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番外 三十六 バッコスと魔法のランプ
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見覚えのある相手にダリオは固まった。
施設時代、同室になったことのあるアラディン・アリーが、芝居がかったように両腕を広げ、ワーオ、と破顔する。
「懐かしい! ダリオも僕達の活動に興味を持ってくれるなんて、今日は実に喜ばしい再会だな! 虹の旗のもとに、バッコスの盃を交わそうじゃないか!」
「あー……どうも」
ダリオは歯切れも悪く挨拶した。アラディンは、施設で過ごしたティーン時代からだいぶん様変わりしていた。
彫りの深い顔立ちに、上唇の上から顎先にまでヒゲを剃った痕跡が見て取れる。施設にいた時は尖りがちだった細いその顎も、心なし顔の輪郭が拡張されているようだ。その上、仕立ての良いネイビーのスーツに、鮮やかな赤いネクタイを締め、自信と強さのイメージを演出している。
案内役の女性も、二人が既知であることに驚いたらしい。だがすぐに、喜ばしい再会だと思ったようだ。
「お二人ともお知り合いだったなんて、虹の旗のもとに、素晴らしい再会ですね!」
「本当にね! 今日は素晴らしいニュースもあるし、ああ、ちょうどよかったよ。我々の活動について、遠方から来た友人にぜひ紹介させてもらおう!」
いや、近所から来ました……とダリオは内心思ったが、もちろん口にしなかった。
「すでに案内役から聞いたかもしれないが、″間違った肉体″で生まれてしまったために、苦しむ人々を、我々は誰ひとり取りこぼさぬよう導き、支援している。それが我々バッコス教団のひとつの使命でね」
アラディンは後ろ手に手を組み、一度高窓を見上げた。
「名は伏せさせてもらうが、命を絶つことを考えざるを得ない程、心ない差別に傷つけられていた同志の“女性”がいてね。だが、このたび地方裁判所で、手術要件なしに性別変更が認められたんだよ!」
まあ! と声を上げたのは案内役の女性だ。
「あの件ですね、よかった、心配していたんです! 彼女の努力が報われたのが、私もとても嬉しいです!」
えーと、話が見えねーけど、自認を優先して呼称してるんだよな? とダリオは思った。
ということは、自認が女性である男性の信者の話だろう。男性器を切らずに、男から女に性別変更が認められたという話をしている。
クリスに言わせると、ペニスを切っても、筋力は女性より上なんだから、単なる整形の範囲だが、その整形もしていない。つまり完全に男性の肉体だ。もしかしたら、ホルモン治療? 治療なのかわからないが、ホルモンは入れてるのかもしれない。
「生殖機能を潰す手術要件は残酷過ぎて、最高裁で違憲判決が出たからね。地方裁も最高裁の判決に倣った。我々の勝利だよ! 今後、性別変更を考えている人々をどれほど勇気づけたことか!」
「より多くの方に、性別移行の道が開けたことを知らせたいですね」
「ああ、もちろんそれは、我々の使命だよ!」
白い歯を見せてアラディンは笑い、ダリオにウィンクまでしてみせた。
「性別移行した彼女は、市の水泳選手でね。先だってはイーストシティ女性水泳競技でも金メダルを取った優秀なアスリートなんだよ」
ん? とダリオは引っかかったが、話をまず聞くことにした。アラディンは悲しみと苦痛の表情を浮かべ、
「ところがだ」
と一拍を置くと、厳しい顔つきになる。
「更衣室を彼女と一緒に使いたくない、女性ロッカールームに男性器を持った男の居場所はないと、仲間の女性選手たちに張り紙をされたのだよ。誤解と偏見にもとづく、憎しみと差別に満ちたヘイトスピーチだ」
「差別者です」
案内役の女性が指摘し、アラディンも重々しく頷いた。
「張り紙をロッカールームに張った女性選手たちは、カウンセラーから再教育してもらったよ。我々の同志である彼女は女性なのだから、彼女の前で裸になることに対して、差別心からくる羞恥を捨てるべきだ。ヘイトスピーチをするような選手は、スポーツ選手としてふさわしくないからね、我々もこのようなことは望まないが、あまりにも無知だと叱りつけるしかなくなるよ」
「本当に、無知から来る差別です。確かに私たち女性は男性から性暴力を受けることはありますが、その恐怖を関係がない人に向けるのは間違っています」
案内役の女性は頭を振ると、ダリオに説明した。
「残念ながら、女性選手たちは態度を改めなくて、市の水泳選手から解任されました。自分たちの間違いを認め、きちんと反省し、謝罪して、今後は同じことを繰り返さないようにしますと誓えばよいだけなのに、なぜそれができないのか……」
女性選手たちは、異性の性器を見せられるのも、異性と同じロッカールームで着替えるのも拒否し続けたということらしい。
「私達は生まれながら自認と肉体が一致していますけれども、彼女は間違った肉体に、女性の魂を持っていて、たくさんの無知に苦しめられて傷つけられてきたんです。これまで、男性の肉体でも、女性になれるようにどれだけ努力して、女子トイレや女子更衣室を使うのにどれだけ埋没しようと注意を払ってきたか。心と体が一致している私のような女性は、そんなこと考えなくて済んだのに」
