52 / 148
番外 十 支配者編
2
しおりを挟む
ダリオは吐いたあと、口元をぬぐった。
「話を聞かせて欲しいというより、自分の話を聞いてくれって感じじゃないか」
おや、と相手の男は眉を上げたようだ。
「なんだ、君、けっこう丈夫だね。ああ、なるほど。そこそこお世話されてるのかな?」
メンテナンスはされている。ダリオは少しずつ呼吸を整えながら、本当に面倒くさいのにからまれたと思った。
「で、俺に結局どうしてほしいんだ」
「どうしてほしいとかはないな~。しかも君勘違いしているようだけれど、僕は何もしていない」
「あ?」
ダリオは礼儀を完全に捨てている。この流れは、テオドールが不法侵入してきた時を彷彿とさせた。最初それなりに丁寧な対応をこころがけていたが、初邂逅時のテオドールの無法ぶりに、相手を尊重する気が失せたのと同じだ。
「むしろ、君、悪いことが起きそうだから、隔離してあげてただけ。でももう、いいかな」
は? と口を開けた瞬間。
「少し予定を変更する。君たちの邪魔することにしようかなァ」
「待った」
ものすごく嫌な予感がして、ダリオは待ったをかけた。男は目を猫のように見開いて、素直に止まるあたり、少しテオドールと似ている。
「悪いことが起きそうって、どういう」
「君の支配者――名前テオドール君だっけ? いいね、名づけてもらえて。そのテオドール君のマーキングがあちこち穴だらけになってるだろう? 特に悪さするものは個別に排除されてきたみたいだけれど、そこまでするほどじゃないと放置されていたサーチ系の呪法が君を追いかけて来ているね。追いついたら、んー? これだと、執拗に『呼んでいる』から、向こうに『呼ばれる』んじゃないかな」
「……ご丁寧にどうも」
「もう追いつきそうになっていたから、僕がこっちに呼んで、助けてあげたんだよ」
「それは、ありがとうございます」
「嫌味のひとつも言う前に、どっかにお呼ばれされてしまったら後悔しそうじゃないか」
全然いい人ではなかった。しかし今のところ、結果としてダリオは助けられているようなので、意図はどうあれお礼は言う。
「しかし、君本当に思ったより丈夫だなァ。僕、あまり抑えてないんだけれど……けっこうすぐ立ち直ってるし、図太いねぇ」
しゃがみ込んで、白のスーツが汚れるのもかまわず片膝をつくとダリオをまじまじ見てくる。
「よくメンテナンスされてる。無理もせずに、丁寧な仕事だ。僕たちって、あまり忍耐はないんだけれど、ふーん、凄いね……君も嫌がらずにちゃんと協力したみたいだね。もう立てそうかな? さすがに無理か」
ダリオはなんとか上半身は起こして、座り込む程度までは回復した。男は顎に手を当て、しばらく何か考えている。と、「よし」と何ごとか決めたらしい。
「僕はテオドール君と君の場合、何も障害がなかった点において、非常に幸運だった例だと思っている。僕らって、大体花にものすごく嫌われちゃって、支配者でも馬鹿な奴だと、自分の花を殺しちゃうんだよねェ。でもそいつらだって、最初はそんなつもりないんだよ。大事にするつもりで近づくんだ」
何かの話が始まった。考える時間ができるし、情報収集のつもりでダリオは黙って聞く。
「障害っていうのは――花って、大体パートナー……恋人や配偶者いるんだよね……寿命短すぎるから、僕らが会いに行く頃には、もう子どもまで作ってたりさァ。ショックだよねェ。こっちはずっと会いに行くことだけ考えてたのに、初対面から拒絶されるし、なんなら恋人や配偶者を守るためにこっち敵視してくるし……まあ馬鹿だから、彼の大切な人たちを排除しようとしてそうなっちゃうんだよね。僕もやったけど」
うわーーーーーとダリオは引いた。こいつら本当に駄目だ。そういえばダリオもテオドールと出会う前に、エヴァとつきあっていたのだ。たまたま、別れていただけで。
ぞっ、と心胆を寒からしめたのは、ダリオに恋人がいない状況は偶然であって、同じような目になっていても何もおかしくなかったことに気づかされたからだ。
もしテオドールがエヴァに危害を加えていたら、二人がまともに対話することはそもそもなく、今の状態になることは決してなかっただろう。
男は顎に手を当てたまま、にっこりと笑った。
「僕、知りたくなっちゃったよ。障害があれば、君たちの仲って壊れちゃうのかなァ? さすがに僕らの状況再現は、もう無理だし……ねぇ、君ってどうしたらテオドール君嫌いになるの?」
何かわけのわからない質問が来た。一応助けてもらったことから、ダリオは真面目に答える。
「……俺はテオが今のテオだから好きなので……あんたたちみたいになったら嫌いになりますね」
「君、言うねェ。嫌いになることなんかない! とか言わないんだ」
「テオは俺の意に沿わないこと無理にしてきません。いつも必要な時は助けてくれました。俺の友人や恩人に危害を加えたり、俺を支配しようとしたりしてきたら、もうガワがテオでも、中身別人でしょう。中身別人のやつは愛せないです」
「なるほど」
男は深く感じ入ったらしく、納得したように頷いた。
「テオドール君が強くて、君を助けてくれるから好きなんだね!」
ちげーよ、とダリオは思考停止した。何をどう聞いたらそうなるんだ。それはテオドールの性質が、表に現れた一面に過ぎない。
「とても参考になったよ。君のことは嫌いだが、ありがとう」
