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番外 十九 永遠までの距離
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しおりを挟むちょいちょい前から兆候はあったのだ、とダリオは思った。
テオドールである。
メンテナンスがまた細かに行われがちになり、なんなんだろなと思いつつ放置したのがまず失点。
テオドールの妹ナディアから、永遠の命について聞かれ、変な顔をされたのを流した(その後スピリチュアルなメッセージまで来た)のがまた失点。
他にもいろいろとこまごまとした違和感はあったのだ。
まあいいか、と流しに流して、ダリオの怠慢によるダムの決壊が、今目の前で起きている。
つまり、ダリオが夜に帰宅すると、ダイニングテーブルの側に立ったテオドールが真っ黒な顔で、封書を見つめていた。
封書には、崩し文字のようなカリグラフィ状の青い鳥のロゴと、NOPTN――National Organ Procurement and Transplantation Network――『全国臓器調達及び移植ネットワーク』の印字が印刷されている。
ダリオが申請していたドナー登録のIDカードが再送付されてきたのだ。十八歳の時点で申し込み資格を得られるため、元々登録していたのだが、先日いつものよくあるトラブルに巻き込まれて、カードを破損したため、再発行申請していたのである。
テオドールは無表情を通り越した顔つきで、封書を手にしたまま静かにダリオを見た。
「NOPTNとは、全国臓器調達及び移植ネットワークのことです」
疑問形でもなく、言い切りで口にする。
「OPOと略称される『臓器調達機関』などの専門機関の独立性を認めたうえで、相互に補完し合うネットワークシステムであり、現在NOPTNには、57のOPOが加入しています。臓器提供可能な患者が現れた場合、病院はこのOPOに連絡しますが……連邦では、統一死体提供法を根拠に、十八歳以上の健全な精神状態にある成人は、死体の全部または一部分の贈与、すなわち死体提供を行うことができ、この対象となる個人をドナーと呼びます」
テオドールの目は瞳孔が開いており、ただ封書を手に淡々と説明し続ける。
「死体提供とは――移植、治療、研究または教育を目的として、ドナーの死後に死者……その者の身体全部または部分の贈与を指し――つまり、死体提供の対象となりうる死亡した個人の――身体全部または部分の贈与……」
傷ついたレコードのように同じところを繰り返すさまは、異様である。ダリオは声をかけることができなかった。まるで本人の感情の伺えぬ様子とは裏腹に、へばりつくような空気だけが圧迫感を増していく。
重力が可視のものとなって負荷をかけていくような状態から、ふとテオドールが口を閉ざした。
「ぼくは」
きょろりと双眸が動き、ダリオと目が合わぬように視線をずらす。
「ダリオさんのなさることに、制限をかけるようなことは……ぼくは」
テオドールには珍しく、酩酊して舌のもつれるようなのろのろとした言い方だった。
「……」
また視線が動く。ダリオを見ないままで、思料するように足元を見つめ、青年は口を開いた。
「何故、どうでもよい、誰とも知らぬ人間風情にダリオさんの身体を贈与しなければ?」
その唾棄するような言い草に、ダリオは先日の使い魔未遂騒動の件が、今更パズルの空いた箇所にピースのはまるのを感じた。
ヘルムートが言っていたではないか。支配者は、他者と『花』を共有するのは受けつけないと。
「テオ」
言いさしたダリオに、テオドールが顔を上げた。
「だりおさんは、ずっとぼくといると」
仰ったではないですか、と責めるでもなく、確認するように言う。それはまるで、少し不安になって、もう一度認識を擦り合わせようとするかのような言い方だった。
ダリオにも否やはなかったので、「ああ、もちろんだ」と答えようとして、うまく言葉が出て来ず、自分でも戸惑う。
ダリオに飲み込ませたのは、ここしばらく感じていた違和感だった。喉に小骨の刺さったように度々引っかかり覚えては、やり過ごしてきたそれである。そのしっくりこない感じは、今や無視できないほどに、気づけば大きく存在感を増して、もはや警鐘を最大限鳴らしている。
無意識の内に降り積もっていた収まりの悪さが、ここにきて目の前でドミノ倒しを始め、ダリオは直観的に答えを口にしていた。
「ずっとって、百年くらいか?」
言った端から、これはよくない、まずいという気はした。もう少し慎重に考えようと思って、先延ばししていた件でもある。百年なのか、二百年なのか、半ばいい加減に単位を挙げ、千年などと思ったこともあったが、あまりにも現実離れして、想像の埒外だと有耶無耶にしていた部分だ。
テオドールはどこかぽかんと子供のような顔をしていた。
「あの」
本当にこの青年の常とは違う、口を半開きに、中途半端な形で言葉が止まって、途方に暮れるような表情だった。
「だりおさんは、ずっとぼくと一緒に」
だから、ぼく、準備を……そう言いさして、青年は口をつぐんだ。戸惑いがその玲瓏な面に次第と広がっていき、彼は自分とダリオとの間で、噛み合わない認識の齟齬が起きていることに気づいたようだった。
一方、ダリオはさすがに腹を括って尋ねる。
「テオが思う、ずっとって、どのくらいなんだ」
青年が口にした単位に、ダリオは言葉を失った。それは、ほとんど永遠と言って差支えない。押し黙り、呆然とする。
安請け合いするには、まともに人格を保っていられる気がしなさ過ぎた。そこでようやく、テオドールがやたらメンテナンスを細々と増やしていたのは、「だから、ぼく、準備を……」につながっていたのだと腑に落ちて。
自分の迂闊さと怠惰に、深々とため息を吐きそうになって、いやよくない、と自重した。
吐くのではなく、吸って、よし、とダリオは切り替える。
「とりあえず、座ろう」
そう提案したのだった。
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