ルピナスの花束

キザキ ケイ

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番外編

後日談

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 俺の恋人は鈍い。
 なにがと言われれば、ほぼ全部が、だ。

 先日晴れてハロルドと婚約に至った。
 この国では同性同士の結婚を制度で認めていないのだが、実は簡単な法の抜け道がある。
 それはハロルドの故郷でもある北部、その中でも北端に位置する教会で式を挙げることだ。
 すべての宗教を許容し、冠婚葬祭なんでも受け入れる特殊なその教会では、どんな相手とも結婚することができ、二人が制度的に伴侶となることを国が容認するしかないという。
 北部は元は独立国であり、併合の際一定の自治を認める法律が出来た。その際認めた宗教の自由の規定を解釈すると、北部で結婚したと届け出ると王都でも「ふうふ」として扱われるということらしい。
 北端の教会には王都から片道だけでも二日は掛かる。
 騎兵隊長と、おっかない司書統括に頭を下げてもぎ取った休暇で、新婚旅行兼結婚式を挙げることに決めたのはつい昨日の話だ。

 俺たちは互いに言葉が足りなさすぎた。
 それを痛感した先の出来事を教訓に、俺たちは毎日飽きるまでいろいろな話をした。
 お互いの思っていること、日頃考えている出来事。職業の話、趣味の話、子供の頃の話。
 まるで消灯時間を過ぎても話し足りなかった学生時代のように、離れていた時間の寂しさ、言葉が伝わらないもどかしさを埋めるようにたくさん話をした。

 そんな会話の中で、俺は衝撃の言葉を聞いた。

「ルーファスはあまり贈り物をするタイプじゃないと思ってた」
「ん?」
「だからかな、あの花束は悲しかったけど、嬉しかったんだ。私のために花屋で選んできてくれたんだと」

 俺は慌てて、ベッドに寝そべっていた上体を起こした。退去予定のハロルドの独身寮の部屋をぐるりと見回す。
 なんということだ。
 俺がプレゼントのつもりでハロルドに贈っていた数々の書籍がどこにも、一冊も置いていない。

「……ハル? 俺が月に三冊のペースで渡していた本は……どこへやったんだ?」
「え? あぁ、寄贈本として適宜図書塔に納めたよ」

 この日受けた精神的ダメージは、俺の人生の中でも一二を争うものだった。
 そうだな、考えてみれば俺が悪いのかもしれない。
 遠回しな表現で「これ、お前が読みたがってた本」なんて言って渡したって、ハロルドがいくら「ありがとう、これ高価だっただろ」と言って春の陽気のようにあたたかく嬉しそうな笑顔を浮かべたって、しっかり確認するべきだったんだ。
 それは寄贈本ではありません、と。
 恋人に贈る個人的なプレゼントなので、部屋に置いておいて好きな時に読んでくださいと。
 そう、俺の言葉が足りないのが悪いのだ。そうだ、ハロルドのせいじゃない。

「はぁー……」
「お前、やっと身を固めたと思ったらなんだその辛気臭い溜息は。幸せが逃げるぞ」
「溜息くらい好きに吐かせてくれ……」

 独身最後の飲み会だといって、同僚が連れ出した酒場。
 大したことのない度数の酒が入ったグラスを握りしめて、俺は溜息を吐き続けた。
 同僚からはマリッジブルーにしか見えないだろうが、事はもっと根本的な部分から発生しているような気がしてならない。

「ハロルドから見たら俺は……気持ちの籠もっていない罰ゲームの告白をしてきて、それを訂正することなく体まで奪い、釣った魚にエサもやらずに最後には別れの言葉すら惜しんで安そうな花束一つでフった男……ということだったのか」
「おっ、なんだその最低男。いずれ地獄に落ちるな」
「くそっ他人事だと思って……」
「まぁまぁ」

 今にも噛みつきそうな顔をしたからか、慌てて機嫌を取ろうとしてきたこの同僚に何度責任転嫁しそうになったことか。
 そもそもこいつが花束を贈れなどと言わなければ、ハロルドの瞳がちょうど青色でさえなければ、あんな騒動にはならなかったのではと何度も考えてしまう。
 そのたびに、どうせあのときでなくとも花束くらいいつか渡していただろうし、ハロルドのあの美しい青に惹かれたのだからそこを恨むのは筋違いだと己を戒める。
 そうなるとやはりすべての元凶は自分であり、騎士として人々を守らなければならない立場で最も大切な恋人の心も守れずなにが騎士だと、自棄っぱちのような気持ちになってしまうのだ。

