす筋肉男と、なぜか恥ずかしそうにもじもじしている皇子という構図は、絽峰の怒鳴り声で崩れた。
「天! どういうことか説明しろッ!」
幼い頃から叱るときしか使わない名称で呼ばれ、即座に正座して姿勢を正した天弦と向かい合い───聞き出した事情の馬鹿馬鹿しさに絽峰は頭痛がするのを感じた。
「つまり……おまえも18になる、立派な成人であると見なされたければ、妃候補のひとりでも連れてこいと皇帝陛下に言われたと」
「うん」
「で、下手な女人を連れてくるわけにいかず、かといって恋仲の相手も許嫁もいないから、おれを代役として立てることを思いついた、と」
「そうそう」
「馬鹿! 男を連れてくるやつがあるかッ!」
「ごめんなさい!」
正座のまま上半身をぺったり伏せた天弦を、痛むこめかみを揉みながら見下ろす。
聡明で無害な弟分だと思っていたが、訂正しなくてはならない。こいつはときどきとても馬鹿だ。
しかし事情は分かった。
「もうこうなった以上仕方がないから、付き合ってやる。後宮に妃候補がいればいいんだろ」
「じゃあ……!」
「不本意だが、ここにいてやる。かわいいおまえの頼みだからな」
「ありがとう絽峰!!」
飛びついてきた天弦を受け止める。ぽんぽんと背中を叩いてやると、腕の中に収まった体が嬉しそうに擦り寄ってきた。
あの頃よりずっと背が伸び、図体もでかくなった皇子だが、それでも絽峰より僅かに身長が高いだけだ。嗜む程度にしか武術を修めていない天弦の体は薄く、絽峰がその気になれば容易に組み敷けてしまう。
(そんな相手の「嫁」候補か。おれが……)
国民にお披露目される皇帝と皇后の華やかな婚儀装束。
その片方を自分が着ている想像が一瞬過ぎり、絽峰は表皮にぞわっと寒気を感じたのだった。
とにかく絽峰を連れてくることに必死だった天弦は、急いで「妃候補」を受け入れる準備をするため部屋を出ていった。
絽峰は一人取り残され、手持ち無沙汰に部屋を見回した。
部屋にある布類はすべて刺繍かと思うほどに薄く頼りない。家具は装飾性ばかりが重視され、強度どころか使いやすさすら二の次だ。
歩み寄った窓は室内に三つ。絽峰の頭上から腰くらいまでの大きさで、硝子面には美しい彫りが施されている。
───拳をこつんと当てただけで割れてしまいそうだ。万一敵の襲撃があったとき、この部屋ではひとたまりもないだろう。
絽峰は次第に苛々してきた。
歴代の皇帝はなにを考えていたのか。こんな場所では暗殺され放題ではないか。
後宮に入る寵姫たちに護衛の心得などあるはずもない。そしてここは男子禁制、兵が周囲を巡回してはいるものの、中には入れない。
国内の治安情勢は決して良くない。もしこんな場所で、嫋(たお)やかな妃とともに天弦が狙われたとしたら。
(今回のことは、好都合かもしれない。実際に後宮の内部に入った兵士として、この建物の脆弱性を突きつけて防護を強化してもらおう)
窓を頑丈なものにし、可能なら柵をつける。いざとなれば応戦できるよう装備し、巡回の兵も増やさねばなるまい。
守備隊の予算にいちいち文句を付けてくる宰相の顔を思い浮かべながら、絽峰は決意を新たにした。
そこへ、背後の扉を叩く音がした。振り返ると数人の女官が恭しく入室してくる。
「絽峰様。天弦様より身の回りのお世話を拝命いたしました」
「あぁ……」
絽峰は思わず天を仰いだ。
一時的とはいえ後宮に住まう以上、世話係が付くのは当然だ。
自分ひとりが天弦の我儘を聞いて我慢してやればいいと思っていたが、それには彼らに手間をかけてしまうことになる。
申し訳ない気持ちで肩を縮こませながら、絽峰は頭を下げた。
「すまない、しばらくの間だけだがよろしく頼む。だがおれは、何もできないご令嬢ではないから自分のことは自分でできる。あんたたちの手を極力煩わせないよう、気をつける」
「そんな、頭を上げてくださいませ」
慌てる女官たちの声に渋々顔を上げると、彼女たちは困惑した表情を見せつつ頷いてくれた。
ただでさえ男子禁制の場所に男の自分がいるのだ。しかも絽峰は兵士、粗暴で血気盛んなものと思われているはずだ。女官たちは不安だろう。
「たしか、過去の皇帝の寵姫に一月だけここにいたものがいたな……」
絽峰は記憶を辿ってつぶやいた。
後宮に気に入った娘を住まわせるのは皇帝と皇子の権利だ。
しかし寵姫のほうも人の子、相手の位が高いとはいえ唯々諾々と囲われるばかりではない。
かつての皇帝が地方の貴族から召し上げた娘は、美しいが気が強く、皇帝の寵愛を良しとしなかったという。結果、帝の方が音を上げて娘は生家へ帰されることとなった……そんな文献を読んだことがある。
「あの寵姫に倣って、おれも一月はここに滞在する。そうすれば天弦の面目を失うことはないだろう。その間よろしく頼む」
再び頭を下げた絽峰が女官たちに慌てられ、そして頷いてもらえた。
承諾を得られた、そう思ったのだが。
「……」
女官たちとなんとか良い関係で滑り出したと思われていた後宮生活は、開始数時間で絽峰の心を打ち砕いた。
絽峰は姫ではないし、高貴な生まれでもない。
当然自分で服を脱ぎ着できるし、風呂にも入れる。なんなら自分で料理もする。
部屋の掃除や消耗品の足し引き、食事を用意することは、使用人の大事な仕事であるから、それらを奪いすぎることは良くない。それは絽峰にも分かるので、女官たちに任せた。
しかし入浴の手助けをあれほどまでに強行されるとは、想定外だった。
しかも。
(尻の中まで洗われるなど……宮の花というのも、案外苦労しているものなのだな……)
浴室での屈辱的な───むしろ恐怖でしかない洗浄の体験で、絽峰はぐったりと寝台に倒れ込んでいた。
かろうじて服を脱ぐことは自分でできたが、浴室内では終始女官たちが絽峰の体をいじくり回し、最後には全身に香油を塗られ服を着せるところまでやらせてしまった。
どれほど剣を振り盾を取り回し、実践的な訓練をしても、ここまで疲れ切ったことはない。
どちらかというと精神的なところに由来する疲労に、絽峰は何度目かの大きな溜め息を吐き出した。
眠る前の一服にと用意された湯呑を持ち上げる気力すらなく、このまま眠ってしまおうかと考える。
そんなとき、今度は叩く音なく扉が開いた。
目だけを部屋の入口へ向けると、この宮の主が入室するところだった。
昼間の皇子然とした高貴な召し物ではなく、やや緩い着物姿だ。一日の執務が終わったのだろう。
「絽峰!? どうしたの、こんなにぐったりして」
いつになく疲れた表情の絽峰に驚いたのか、天弦は寝台に飛びついた。
心配そうに眉根を寄せる弟分に、絽峰はつとめて笑顔を見せてやる。
「大丈夫、慣れないところで暮らすから、少し疲れただけだ。それよりお疲れさま、天弦皇子」
