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3話
しおりを挟む当然来ないと思っていた待ち人が来たとき、私は相当に変な顔をしてしまったのだろう。
「おはよう、ハロルド」
「お……はよう、ルーファス……」
「なんだ、来てはいけなかったか」
「いや! そ、そんなことはないよ」
やや気まずそうな様子で歩いてきたルーファスは、私が慌てふためく姿に少し笑ってくれた。
でも本当に驚いた。まさか騎兵隊の貴公子とまで呼ばれるモテ男のルーファスが、男と休日デートをするために城下まで来るなんて。
それがたとえ向こうから言い出した交際だとしても、当然、無かったことにしたいだろう。
酒場のノリの罰ゲームで同性と付き合うことになるなんて、本人からしてみれば悪夢だ。
ルーファスにとって私は、日常的な利害関係にない知人だ。
罰ゲームの対象に選び、険悪になったとしても、ルーファスが図書塔へ行かなければ繋がりが断たれる程度の相手。なればこそ告白なんていう突拍子も無いことができたんだと推測された。
だから、来なくても良いようにデートの日時の返事は聞かずに去ったというのに……律儀にやって来るなんて、予想外だった。
ルーファスが来ないだろうと高を括っていたから、私の服装は手抜きなものだった。
仕事着のローブの中に着るシャツとスラックス。糊は効かせているからだらしない格好ではないだろうが、デートっぽい服装ではない。リボンタイをしてきたことだけは褒めるに値する。履き潰す寸前のような革靴ですべて台無しになっているが。
対するルーファスの私服は、よくまとまっていた。
シンプルなシャツと細身の黒いボトム、太めのベルトだけという出で立ちがとても似合っていて、襟足のあるハニーブロンドがいつもより輝いて見える。
惚れた欲目かとも思うが、すれ違う町娘がちらちら見ているからやはりカッコイイのだろう。
「じゃあ……行こうか。店はここからそう遠くない」
「楽しみにしてる」
飾り気のない笑みを浮かべるルーファスにまた見惚れそうになって、慌てて顔を背けて歩き始めた。
彼の考えが分からない。
ただ、私の横を歩くルーファスから嫌な気配が漂ってこないことは救いだった。
私の予想は悉く外れ、すぐに関係が途切れるだろうと思っていたルーファスとの「恋人ごっこ」は半年経っても継続中だった。
彼は意外とマメな男で、非番の日には必ず誘いをくれたし、会えない日が続くと夜のひとときだけでも一緒に過ごそうと寮の部屋に押しかけて来ることもあった。私は早々に自分から誘うことがなくなったのにも関わらず、だ。
私とルーファスが交際しているらしいという話はすでに王宮全体に広がっていて、図書室の常連である宰相様にまで揶揄われたときのことは思い出すのも恥ずかしい。
どうやら同性同士ということより、取り合わせの物珍しさが勝って、周囲から生温く見守られているという状態のようだった。
意外にも噂を一番喜んでくれたのはサリーで、「夕飯を一緒に食べる相手がいればもう少し健康になるだろう」という理由だった。
サリーのことを何度母上と呼び間違いそうになったことか。
「考え事か? ハル」
狭いベッドの中で抱き寄せられて思考が中断する。
私はなぜか、憧れのルーファスと体を重ねる関係にまでなっていた。
久しぶりのデート。美味い酒場でのんびりと酒を飲んでいただけだったはずなのに、気がついたらルーファスの腕の中で朝を迎えていた。
童貞のまま処女を失ったショックと、好みの顔が至近距離にある驚きで悲鳴を上げ、腰に力が入らずベッドから転がり落ちたあの朝のことはまだ記憶に新しい。
「明日も仕事だ、これ以上は……」
「……そうだな、残念」
怪しい雰囲気になりそうだったのを牽制すれば、ルーファスは渋々手を引いた。
ふわりと漂った感情が【残念】【足りない】というもので、叱られた大型犬のようなルーファスの表情と相俟って笑ってしまう。
ルーファスから悪感情を感じることは度々あった。
今のように分かりやすいものは、わざわざ遮断せずともこちらを乱してくることはない。たまに唐突にぶつけられる強い感情に戸惑うことはあった。
最初に感じた【嫌だ】という気持ちや、【つらい】【悲しい】というもの。
気持ちを読んでしまったときは、彼が私にどうしてそんな感情を抱くのか分からなくて、ただ萎縮するしかなかった。そんな時彼はもっと嫌がって、さらに悲しむ。どうしたらいいのか未だにわからない。
彼にとって私がなんの価値もない抱き人形でも、執着のようなものがあるのだろうと最近は分析している。
どんな理由でも、彼のそばに居られることが嬉しい。
例え仮初めの関係でも、一日でも長くこの場所に居られるのなら、目を瞑って耳を塞いで、どんなことにでも耐えられると思った。
でもそんな日々は、やはり長く続くはずなどなかった。
その日、ルーファスは会った時から様子が変だった。
なにやら小ぶりな手提げを持って、そわそわしていて気もそぞろで、【焦り】や【緊張】といった感情が膨れ上がっていた。
攻撃的な感情でないとはいえ、これだけの重さでは私の心身にも影響する。
ただ私が不調そうにしていると、ルーファスは気を遣ってすぐ部屋に帰そうとしたり、何度も心配そうな声を掛けてきてしまうので、努めて気丈に振る舞った。
