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本編

31.準備が九割

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「は~……ここが極楽か……」

 広いバスタブいっぱいに手足を伸ばして、顎先まで湯に浸かる。
 自然と長い長い息が吐き出されて、帰ってこられたんだなと体の芯が実感するようだった。
 地上からしてみれば、文字通り雲の上の場所であるこの次元こそが、まさしく極楽となるのかもしれない。

 雲海の下で風呂にありつくのは一苦労だった。
 旅ぐらしであったことも相まって、濡らした布で体を拭くのが最も一般的だ。
 シャワーはないし、たっぷりのお湯に肩まで浸かるなんてことは貴族でなければできないし、髪や体を洗う石鹸はあまり質の良いものではない。
 科学技術の発展した、贅沢な暮らしをしていた俺にとっては地上の生活水準が低いことは結構なストレスになっていた。

 浴槽に身を沈める前に念入りに体を洗ったが、やっぱりというかなんというか、汚れっぷりがヤバかった。
 垢擦りタオルのありがたみをこれほど感じたことはかつてない。
 シャンプーがしっかり泡立つまで洗い、ボディソープで全身洗いやっと人心地ついた。
 それから湯に入り、リラックスして風呂で足を伸ばせるという喜びを噛み締めていたら、浴室の扉がいきなり開いた。

「えっ!?」

 慌ててドアの方を見ると、入り口に堂々と全裸で立っていたのは総司郎だった。
 当然のように浴室内に入ってきた総司郎の、彫刻のように引き締まり整った体を見るのはいつぶりだろうか……と見惚れそうになって、慌てて咎める表情を作る。

「おま、お前っ何入ってきてるんだよ!」
「海くん、見張ってないとまたどっか行っちゃうかもしれないからさぁ。一緒にはいろ」
「うわっ、お前みたいなデカい男と入ったら狭いだろ!」
「まぁまぁそう言わずに」

 総司郎は俺の背中とバスタブの隙間にするりと入り込むと、足の間に俺を置いて収まった。
 お湯がたくさん溢れ出てしまって実にもったいない。
 後ろから抱き締められるような体勢に、熱湯のせいだけではなく顔に血が集まる。以前はこんな触れ合いも特に珍しくなかったが、久しく恋人同士ではなかったせいか、慣れないと感じてしまうのだろう。
 というか、その……。

「……あの、当たってるんですけど」

 俺の腰のあたりに存在感を主張している硬いモノ。
 まぁそりゃ、気持ちは分かるよ?
 気持ちが通じ合った元恋人と一緒にお風呂に入っていれば、男なら生理的な反応があるのは仕方ない。
 創造神にも付いてるんだなっていう今更な驚きはあったけど。

「まぁ……当ててるよね」
「ひぃ! お前みたいなデカい男に言われても全然キュンとこねぇからそのセリフ!」
「へぇ、どんなやつに同じセリフ言ってほしいわけ?」
「そりゃ、巨乳の美女に……」
「ふーん?」

 後ろからがっちりと抱え込まれているので、下腹部の凶器から逃れたくとも上手くいかない。
 それにあんまり暴れるとお湯が溢れてもったいないし……。
 そんなことを考えて弱々しい抵抗しかしないのがまずかったのか、俺の腹を抱えていただけの総司郎の手が不埒な動きを見せ始めていた。
 俺のぺったんこな胸を両手でさわさわと揉んで、いたずらをするように乳首を掠める。

「あっ、ちょ……」
「巨乳どころか女と付き合ったこともないのに、ちょっと触られただけでこんな風になっちゃうのに……女なんて抱けるわけないでしょ?」
「だめ、やめろって総、んぅ!」
「ほら、ぷっくりしてきた」

 身を捩っても全く抜け出せなくて、胸の尖りに与えられる刺激が腰にビリビリくる。思わず仰け反ると、腰に当たっている総の熱い部分を余計に感じてしまって八方ふさがり状態だ。
 今までも戯れに体に触られることはあったのに、今までとは全然違う。
 総司郎がどんな風に自分の体を蕩けさせるか知ってしまっているから、期待に奥底が勝手に疼き始めた。

