アルファ嫌いのヤンキーオメガ

キザキ ケイ

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04.鍵開け師

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 無駄に車幅の広い一ツ橋の車が、どんどん細い路地へ入り込んでいく。
 両側に迫りくる壁やビルの側面で高そうなミラーをこすってしまうのではないか。達真は無意識にシートベルトを握りしめた。

「なぁ、ホントにこんなとこにあんのか?」
「道は合ってるよ……あぁ、ここだ」

 ナビすらも正確な特定を放棄した、雑居ビルが肩寄せあって立ち並ぶ繁華街の裏手。
 一際薄汚れて築年数の経っていそうな建物の前に、達真と一ツ橋が並び立つ。
 すぐ近くにコインパーキングがあってよかった。こんな路地でUターンは不可能だ。
 元々は金色にでも塗られていたのだろうビル名の箱文字看板は、すっかり色あせて壁の色と同化している。見上げた窓はどこもブラインドカーテンが閉まっていて、テナント名を見てもなんの事務所が入っているのか分からないものばかりだ。

 一ツ橋は小さな紙片を手に持って、やたらと幅が狭く急な階段を登っていく。外観からは5階建てほどに見えたが、エレベーターがないとはかなりのものだ。
 体力自慢の達真でもやや息が乱れ始めた4階で、一ツ橋の足が止まる。

「あぁ、ここだ。こんにちは~」
「えっおい、ここなんの屋号も出てねぇぞ」
「大丈夫大丈夫」

 奥の方から微かに明かりが漏れているだけの、営業中かどうかも怪しい一室へ一ツ橋は躊躇なく入っていった。
 出遅れた達真の目の前でガラス扉が閉まり、仕方なく達真も戸を押して中へと足を踏み入れる。
 企業の事務所としては狭い部類であろうその部屋は雑然としていて、面積の狭小さを際立たせていた。積み上がったファイルや書類の合間に、金属の工具や部品、鍵までもが無造作に転がっている。

「やぁ、起きてるかな。それともお取り込み中?」
「はーい、どなた……おやクリス氏」
「久しぶり、いや三日ぶりかな? 相変わらずボサボサだね」

 一ツ橋がにこやかに話しかけたのは、事務所の奥で椅子の背を向けていた人物だった。
 長い黒髪が四方八方へ跳ね回りながらウェーブを描いている。大きくて分厚いメガネが人相を分かりにくくしている。
 襟元がダルダルの黒いTシャツ、黒いジャージの下履き。裾から覗く手足はかなり細い。靴は裸足にサンダルと、とても社会人が事務所に勤務している姿には見えない。
 達真や一ツ橋とは違うベクトルで近寄りがたい雰囲気に若干引いていると、男の目が意外な素早さで達真を捕らえた。

「クリス氏、そちらは?」
「あぁ、彼は皆本達真くん。僕の未来の番で、きみに仕事を頼みたいんだ。わかるよね」
「あ!? 誰が誰の番だって!?」
「ほほ~元気そうな方だねぇ。それにしては窮屈そうな首輪だ。……ちょっと失礼」
「うわっ!」

 とんでもない紹介のされ方をした達真が一ツ橋に噛み付いている隙に、メガネ男がすすすと近づいてきて無遠慮に首を覗き込んできた。
 今度はそちらにぎょっとする達真だが、首輪をがっしり捕まえられて身動きできなくなる。
 オメガの首は急所だ。掴まれると咄嗟には動けない。
 本来は唯一と定めたアルファに項を差し出すための本能的な停止だが、悪意を持って触れられたときはどうしようもなく隙ができる。達真が自身を嫌う理由のひとつでもあった。
 一瞬の硬直のあと、すぐに全力で腕を振りかぶったがメガネ男はひょいと避けてしまった。見た目より油断のならない人物かもしれない。

「クリス氏~すごいもの連れてきたねぇ。どこで拾ったのこんなの」
「拾ったんじゃないよ。口説いている最中だ。それで、これは『外せそう』かな?」
「もちろん。腕がなるね」

 得体のしれない男同士が当然のように首輪を外すこと前提で話を進めていくのを、達真は唖然としながら傍観するしかなかった。
 オメガの首輪はそう簡単には外せない。
 当然だ、オメガは項を噛まれれば、どんなアルファにでも恭順してしまう。どんなに嫌いな相手でも、憎んでいても、隷属させられてしまう。文字通りの急所だ。
 そのため噛み跡のないオメガの首輪は頑丈で、正規の方法以外で外すことは困難を極める。
 正規の解錠方法が失われている達真の首輪を、こんな浮浪者一歩手前みたいな男が外せるなんて。

「クリス氏、お連れの彼ポカンとしちゃってるよ。説明してないの?」
「簡単にしか。達真くん、紹介が遅れたね。彼は僕の友人で、鍵開け師の宇佐見うさみくんだ」
「どーもぉ。クリス氏のネトゲ友達で『首輪外し』の宇佐見でーす」
「鍵開け……首輪外し……ネトゲ友達!?」
「あれ、気になるのはそこなの?」