なぜか、案内役の女性は、罪悪感を持っているようである。
「私に何ができるかなって、そうしたら、寄り添い、受け入れることなんじゃないか。できるだけ彼女たちが負い目にならないように、自然にできないかって」
ダリオはとりあえずもっともらしく相槌を打った。実のところ、よくわからなかった。
想像するに、ダリオが女性更衣室で全裸になって着替えていたら、女性たちは嫌というより、恐怖ではないだろうか。
ダリオは自認が女だから気にするな、と言っても、それが真実なのか虚偽なのか、どうやってわかるのだろう。
わからないのに、異性と無防備な全裸状態で閉鎖空間にいるのは、恐ろしいし、尊厳を踏みつけられるようなものだと思う。
嫌なことに対して、頭を押さえつけられ、拒否権がない、というのは、人間扱いされないということに感じる。
嫌だと言っているのに、止めてくれない。あまつさえ、受け入れろと再教育までされる。
なんか思ったより、凄いことになってるんじゃねーかと、殺されたジニーが訴えていたのはこういうことなんじゃないのか、とダリオはようよう思った。
押し返さないと、判決例一つをとっても、男性器を持った自認女性の性別移行男性が新たに続きやすくなり、女性のスペースに侵入してきて、筋力差のみならず、法的にも拒めなくなるということである。
ダリオは別に困らないのだが、関係ないとするには、先日の病院内での女性自認男性による同室の生得女性強姦事件が思い出された。あれが、システム的により可能になる。家の鍵をかけること自体が禁止され、システム的なガードがゆるゆるになり、第三者は穴だらけのそれに侵入し放題になるということだ。第三者のほとんどは侵入してこないとしても、鍵が開いていれば、犯罪機会はぐっと確率を上げる。それを施錠というシステムで物理的に封じていたのに、第三者を疑うのかと言って、施錠自体禁止しようとしているわけだ。
だが、反対すると、ノーディベートに差別者と言われる。反対し続けると、女性水泳選手たちは、ふさわしからぬと市から解雇されてしまったという。
え、これ、つんでね? とダリオは思った。全体主義のように、違う意見を述べると職を奪われる体制に移行しつつある。
だから、ジニーは訴えていたのだ。
そして、殺された。
術者はアラディン。
テオの言うことだし、まあそうなんだろ、とダリオは思う。
「ええと、お話ありがとうございます。俺、不勉強なんでわからないことも多くてすみません」
ダリオの低姿勢に、案内役の女性は相好を崩した。
「あら、気になさらないで! 一緒に学んでいきましょう! 私もまだまだ勉強中なんですよ!」
「助かります。あの、もしよかったら、先生……」
「みんなの前ではそうもいかないこともあって申し訳ないが、ここではアラディンでいいさ」
「あー、じゃあ、アラディン。積もる話もあるし、その」
「はは、色々話しにくいこともあるよなぁ! エリナ君、すまないけれど、幼馴染のようなものでね」
「あっ、私つい夢中になって! 失礼しますね」
案内役のエリナは微笑み、退室した。
彼女が扉を閉め、じゅうぶん足音が遠ざかってから、ダリオは淡々と切り出した。
「悪いんだが、教団には全然興味なくてな。もうお互い顔が割れてるし、単刀直入に聞くが、ジニー・ムーアさんの殺害に関して、アラディン。お前が仕向けたんで間違いねーよな?」
「……」
アラディンの顔が、逆光で塗りつぶされて、それなのに笑いの形切れ込みの入った仮面のように見えた。
「おいおい、ダリオ。久しぶりに会った旧友に、ご挨拶だな」
「お前でなきゃ、もう少し穏やかに調べるはずだったんだよ。アラディン。お前だって、俺がバッコス教に共感してここに来たとか微塵も思ってねーんだろ」
「そりゃそうさ!」
大仰に頷き、次の瞬間、がらりとアラディンは別人のように声の調子を変えた。
「お前はそういうやつだ、ダリオ。施設の時からお前のことは本当に心底嫌いだった!」
アラディンは歯をむき出しにする。
「独りだけすかしやがって、苛つく野郎だったな」
「知らねーよ」
ダリオも取り繕わず、吐き捨てる。
「アラディン、お前だって信心もどこまで本当なんだか。よっぽど自認界隈は金になるんだなって思ったけどな」
「相変わらず、失礼なやつだな!」
アラディンは何がおかしいのか、笑い始めた。
「まあ、金になるからやってるのに間違いはねけどな。ははっ、ペドフィリアにまでご理解を示してくれる金のなる木だからよ、あっはは! 借金背負わせて、ジェンダークリニック漬けにしてやれば、一生搾り取れるしな!」
「おい」
「知ってるか? スクールカウンセラーは40分の面談で、あなたはホントウは男の子なのよ! っつって、二次性徴を止める薬を勧めるし、おっぱいも子宮もちんぽもいらねーだろって体を切り刻む施設を紹介してくれるってわけ。そのうち、女の子宮を売買ルートに乗せたいんだよなぁ。けっこうニーズはあるんだ、これが。勉強はできるが、頭の悪い高学歴な女は、差別しては駄目なの!ってタダ働きしてくれるしよ、政府まで後押ししてくれる、いいマーケットだぜ」
