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 ちょうど、魔塔の方で面倒な怪異に手こずっているらしく、各方面に要請があった。
 自室に結界を張った上で、魔塔の通信アーティファクトを使い、オスカーが助力に向かうと連絡したところ、連絡員から「ええ?! 槍でもふりますか?!」と言われた。
 おい、とオスカーはこめかみをわずかに動かしたが、大人なので言わない。
「私は元から社会奉仕の精神に溢れている魔道士なので、しばらくは魔塔の依頼を連続で回してくれてかまわないよ」
「わかりました。天地級の災害の前触れですね。魔塔主に報告してきます!」 
 キビキビと返事する連絡員に、俺の心広すぎんか? と思うオスカーだった。魔塔在籍の長いオスカーは、王家でも立ち位置が独特だ。魔塔は、権力から干渉を受けない学問研究機関でもある。身分というものが、世間一般常識とは異なる場所なのだ。なので、元々思考回路の浮かれポンチなオスカーは、更にポンチになって、ボリンブルック王家でも、「ああ、オスカー殿下だからね」ですまされる枠になっていた。
 ボリンブルックでは、男女を問わず、長子先継王位継承権のため、皇太子のウィリアムに何かあれば、本来オスカーが立太子されるが、魔塔在籍の役職付きとなった時点でこれを返上しており、次の継承権はエリザベスとなる。オスカーとしては臣籍にくだる予定もなく、いずれは魔塔で階梯を上がるつもりだ。
 まあ、頃合いということだろう。
「社会奉仕大好き」
 オスカーはつぶやいて、うーん、と背伸びした。窓の外に、大きな月が出ている。
 国王夫妻、皇太子のウィリアムには、既に報告している。明日あたり、神殿を訪問して、しばらく魔塔の任務で不在となる旨、潘神に伝えるつもりだ。なんとおっしゃるか、と思い、オスカーは頬杖をついて、垂れ目の目尻を下げ、月を見上げた。


「そうか……」
 潘神に魔塔の任務でしばらく留守にする旨報告すると、重々しくその一言だった。はは、そうなんですよ、とオスカーは笑い、適当に口を動かし続け、気づいたら王宮の壁に片手をついて、項垂れていた。
 通りがかった鬼妹のエリザベス王女から、「新しい健康体操か?」と嫌味を言われ、弟王子のノアからは、「おにいさま、掃除をする人のじゃまです」と純粋に抉られた。あたたかいボリンブルック王家である。
 二人にも、しばらく魔塔の任務で長期不在になることを伝えると、
「怪我をしないように」とエリザベスは顰め面で忠告をし、
「えっ……」とノアはショックを受けて固まってしまったので、少しばかりフォローが必要だった。なんだかんだ、かわいい妹と弟たちなのである。


 オスカーは当初の予定通り、魔塔の任務を次々に受けた。一つ完了しても、すぐに次の任務を回してもらう。
 いずれは俺も魔塔主だな、と軽口を叩いて、点数稼ぎに勤しんでいることとした。魔塔主なんて面倒くさくてなりたくない、私は麗しい第二王子なので……と公言していただけに、オスカーくんどうしちゃったの、と同僚たちから気味悪がられたが、「社会奉仕大好き」と唱えて撃退した。余計に気持ち悪がられた。
 誤解も甚だしいが、オスカーは一応、社会貢献は大事だと考えている。好き勝手に研究するのが向いていて、そちらの方面に比重が寄り、行動があまり伴わなかったが、覚醒したのだからよいことではないか。研究か、現場かの問題で、どちらも社会貢献だろう、という思いもある。
 しかし、現場は現場でやはり苦労があるなとは、立て続けの任務で認めた。
 今回は、水流調査に強い黒の魔塔『水月湖』、疾病病魔の専門である青の魔塔『木花宮』の2つの魔塔の協力を得て、水質異常の調査に来ていた。オスカー自身は、やたら変人が多いと言われる発明の白の魔塔『金瓶営』在籍である。