「あ、あ、総……」
「ね、胸だけでイけるか試してみる?」
「だめだっ、て、お湯が汚れ、る……あっ!」
「お湯なんていくらでも一杯にしてあげるよ」

 ───だから、いいでしょ?
 耳朶に歯を立てられる感触に背筋が粟立つ。
 記憶にあるのと寸分違わぬ甘えた声色で言われれば、昔からこの年下の男に弱い俺が抵抗を続けることは難しい。

「……せめてベッドで……」

 それが精一杯の抵抗だった。
 背後で含み笑いをする男がどんな表情でいるのか、分かってしまう自分が憎らしい。



 入浴前に脱衣所に用意した大きめのバスタオルにすっぽりくるまれて、ベッドに運ばれる。
 いい歳の男がお姫様抱っこされるなんて羞恥と屈辱で死にそうに思ったが、浴槽内で少し触られただけなのに俺の体はぐんにゃりと力が入らなくなってしまっていて、自力ではしばらく動けなさそうだった。
 それを見透かされているのも恥ずかしい。

 連れていかれたのは、創造神の部屋のベッドだった。
 体を拭くのもそこそこにバスタオルを剥ぎ取られて、同じように一糸纏わぬ姿の総司郎を見つめる。

「……痩せたね」
「総司郎こそ」

 先ほどまでのふざけた態度から一転して、心配そうに眉を顰めた総司郎の手に頬を包まれる。
 首筋を撫でられ、性的な意図が感じられない指先が肋の浮いた脇腹に触れた。肉が落ちてしまったそこを辿られるとくすぐったくて、思わず身を捩る。
 力を抑えるために食事を制限し、教会に見つからないよう一日中歩き通しだった日もあった。過酷な地上の生活で、だいぶ体重が落ちただろうという自覚はある。
 破壊神の体は年齢は重ねないが、劣化はする仕様だ。
 それよりも、最高の状態を維持するように作られているはずの創造神が少し窶れて見えることのほうが気がかりだった。

「創造神ってのは、痩せたり衰えたりしないんじゃないのか……?」
「俺達だって完璧じゃない。破壊神に滅ぼされる世界があるように、創造神にも死に近いものはある。海くんは……そういう世界を知ってるんじゃないの?」

 「メアリ」のことだとすぐに分かった。
 総司郎に、以前の職場のことや、その世界がどうなったのか話したことはない。それでも、全てではないだろうが知っているのかもしれないとは思った。
 自分に触れられた手と同じように、頬を撫で、背筋や脇腹を探る。
 幸い総司郎のほうはごっそりと肉が落ちるというほどの痩せ方はしていないようだ。
 こうして「創造神」に触れるのは初めてのことのはずなのに、体が感触を覚えているというのは不思議な気持ちだった。

「先に死んで、悪かった」
「……っ」
「一人にしてごめんな、総」
「ずっと……もう一度会いたかった……」

 端正な顔をくしゃりと歪ませ、泣き出しそうになった総司郎は俺の肩へ鼻先を埋めた。
 柔らかい手触りの髪を撫でる。

 それは死に際にも強く思った言葉だった。
 あのときは言うことができなかったけど、今告げることができる。
 謝ったって、彼が実際に過去受けた心の傷はどうすることもできない。将来を誓うなんて軽々しい言葉は二人とも口に出さなかったが、俺は生涯総司郎を想って生きると決めていた。
 せめて、彼の未来に責任を持ちたかった。
 それがあんなに早く、総司郎を一人遺して死ぬことになるなんて、因果なものだ。
 しかしもし俺達以外に神という存在がいるのであれば、今だけは本気で感謝したい。
 本来なら死ねば終わりの絆に、続きを与えてくれた神に。
 彼に贖罪の機会を与えてくれた神に。

「海くんが俺のものだって確かめたい。……いい?」

 俺の顔の両側に腕をついて顔を上げた総司郎は、真剣な表情で、少し目元を赤くしていた。
 記憶にある子供の頃とそっくりな幼い眼差しに、むず痒いような喜びがこみ上げる。目尻を指の腹で拭ってやると、その手を取られてキスされた。
 気障な仕草も似合ってしまうのがこの男なんだ。

「俺がお前のものだって、しっかり刻みつけておけよ」

 わざと挑発的に言って口端を引き上げる。
 一瞬懐かしそうに目を細めた総司郎に反応する間もなく、優しい唇で呼吸を奪われた。
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