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番外 二十六 退魔協会編

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 ダリオはアシヤ兄弟の方に向かった。
 その後も色々あり過ぎた。
 とりあえず、トーゴは『無』からちょっと寝込む程度に戻した。
 キミヒコが愕然としていた顔をしていたのは、ダリオがテオドールに『お願い』して、青年がこれを最終的に了承するやり取りをしていたからだろう。
 テオドールは最初、トーゴを戻すのに、「三日ほどで戻ります」というので、そんなに時間かかるんだなとダリオがなんの気なしにそういうものなのかと感想を言ったら、「いえ、元に戻すのにはさほど時間はかかりません」と言いだしたのだ。
「え、じゃあなんで、三日ほどかかりますなんだよ」
 嫌な予感がしたダリオに、テオドールは、
「三日ほど悪夢を見せてから元に戻そうかと」
 と、石の裏のダンゴムシでも見るように冷然と言ってのけた。
「あー、ちょっと失礼して、どういう内容の悪夢だ?」
 悪夢の内容を確認して、ダリオは「やめろやめろやめろ」と素早く力いっぱい制止する羽目になった。その悪夢は本当にヤバい。道理で素直にすたすたアシヤ兄弟の元に向かったわけである。
 ダリオは確かに、トーゴに妙な性情のオプションはつけるなとは言った。テオドールも了承した。
 ところがテオドールは、法律の穴をかいくぐるように、本人にオプションをつけるのではなく、元に戻す際のスペシャル・ナイトメア・オプションとして、独自の付加サービスをつける工夫をして来たらしい。  
 お前、なんでそれでいけると思った? 
 ダリオは言いたいことが百ほどあったが、今はトーゴくんである。テオドールは見るからに不満そうなそぶりを隠さなかった。
「この人間は、たびたびダリオさんに敵対行為を働きました。三日ほど悪夢で済むなら、十分過ぎる温情です」
「えー、あー、俺のためなら、ありがとうなんだが、とりあえずその悪夢は頂けねえ。別の意味で精神が崩壊する」
「……」
 テオドールはまた指先を顎先に当てている。この程度で崩壊するとは? と真面目に疑問状態になっているようだった。感覚の齟齬が激しい。
 ふつうの人間は、テオドールが今回ご用意した悪夢には耐えられないので、無から理性を戻しても、その先精神崩壊まっしぐらでは駄目なのである。家庭菜園をするというので、よく聞いたらミントを地植えする(ミントの繁殖力に負けて、他の植物を駆逐してしまう)と言い出したくらいに、あかんやつなのだ。
 テオドールは吟味の上、ダリオの言い分を妥当と判断したらしい。
「残念ですが、悪夢の調整が難しいですね。精神崩壊一歩手前まで追い込む匙加減を今後学習し、精度を高めたいと思います。今回は僕の力不足でした」
 殊勝に反省しているようだが、言っていることは全然殊勝ではない。昔、ダリオの盗撮をしてきた男の騒動の時にも、エヴァの護衛につけた犬たちに悪夢オプションをつけていたようだが、あれは大丈夫なのだろうか。あとで確認しようと思うダリオである。
「少しお時間をいただければ、精神崩壊直前まで追いつめることができるようになると思います」
 前向きなことを言いだした。テオドールは基本ポジティブだ。
 諦めていない。