 専門家が多いため、異常の特定は割とすぐに片がついた。地下水脈に、病原体となった異常生物が繁殖していたのだ。
 退治捕獲した後、水源の浄化や、病魔に侵された人々の治療など、後のほうがやることが多い。
 ある程度処理の目処がついて、地上に出ると、森の開けた場所で小休憩をとることとなった。
「あら?」
 不審げに声を上げたのは、木花宮の魔道士、ペネロープだ。彼女は全体的に色素が薄く、薄桃色の目で、周囲をぐるり見回し、声を落とした。
「おかしいわ。虫も獣も、鳴き声が何もしない」
 水月湖の魔道士で、人魚族出身のベンジャミンも、「確かに」と同意して、すぐに水の結界を構築した。
 オスカーは風の精霊を呼び出し、偵察に行かせようとして。
「っい?!」
 バチッ、と激しい召喚拒否の反作用が起きた。結界構築済のベンジャミンが、「珍しいな」と首を傾げる。
「ずいぶん拒否されたようだが」
「ああ。わからないが、ゼッタイイヤ、怖い! っていう感情と意思だけ伝わってきたよ……こんなのは初めて、だ……」
 そこまで言いかけて、オスカーは顔を上げる。
 メェ~、と小さな山羊の鳴き声が聞こえた。戸惑い気味に、ペネロープがふたりを見る。
「や、山羊?」
「こんなところに?」
 メェ~
 メェ~
 メェ~
 今度は四方から山羊の鳴き声が。
「な、なに……」
 ペネロープが怯えたように言い、ベンジャミンもあからさまに警戒の色を顔に浮かべる。
 メェ~
 メェ~
 メェ~
 メェ~
「おい、これまずくないか」
 ベンジャミンが言った。
「何処から聞こえてきてるのかわからない」
 メェ~
 メェ~
 メェ~
 メェ~
 メェ~
「……だ、だめ。これ、私達の手に負えない……魔塔主様……! た、助けを、はやく、救援信号、」
 闇の帳が落ちた。
 その途端。
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~メェ~
 山羊の鳴き声が爆発した。
「いやっ」
 ペネロープの悲鳴が聞こえる。ベンジャミンの混乱した声も。
 オスカーは、ふたりとも落ち着け、と言いかけて。
 ふと闇の帳の向こうを見つめた。
「……潘神様?」
 いやいや、と思ったが、潘神様の仕業だというのが、本能的に理解された。
 なんでこんな恐ろしい演出をするのだ、あの方は……と内心疑問に思いつつも、メンタルをやられてしまった魔塔の同期たちを宥める。
「大丈夫だ、私の知り合いの仕業のような気がする」
「ハァ?! なんでオスカーくんの知り合いがこんなことするの?!」
「それは……気分?」
「ふざけないで!!」
「意味のわからんこと言うな!!」
 激昂された。ふたりとも普段冷静なのに、よほど混乱をきたしているらしい。それはそうだ。神と人が出会ったら、普通は気が狂う。潘神が何故このようなことをするのか、オスカーもわからない。
「とにかく大丈夫だ」
 宥めながら、どうしたものかと考えていたオスカーの腰を、血の気の失せた巨大な腕がつかんだ。
「ひっ」
 ペネロープの引きつけを起こしたような呼吸。その白い腕は闇の帳の向こうから伸びており、まるで大蛇のようである。
 手の中に握り込まれたまま、オスカーは自分を見上げるペネロープと、ベンジャミンの恐怖に引きつった顔に、大丈夫だ、と再度言った。
 逆の立場なら、全然大丈夫そうではないなぁ、と思う。
 ペネロープの悲鳴を最後に、オスカーは抵抗する隙もなく、闇の中に引きずり込まれてしまったのだった。


 そして、案の定、潘神だった。
 闇の帳の向こうは、また闇の中で、潘神が立ち尽くしており、ぼろぼろと涙を流している。