そんなこったろうと思った、とダリオは驚きもない。
「それより、なんだ、小鬼みてーなの使って、車のロック解除したんだろ。法的に捕まらなくても、ただで済むと思うなよ」
「へー、そこまで知ってんのか」
アラディンの人相は、胡散臭い笑顔の宗教家から、荒んだいやらしいものに変わっていた。彼は無造作に背後のテーブルに行儀悪く腰を下ろすと、開いた膝の間に両手を組み、ニヤニヤ笑いを浮かべる。
「まあお前のおかげでもあるんだぜ? わけわかんねー世界があるのを教えてくれたのはお前だしな。伝を得て、いいランプを手に入れたんだ。魔法のランプってやつさ」
唇をとがらせ、いつの間にか片手に小さな金色と青のアラジンランプを持っている。
「こいつを、ふーっとしてやると、小鬼ならぬ精霊様だか魔神様だかがちょっとしたお仕事をしてくれる。便利だぜ? 足もつかねーし、口答えするクソ生意気な女を、治安の悪ーいスラム街で、車のロック解除してやるのもお手のモンだ」
アラディンは最早隠し立てするつもりもないようだ。
「ははっ、運悪く集団強姦されるなんてことが起きるくらいには、とっても便利な魔法のランプさ」
「お前」
言い差したダリオの前で、アラディンは軽く肩を竦める。
「ま、俺としちゃ見せしめになってくれればよかったのに、猿どもが盛ってやり殺しちまうなんて、気の毒だったよなァ」
「……ずいぶんよく喋るじゃねーか」
アラディンは片方の眉を器用に持ち上げた。
「証拠なんてねぇ。それにダリオ。俺はお前が気に食わねぇことを思い出しちまった。身の回りには気をつけろよォ。お前、目はよくても、防衛できねーもんァ! アッハハハハハハ! 怖いよぉ~僕ちゃん、殺されちゃうよォ! いつかな? いつかな? いつ殺されちゃうかな? 今だ、ソォラ!」
ふーっとランプに息を吹きかけ、アラディンはしばらくして、あれ? と変な顔をした。
ランプはうんともすんとも言わない。
「おいっ、おい! どうなってんだ、おい出ろ!! ご主人様の命令」
言いかけたアラディンは。
ランプの細い差口から、悲鳴を上げるようにして飛び出した無数の白い手に、無理矢理頭を押さえつけられると、
「エッ?!」
という間抜けな声を最後に、中に引きずり込まれてしまった。
物理的に無理なはずが、よじれるようにして回転し、人体が一本の細い煙のような紐状になって。
差口に吸い込まれると、カシャン、とランプは落下し、カラカラカラカラ、と蓋が忙しなく上下する。
やがてそれも収まり、ぽつんと床に金と青の小さなランプは息を潜めるような状態で鎮座した。
いや、ダリオの方こそ呆然である。
エッ、と言いたいのはダリオの方だ。
止める暇もなかった。
「ダリオさん」
にゅ、と背後からいつの間にやら青年姿となったテオドールが音もなく上半身を少しかがめるようにして、問題のランプを指さした。
「僕の本体を、そのランプの中にいるものは、どうやら“視て”しまったようです」
「え、ええー」
怪異がテオドールの本体を視て、発狂自死崩壊したっぽい、とダリオは理解した。
「あー、えー、アラディンは……あの、さっき喋ってたやつなんだが」
「無償で願いを叶える契約ではなかったようで。ある程度すると、そのランプの中身を交代するシステムとなっていたのではないかと。前の中身が死ぬのと交代とが一度に起きてしまったようですね」
「……ちょっと……待て……考える……考えてどうにかなる……ならん……」
ダリオは頭を抱えた。
アラディンは確かに因果応報なのだが、ダリオに私刑権利があったわけではない。しかし結果として、ダリオたちが彼の死期をはやめてしまった。
それに保身を考えると、これはこのまま帰れるのだろうか。
「ダリオさん、あまり悩む必要はないかと」
「あ?」
「『彼女』は、契約行使でもうほとんど寿命が残っていませんでした。ほんの少し時計の針を早めただけです」
テオドールはスタスタと前に出て、ランプを拾うと、蓋を開け逆さまにひっくり返した。
すると、どういう仕組なのか、吸い込まれたアラディンが、全裸で「カッ」と目を見開いたまま、床の上に投げ出される。
ダリオはとっさに、自分のパーカーを脱いで、彼の……彼女の身体にかけた。
「なんで裸なんだ!」
「死体を抽出したので……」
「できるなら服も頼む! 服も!」
「かしこまりました」
やれるなら最初からしてほしい。ダリオは瞬間目に焼き付いたアラディンの全裸が、あまりにも痛々しくて頭を振った。
手首から肩口まで無数のナイフの切り傷が年輪のように刻まれ、明らかに自傷行為によるものだった。その胸は切除され、開腹手術のあとや、太ももにも大きな傷跡があった。
アラディンは、施設時代に彼女が名乗っていた男性名だ。
ジャスミンという女性の名前ではなく、自分は男なのだと。
アラディンが施設に来たのは、義理の父親からの性的虐待で、妊娠中絶を繰り返した後である。
施設に来て摂食障害を診断され、女でなければこんな目に遭わなかった! と自分の肉体を呪っていた。
女性用の共同ルームを使うことを拒否したので、困った施設員が比較的大人しいダリオと同じ部屋にしたのである。