「もう……そんな他人行儀な呼び方やめてよ」
「じゃあ、天弦。きちんと仕事してきたか?」
「うん!」
いつもは紐でまとめ上げられ、帽子に隠されている天弦の黒く艷やかな髪をわしわしと撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
さながらよく懐いた子犬のような仕草に、絽峰は自然と笑みを零した。
寝台に座り直し、女官が用意してくれた茶を二人で啜る。
少し冷めてはいたが、不思議な香りの茶はやや苦くて絽峰好みの味だった。
「天弦、今後のことを少し話そう」
湯呑を茶托に戻し、絽峰は天弦に向き直った。
過去一ヶ月で後宮を出ていった寵姫の例に倣うこと、その間守備隊の仕事は誰かに代わってほしいと連絡を頼む。
天弦は一月という期間になぜか難色を示したが、最後には渋々といった様子ながらも承諾してくれた。
「話は決まったな。じゃあそういうことだから、おやすみ天弦」
「ちょ、絽峰」
天弦はこのまま自分の居室へ帰るだろう。
そう思って一人で寝るには大きすぎる寝台の布を捲って隙間に入り込んだ絽峰を、天弦が止める。
すっかり疲れてしまっていた絽峰は早く眠りたかったが、天弦がもじもじと話したそうにしているので、仕方なく再び身を起こした。
「あのね、父上に妃候補を後宮に入れたって言ったら、一晩ここで過ごせって……」
「はぁ?」
「だから、その、初夜……だから……」
絽峰は手で顔を覆った。
なにが悲しくて男と二人、初夜などという言葉を使わなくてはならないのか。
いや悲しいのは絽峰ではなく天弦の方だ。
彼は今後、男で初夜を済ませた皇子と一生言われてしまうのだろう。
自分も人のことは言えないが、女にもてるよう息子を育てなかった皇帝に筋違いの苛立ちが沸き起こりそうになり、心を鎮めるために細く長く息を吐く。
「…………仕方ない。ほら、入れよ」
寝台の掛け布を大きめに捲り、叱られた犬のようにしゅんとしている男を招き入れる。
天弦は途端に嬉しそうに破顔し、絽峰の腕の中に潜り込んできた。
彼が幼い頃はよくこうして、侍従たちに内緒で共寝したものだった。
天弦が正式に皇位継承権のある皇子になってからは易易とできなくなったことが、懐かしく思い起こされてくすぐったい気持ちに襲われる。
「ありがとう、おやすみ。絽峰」
「あぁ、おやすみ」
昔の面影を僅かに残す可愛い弟分の体温を感じながら、絽峰は穏やかな気持ちで瞼を下ろした。
───そのまま穏やかに朝を迎えられる、はずだったのだが。
「……なにしてんだ、天弦」
「ろほぅ……」
妙に蒸し暑く感じ、絽峰は目を覚ました。
一緒に眠っていたはずの天弦も起きていて、そしてなぜか絽峰の上に跨っている。絽峰は天弦に押し倒されるような姿勢になっていた。
暗がりで天弦の表情が薄ぼんやりと伺える。
頬が赤く、目はとろんと蕩けて……発情しているかのような様子。
「もしかしてあの湯呑……なにか入ってたのか!?」
急いで身を起こそうとした絽峰は、腕に力が入らず愕然とした。
全身に力を入れても、破れた布に水を溜めようをするかの如くどこかから力が抜けていく。手を握り込むこともうまくできず、絽峰は歯噛みした。
手足に痺れはないし、頭も冴えている。筋弛緩系の薬物……と自己分析したところで、二つのことに気付いた。
同じものを飲んだはずの天弦は、体を起こすことができている。
それになぜか自分の体は熱く昂り、股間がいきり立ってしまっていた。
「まさか……媚薬?」
「ごめんね絽峰……後宮で姫が主と同衾するときは、あれを飲む決まりなんだって……」
つらそうに熱い吐息を漏らす天弦が説明したことを理解して、絽峰は体の緊張を解いた。
後宮の初夜なら、性交自体初めての姫も多いのだろう。
経験のない彼女たちでも苦痛や恐れを感じずに済むよう、あの茶が出されているのだ。
そういえば部屋の空気も心なしか重くもったりとしている。香を焚かれているかもしれない。恐らくこれも催淫効果があるのだろう。
自らも熱がこもった呼気を吐き出して、絽峰はのしかかっている天弦の頬に優しく触れた。
「構わねぇよ。事前に言ってほしかったもんだが……決まりなんだろ?」
「うん……ごめん、ごめんね……」
頬に添えた手に天弦の手のひらが重なり、絽峰は微笑んだ。
今回のことがあってから、天弦は謝りっぱなしだ。年齢は上だが自分は天弦に永遠の忠誠を誓った身分。もっと我儘を言ってもいいというのに。
思えば昔から引っ込み思案な子どもだった。
昔を回顧して思い出に浸りかけた絽峰は、唇を柔らかいなにかで塞がれたことに一瞬気づかなかった。
「……ん?」
うまく声が出せない。
絽峰の唇が天弦のそれと重なり、微かに水音を立てていることに気付いたのは少し遅れてのことだった。
驚きに声を上げようとした絽峰の口腔内に天弦の舌が潜り込む。
「んっ……ぅ、ん! んんっ!」
絽峰は必死に逃れようと身を捩る。
しかし手足は言うことを聞かず、突き放そうとした腕は天弦の衣を弱々しく掴むだけだ。首を振ろうにも、いつの間にか頭をがっちり拘束されていて動かせない。
焼け爛れてしまうのではないかと思うほど熱い交わりは、絽峰の息が上がってしまうまで長く続いた。
「…………天、こりゃ、どういうことだ……」
反射的に低く怒りの篭もった声で天弦を恫喝してしまったが、当の本人は難しい顔で絽峰の首元に顔を伏せた。
小さな囁き声が耳に届く。
「ごめん、絽峰。でもこの部屋、監視されてる」
「監視……?」
「うん。多分、わたしの初夜が恙(つつが)なく終わるかどうか見てるんだ」
「な……」
なんだそりゃ、と叫びそうになり長く息を吐いて怒気を逃がす。
考えてみれば当然だ。時の支配者は常に暗殺の危険と隣り合わせに有る。
そして閨の中ではどんな男も無防備だ。さっきまで情を交わしていた相手に殺されるなんてことは、市井でも珍しくはない。
寵姫が怪しげな動きをしないか見張り、初夜が無事済んだことをも見届ける。
そういう役目の者が、この宮には多く存在しているのだろう。
同じ守る役割を持つにも関わらず、そこまで思い至らなかったことに絽峰は嘆息した。
そして覚悟を決める。
「───わかった」
「……!」
「初夜が終わればいいんだな。ここは薄布に覆われている、『ふり』だけでも十分だろう」
絽峰はかろうじてしっかりと動かせる眼球を巡らせた。
寝台の周囲は部屋中の壁を飾るのと同じ紗で、空間が隔絶されている。音は聞こえるだろうし、姿も影絵のように浮かび上がるかもしれないが、細かく何をしているかまでは分からないはずだ。
「だが、おれは今体を満足に動かせない。おまえにすべて任せることになる……」