 ダリオは頭が痛くなった。しないで欲しいが、テオドールの気持ちを蔑ろにしたいわけでもない。
 ダリオは悩んで、最終的にテオドールを見上げ、こう言った。
「テオ、トーゴくんが精神崩壊寸前になるのも、俺はいただけねえんだよ。ポシェットの件は事故だと思う。わざとじゃねえ。ただ、あげたもん、大事にしてくれて、俺も嬉しいし、テオは怒って当然だし、テオの気持ちがどのくらいなのか俺にはわからん。大切なものを傷つけられた時に、そのくらい、たいしたことないだろ、気にするなというのも言えねえよな。我慢しろってのも……俺だってそんなこと言われたら腹が立つ」
 ダリオは続けた。
「あとで、どんな気持ちになったのか聞くし、トーゴくんには元気になったら、何が起きたか話して、謝ってもらおう。キミヒコさん、それでいいですよね?」
「あ……あ、ああ」
 キミヒコは呆然と見上げたまま、弟の側で頷く。
「別に僕は、この人間の謝罪は必要ありません」
「そうか。まあ、ぺちゃんこにしたいのかもしれねーが、それされると俺すげー困る。だから」
 俺、これしか、テオに頼めねえよな、とダリオはテオドールの目を見た。
「お願いだ。酷いことしないで欲しい」
 テオドールは無言になった。
「結局、人間の都合とか倫理で、我慢させてごめんな」
 言葉をどう選んでも、テオドールに我慢させる形になるなと思って、ダリオはそれでも譲れそうにない。テオドールがダリオの手を取った。その美しい顔は真剣みを帯びて、
「ダリオさん。僕は、『花』の『お願い』を聞ける『支配者』です」
「え、あー、ありがとう……」
 別のスイッチを入れてしまった。さっき頼んだ時は駄々こねたじゃねーか。しかしながら、テオドールは真面目にアピールして来ている。彼が記憶喪失になっていた時の求愛モードと類似するものを感じた。
 キミヒコの方から、震える声で、「あ、あの」と提案される。
「弟とは、話し合って、その、賠償ッ、賠償させてもらいますんで……!」
 ポシェットは燃えていないのだから、賠償というのもよく分からない。いや、とダリオはもしかしてと思う。燃えたのではないか? テオドールが「なかったこと」にしただけで。うまく言えないが、テオドールが手のひらに乗せた赤いポシェットを指でなぞった後、それはまるで新品のようにぴかぴかになっていたが、なんだか様子が変だった。以前、テオドールは不完全とはいえ、ダリオが死亡しても『復元』することができると言っていた。無機物であるポシェットなら、なおさらだ。燃えたところで、その現象自体を「なかった」ことにできるとしたら、テオドールの様子とあの仕草は、物に対する哀悼めいていたようにも思う。わからないが……テオドールが珍しく反応した。
「……わかりました。賠償を受けます。ダリオさんもよろしいか」
 よろしいか、なのはテオドールの方なのだが、問題をまぜっかえすこともない。ダリオは即座に頷いたのだった。


 トーゴの件が解決して息を吐いていたら、今度はミルドレッド卿が血を吐きそうな顔で、光るフォンフォンソード(ダリオが勝手に心の中でそう呼んでいる)を手に、「邪神をこの世に解き放つわけにはいかない!」と戦いを挑んできて、テオドールが「……」と無言で四肢爆散させようとするのを寸前で止めたり、タイサイサイが大パニックになって本性を現し、お腹を見せてひっくり返ったり、色々あった。
 色々あり過ぎではないか?