みんなみんなみんな同じ目に遭えばいい。
そう言って、大人を手引して他の女児に性的被害のあるような問題行動を繰り返し、ダリオもティーンだったので、怒ったことがあるくらいだ。
その後、アラディンはとうとう自ら家出するように施設を出ていった。
アラディンも被害者だ。しかし、施設の女児やジニーたちに憎しみを向け、取り返しのつかないことをしようとした、あるいはしてしまったのは、擁護できない。
ダリオは施設で見てきたので知っているが、被害者児童が、成長すると、自分がやられたことを他者にするようになるのは珍しいことではなかった。
女でなければ、こんな目に遭わなかったという叫び。悲鳴。理不尽。苦しみを、自分の肉体を拒絶するように、アラディンは肉体を切り刻み、同性も自分の延長のように苦しめ、搾取しようとした。
必要だったのは、肉体の手術ではなく、別のケアや治療だったのだろう。ありのままの自分でいてもよいと、自己を受け入れる。しかし、安全で安心できる場所がなければ、難しいことだった。それは、他の人も同じケースがあるかもしれないし、違うかもしれない。
でも、少なくとも、数十分の面談で、あなたは間違った肉体に生まれてきたと断定し、なりたい自分になるのが素晴らしいと、取り返しのつかない投薬や手術を勧めるのは、大人の責任の放棄で、被害を受けるのは子どもたちだった。
だから、信じられる大人や友人との偶発的な出会いによらない、社会全体で被害を防ぐシステムが必要なのだろう。それを構築し、維持しないと、しわ寄せは最も弱いところに来る。
「ダリオさん」
テオドールは服を再現したアラディンの遺体を指さし、「蘇らせます」と言った。
「そんなことできんのか?」
「以前ご説明したことがあったかと」
「……あーゾンビ化するやつな……尊厳的にどうなんだ……いや、仕方ねーけど……確か暴れて人の肉に執着するようになるんだよな」
「一時間程度なら抑えられます」
仕方ないので、ダリオたちが出て行ったあと、教団の人目につくところで心臓発作を起こしてもらうことになった。
色々と寝覚めが悪すぎる。
教団施設をあとにし、緊急ということで、テオドールに館まで転移して貰う。
青年に預かってもらっていたランプについて尋ねると、この中にアラディンの魂は囚われて、次の精霊としてシステムに組み込まれてしまったらしい。
「それってどういう感じなんだ?」
「ランプの中で炎で焼かれているような感じかと」
「あーーーーー」
ダリオはメンタルが死にそうになりながら、テオドールにいくつか確認する。
すると、呼び鈴が鳴った。
館にはカメラも設置したのだが、見ると体の透けたブルネットの女性が玄関に立っている。
殺されたジニーのゴーストだった。
「僕が呼びました」
「手際が良すぎるだろ」
ダリオは頭を掻き、ジニーを出迎えると、大体の事情をすでに飲み込んでいるらしい彼女は怯えるように、畏怖する目でテオドールに『偉大な御方』と挨拶した。ゴーストからテオドールはどう見えているのか。彼女が落ち着くのを待って、それから主にダリオがその話を聞いた。
結論として、ジニーは許すつもりはないが、私のしてきたことを無為にしないで、と述べた。
『助けてあげて』
つまりそういうことである。
『私に直接してきた男たちを絶対許さない。間接的にそれを仕向けたこの人のことも許さない。みんな地獄に落ちればいい。でも私を、養父にひどい目に遭わされた女の子を、死後も魂を拷問し続けるようなろくでなしにしないで。私はそれを望まない。そういう人間でいさせて』
ダリオは頷き、夢を操ることのできるテオドールに「頼む」とお願いした。
「ランプと癒着していますので、安全に剥離させるには7日ほどかかるかと」
「その間、なんかいい感じに夢見させることできねーかな」
「いい感じとは」
「うっ、本人が望む夢とか」
無茶振りだとダリオは思ったが、テオドールはそれならできますと言う。
テオドールは黒革手袋をした手で、ランプを3度ばかり撫でた。
それから、じっ、と底の見えぬ目で、見通すようにランプを見つめる。
切れ長の目を少し細め、なんだか不愉快そうに見えた。
どんな夢見てんのかな、とダリオは思ったが、聞くのは彼女の尊厳を踏みつけるようなものだろう。辛くはないかだけ確認した。
「さあ、と言いたいところですが、僕の知る限りでも、最も幸せな夢を見ていると保証いたします」
テオドールが人間の『幸せ』を確信しているのは、どうも釈然としなかったが、まあそう言うならそうなのだろう。
ジニーのゴーストは複雑そうに二人のやり取りを見ていたが、そろそろ御暇します、友人には気にしないでとよろしくお伝え下さいと言って消えた。
後日、ダリオは問題のない範囲で依頼人に報告したが、彼はジニーの姿を雑踏に見たのだという。ジニーはため息を吐いたあと、手を振って、満足そうでした、幻でもなんだかよかったかもしれませんと。
「そうでしたか……」
本人には言えなかったが、フェアネスで立派な人だったよなとダリオは思った。
事務所の事件ファイルに、本件は整理して綴られたが、アラディンがランプから剥離して魂も消えた後々も、このことについてなんだかテオドールは少し不機嫌そうなのが不思議なダリオである。