閨事に慣れていないだろうまだ幼い皇子に申し訳なく思う。
しかし見上げた天弦の表情は、昔と変わらない柔らかな笑顔だった。
「うん、任せて」
そして半刻後、絽峰は自らの言葉を一言一句後悔することになっていた。
「うっ……く、う……」
「絽峰、息吐いて。ほら大丈夫……」
あの細腕からは信じられないほどの力で腰を抱えられた絽峰は、逃げることができず藻掻いては、灼熱の吐息を零した。
腹の底が疼いてたまらず、変な声が出そうになるのを必死で押し止める。
「天、てんっ……や、め……っ」
「わかる? もうわたしの指、三本も入るようになったよ」
嬉しそうな天弦の声と同時に、直腸壁に埋もれていた性感帯を細く長い指が抉った。
「───ッ!」
全身を駆け抜けた快感を、どうにか敷布を噛みしめることで耐える。
「ふり」だけのはずの初夜は、着実に進行していた。
確かに絽峰は言った。天弦に任せると。後宮に住まう妃候補になると。
しかしそれは周囲を一時的に欺くためだけのもので、絽峰は未来の皇帝とどうこうなるつもりなど、本当に欠片もなかった。
それなのに今は、弛緩して未だ動く気配のない体をいいように弄ばれ、拓かれてしまっている。
他の誰でもない天弦によって。
「そろそろいいかな、もう限界……」
よく洗浄され、潤滑油が塗りたくられた絽峰の後孔から指が抜かれる。
排泄感に酷似したそれをなんとかやり過ごし、絽峰は微かに震える視界で天弦を見た。
そこには、絽峰が溺愛してきた可愛いだけの弟分はいなかった。
絽峰が愛した優しい笑みを浮かべ、下半身に恐ろしい凶器を昂ぶらせているのは───ただの欲にまみれた男だ。
しかも厄介なことに、自分よりでかい同じ男に欲情している。
「てん、弦……」
「怖がらないで。痛いことは絶対しない、最初は苦しいかもしれないけど……すぐに気持ちよくなるから」
天弦の嫋やかな手のひらが、汗まみれの絽峰の首筋や背中をゆっくり撫でていく。
それはまるきり生娘を宥めるための動作で、絽峰は薬によってではない目眩を覚えた。
天弦の手で体を仰向けさせられる。
寝台にあった大きな座布団に背を預ける姿勢になった。
ずっとうつ伏せにされていた絽峰と半刻ぶりに目があった天弦は、くしゃりと顔を歪ませた。
「ろほう、どうしてそんな顔をするの」
「酷い顔なのは……おまえのほうじゃないか、天。今から『寵姫』と『初夜』ってツラじゃあないぜ」
「だって、だって、わたしは……っ」
今にも泣き出しそうな顔は、幼い頃となにも変わらない。
絽峰は渾身の力を使って重怠い両腕を持ち上げ、天弦の体を抱き寄せた。
今まで自分を組み敷いていた男とは思えないほど、その体はなんの抵抗もなく絽峰の腕に収まる。
「天、本当にこのままでいいのか? おれは、無体をはたらいたおまえを許せなくなる。一月が経って、ここから出たら、元の関係には戻れない。本当にそれで、いいのか?」
「……いやだ、でも、このままじゃもっと嫌なんだ……」
汗だくの絽峰の胸でぱさぱさと頭を振る天弦は、小さな子どもに戻ってしまったかのように頼りな下げに見えた。
さっきまで感じていた恐怖はもうない。
絽峰はゆっくりと天弦の背中を撫でながら、唐突に脳裏にひらめいた言葉を口にした。
「おまえ、おれが好きなのか」
身を起こした天弦と見つめ合う。
まだ幼さが残る、しかし確実にあの頃とは違う成長した青年が、痛いほど真剣なまなざしを絽峰に向けている。
「ずっとずっと好きだった」
「過去形か?」
「……今も」
「ふぅん」
先に目を逸らしたのは天弦だった。
絽峰はその無防備な頬を思いっきり叩く……つもりで腕を動かした。実際には表皮をぺちんと撫でただけだったが、叩かれた男は目をぱちぱちと瞬かせている。
「そういうことは先に言え。何も言わずに薬盛って、襲うんじゃねえだろう」
「でもっ……もっと早く気持ちを告げていたら、絽峰は応えてくれた?」
「さぁ、どうだろな……仮定の話はどうでもいい。重要なのは今どうするか、これからどうするかだ」
「ずるい……」
ふ、と張り詰めていた空気が緩む。
立派に成長したと思っていた。それを誇らしく思う心は、親兄弟に向ける感情だけだった。
しかし弟分の方はいつの間にか、家族の情を逸脱してしまっていたらしい。
情けないことに彼の変心に絽峰は全く気付いていなかった。
しかし、彼の種類の違う愛情も受け入れてやってもいいと思うくらいには、絽峰は絆されていたし、天弦のすべてを愛しく思っているのだった。
「絽峰、好き。一月と言わず、ずっとわたしの一番近くにいて。どこにもいかないで……」
むずがる小さな子どものような懇願に、思わず苦笑いが溢れる。
絽峰が浮かべた笑みは、肯定したようなものだった。
寄せられた唇を今度は嫌がらない。
触れるだけ落とされたそれは、先程までの奪われるものと違ってどこか甘く、少しくすぐったかった。
二度目の口づけは深く、絽峰からも仕掛ける。
押し倒されたままの体に天弦の下肢が絡められ、絽峰はぴくりと震えた。
「あー……その、だな」
「ん、なに?」
「おまえのソレ、を、おれに……その……挿れる、のか?」
百戦錬磨、常勝の盾と褒め称えられる守備隊隊長である絽峰も、さすがに声が上擦る。
どちらかといえば可愛らしい顔立ちの天弦のそれは、下腹についてしまいそうに反り返った、立派なものだ。
それを時折絽峰の股に擦り付けてくるのだから、なんとも言い難い声色になってしまうのは仕方がないだろう。
「うん。いいよね?」
天弦はにっこりと良い笑みを浮かべ、見せつけるように体の角度をずらした。
正直、太さはそこまででもないだろう。しかし長さが、ちょっと見たことがないくらいのものだ。
一瞬動物の性器を思わせる威容に、絽峰は苦笑いすら浮かべられなくなった。
「いや、その……また今度に……」
「しないよ、初夜だもん。それにほら、絽峰のここはもうすっかり解れてるんだよ?」
「っう、あ……!」
無遠慮に突き込まれた指を貪欲に飲み込んだ後孔に、絽峰は自らの身体ながら裏切られた気持ちになった。
こんなときだけ妙に強気な天弦に、気持ちを受け入れたことを後悔しそうだ。
弱々しく拒否の言葉を口にするたび捻じ伏せられ、蕩けた腸壁を擦られる。
何度か問答するうちに、絽峰はすっかり息が上がってしまっていた。抵抗する気力も失せる。
それを是と取ったか、次の瞬間には指とは比べ物にならないほど熱い塊が窄まりに押し当てられた。
「大丈夫だよ絽峰。痛くしないから、ね」
汗で張り付いた髪を掻き上げ額に口づける天弦の仕草を、誰に習ったのかと尋ねる余裕もない。
言葉の通り、天弦は決して急ぐことなくゆっくりと腰を進めてきた。