 一言物申そうと思っていたのだが、ハァ、とオスカーは腰に手を当て、うつむくと額を押さえた。そのまま前髪をぐしゃりとあげながら顔を上げる。
「潘神様。まずは、私の同期たちを元の場所にお返しください」
「も、もう、もどした……」
 ぐす、ぐす、と泣きながら、潘神が目元を手の甲でぬぐう。
「なんでこんなことしたのか理由は後で聞きますから、まずはそんなに目をこすらないで」
 ね、とオスカーは潘神の顔を覗き込む。
「お、おいていかないと」
 潘神は、ひしゃげた声で訴えた。
「おいていかないと言ったのに……」
「ええ……ああ、それは……先祖のオリヴァー様に言ったのかと」
 夢遊病のときに言っていたから、オリヴァー相手に言ってるのかと思っていたのだが、違ったのだろうか。
「ちが、ぢが……ぅっ、」
「落ち着いて……大丈夫、聞いていますから」
「お、おすかー、に、オスカーに言ってたんだ……!」
「あ、はい……」
 名前呼ばれた、とオスカーは立ち尽くしてしまう。え、あれ、ガゼボで毎回言われてたが、正気に戻ってたのって、けっこう早めで、素で泣いてたのか。俺に言ってたの? と呆然とする。
「にんむ、任務っていうから……ぅうっ」
 うーっ、とまた目をこする。オスカーは見ていられなくて、触りますね、とその手首をそっと押さえた。
「かわいそうに、こんなに泣いて……喉も痛いでしょ?」
 ああ、任務というから、我慢させてしまったのか、と今更思い至った。俺は馬鹿ではないのか。この方は、この人は、愛する人々とともに、光の扉の向こうへ去りたかったのに、与えられた力の責任と使命のため、地上に残ることを選択した人だったのに。
 その人に、任務だから、とオスカーは告げて、終わっても次から次に受けて、長期不在にした。置き去りにしたのだ。
 あんなにあんなに、この人は、置いて行かないでくれ、とオスカーに頼んでいたのに。
「潘神様……すみませんでした……」
 潘神の方からオスカーの背中に手が回される。いつの間にか、潘神の頭に捻じくれた二本の角が突き出ていた。山羊の角だ。背中には皮膜の羽根が、巨大なそれで突き出ており、下半身は蹄のある二足歩行の真っ黒な山羊の脚に変化している。神というより、悪魔みたいだな……とオスカーは思ったが、流石に口にしない。まあ神でも悪魔でも、オスカーは気にしない性分だ。
「か、かえってこないつもりだったのか……私を置き去りにして……」
「はぁ、一時は気の迷いで」
「そんなのゆるさない」
 ぞっとするような獣の目が、真っ黒な顔でオスカーを見下ろしていた。オスカーがつばを飲み込むと、はっとしたように、おろおろしだす。
「ち、違っ、ぢがう。わたしは、」
「潘神様が、そんなつもりのないことは、わかってます。あなたは、ご自分に厳しい方だ……欲望より、理性と倫理にご自分を律しておられる」
 でも、とオスカーはその頬に触れた。
「いいですよ、私のことをあなたの欲望のままにして。ああでも、酷いことはしないでくださいね。壊れてしまったら、私も潘神様も困るでしょ」
「ぅ……あ……」
「最初に言ったでしょう。私は貴方にお仕えするために、たくさん準備したんです。気が変わったら教えてくださいね、って」
「じゅんび……じゅんびって、おすかーに、触れたものが、」
 顔が更に真っ黒になりそうだったので、慌ててオスカーは説明した。
「いやいや、自己開発なので! 俺は、男相手は初めてなんだ。だから、優しくしてください……誰も受け入れたことがないんです」
 あ、でもその前にひとつはっきりさせておきたいんだが、とオスカーは潘神に尋ねた。
「聖女様と俺と、ふたりとも……? 俺って愛人枠です?」
 潘神は呆然としたようだった。
 そのまま、だーっと、無言で滂沱の涙を流され、好きな子を泣かしてしまったオスカーである。