バッコスと魔法のランプ 完
施設時代、同室になったことのあるアラディン・アリーが、芝居がかったように両腕を広げ、ワーオ、と破顔する。
「懐かしい! ダリオも僕達の活動に興味を持ってくれるなんて、今日は実に喜ばしい再会だな! 虹の旗のもとに、バッコスの盃を交わそうじゃないか!」
「あー……どうも」
ダリオは歯切れも悪く挨拶した。アラディンは、施設で過ごしたティーン時代からだいぶん様変わりしていた。
彫りの深い顔立ちに、上唇の上から顎先にまでヒゲを剃った痕跡が見て取れる。施設にいた時は尖りがちだった細いその顎も、心なし顔の輪郭が拡張されているようだ。その上、仕立ての良いネイビーのスーツに、鮮やかな赤いネクタイを締め、自信と強さのイメージを演出している。
案内役の女性も、二人が既知であることに驚いたらしい。だがすぐに、喜ばしい再会だと思ったようだ。
「お二人ともお知り合いだったなんて、虹の旗のもとに、素晴らしい再会ですね!」
「本当にね! 今日は素晴らしいニュースもあるし、ああ、ちょうどよかったよ。我々の活動について、遠方から来た友人にぜひ紹介させてもらおう!」
いや、近所から来ました……とダリオは内心思ったが、もちろん口にしなかった。
「すでに案内役から聞いたかもしれないが、″間違った肉体″で生まれてしまったために、苦しむ人々を、我々は誰ひとり取りこぼさぬよう導き、支援している。それが我々バッコス教団のひとつの使命でね」
アラディンは後ろ手に手を組み、一度高窓を見上げた。
「名は伏せさせてもらうが、命を絶つことを考えざるを得ない程、心ない差別に傷つけられていた同志の“女性”がいてね。だが、このたび地方裁判所で、手術要件なしに性別変更が認められたんだよ!」
まあ! と声を上げたのは案内役の女性だ。
「あの件ですね、よかった、心配していたんです! 彼女の努力が報われたのが、私もとても嬉しいです!」
えーと、話が見えねーけど、自認を優先して呼称してるんだよな? とダリオは思った。
ということは、自認が女性である男性の信者の話だろう。男性器を切らずに、男から女に性別変更が認められたという話をしている。
クリスに言わせると、ペニスを切っても、筋力は女性より上なんだから、単なる整形の範囲だが、その整形もしていない。つまり完全に男性の肉体だ。もしかしたら、ホルモン治療? 治療なのかわからないが、ホルモンは入れてるのかもしれない。
「生殖機能を潰す手術要件は残酷過ぎて、最高裁で違憲判決が出たからね。地方裁も最高裁の判決に倣った。我々の勝利だよ! 今後、性別変更を考えている人々をどれほど勇気づけたことか!」
「より多くの方に、性別移行の道が開けたことを知らせたいですね」
「ああ、もちろんそれは、我々の使命だよ!」
白い歯を見せてアラディンは笑い、ダリオにウィンクまでしてみせた。
「性別移行した彼女は、市の水泳選手でね。先だってはイーストシティ女性水泳競技でも金メダルを取った優秀なアスリートなんだよ」
ん? とダリオは引っかかったが、話をまず聞くことにした。アラディンは悲しみと苦痛の表情を浮かべ、
「ところがだ」
と一拍を置くと、厳しい顔つきになる。
「更衣室を彼女と一緒に使いたくない、女性ロッカールームに男性器を持った男の居場所はないと、仲間の女性選手たちに張り紙をされたのだよ。誤解と偏見にもとづく、憎しみと差別に満ちたヘイトスピーチだ」
「差別者です」
案内役の女性が指摘し、アラディンも重々しく頷いた。
「張り紙をロッカールームに張った女性選手たちは、カウンセラーから再教育してもらったよ。我々の同志である彼女は女性なのだから、彼女の前で裸になることに対して、差別心からくる羞恥を捨てるべきだ。ヘイトスピーチをするような選手は、スポーツ選手としてふさわしくないからね、我々もこのようなことは望まないが、あまりにも無知だと叱りつけるしかなくなるよ」
「本当に、無知から来る差別です。確かに私たち女性は男性から性暴力を受けることはありますが、その恐怖を関係がない人に向けるのは間違っています」
案内役の女性は頭を振ると、ダリオに説明した。
「残念ながら、女性選手たちは態度を改めなくて、市の水泳選手から解任されました。自分たちの間違いを認め、きちんと反省し、謝罪して、今後は同じことを繰り返さないようにしますと誓えばよいだけなのに、なぜそれができないのか……」
女性選手たちは、異性の性器を見せられるのも、異性と同じロッカールームで着替えるのも拒否し続けたということらしい。
「私達は生まれながら自認と肉体が一致していますけれども、彼女は間違った肉体に、女性の魂を持っていて、たくさんの無知に苦しめられて傷つけられてきたんです。これまで、男性の肉体でも、女性になれるようにどれだけ努力して、女子トイレや女子更衣室を使うのにどれだけ埋没しようと注意を払ってきたか。心と体が一致している私のような女性は、そんなこと考えなくて済んだのに」
なぜか、案内役の女性は、罪悪感を持っているようである。