絽峰にできたことは、せめてみっともない声が漏れてしまわないよう唇を噛み締めて耐えることだけ。
それも「噛まないで」と天弦の指を口に含まされたせいで、我慢すらできなくなってしまった。
「は、ぁ、うぅっ……」
「ん……絽峰、あとちょっとだよ」
「う、そだ……もう、無理」
「大丈夫。ここが行き止まりに思えるだろうけど、もう少し先が……」
「な、っ……! あ! あぁ……!」
今まで意識したこともなかった内臓に、巨大なものが入り込んでくる感覚。
もう絶対にそれ以上入らないと思われるほどきつく感じられたのに、天弦は更にその先までいとも簡単に暴いた。
切っ先が柔らかい壁を突き破り、絽峰の視界が真っ白に染まる。
気絶するかと思われた衝撃があった。勝手に喉から声が迸る。
「は、ぁ、あああっ───そこ、だめ、天っ……!」
「気持ちいい? 絽峰、すっごい締めてくる」
「あぁ! あ、うごか、すな、ぅあ、あ!」
最奥をこつこつと揺らすように突かれるだけで、射精とは違う絶頂感に似たものが暴力的に嬲る。
今まさに理不尽を与えてくる男の体に縋り付くことしか、絽峰にはできなかった。
その行動を天弦がどんなに嬉しそうに見つめていたかも分からないままに。
そこからはもう意識を保つのも難しく、絽峰はひたすら揺さぶられ、夜通し喘がされたのだった。
部屋の隅にひっそりと待機していた閨房官たちが退出した後。
皇子が甲斐甲斐しく体を拭いて世話してやった「寵姫」は、明け方目を覚ますなり横で幸せそうに眠っていた皇子を大声で叩き起こし、腰が立たない姿勢のまま長く説教したという。
「初心者にここまでするやつがあるか! おれはおまえをそんな鬼畜に育てた覚えはないぞ天!」
「ごめん、ごめんなさい絽峰……やっと本懐を遂げられると思ったら、その、気持ちが抑えられなくて」
「言い訳するなッ! もういい、おまえは一月ここに出入り禁止だ! 来てもおれが直々に矛で追い返してやるからな、反省しろ!」
「そ、そんなぁ……」
はだけた夜着のまま外に放り出された皇子の噂はたちまち宮中を駆け巡り、次期皇帝候補の皇子はかかあ天下らしい、と評判が広まるのに時間はかからなかった。
その後、甥が成人するまでという期限を設けて皇座に着いた天弦皇帝は、軍事と国防に関して卓越した賢政を敷き、兵士たちや軍関係者の尊敬と支持を一身に集めたという。
その影には、気が強く大柄な彼の唯一の「妃」の尽力があったと伝えられている。
おわり
天弦が成人を迎えるにあたり、皇子の後宮に寵姫どころか妃候補すらいないというのは体面が悪いからと、男で見目良くもない絽峰がなぜか「妃候補」として連れ込まれてしまう。
かわいい弟分の頼みということで一月だけ寵姫のふりをすることを了承した絽峰は、なぜか天弦と「初夜」をすることになってしまい───。
【キーワード】
泣き虫年下攻め / 筋肉年上受け / アジアンファンタジー / 後宮 / 絆され / 性描写あり
むくつけき:無骨でむさくるしい男を意味する語。(実用日本語表現辞典より)
◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆
きらめく金の糸がいくつも縫い込まれた、薄い紗に囲まれる。
淡い桃色で統一された部屋は、主の心を解し穏やかに過ごせるようにと考えて作られた部屋だ。
同じような構造の居室がいくつもあるこの建物は普段「奥」と呼ばれている。
この国を統べる中央宮殿の影に隠されるように建っている立地だから、というのが表向きの名目で、実際は「秘されるべき場所」だからだ。
ここはいわゆる後宮。
宮殿で交わされる欲望や利害とは一線を引く、女の園。
政に疲れた皇族たちの疲れを癒やし、時に支える「宮の花」が住まう建物だ。
一流の建築技術と一級の調度品で設えられたこの場所は、主たる皇族各人以外男子禁制。
宮殿に配属された日、ふわふわと浮かれた気持ちのまま外観を眺めたときには、まさかこんな日が来るとは思っても見なかった。
美しい彫りで作られた、無骨な男の指先では触れるだけで壊してしまいそうな硝子で作られた酒器で「花」たちは毎日晩酌をしていると聞いたとき「一度くらい忍び込んでみたい」などと考えた過去の自分を殴りたい。
部屋の中央に広げられた、繊細な紋様の敷物に胡座をかいて座る男がひとり。
「……言っておきますが、おれはまだ納得したわけじゃありませんよ」
行儀悪く片膝の上に肘をつき、傾いた上体から正面をじろりと睨みあげた男は、後宮という場所に最も似つかわしくない部類の外見をしていた。
がっしりとした体格は窮屈そうな宮中守備隊の制服に包まれている。布の上からでも、全身に纏った実用重視の筋肉がはっきり見て取れた。
極めて目付きの悪い相貌にはいくつもの古傷がある。
特に右目の上、眉を抉り取るように走った刃物傷が、男の人相を最悪の印象に仕立てていた。
おまけに男は帯剣している。
突き刺すことに特化した鋭い鋼剣が、革の鞘に包まれて男の腰に収まっている。敷地内の巡回に欠かせない装備をほとんど建物入り口に置いてきたため、男としてはこれでもかなり心もとない防御力となっている。
しかし男子どころか刃物も当然持ち込み禁止の後宮で、散々揉めた挙げ句、特例的に帯剣を許されたのだ。これ以上不満を言うのは控えている。
それでも全身から不機嫌なオーラを放つ男の前にもうひとり、男が座っていた。
「ごめんなさい、絽峰……でも、他に方法がなくて」
さっきまでさめざめと泣いていたのにまた涙を零しそうな気配に、絽峰と呼ばれた強面の男は内心慌てた。
いつものように、彼専用になっている真っ白の布巾を胸元から取り出して涙を拭ってやりたくなって───今は怒っているのだからと、なんとか姿勢もそのままに踏みとどまる。
「泣いたってだめですよ、天弦様。おれは怒ってるんですからね」
「うっ……ご、めんなさ……ひ、ひくっ……」
「……」
無意識に制服の合わせ目に伸びた手を叱咤して戻す。
絽峰にだって自覚はあった。
自分が、皇位継承権第二位の皇子・天弦を警護する守備隊長の絽峰こそが、幼い頃から彼を甘やかし構い倒したせいで、このような泣き虫のへっぽこ皇子に育ってしまったのだということは。
今までいつだって彼の願いを聞いてきた。
難しい願い事は叶えられないこともあったが、天弦は昔から控えめで聡い子供だった。
滅多に会えぬ父母を想って頬を濡らす以外、無茶なおねだりや無謀な要求をしてくることは殆どない。寂しさも、ひとり寝台で泣いて晴らすような子供なのだ。
そんないじらしい態度が絽峰はかわいくて仕方がなく……10離れた年の差から、時に子のように、時に弟のように接するうち天弦も心を許し、ふたりは宮中一の主従と言われるまでに互いを信頼している関係となった。