一通り食事を楽しんで、明日も朝から仕事がある私のために早めに寮へ戻ることになった。
その途中で、ルーファスは道を逸れた。
寮へ向かう道を裏側へ外れて、少し傾斜のある草地を歩く。辿り着いたのは小さな丘だった。
ここからは騎兵隊の練習場所がよく見える。
ルーファスもこの場所を知っていたことには驚いた。
「どうした? こんなところへ来て」
「……ハロルド。これを、受け取ってほしい」
ルーファスの手元に落とした目線が凍りつく。
差し出されたのは小さな花束だった。小ぶりな青い花がいくつ連なった花がいくつか束ねられている。繊細なレースの紙で纏められ、花弁は瑞々しい生気を放っている。
さっきからしきりにポケットを気にしていたのは、この花が入っていたからだったのか。
冷静に考える頭とは裏腹に、心は冷え切っていた。
友人に、家族に、恋人に贈る花束は基本的には良い意味が含まれた単純なプレゼントだ。
しかし、恋人に青い花を贈るとなると意味合いが違う。
それが意味するのは「別れ」だ。
「……」
「ハル? だめ……か?」
相手を許せなくなるほど嫌いになったのなら、ビンタひとつで別れれば良い。
青い花束を贈る別れは、円満な離別の証だった。
ルーファスはやっと気付いたんだ。
罰ゲームで付き合う羽目になった男になど、いつまでも執着していても意味がないということに。
彼は若く、才能があり、家柄もしっかりしている。世継ぎを生める同じくらいの年頃の女性を見つけて、愛を囁き、ゆくゆくは誰に謗られることも後ろ指さされることもなく結婚することが最良だと。
生家から落ちこぼれた、地味で暗くて楽しくもない男の恋人など、潮時だと。
不思議と心が凪いでいた。
私はルーファスのことが好きだ。
誰よりも彼に目を惹かれ、交際が始まってからは後戻りできないほどに好きになっていた。
愛して───しまった。
だからこの花束を受け取るのは、彼のためだ。ルーファスの輝かしい未来に、私がしてあげられる最後のこと。
「ありがとう、ルーファス。とても……きれいな花だ」
自然と口から感謝の言葉が出た。
声は震えてしまわなかっただろうか、瞳は潤んでいないだろうか。自信がない。
両手で受け取った花束は立派だがまばらで、胸に抱えられる程度のもの。
こんなものを受け取るだけで、私の存在や気持ちがなにもかもルーファスの中から消えるなんて想像したこともなかった。初恋が実って浮かれていたのだろう。いつか必ず訪れる未来だったというのに、油断していた。
ルーファスの背に巣食っていた重苦しい感情は消えていた。
私が聞き分けよく別れを受け入れたことにほっとしたのだろう。
私が気付かなかっただけで、彼の気持ちはとっくに別の人に移っていたのかもしれない。
滑稽な話だった。
ルーファスと目を合わせることができなくて、青い花弁を指でなぞりながら丘の下を見下ろす。
すると麓から、息急き切った騎士がこちらへ走って来るのが見えた。
「ルーファス! っと。お邪魔だったか」
「分かっているならさっさと去ってほしいんだが?」
「悪い、そうも言っていられなくてな。城下で大規模な火事が起きてる。人手が足りないから騎士と兵士は全員参加だ」
慌てて城下町へ目を向けると、遠くの方に黒煙が上がっているのが見えた。
こちらにまで焦げ臭い匂いが漂い始めている。
「あんた図書塔の職員だよな、司書は全員万が一に備えて塔に召集が掛かっている。すぐ向かってくれ」
「は、はい」
「ハル! すまない、また後でな」
伝令の騎士に付いて、ルーファスは丘を駆け下りて行った。
私は首を傾げた。後で、どんな話をするというのだろう。私が文句も言わず花束を受け取ったことで、すでに交際の終了は成っている。
以前ブリジットが話していた元恋人のように、交際中に掛かった費用や物品を返すように言われるのだろうか?
とはいえルーファスから物を貰うことはあまりなかったように思う。奢られてばかりだったということもない。
半年付き合っていて、ろくにプレゼントを贈り合うこともなかった。
それが一般的なのかどうか、私には分からないが、その程度の恋人だったということなのだろう。
(胸が……痛い。ねじ切れそうだ)
胸元をシャツ越しに押さえてもじくじくと心臓を炙る熱は引いていかない。
失恋は時間が解決すると、なにかの物語に書いてあった気がする。この痛みもいつか癒えるのだろうか。
重い足を引きずって、召集が掛かったという図書塔へ向かった。
幸い火事は大事には至らず、王宮に火の手が回ることも塔の書籍に被害が出ることもなかった。
しかし騎士団は城下町の復興のため、王宮の敷地外に出突っ張りで、ここ数日騎士どころか兵士、騎士見習いに至るまで姿を見ることすらできなかった。
「急な話だね……あの騎士さんに挨拶しなくていいのかい」
「はい。もう、終わってしまったので」
「……そうかい」
サリーに肩を叩かれ、軽い抱擁を受ける。
どうしてかその時始めて、涙が溢れそうになった。
数年間、こんな私でも楽しく働くことができた大好きな職場を振り返ることなく歩く。裏門の前に立派な馬車が止まっていて、誰の手配かすぐに知れて苦笑した。
「さよなら……ルーファス」
嘘からはじまった恋でも、私はあなたを愛していた。
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