「私に何ができるかなって、そうしたら、寄り添い、受け入れることなんじゃないか。できるだけ彼女たちが負い目にならないように、自然にできないかって」
ダリオはとりあえずもっともらしく相槌を打った。実のところ、よくわからなかった。
想像するに、ダリオが女性更衣室で全裸になって着替えていたら、女性たちは嫌というより、恐怖ではないだろうか。
ダリオは自認が女だから気にするな、と言っても、それが真実なのか虚偽なのか、どうやってわかるのだろう。
わからないのに、異性と無防備な全裸状態で閉鎖空間にいるのは、恐ろしいし、尊厳を踏みつけられるようなものだと思う。
嫌なことに対して、頭を押さえつけられ、拒否権がない、というのは、人間扱いされないということに感じる。
嫌だと言っているのに、止めてくれない。あまつさえ、受け入れろと再教育までされる。
なんか思ったより、凄いことになってるんじゃねーかと、殺されたジニーが訴えていたのはこういうことなんじゃないのか、とダリオはようよう思った。
押し返さないと、判決例一つをとっても、男性器を持った自認女性の性別移行男性が新たに続きやすくなり、女性のスペースに侵入してきて、筋力差のみならず、法的にも拒めなくなるということである。
ダリオは別に困らないのだが、関係ないとするには、先日の病院内での女性自認男性による同室の生得女性強姦事件が思い出された。あれが、システム的により可能になる。家の鍵をかけること自体が禁止され、システム的なガードがゆるゆるになり、第三者は穴だらけのそれに侵入し放題になるということだ。第三者のほとんどは侵入してこないとしても、鍵が開いていれば、犯罪機会はぐっと確率を上げる。それを施錠というシステムで物理的に封じていたのに、第三者を疑うのかと言って、施錠自体禁止しようとしているわけだ。
だが、反対すると、ノーディベートに差別者と言われる。反対し続けると、女性水泳選手たちは、ふさわしからぬと市から解雇されてしまったという。
え、これ、つんでね? とダリオは思った。全体主義のように、違う意見を述べると職を奪われる体制に移行しつつある。
だから、ジニーは訴えていたのだ。
そして、殺された。
術者はアラディン。
テオの言うことだし、まあそうなんだろ、とダリオは思う。
「ええと、お話ありがとうございます。俺、不勉強なんでわからないことも多くてすみません」
ダリオの低姿勢に、案内役の女性は相好を崩した。
「あら、気になさらないで! 一緒に学んでいきましょう! 私もまだまだ勉強中なんですよ!」
「助かります。あの、もしよかったら、先生……」
「みんなの前ではそうもいかないこともあって申し訳ないが、ここではアラディンでいいさ」
「あー、じゃあ、アラディン。積もる話もあるし、その」
「はは、色々話しにくいこともあるよなぁ! エリナ君、すまないけれど、幼馴染のようなものでね」
「あっ、私つい夢中になって! 失礼しますね」
案内役のエリナは微笑み、退室した。
彼女が扉を閉め、じゅうぶん足音が遠ざかってから、ダリオは淡々と切り出した。
「悪いんだが、教団には全然興味なくてな。もうお互い顔が割れてるし、単刀直入に聞くが、ジニー・ムーアさんの殺害に関して、アラディン。お前が仕向けたんで間違いねーよな?」
「……」
アラディンの顔が、逆光で塗りつぶされて、それなのに笑いの形切れ込みの入った仮面のように見えた。
「おいおい、ダリオ。久しぶりに会った旧友に、ご挨拶だな」
「お前でなきゃ、もう少し穏やかに調べるはずだったんだよ。アラディン。お前だって、俺がバッコス教に共感してここに来たとか微塵も思ってねーんだろ」
「そりゃそうさ!」
大仰に頷き、次の瞬間、がらりとアラディンは別人のように声の調子を変えた。
「お前はそういうやつだ、ダリオ。施設の時からお前のことは本当に心底嫌いだった!」
アラディンは歯をむき出しにする。
「独りだけすかしやがって、苛つく野郎だったな」
「知らねーよ」
ダリオも取り繕わず、吐き捨てる。
「アラディン、お前だって信心もどこまで本当なんだか。よっぽど自認界隈は金になるんだなって思ったけどな」
「相変わらず、失礼なやつだな!」
アラディンは何がおかしいのか、笑い始めた。
「まあ、金になるからやってるのに間違いはねけどな。ははっ、ペドフィリアにまでご理解を示してくれる金のなる木だからよ、あっはは! 借金背負わせて、ジェンダークリニック漬けにしてやれば、一生搾り取れるしな!」
「おい」
「知ってるか? スクールカウンセラーは40分の面談で、あなたはホントウは男の子なのよ! っつって、二次性徴を止める薬を勧めるし、おっぱいも子宮もちんぽもいらねーだろって体を切り刻む施設を紹介してくれるってわけ。そのうち、女の子宮を売買ルートに乗せたいんだよなぁ。けっこうニーズはあるんだ、これが。勉強はできるが、頭の悪い高学歴な女は、差別しては駄目なの!ってタダ働きしてくれるしよ、政府まで後押ししてくれる、いいマーケットだぜ」
そんなこったろうと思った、とダリオは驚きもない。
「それより、なんだ、小鬼みてーなの使って、車のロック解除したんだろ。法的に捕まらなくても、ただで済むと思うなよ」