天弦が長じるにつれ、皇子としての責任が重くのしかかってくるようになっていることに絽峰も当然気がついていた。
しかし実際にこうして自らが厄介事に巻き込まれるまでは、どんな問題も解決できるだろうと根拠なく信じていた部分は、確かにあった。
天弦はやや弱虫な性格ではあるが、聡明で非常時にも狼狽えない胆力がある。
皇族としての政務に関しては、さすがに絽峰に手伝えることはない。せいぜい日々鍛錬に励み、有事の際この身を賭して天弦を守れるよう保つことしかできなかった。
それが急に「お願い、絽峰にしか頼めないんだ」なんて可愛い弟分が泣きついてきたら……一も二もなく了承してしまうものだろう。
(それがまさか、こんな内容とは……)
すすり泣く天弦を見ないようにしながら、絽峰は首を巡らせて室内を見渡した。
見れば見るほど豪奢で美しい部屋だ。自分に似合う位置は一寸もない。
警備のために廊下を歩くことすら、奇異の目で見られることだろう。
それなのに絽峰は、少なくとも短期間、この部屋で暮らさなければならなくなってしまった。
天弦の「未来の皇妃」として、だ。
威嚇するようにだらしなく崩していた姿勢を少し正して、絽峰は己の主をじっと見つめた。
ことの始まりは数時間前。
いつものように宮殿の、第二皇子居住区周辺を重点的に警邏していた絽峰の元に、天弦の使いの者がやってきた。すぐに来てほしいと言付けされる。
天弦から呼び出されることは珍しくない。ほとんどは畏まった内容でもないので、最低限の装備だけを携えて彼の居室へ向かった。
「失礼いたします……皇子?」
「……ろほう……」
絽峰の住まう独身士官用の借家がまるまる二個ほど入ってしまいそうなほど広い、天弦の部屋の真ん中に、彼はいた。
椅子に座って項垂れていた頭が、絽峰のほうへ僅かに傾く。
長く伸ばされた皇族らしい美しい髪の隙間から、呻くような泣き声のような音が漏れてきて、絽峰は思わず駆け寄った。
「皇子! どうされたのですか、お加減が良くないのですか?」
「違う、違うんだけど……」
医師を呼ぼうと駆け出そうとする絽峰を、天弦のか細い声が引き止める。
どうやら病の気や怪我でないらしいと悟り、絽峰は再び椅子の足元に跪いて主君を見上げた。
「それならどうして、そんなにも苦しげなのですか」
「絽峰……お願いが、あるんだ。こんなこと、絽峰にしか頼めない」
「……天弦」
衣服の胸元を掻き合わせ、苦しそうに声を絞り出す主の手を絽峰はそっと取った。
今にも泣き濡れてしまいそうな瞳と目が合う。
いつも強面だと忌避され、異性どころか同僚にまで恐れられる顔面に、絽峰は精一杯優しい笑みを浮かべてみせた。
「おまえの苦しみは、おれの苦しみだ。少しでもおまえの苦悩を消し去る手伝いができるのなら、おれはこの命さえ惜しくはない」
「滅多なこと言わないでよ、絽峰!」
「冗談のつもりはないぜ、死なないに越したこたないけどよ。で? おれの可愛い弟分を泣かせるのはどんな悩みなんだ」
他の者がいないときだけ砕ける絽峰の言葉と態度に、天弦は強張った表情をやっと少しだけ綻ばせた。
「ありがとう、絽峰。わたしはいつもあなたに助けられてばかりだ」
「気にすんな。おまえのためなら例え火の中水の中、だぜ」
「うん……。でもそういうことなら、これから行くところはずっと居心地がいいと思う」
「お? どこかへ行きたいのか」
天弦の手を捧げ持ったまま椅子から立たせると、絽峰は連れ立って部屋を出た。いやどちらかといえば天弦に先導されていた。
しきりに「ありがとう」「やっぱり絽峰は頼りになる」などと褒められまくる道中では、行き先を尋ねることもできず、絽峰はあれよあれよという間にこの「奥」へ連れてこられたのだった。
男子禁制の建物に立ち入るというのに、すれ違う後宮付きの女官たちから絽峰を見咎めないことに違和感を覚えつつ、きらびやかな花園の景色に目を奪われている間にこの部屋へと連れ込まれてしまった。
室内のど真ん中で呆然と立ち尽くす筋肉男と、なぜか恥ずかしそうにもじもじしている皇子という構図は、絽峰の怒鳴り声で崩れた。
「天! どういうことか説明しろッ!」
幼い頃から叱るときしか使わない名称で呼ばれ、即座に正座して姿勢を正した天弦と向かい合い───聞き出した事情の馬鹿馬鹿しさに絽峰は頭痛がするのを感じた。
「つまり……おまえも18になる、立派な成人であると見なされたければ、妃候補のひとりでも連れてこいと皇帝陛下に言われたと」
「うん」
「で、下手な女人を連れてくるわけにいかず、かといって恋仲の相手も許嫁もいないから、おれを代役として立てることを思いついた、と」
「そうそう」
「馬鹿! 男を連れてくるやつがあるかッ!」
「ごめんなさい!」
正座のまま上半身をぺったり伏せた天弦を、痛むこめかみを揉みながら見下ろす。
聡明で無害な弟分だと思っていたが、訂正しなくてはならない。こいつはときどきとても馬鹿だ。
しかし事情は分かった。
「もうこうなった以上仕方がないから、付き合ってやる。後宮に妃候補がいればいいんだろ」
「じゃあ……!」
「不本意だが、ここにいてやる。かわいいおまえの頼みだからな」
「ありがとう絽峰!!」
飛びついてきた天弦を受け止める。ぽんぽんと背中を叩いてやると、腕の中に収まった体が嬉しそうに擦り寄ってきた。
あの頃よりずっと背が伸び、図体もでかくなった皇子だが、それでも絽峰より僅かに身長が高いだけだ。嗜む程度にしか武術を修めていない天弦の体は薄く、絽峰がその気になれば容易に組み敷けてしまう。
(そんな相手の「嫁」候補か。おれが……)
国民にお披露目される皇帝と皇后の華やかな婚儀装束。
その片方を自分が着ている想像が一瞬過ぎり、絽峰は表皮にぞわっと寒気を感じたのだった。
とにかく絽峰を連れてくることに必死だった天弦は、急いで「妃候補」を受け入れる準備をするため部屋を出ていった。
絽峰は一人取り残され、手持ち無沙汰に部屋を見回した。
部屋にある布類はすべて刺繍かと思うほどに薄く頼りない。家具は装飾性ばかりが重視され、強度どころか使いやすさすら二の次だ。
歩み寄った窓は室内に三つ。絽峰の頭上から腰くらいまでの大きさで、硝子面には美しい彫りが施されている。
───拳をこつんと当てただけで割れてしまいそうだ。万一敵の襲撃があったとき、この部屋ではひとたまりもないだろう。
絽峰は次第に苛々してきた。
歴代の皇帝はなにを考えていたのか。こんな場所では暗殺され放題ではないか。
後宮に入る寵姫たちに護衛の心得などあるはずもない。そしてここは男子禁制、兵が周囲を巡回してはいるものの、中には入れない。