 情報が濁流の如く押し寄せ、達真は素っ頓狂な声を上げた。
 事務所の奥は辛うじて応接セットが埋もれずに生き残っており、三人がそこへ腰掛ける。
 とはいえ座る位置はかなりちぐはぐだ。
 二人がけのソファに達真と一ツ橋が座り、ソファの肘掛けに宇佐見が跨って達真の首輪を様々な角度から観察している。表面に触れてはなにかをメモし、またじっと見つめる。

「宇佐見くんは、僕の好きなオンラインゲームで親切にしてくれた人でね。いわゆるオン友というやつだ」
「あんたの口から出る言葉としてはかなり違和感あるな」
「ゲームの中で意気投合して、割合近くに住んでいるからと会うことになって。いわゆるオフ会というやつだ」
「……」

 状況が混迷してきてツッコミ疲れた達真は、首を宇佐見に好きにさせ、一ツ橋にさりげなく腰を抱かれても振り払う気力が起きない。

「そこで彼が特異なスキルを持っていることを知ったんだ。オメガの首輪を外せる技術……もちろん非合法だ。厳重に口止めされたし、自分が利用することになるとは思ってなかったけど、持つべきものはオン友だね」
「……本当に外せんのかよ、これが」
「外せるよ」

 首輪に集中していた宇佐見が不意に耳元で声を出し、達真は思わず一ツ橋の方向へ仰け反った。上体を受け止められ、ついでに髪や頬を触られたが達真はそれどころではない。

「あいつはこの首輪、絶対外せないって言ってたぞ」
「うんまぁ、指紋と声紋の二段認証なのに外せるやつがいたら製造元の責任問題だしね。でも世の中何であっても絶対はない、そう思わない?」
「……」

 妙なところが一ツ橋の言い草と似ている。
 なるほど、ゲームの中で意気投合したという話もあながち嘘ではないのだろう。
 達真は絡みついてくる一ツ橋の腕を振り払って、メモをまとめて立ち上がった宇佐見の方へ身を乗り出した。

「外してくれ、金は払う! ……あ、いや、正直なところあまり持ち合わせがないんだが……必ず全額払ってみせる。だから頼む」
「ん。そうだね、皆本氏の方も外したいというのなら僕に是非はない。クリス氏が独り相撲してるだけなら、首輪のデータだけ取って追い出すとこだけど」
「仕事となると手厳しいな、宇佐見くんは」

 苦笑する一ツ橋と飄々とする宇佐見を交互に見て、達真は妙な気分になった。
 気安い間柄らしいのは分かるが、一ツ橋にこれだけ強気に出られる相手は少数派なのではないか。

「あんたもオメガか?」

 言ってから、それがとても失礼な物言いであることに達真は遅れて気がついた。
 自分がされたくないことを他人にしてしまうなんて最悪だ。近頃は「バスハラ」なんて言葉もあるくらい、第二性バースに関する話題は繊細な問題であるというのに。
 慌てて謝罪した達真に、宇佐見は口角を歪める奇妙な笑顔を返した。

「皆本氏は素直だねぇ。そうそう、僕もオメガだよ。番がいるからアルファの相手もへっちゃら」
「へぇ……いや、本当に悪かった。軽率だった」
「いいなぁクリス氏、この子すごくいいよ。ホントにどこで拾ったの?」
「教えないし、あげないよ?」

 ぎゅっと背中を抱き込まれ、達真は即座に肩口に押し付けられた顎を押しやって体を離す。
 最後までしなかったとしても、突発的なヒートという言い訳をしても、このアルファと寝てしまった事実は変わらない。
 だからといってすぐさまベタベタしてくる相手は断固拒否だ。というのに一ツ橋はまったくめげることなく、隙あらば達真に触れて拒絶され続ける。

「皆本氏の態度を見るに、クリス氏の恋はかなり前途多難そうだけど……まぁいいや。首輪外し、やってみるからちょっと待ってて」
「ま、まさかすぐ外せるのか!?」

 小さな工具がいくつも入っているツールボックスを引っ張り出した宇佐見を見て、達真は驚きを隠せない。

「うーん、すぐ外せるかどうかはやってみないと分からないけど、もしかしたら。支払いも分割でいいから」
「ありがとう! クソアルファのダチとは思えねぇくらい良いやつだなアンタ!」
「クリス氏がどう思われてるか透けて見えちゃったなぁ~」

 アルファとオメガは信頼関係だよ、なんて言われて凹んでいる一ツ橋のことなど眼中になくなった達真は、長く触れることができなかった己の皮膚に思いを馳せて満面の笑みを浮かべた。

 宇佐見の「首輪外し」は、なんとも緊張感のないものだった。
 革や薄いプラスチックでできたものは物理的に切ってしまうそうだが、達真の頑丈な首輪にはカッターの歯が立たないという。
 そのため指紋や声紋の認証を行う機械の部分をクラッキングして、内部データを改竄し正規の錠を開ける。