「へー、そこまで知ってんのか」
アラディンの人相は、胡散臭い笑顔の宗教家から、荒んだいやらしいものに変わっていた。彼は無造作に背後のテーブルに行儀悪く腰を下ろすと、開いた膝の間に両手を組み、ニヤニヤ笑いを浮かべる。
「まあお前のおかげでもあるんだぜ? わけわかんねー世界があるのを教えてくれたのはお前だしな。伝を得て、いいランプを手に入れたんだ。魔法のランプってやつさ」
唇をとがらせ、いつの間にか片手に小さな金色と青のアラジンランプを持っている。
「こいつを、ふーっとしてやると、小鬼ならぬ精霊様だか魔神様だかがちょっとしたお仕事をしてくれる。便利だぜ? 足もつかねーし、口答えするクソ生意気な女を、治安の悪ーいスラム街で、車のロック解除してやるのもお手のモンだ」
アラディンは最早隠し立てするつもりもないようだ。
「ははっ、運悪く集団強姦されるなんてことが起きるくらいには、とっても便利な魔法のランプさ」
「お前」
言い差したダリオの前で、アラディンは軽く肩を竦める。
「ま、俺としちゃ見せしめになってくれればよかったのに、猿どもが盛ってやり殺しちまうなんて、気の毒だったよなァ」
「……ずいぶんよく喋るじゃねーか」
アラディンは片方の眉を器用に持ち上げた。
「証拠なんてねぇ。それにダリオ。俺はお前が気に食わねぇことを思い出しちまった。身の回りには気をつけろよォ。お前、目はよくても、防衛できねーもんァ! アッハハハハハハ! 怖いよぉ~僕ちゃん、殺されちゃうよォ! いつかな? いつかな? いつ殺されちゃうかな? 今だ、ソォラ!」
ふーっとランプに息を吹きかけ、アラディンはしばらくして、あれ? と変な顔をした。
ランプはうんともすんとも言わない。
「おいっ、おい! どうなってんだ、おい出ろ!! ご主人様の命令」
言いかけたアラディンは。
ランプの細い差口から、悲鳴を上げるようにして飛び出した無数の白い手に、無理矢理頭を押さえつけられると、
「エッ?!」
という間抜けな声を最後に、中に引きずり込まれてしまった。
物理的に無理なはずが、よじれるようにして回転し、人体が一本の細い煙のような紐状になって。
差口に吸い込まれると、カシャン、とランプは落下し、カラカラカラカラ、と蓋が忙しなく上下する。
やがてそれも収まり、ぽつんと床に金と青の小さなランプは息を潜めるような状態で鎮座した。
いや、ダリオの方こそ呆然である。
エッ、と言いたいのはダリオの方だ。
止める暇もなかった。
「ダリオさん」
にゅ、と背後からいつの間にやら青年姿となったテオドールが音もなく上半身を少しかがめるようにして、問題のランプを指さした。
「僕の本体を、そのランプの中にいるものは、どうやら“視て”しまったようです」
「え、ええー」
怪異がテオドールの本体を視て、発狂自死崩壊したっぽい、とダリオは理解した。
「あー、えー、アラディンは……あの、さっき喋ってたやつなんだが」
「無償で願いを叶える契約ではなかったようで。ある程度すると、そのランプの中身を交代するシステムとなっていたのではないかと。前の中身が死ぬのと交代とが一度に起きてしまったようですね」
「……ちょっと……待て……考える……考えてどうにかなる……ならん……」
ダリオは頭を抱えた。
アラディンは確かに因果応報なのだが、ダリオに私刑権利があったわけではない。しかし結果として、ダリオたちが彼の死期をはやめてしまった。
それに保身を考えると、これはこのまま帰れるのだろうか。
「ダリオさん、あまり悩む必要はないかと」
「あ?」
「『彼女』は、契約行使でもうほとんど寿命が残っていませんでした。ほんの少し時計の針を早めただけです」
テオドールはスタスタと前に出て、ランプを拾うと、蓋を開け逆さまにひっくり返した。
すると、どういう仕組なのか、吸い込まれたアラディンが、全裸で「カッ」と目を見開いたまま、床の上に投げ出される。
ダリオはとっさに、自分のパーカーを脱いで、彼の……彼女の身体にかけた。
「なんで裸なんだ!」
「死体を抽出したので……」
「できるなら服も頼む! 服も!」
「かしこまりました」
やれるなら最初からしてほしい。ダリオは瞬間目に焼き付いたアラディンの全裸が、あまりにも痛々しくて頭を振った。
手首から肩口まで無数のナイフの切り傷が年輪のように刻まれ、明らかに自傷行為によるものだった。その胸は切除され、開腹手術のあとや、太ももにも大きな傷跡があった。
アラディンは、施設時代に彼女が名乗っていた男性名だ。
ジャスミンという女性の名前ではなく、自分は男なのだと。
アラディンが施設に来たのは、義理の父親からの性的虐待で、妊娠中絶を繰り返した後である。
施設に来て摂食障害を診断され、女でなければこんな目に遭わなかった! と自分の肉体を呪っていた。
女性用の共同ルームを使うことを拒否したので、困った施設員が比較的大人しいダリオと同じ部屋にしたのである。
みんなみんなみんな同じ目に遭えばいい。
そう言って、大人を手引して他の女児に性的被害のあるような問題行動を繰り返し、ダリオもティーンだったので、怒ったことがあるくらいだ。