国内の治安情勢は決して良くない。もしこんな場所で、嫋(たお)やかな妃とともに天弦が狙われたとしたら。
(今回のことは、好都合かもしれない。実際に後宮の内部に入った兵士として、この建物の脆弱性を突きつけて防護を強化してもらおう)
窓を頑丈なものにし、可能なら柵をつける。いざとなれば応戦できるよう装備し、巡回の兵も増やさねばなるまい。
守備隊の予算にいちいち文句を付けてくる宰相の顔を思い浮かべながら、絽峰は決意を新たにした。
そこへ、背後の扉を叩く音がした。振り返ると数人の女官が恭しく入室してくる。
「絽峰様。天弦様より身の回りのお世話を拝命いたしました」
「あぁ……」
絽峰は思わず天を仰いだ。
一時的とはいえ後宮に住まう以上、世話係が付くのは当然だ。
自分ひとりが天弦の我儘を聞いて我慢してやればいいと思っていたが、それには彼らに手間をかけてしまうことになる。
申し訳ない気持ちで肩を縮こませながら、絽峰は頭を下げた。
「すまない、しばらくの間だけだがよろしく頼む。だがおれは、何もできないご令嬢ではないから自分のことは自分でできる。あんたたちの手を極力煩わせないよう、気をつける」
「そんな、頭を上げてくださいませ」
慌てる女官たちの声に渋々顔を上げると、彼女たちは困惑した表情を見せつつ頷いてくれた。
ただでさえ男子禁制の場所に男の自分がいるのだ。しかも絽峰は兵士、粗暴で血気盛んなものと思われているはずだ。女官たちは不安だろう。
「たしか、過去の皇帝の寵姫に一月だけここにいたものがいたな……」
絽峰は記憶を辿ってつぶやいた。
後宮に気に入った娘を住まわせるのは皇帝と皇子の権利だ。
しかし寵姫のほうも人の子、相手の位が高いとはいえ唯々諾々と囲われるばかりではない。
かつての皇帝が地方の貴族から召し上げた娘は、美しいが気が強く、皇帝の寵愛を良しとしなかったという。結果、帝の方が音を上げて娘は生家へ帰されることとなった……そんな文献を読んだことがある。
「あの寵姫に倣って、おれも一月はここに滞在する。そうすれば天弦の面目を失うことはないだろう。その間よろしく頼む」
再び頭を下げた絽峰が女官たちに慌てられ、そして頷いてもらえた。
承諾を得られた、そう思ったのだが。
「……」
女官たちとなんとか良い関係で滑り出したと思われていた後宮生活は、開始数時間で絽峰の心を打ち砕いた。
絽峰は姫ではないし、高貴な生まれでもない。
当然自分で服を脱ぎ着できるし、風呂にも入れる。なんなら自分で料理もする。
部屋の掃除や消耗品の足し引き、食事を用意することは、使用人の大事な仕事であるから、それらを奪いすぎることは良くない。それは絽峰にも分かるので、女官たちに任せた。
しかし入浴の手助けをあれほどまでに強行されるとは、想定外だった。
しかも。
(尻の中まで洗われるなど……宮の花というのも、案外苦労しているものなのだな……)
浴室での屈辱的な───むしろ恐怖でしかない洗浄の体験で、絽峰はぐったりと寝台に倒れ込んでいた。
かろうじて服を脱ぐことは自分でできたが、浴室内では終始女官たちが絽峰の体をいじくり回し、最後には全身に香油を塗られ服を着せるところまでやらせてしまった。
どれほど剣を振り盾を取り回し、実践的な訓練をしても、ここまで疲れ切ったことはない。
どちらかというと精神的なところに由来する疲労に、絽峰は何度目かの大きな溜め息を吐き出した。
眠る前の一服にと用意された湯呑を持ち上げる気力すらなく、このまま眠ってしまおうかと考える。
そんなとき、今度は叩く音なく扉が開いた。
目だけを部屋の入口へ向けると、この宮の主が入室するところだった。
昼間の皇子然とした高貴な召し物ではなく、やや緩い着物姿だ。一日の執務が終わったのだろう。
「絽峰!? どうしたの、こんなにぐったりして」
いつになく疲れた表情の絽峰に驚いたのか、天弦は寝台に飛びついた。
心配そうに眉根を寄せる弟分に、絽峰はつとめて笑顔を見せてやる。
「大丈夫、慣れないところで暮らすから、少し疲れただけだ。それよりお疲れさま、天弦皇子」
「もう……そんな他人行儀な呼び方やめてよ」
「じゃあ、天弦。きちんと仕事してきたか?」
「うん!」
いつもは紐でまとめ上げられ、帽子に隠されている天弦の黒く艷やかな髪をわしわしと撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
さながらよく懐いた子犬のような仕草に、絽峰は自然と笑みを零した。
寝台に座り直し、女官が用意してくれた茶を二人で啜る。
少し冷めてはいたが、不思議な香りの茶はやや苦くて絽峰好みの味だった。
「天弦、今後のことを少し話そう」
湯呑を茶托に戻し、絽峰は天弦に向き直った。
過去一ヶ月で後宮を出ていった寵姫の例に倣うこと、その間守備隊の仕事は誰かに代わってほしいと連絡を頼む。
天弦は一月という期間になぜか難色を示したが、最後には渋々といった様子ながらも承諾してくれた。
「話は決まったな。じゃあそういうことだから、おやすみ天弦」
「ちょ、絽峰」
天弦はこのまま自分の居室へ帰るだろう。
そう思って一人で寝るには大きすぎる寝台の布を捲って隙間に入り込んだ絽峰を、天弦が止める。
すっかり疲れてしまっていた絽峰は早く眠りたかったが、天弦がもじもじと話したそうにしているので、仕方なく再び身を起こした。
「あのね、父上に妃候補を後宮に入れたって言ったら、一晩ここで過ごせって……」
「はぁ?」
「だから、その、初夜……だから……」
絽峰は手で顔を覆った。
なにが悲しくて男と二人、初夜などという言葉を使わなくてはならないのか。
いや悲しいのは絽峰ではなく天弦の方だ。
彼は今後、男で初夜を済ませた皇子と一生言われてしまうのだろう。
自分も人のことは言えないが、女にもてるよう息子を育てなかった皇帝に筋違いの苛立ちが沸き起こりそうになり、心を鎮めるために細く長く息を吐く。
「…………仕方ない。ほら、入れよ」
寝台の掛け布を大きめに捲り、叱られた犬のようにしゅんとしている男を招き入れる。
天弦は途端に嬉しそうに破顔し、絽峰の腕の中に潜り込んできた。
彼が幼い頃はよくこうして、侍従たちに内緒で共寝したものだった。
天弦が正式に皇位継承権のある皇子になってからは易易とできなくなったことが、懐かしく思い起こされてくすぐったい気持ちに襲われる。
「ありがとう、おやすみ。絽峰」
「あぁ、おやすみ」
昔の面影を僅かに残す可愛い弟分の体温を感じながら、絽峰は穏やかな気持ちで瞼を下ろした。
───そのまま穏やかに朝を迎えられる、はずだったのだが。
「……なにしてんだ、天弦」