「ハルが……結婚を了承してくれたのは……奇跡かもしれない」
「まぁそうだろうな」
「なぜそこは慰めてくれない」
「だって彼、めちゃめちゃモテるじゃないか」
「はぁ!?」

 さすがにお前との噂が立ってからはなにもないと思うけど、と同僚は前置きし、いくつか話をしてくれた。
 俺は以前、ハロルドの周囲の人間すべてに威嚇したいような気持ちになったことがあった。醜い嫉妬で、あの気持ちをハロルドに知られていたと分かったときは羞恥で死にたくなったものだが……。

「お前が目の敵にしてる宰相、実際に『図書塔の男司書を狙ってる』って噂が前からあったぜ」
「な、なん……だと」
「司書って男が彼しかいないだろ? おまけに貴族ではないがそれなりの家の出。かなりの数の女性司書は彼のこと狙ってたみたいだしなぁ。黒髪ロングとブルネットの娘なんか代表格だろ」
「まさか……」
「そもそも騎士人気も結構高いんだぜ、彼。深窓の令息とかいって、なかなかお目にかかれないレアキャラ扱いされてたし、たまに誰かが出くわすと髪を触れただの腰が細くて興奮しただの言われてたぞ」
「……」
「お前と噂が立ってからは開けっぴろげな奴は減ったけど、騎士は男ばっかの職場だし、ああいう華奢そうな奴で手近に済ませたいって輩は意外と……ルーファス?」
「…………殺す。ハルに邪な思いを持ってるやつは一人残らず殺す」
「わーっ待て待て、こんなところで剣を抜くな!」

 同僚に本気で羽交い締めにされ、俺は仕方なく剣を手放した。
 顔が真っ青になった酒場のマスターに謝罪をして、カウンターの椅子に座り直す。
 軽率だったと同僚は謝ってきたが、数々の噂を知らなかった俺の落ち度であると言えよう。彼は親切心で言ってくれただけなのだから。

「ハロルドくんの名誉のために言っておくけどな、実際彼がなにかされたってことはないと思うぜ」
「なぜそう言い切れる」
「彼には並の男より頼れる人がいつも傍に付いてたからさ」

 そう言われて、小柄だが背筋の伸びた女性の姿が浮かんだ。

「サリー女史がハロルドを可愛がっていたことは知っているが、彼女がそんなことからも守っていたということか……?」
「そうだな。まるで本物の母親か祖母かというくらいハロルドくんにべったりだったみたいだぜ。あんな怖いお目付け役がついてる男に軽率に手出せる奴はなかなかいない」

 お前くらい図太くなきゃな、と付け足された一言は褒め言葉として受け取っておく。
 たしかにサリーがハロルドを心配する様子は身内のような光景だった。
 過保護と言ってもいい。彼の弟ラッセルの、ハロルドに対する態度を知ってしまった今なら特にそう思える。
 まるで───ハロルドの心が傷つきやすく脆いことを、よく知っているかのようだ。

「……まさかな」

 ハロルドの「能力」について、王都で知っているものは俺以外いないと彼は言っていた。
 王に重宝されるという特性上、誰にでも漏らしていい秘密ではないだろう。
 しかしハロルドが話さなくても、知っている人は知っていることなんじゃないだろうか? 例えば王族、もしくはそれにごく近しい人物……。

「さすがに考えすぎか」
「ん? それよりルーファス、飲まないのか? 今日の酒は俺の奢りだぞ」
「そうなのか、それは嬉しい。マスター、この店で一番高いウィスキーを、ダブルで」
「お前ほんっと可愛げがねーな!」

 小突いてくる同僚を適当に躱しながら、美味い酒に舌鼓を打つ。
 誰がハロルドを狙っていようと、俺が守り続ければいい話だ。
 それに彼はとても鈍い。色目を使われていることにすらこれまで気付かなかっただろう、そしてこれからも。
 それは、俺自身すら言葉を惜しめば苦境に立たされることを意味しているのだが、愛しい相手のために手間を掛けられることすら幸福に感じてしまうのだから、単純なものだ。
 遅くなる前に帰ろう、俺の帰宅を待っている彼のためにも。
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