その後、アラディンはとうとう自ら家出するように施設を出ていった。
アラディンも被害者だ。しかし、施設の女児やジニーたちに憎しみを向け、取り返しのつかないことをしようとした、あるいはしてしまったのは、擁護できない。
ダリオは施設で見てきたので知っているが、被害者児童が、成長すると、自分がやられたことを他者にするようになるのは珍しいことではなかった。
女でなければ、こんな目に遭わなかったという叫び。悲鳴。理不尽。苦しみを、自分の肉体を拒絶するように、アラディンは肉体を切り刻み、同性も自分の延長のように苦しめ、搾取しようとした。
必要だったのは、肉体の手術ではなく、別のケアや治療だったのだろう。ありのままの自分でいてもよいと、自己を受け入れる。しかし、安全で安心できる場所がなければ、難しいことだった。それは、他の人も同じケースがあるかもしれないし、違うかもしれない。
でも、少なくとも、数十分の面談で、あなたは間違った肉体に生まれてきたと断定し、なりたい自分になるのが素晴らしいと、取り返しのつかない投薬や手術を勧めるのは、大人の責任の放棄で、被害を受けるのは子どもたちだった。
だから、信じられる大人や友人との偶発的な出会いによらない、社会全体で被害を防ぐシステムが必要なのだろう。それを構築し、維持しないと、しわ寄せは最も弱いところに来る。
「ダリオさん」
テオドールは服を再現したアラディンの遺体を指さし、「蘇らせます」と言った。
「そんなことできんのか?」
「以前ご説明したことがあったかと」
「……あーゾンビ化するやつな……尊厳的にどうなんだ……いや、仕方ねーけど……確か暴れて人の肉に執着するようになるんだよな」
「一時間程度なら抑えられます」
仕方ないので、ダリオたちが出て行ったあと、教団の人目につくところで心臓発作を起こしてもらうことになった。
色々と寝覚めが悪すぎる。
教団施設をあとにし、緊急ということで、テオドールに館まで転移して貰う。
青年に預かってもらっていたランプについて尋ねると、この中にアラディンの魂は囚われて、次の精霊としてシステムに組み込まれてしまったらしい。
「それってどういう感じなんだ?」
「ランプの中で炎で焼かれているような感じかと」
「あーーーーー」
ダリオはメンタルが死にそうになりながら、テオドールにいくつか確認する。
すると、呼び鈴が鳴った。
館にはカメラも設置したのだが、見ると体の透けたブルネットの女性が玄関に立っている。
殺されたジニーのゴーストだった。
「僕が呼びました」
「手際が良すぎるだろ」
ダリオは頭を掻き、ジニーを出迎えると、大体の事情をすでに飲み込んでいるらしい彼女は怯えるように、畏怖する目でテオドールに『偉大な御方』と挨拶した。ゴーストからテオドールはどう見えているのか。彼女が落ち着くのを待って、それから主にダリオがその話を聞いた。
結論として、ジニーは許すつもりはないが、私のしてきたことを無為にしないで、と述べた。
『助けてあげて』
つまりそういうことである。
『私に直接してきた男たちを絶対許さない。間接的にそれを仕向けたこの人のことも許さない。みんな地獄に落ちればいい。でも私を、養父にひどい目に遭わされた女の子を、死後も魂を拷問し続けるようなろくでなしにしないで。私はそれを望まない。そういう人間でいさせて』
ダリオは頷き、夢を操ることのできるテオドールに「頼む」とお願いした。
「ランプと癒着していますので、安全に剥離させるには7日ほどかかるかと」
「その間、なんかいい感じに夢見させることできねーかな」
「いい感じとは」
「うっ、本人が望む夢とか」
無茶振りだとダリオは思ったが、テオドールはそれならできますと言う。
テオドールは黒革手袋をした手で、ランプを3度ばかり撫でた。
それから、じっ、と底の見えぬ目で、見通すようにランプを見つめる。
切れ長の目を少し細め、なんだか不愉快そうに見えた。
どんな夢見てんのかな、とダリオは思ったが、聞くのは彼女の尊厳を踏みつけるようなものだろう。辛くはないかだけ確認した。
「さあ、と言いたいところですが、僕の知る限りでも、最も幸せな夢を見ていると保証いたします」
テオドールが人間の『幸せ』を確信しているのは、どうも釈然としなかったが、まあそう言うならそうなのだろう。
ジニーのゴーストは複雑そうに二人のやり取りを見ていたが、そろそろ御暇します、友人には気にしないでとよろしくお伝え下さいと言って消えた。
後日、ダリオは問題のない範囲で依頼人に報告したが、彼はジニーの姿を雑踏に見たのだという。ジニーはため息を吐いたあと、手を振って、満足そうでした、幻でもなんだかよかったかもしれませんと。
「そうでしたか……」
本人には言えなかったが、フェアネスで立派な人だったよなとダリオは思った。
事務所の事件ファイルに、本件は整理して綴られたが、アラディンがランプから剥離して魂も消えた後々も、このことについてなんだかテオドールは少し不機嫌そうなのが不思議なダリオである。
バッコスと魔法のランプ 完
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