「ええ、違うんです? え、ごめんなさい。なに、あ、はい、なるほど、はい。あー、はい、そういう、ええ」
 潘神の聞き取りづらい説明によると、
 ①聖女は、元の世界からこちらに無理やり連れてこられた犠牲者である。
 ②主神のなさったことだが、潘神に責任がある。
 ③彼女を無事に元の世界に戻すまで、潘神には保護監督努力義務があり、その旨聖女にも説明した。
 ④①~③により、夢遊病をしている場合ではないので、意志の力でねじ伏せた。
 ①~④をどうにか聞き出してまとめ、オスカーは特に④で頭痛がした。病気を責任感と義務で力技ねじ伏せたとはどういうことか。
「あぁもう、あなたという方は」
 オスカーは潘神の頬を撫でた。
「俺には甘えてくださると嬉しいです。お願いですから」
「も……もう、あまえている……」
 潘神が、すり、と手のひらに頬ずりした。
「参ったな……私はもう、ずいぶん昔から、あなたにメロメロなんですよ」
「な、なんで、今は……」
「いまも。あなたが可愛くて」
 困ったな、と目尻を下げ、潘神の涙を手指で拭うオスカーを、同じく眉毛を下げた潘神が幼い顔つきで見つめ、
「さいらす」
 と告げた。
「、たしのなまえは、さいらすだ」
「サイラス様」
「おすかーは、わたしの巫子……したい……でも」
 そんなことしていいのだろうか、と迷う瞳が雄弁に語っている。
 オスカーは更に彼の涙を指の背で拭ってやった。
「いいんです。私は、好きなことしかしないので。サイラス様は、そうだな。巫子は神の花嫁ですから、私をあなたのお嫁さんにしてくれますか」
「したい……」
「はい、じゃあ誓います」
 あっさり誓って、オスカーは一言告げた。
「昔の聖女様でも浮気したら駄目ですよ」
「しない……」
「では、誓いのキス」
 オスカーが唇を重ねると、潘神はオスカーの頬を指の腹で押さえ、ちゅ、ちゅ、と上から吸い始めた。
「ん、んっ」
 夢中で吸いつかれ、大きな手のひらで頬やうなじや頭を触られているうちに、余裕をぶっこいていたオスカーは段々頭がぼうっとしてくる。うっ、これは普通に酸欠……でも気持ちいい……と目がとろんとしてくる。
 それはそれとして、同期たちへのフォローが足りない気がする。
 そろそろ切り上げて、と考えていたら、ものすごい目で潘神がオスカーを凝視していた。
「なに、かんがえて……」
 唇が離れて、ふたりの間を唾液の糸が伝う。
 すっかり眉を下げた潘神……サイラスが、途方に暮れたような顔で、上目遣いに見てくる。
 俺より大きいのになんで上目遣いするんだ、この人は……とオスカーは、んんっとなった。
「同期ふたりを混乱させたまま置いてきてしまったので」
「あ……ごめんなさい」
 ごめんなさいときたか。可愛いな……とオスカーは口元を手の甲で隠し、咳払いした。
「無事なことをふたりに伝えていただけますか?」
「うん……」
 うん、て言った。オスカーは本当に死にそうだった。おすかーがつたえたほうがいいよね? と潘神サイラスが言うので、そうですね、知らん神様(恐怖)から言われてもびっくりしますしね、とお言葉に甘えることにした。
 無事、オスカーが声を伝えて、ついでに魔塔にも連絡し、大事にしないですむ直前だったようだ。
 ほっと安堵すると、オスカーはサイラスの太い首に腕を回して、笑いかけた。
「働きすぎたので休みをもらいました」
「ん……」
「潘神様……サイラス。ふたりで、ね、たくさんしたいです」
 神さまの耳たぶを食んで、囁くと、真っ赤になってしまって可愛かったので、オスカーはふたたび笑った。
 そして、半刻後には、めちゃくちゃにされて、泣きを見た。
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