「ろほぅ……」
妙に蒸し暑く感じ、絽峰は目を覚ました。
一緒に眠っていたはずの天弦も起きていて、そしてなぜか絽峰の上に跨っている。絽峰は天弦に押し倒されるような姿勢になっていた。
暗がりで天弦の表情が薄ぼんやりと伺える。
頬が赤く、目はとろんと蕩けて……発情しているかのような様子。
「もしかしてあの湯呑……なにか入ってたのか!?」
急いで身を起こそうとした絽峰は、腕に力が入らず愕然とした。
全身に力を入れても、破れた布に水を溜めようをするかの如くどこかから力が抜けていく。手を握り込むこともうまくできず、絽峰は歯噛みした。
手足に痺れはないし、頭も冴えている。筋弛緩系の薬物……と自己分析したところで、二つのことに気付いた。
同じものを飲んだはずの天弦は、体を起こすことができている。
それになぜか自分の体は熱く昂り、股間がいきり立ってしまっていた。
「まさか……媚薬?」
「ごめんね絽峰……後宮で姫が主と同衾するときは、あれを飲む決まりなんだって……」
つらそうに熱い吐息を漏らす天弦が説明したことを理解して、絽峰は体の緊張を解いた。
後宮の初夜なら、性交自体初めての姫も多いのだろう。
経験のない彼女たちでも苦痛や恐れを感じずに済むよう、あの茶が出されているのだ。
そういえば部屋の空気も心なしか重くもったりとしている。香を焚かれているかもしれない。恐らくこれも催淫効果があるのだろう。
自らも熱がこもった呼気を吐き出して、絽峰はのしかかっている天弦の頬に優しく触れた。
「構わねぇよ。事前に言ってほしかったもんだが……決まりなんだろ?」
「うん……ごめん、ごめんね……」
頬に添えた手に天弦の手のひらが重なり、絽峰は微笑んだ。
今回のことがあってから、天弦は謝りっぱなしだ。年齢は上だが自分は天弦に永遠の忠誠を誓った身分。もっと我儘を言ってもいいというのに。
思えば昔から引っ込み思案な子どもだった。
昔を回顧して思い出に浸りかけた絽峰は、唇を柔らかいなにかで塞がれたことに一瞬気づかなかった。
「……ん?」
うまく声が出せない。
絽峰の唇が天弦のそれと重なり、微かに水音を立てていることに気付いたのは少し遅れてのことだった。
驚きに声を上げようとした絽峰の口腔内に天弦の舌が潜り込む。
「んっ……ぅ、ん! んんっ!」
絽峰は必死に逃れようと身を捩る。
しかし手足は言うことを聞かず、突き放そうとした腕は天弦の衣を弱々しく掴むだけだ。首を振ろうにも、いつの間にか頭をがっちり拘束されていて動かせない。
焼け爛れてしまうのではないかと思うほど熱い交わりは、絽峰の息が上がってしまうまで長く続いた。
「…………天、こりゃ、どういうことだ……」
反射的に低く怒りの篭もった声で天弦を恫喝してしまったが、当の本人は難しい顔で絽峰の首元に顔を伏せた。
小さな囁き声が耳に届く。
「ごめん、絽峰。でもこの部屋、監視されてる」
「監視……?」
「うん。多分、わたしの初夜が恙(つつが)なく終わるかどうか見てるんだ」
「な……」
なんだそりゃ、と叫びそうになり長く息を吐いて怒気を逃がす。
考えてみれば当然だ。時の支配者は常に暗殺の危険と隣り合わせに有る。
そして閨の中ではどんな男も無防備だ。さっきまで情を交わしていた相手に殺されるなんてことは、市井でも珍しくはない。
寵姫が怪しげな動きをしないか見張り、初夜が無事済んだことをも見届ける。
そういう役目の者が、この宮には多く存在しているのだろう。
同じ守る役割を持つにも関わらず、そこまで思い至らなかったことに絽峰は嘆息した。
そして覚悟を決める。
「───わかった」
「……!」
「初夜が終わればいいんだな。ここは薄布に覆われている、『ふり』だけでも十分だろう」
絽峰はかろうじてしっかりと動かせる眼球を巡らせた。
寝台の周囲は部屋中の壁を飾るのと同じ紗で、空間が隔絶されている。音は聞こえるだろうし、姿も影絵のように浮かび上がるかもしれないが、細かく何をしているかまでは分からないはずだ。
「だが、おれは今体を満足に動かせない。おまえにすべて任せることになる……」
閨事に慣れていないだろうまだ幼い皇子に申し訳なく思う。
しかし見上げた天弦の表情は、昔と変わらない柔らかな笑顔だった。
「うん、任せて」
そして半刻後、絽峰は自らの言葉を一言一句後悔することになっていた。
「うっ……く、う……」
「絽峰、息吐いて。ほら大丈夫……」
あの細腕からは信じられないほどの力で腰を抱えられた絽峰は、逃げることができず藻掻いては、灼熱の吐息を零した。
腹の底が疼いてたまらず、変な声が出そうになるのを必死で押し止める。
「天、てんっ……や、め……っ」
「わかる? もうわたしの指、三本も入るようになったよ」
嬉しそうな天弦の声と同時に、直腸壁に埋もれていた性感帯を細く長い指が抉った。
「───ッ!」
全身を駆け抜けた快感を、どうにか敷布を噛みしめることで耐える。
「ふり」だけのはずの初夜は、着実に進行していた。
確かに絽峰は言った。天弦に任せると。後宮に住まう妃候補になると。
しかしそれは周囲を一時的に欺くためだけのもので、絽峰は未来の皇帝とどうこうなるつもりなど、本当に欠片もなかった。
それなのに今は、弛緩して未だ動く気配のない体をいいように弄ばれ、拓かれてしまっている。
他の誰でもない天弦によって。
「そろそろいいかな、もう限界……」
よく洗浄され、潤滑油が塗りたくられた絽峰の後孔から指が抜かれる。
排泄感に酷似したそれをなんとかやり過ごし、絽峰は微かに震える視界で天弦を見た。
そこには、絽峰が溺愛してきた可愛いだけの弟分はいなかった。
絽峰が愛した優しい笑みを浮かべ、下半身に恐ろしい凶器を昂ぶらせているのは───ただの欲にまみれた男だ。
しかも厄介なことに、自分よりでかい同じ男に欲情している。
「てん、弦……」
「怖がらないで。痛いことは絶対しない、最初は苦しいかもしれないけど……すぐに気持ちよくなるから」
天弦の嫋やかな手のひらが、汗まみれの絽峰の首筋や背中をゆっくり撫でていく。
それはまるきり生娘を宥めるための動作で、絽峰は薬によってではない目眩を覚えた。
天弦の手で体を仰向けさせられる。
寝台にあった大きな座布団に背を預ける姿勢になった。
ずっとうつ伏せにされていた絽峰と半刻ぶりに目があった天弦は、くしゃりと顔を歪ませた。
「ろほう、どうしてそんな顔をするの」
「酷い顔なのは……おまえのほうじゃないか、天。今から『寵姫』と『初夜』ってツラじゃあないぜ」
「だって、だって、わたしは……っ」
今にも泣き出しそうな顔は、幼い頃となにも変わらない。
絽峰は渾身の力を使って重怠い両腕を持ち上げ、天弦の体を抱き寄せた。