「そんなのできるもんなのか……?」

 達真は触り慣れてしまっている首輪に指を滑らせた。
 引っかかりや、素材が薄い場所はないかと何度も確認したが表面はなめらかで継ぎ目すら隠されている。触れると唯一反応を返すのが、小さなLEDランプが埋め込まれているらしき認証部分だ。ここも露出しているわけではなく、首輪の素材を一枚隔てた奥で赤いランプが灯るだけ。
 いずれ捨てるつもりだったオメガに、国の要人にでも使うのかと思うほど立派で頑丈な首輪をつける人間の気が知れないと、逃げ出してきた場所に思いを馳せることしかできなかった。

「フツーの鍵開け師にはできないよ。こう見えて僕賢いからね」

 得意げに鼻を鳴らした宇佐見は、クリップのついた細いコードを達真の首輪に取り付けた。
 コードの先にはなにかの機械、さらにその先でパソコンに繋がっているらしい。宇佐見の視線は機械とパソコンのディスプレイを往復し始めた。その間キーボード上を駆け回る彼の指先が止まることはない。
 映画で見るハッカーのようだ。達真はデジタル機器に弱いので何をしているかさっぱりわからなかったが、わくわくする気持ちだけはあった。

 首輪が外れない限り、達真にできることはないらしい。かといって大きく動くとコードが外れてしまうので、引き続きソファに腰掛けているしかない。
 宇佐見が気を利かせて、お茶を淹れ雑誌の束を置いていった。それで時間を潰していろということらしい。

「おい、俺は宇佐見さんの作業を待つから、あんたは帰ってろよ」
「僕の車で送ってきたこと忘れちゃった? 最寄り駅までは結構歩くから足を帰しちゃうのはオススメしないなぁ」
「……」
「それに、あんまり身動きできないのなら達真くんにくっついていられるチャンスだし」

 雑誌を広げた達真の横合いから一ツ橋が絡みつく。
 触れる度に手や肘で遠ざけていたものの、途中から面倒になって諦めた。静かになった達真に、一ツ橋は満足げに抱きついて落ち着く。

「……おまえさ」
「何?」
「もしかして前に、どこかで会ったことあるか?」

 達真は一目惚れされるような容姿ではない。
 一ツ橋の様子から、分不相応な首輪をつけられた哀れなオメガを弄んでやろうという気がないことも、宇佐見のところへ連れてこられたことで理解した。
 それならきっと一ツ橋は「以前の達真」を知っていて、妙に絡んでくるのだろう。
 そう推測した達真の言葉は、一ツ橋には「思い出してくれたの?」という喜びで受け止められた。

「会ったというよりは見かけた、に近いけど。庭園に大きな松が植えられてたホテルの立食パーティー、覚えてる? きみも僕も招待客だった」
「大きな松……あぁ……ぼんやりとは」
「そこで壁の花になっている達真くんを見かけた。きみは髪を染めていなくて、首輪もしてなくて」
「……」

 一ツ橋の言葉で徐々に鮮明になってきた当時の記憶に、達真は苦々しく奥歯を噛み締める。
 間違いなく、番と行ったパーティーだろう。
 番った当初は「あいつ」も達真を連れて集まりに参加することがあった。
 番は人脈作りだかご挨拶だかにさっさと行ってしまうし、当時は今より人見知りが激しかった達真は他の参加者と歓談もできず、会場の隅で目立たぬように過ごすことが多かった。
 そんなどこかのシーンを見られていたのか。

「あの日見た達真くんはひとりぼっちで、寂しそうに見えた。それでも番とは愛し合っていると思っていたのに……」

 一ツ橋が興味を引かれて達真に声をかけようとしたとき、番がやってきて達真は会場を後にしてしまったという。
 それが理想の番同士に見えた、などと言われて達真は皮肉に笑った。

「悪かったな、期待に沿えなくて。あいつに捨てられたオメガに価値はないか?」

 言外に、達真から番のアルファへと辿ることは無意味だと匂わせる。
 しかし一ツ橋は首を振った。

「そんなことは思わないよ。僕はきみの番に興味はない。たとえきみが今も番に縛られているとしても、僕はそばにいたいと思う。あの日きみに声をかけられなかった代わりにね」
「……いちいち言い草がくせぇやつだな」

 達真は思いっきりそっぽを向いて、なぜか赤くなりかけた頬を隠す。
 それを一ツ橋が覗き込もうとして、達真が嫌がり、揉み合っているうちに顔が近づいて呼吸を忘れ───不意に首輪が聞き慣れない音を発した。
 短い電子音と共に、普段は赤く光るランプが緑に点灯する。
 かしゃん、と軽やかな音を立てて首輪が落ちた。

「あ」
「え」
「ふ~解除完了。僕の手にかかればこんなもんよ」

 宇佐見がかいてもいない汗を拭う真似をする。
 達真と一ツ橋の間に落ちた白い首輪は二つに割れ、今はなにも守っていない。
 首輪が外れる瞬間は想像を遥かに超える呆気なさだった。
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