 テオドールについていて欲しいとダリオにお願いしたアリアラエルは、先見の明があったと言える。
 一通り落ち着いたところで、ダリオは背後から見知らぬ老婆の霊に話しかけられた。グエン国の村人の老婆だ。
 両手に、小さな子供の崩壊した霊……彼らの手のような部分を握って連れている。
『落ち着いたようですね』
 あ、とダリオは挨拶した。事態が収まるまで待っていたらしい。
『一言お礼をと思いまして、お声がけさせてもらいました』
「俺たちは何も」
『いいえ、私らを死んでも痛めつけて楽しんでいた連中を、粉々にしてくださいましたので、本当にありがとうございました』
 ダリオは何も言えなくなった。悪霊なのか、生霊なのかよくわからない老爺の巨大な顔の集合体のことを言われている。
 ダリオはなんとなく察していたが、あれはグエン戦争当時、村人たちを犯して殺して楽しんだ者たちの残虐性、卑劣さ、楽しんだそれ自体の醜悪さを煮詰めたようなもので、誰か一人の生霊というわけではないのだろうと感じた。被害者側の怨念が強かろうが、結局、死後もあれに苦しめられていたということだ。
 AV被害者の事件(ラプンツェル殺人事件)のように、稀に被害者の霊が、生きている加害者に復讐するようなこともないではないが、あれはたまたま道端で拾った銃を使って殺しているようなもので、生きていても死んでいても、被害者がその手で加害者をどうにかできるケースというのは少ない。むしろ逆の方が多いんだよな、とダリオは思う。生きた人間の欲望の方が、死者の怨念より、ずっと暴力的で強く、物理的に力を発揮する。
「粉々にしたのは、こっちのテオドールなんで」
『そうですか。あなたが来て下さらなかったら、御方も手を下すことはなかったでしょう。連中はね、年寄りの私も強姦してきまして、それはまだいいけど、この子らにも手を出したとですよ。この子らはもう、自我がほとんどない。痛くて辛くて苦しかったしかねえんです。かわいそうでね、手を握ってやってやらんと、何度もまた同じことを自分で繰り返すだけになっちまったとです』
「……」
『私はいいんですよ、夫がね、まあ酷かったもんで、慣れてましたで。ただ、この子らは子どもですからね。連中は、指さして、この子を連れてく、俺はこっちの婆でもイケる、と選び放題やりたい放題でね、恐ろしかった。悔しかったですよ。本当に悔しかったとです。でも、これでしばらくは静かになります。ありがとう』
 慣れることなんてないだろう、とダリオは悲しくなってしまった。気づけば、老婆は先ほどからどんどん縮んで、子どもの背丈くらいになり、更に小さくなっていく。彼女が手をつないでいた子供の霊体にいたっては、もう泥人形が雨水でぐちゃぐちゃに崩壊していくようだった。声も聞こえにくくなり、ダリオは彼女と目を合わせるように、地面に膝をついて、できるだけ驚かせないようにそっと声をかけた。
「——ずっと、お辛かったですね。ほんとうに、おつかれさまでした」
 グエン国の人たちを弔う仕草が良く分からなかったが、ドキュメンタリーで見たそれを真似て、ダリオは手を合わせた。
 束の間。
 ダリオが手を合わせた後、もう老婆も、彼女が手をつないでいた二体の小さな霊も、そこには誰もいない。
 どう、と生ぬるい風が吹き抜けた。
 やがて、退魔協会の別陣が駆けつけて、この一幕は終了となった。
 ダリオは、お菓子の魔女の家事件を思い出す。子どもの霊のルーナを家に帰すことはできたが、ダリオの中に禍根を残していた。
 今回の件も。
 ダリオは公認会計士を目指している。マジック・アイテムショップのヘルムートからも就職を誘われていた。子どもの頃は、警察になりたかった。テオドールと『ずっと』一緒に生きることも将来設計に入れている。
 テオドールと一緒にいるのは決定だが、そのための道筋がどれも、一長一短にしっくり来ないような気がしている。
「ダリオさん」
 テオドールが声をかけた。歩ける者たちは、各自ホテルに撤収している。アリアラエルはまだ忙しくしているようだ。
「ああ」
 ダリオは立ち上がり、テオドールの横に並ぶ。今一度振り返ることはしなかった。
「生きた人間の欲望は、まとまると死者のものよりよほど強いようですね」
「そうだな……」
「肩をお貸ししましょうか?」
「あー、いや、いい。ちょっとふらついただけだ。俺は今回特になんもしてねーしな」
「僕をだいぶ制止なさっていたので、気苦労が多かったのでは」
 お前が言うな、とダリオは思った。思わずテオドールを見て、彼の口元にかすかな笑みの痕跡のようなものを見つけ、ジョークを言われたのだと理解した。分かりにくい。
 ふたりは顔を見合わせ、どちらともなく下手くそに微笑んだ。
 
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