今まで自分を組み敷いていた男とは思えないほど、その体はなんの抵抗もなく絽峰の腕に収まる。
「天、本当にこのままでいいのか? おれは、無体をはたらいたおまえを許せなくなる。一月が経って、ここから出たら、元の関係には戻れない。本当にそれで、いいのか?」
「……いやだ、でも、このままじゃもっと嫌なんだ……」
汗だくの絽峰の胸でぱさぱさと頭を振る天弦は、小さな子どもに戻ってしまったかのように頼りな下げに見えた。
さっきまで感じていた恐怖はもうない。
絽峰はゆっくりと天弦の背中を撫でながら、唐突に脳裏にひらめいた言葉を口にした。
「おまえ、おれが好きなのか」
身を起こした天弦と見つめ合う。
まだ幼さが残る、しかし確実にあの頃とは違う成長した青年が、痛いほど真剣なまなざしを絽峰に向けている。
「ずっとずっと好きだった」
「過去形か?」
「……今も」
「ふぅん」
先に目を逸らしたのは天弦だった。
絽峰はその無防備な頬を思いっきり叩く……つもりで腕を動かした。実際には表皮をぺちんと撫でただけだったが、叩かれた男は目をぱちぱちと瞬かせている。
「そういうことは先に言え。何も言わずに薬盛って、襲うんじゃねえだろう」
「でもっ……もっと早く気持ちを告げていたら、絽峰は応えてくれた?」
「さぁ、どうだろな……仮定の話はどうでもいい。重要なのは今どうするか、これからどうするかだ」
「ずるい……」
ふ、と張り詰めていた空気が緩む。
立派に成長したと思っていた。それを誇らしく思う心は、親兄弟に向ける感情だけだった。
しかし弟分の方はいつの間にか、家族の情を逸脱してしまっていたらしい。
情けないことに彼の変心に絽峰は全く気付いていなかった。
しかし、彼の種類の違う愛情も受け入れてやってもいいと思うくらいには、絽峰は絆されていたし、天弦のすべてを愛しく思っているのだった。
「絽峰、好き。一月と言わず、ずっとわたしの一番近くにいて。どこにもいかないで……」
むずがる小さな子どものような懇願に、思わず苦笑いが溢れる。
絽峰が浮かべた笑みは、肯定したようなものだった。
寄せられた唇を今度は嫌がらない。
触れるだけ落とされたそれは、先程までの奪われるものと違ってどこか甘く、少しくすぐったかった。
二度目の口づけは深く、絽峰からも仕掛ける。
押し倒されたままの体に天弦の下肢が絡められ、絽峰はぴくりと震えた。
「あー……その、だな」
「ん、なに?」
「おまえのソレ、を、おれに……その……挿れる、のか?」
百戦錬磨、常勝の盾と褒め称えられる守備隊隊長である絽峰も、さすがに声が上擦る。
どちらかといえば可愛らしい顔立ちの天弦のそれは、下腹についてしまいそうに反り返った、立派なものだ。
それを時折絽峰の股に擦り付けてくるのだから、なんとも言い難い声色になってしまうのは仕方がないだろう。
「うん。いいよね?」
天弦はにっこりと良い笑みを浮かべ、見せつけるように体の角度をずらした。
正直、太さはそこまででもないだろう。しかし長さが、ちょっと見たことがないくらいのものだ。
一瞬動物の性器を思わせる威容に、絽峰は苦笑いすら浮かべられなくなった。
「いや、その……また今度に……」
「しないよ、初夜だもん。それにほら、絽峰のここはもうすっかり解れてるんだよ?」
「っう、あ……!」
無遠慮に突き込まれた指を貪欲に飲み込んだ後孔に、絽峰は自らの身体ながら裏切られた気持ちになった。
こんなときだけ妙に強気な天弦に、気持ちを受け入れたことを後悔しそうだ。
弱々しく拒否の言葉を口にするたび捻じ伏せられ、蕩けた腸壁を擦られる。
何度か問答するうちに、絽峰はすっかり息が上がってしまっていた。抵抗する気力も失せる。
それを是と取ったか、次の瞬間には指とは比べ物にならないほど熱い塊が窄まりに押し当てられた。
「大丈夫だよ絽峰。痛くしないから、ね」
汗で張り付いた髪を掻き上げ額に口づける天弦の仕草を、誰に習ったのかと尋ねる余裕もない。
言葉の通り、天弦は決して急ぐことなくゆっくりと腰を進めてきた。
絽峰にできたことは、せめてみっともない声が漏れてしまわないよう唇を噛み締めて耐えることだけ。
それも「噛まないで」と天弦の指を口に含まされたせいで、我慢すらできなくなってしまった。
「は、ぁ、うぅっ……」
「ん……絽峰、あとちょっとだよ」
「う、そだ……もう、無理」
「大丈夫。ここが行き止まりに思えるだろうけど、もう少し先が……」
「な、っ……! あ! あぁ……!」
今まで意識したこともなかった内臓に、巨大なものが入り込んでくる感覚。
もう絶対にそれ以上入らないと思われるほどきつく感じられたのに、天弦は更にその先までいとも簡単に暴いた。
切っ先が柔らかい壁を突き破り、絽峰の視界が真っ白に染まる。
気絶するかと思われた衝撃があった。勝手に喉から声が迸る。
「は、ぁ、あああっ───そこ、だめ、天っ……!」
「気持ちいい? 絽峰、すっごい締めてくる」
「あぁ! あ、うごか、すな、ぅあ、あ!」
最奥をこつこつと揺らすように突かれるだけで、射精とは違う絶頂感に似たものが暴力的に嬲る。
今まさに理不尽を与えてくる男の体に縋り付くことしか、絽峰にはできなかった。
その行動を天弦がどんなに嬉しそうに見つめていたかも分からないままに。
そこからはもう意識を保つのも難しく、絽峰はひたすら揺さぶられ、夜通し喘がされたのだった。
部屋の隅にひっそりと待機していた閨房官たちが退出した後。
皇子が甲斐甲斐しく体を拭いて世話してやった「寵姫」は、明け方目を覚ますなり横で幸せそうに眠っていた皇子を大声で叩き起こし、腰が立たない姿勢のまま長く説教したという。
「初心者にここまでするやつがあるか! おれはおまえをそんな鬼畜に育てた覚えはないぞ天!」
「ごめん、ごめんなさい絽峰……やっと本懐を遂げられると思ったら、その、気持ちが抑えられなくて」
「言い訳するなッ! もういい、おまえは一月ここに出入り禁止だ! 来てもおれが直々に矛で追い返してやるからな、反省しろ!」
「そ、そんなぁ……」
はだけた夜着のまま外に放り出された皇子の噂はたちまち宮中を駆け巡り、次期皇帝候補の皇子はかかあ天下らしい、と評判が広まるのに時間はかからなかった。
その後、甥が成人するまでという期限を設けて皇座に着いた天弦皇帝は、軍事と国防に関して卓越した賢政を敷き、兵士たちや軍関係者の尊敬と支持を一身に集めたという。
その影には、気が強く大柄な彼の唯一の「妃」の尽力があったと伝えられている。
おわり
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