ダリオも男のことが好きになれそうにないので、その点は気が合いそうだ。
「じゃあ、もうそろそろいいかな」
ざぁ、っ、と枝鳴りがして。
花嵐に男の姿は花びらと砕け散った。はらはらと、花びらがダリオの髪や肩口、衣服に降り積もる。
花びらがすべて消え去ると、元のネオン街の路地裏にダリオはいた。
呆然とするダリオの足元に、異様な光を放つ模様が浮き上がる。
「うわ!」
思わず避けると、移動して足下に滑り込んで来た。更に迂回しようとしたら、某映画のように通路いっぱいに回転しながら垂直に迫って来て避けられなかった。
察するに、さっきの支配者はこの召喚魔法陣ストーカーを差し止め、ダリオを隔離してくれていたらしい。
その上で、予定を変更して、隔離を「もういいかな」と取りやめ、なにがしか悪さをすることに決めたようだ。
結局ダリオは魔法陣につかまって、よくわからない場所に転送された。
記憶に残したくないので、ダイジェストでお送りする。結論から言うと、ストーカー魔法陣みたいなやつに出会って、迂回しようとしたら、某映画のように通路いっぱいに回転しながら垂直に迫って来て避けられなかった。
というわけで、ダリオは『召喚の間』とかいう場所に、数名の大人と未成年とともに同時多発集団誘拐されてしまったのだった。
理由は、各龍族のツガイ? とかにされるためらしい。というか、ツガイなので呼んだのだという。
龍族版の『花』みたいなものだとダリオは理解した。
俺は支配者流には既婚なんだが……とダリオは引いた。重婚はしないし、そもそも生理的にも道義的にも無理なダリオである。
龍族の言うことは無理過ぎて、結局、同時に呼ばれたらしい成人面々と協力し、未成年を守って隣国に逃げ込むこととなった。
これが大筋だ。もう少し詳しく言うと、ダリオより背が大きい人々に囲まれ、『ツガイ』が云々言われ、強姦されそうになって、なんとか逃げたのだが、
『龍族のツガイへの執着は深く、仕方ない』
『そのようなかっこうで出歩いては、ツガイの龍族も目に毒だったのだろう。若い者のすることだから、許してやってほしい』
などと周囲の執着ほほえましいムーブまでかまされ、いや本当に無理だなとダリオは思った。こんなところに『ツガイ』候補で同時召喚された未成年までいるのだから、彼らの安全を思うといつまでもここにいられるわけもない。
これはよくないと思ったのはダリオだけではなく、召喚された大人組は全員同じ結論に至った。
一応龍族にも未成年には手を出さないようなルールはあるようだが、『ツガイ相手に我慢できないのはしょうがない』と許してしまう空気を見ると、暴行の後で我慢できなかったなどと言いだしかねないと、成人組は意見の一致を見たのである。
この逃亡劇の成功は、一緒に召喚された多国籍企業ムーンリット・インターナショナルの経営一族、プリシラ・ムーンリットをリーダーに、龍族の武人ナーデンという青年の手助けがあったことも大きい。
「このような人権無視のクソ国家には一秒だっていられませんわーーーー!! 未成年を皆さんで守って、安全な場所に脱出し、経済基盤を築くことも第一目標とし、元の世界にもどる手立てを探すことを第二目標といたします。安全ホームと経済力なしに、がむしゃらに動くと死にますわ!!!!」
プリシラは当面の目標を提示した上で、凄まじい行動力を発揮した。ナーデンを筆頭に話の分かりそうな龍族を人材発掘ならぬ龍材発掘し、護衛として出世払いで雇い、召喚された面々の強み弱みを把握して、第一目標に取り組んだ。
「ダリオさんの育毛剤作成能力は素晴らしいと言わざるを得ません! 毛生え薬として、この世界で売って売って売りまくりますわ! 生産体制と販売ルート確保、宣伝はわたくしたちにお任せなさい!!」
龍族の青年ナーデンは、プリシラに一事が万事つき合わされて、
「こんなはずでは……」
と段々目が死んでいったが、ほぼもうプリシラ専属の護衛兼秘書みたいになっていた。ちなみに、ナーデンはプリシラのツガイでもなんでもない。いちいち、「お嬢、もう無理。え、無理。やるの? 嘘だろ」と必死に抵抗していたが、今はもう完全に目が死んでいる。
ダリオも生産体制責任者として、協力者たちに材料確保や作成法を伝え、ひたすら育毛剤を作りまくった。
納期当日に、ヘルムートに育毛剤を大量生産させられたのは無駄ではなかったのだ。
芸は身を助けるよな~、こればっかりはヘルムートさんに感謝だなと思った。
この世界でも、頭髪に関する悩みは共通だったらしく、毛生え薬は売れに売れ、下手に既得権益とも衝突せずに済んだ。プリシラ曰く、ニーズはあったが、マーケット形成されていないブルーオーシャンだったらしい。切実に悩む有力者複数の庇護も取りつけることもできた。これもプリシラが龍族の青年ナーデン(目が死んでいる)を護衛に、あちこち足を運んだものだ。庇護者が一人だけだと監禁搾取されるかもしれないが、毛に悩む者は権力者層に少なくなく、互いに相互監視となって、ダリオたちの自由は保障された形だ。
毛生え薬を元手に、商団を結成し、次の事業を立ち上げる。ムーンリット・インターナショナルグループの後継者、プリシラが現代知識無双投資をするのを横目に、ダリオは育毛剤を作りまくった。
更に金が金を産むというループに入るにいたって、召喚組は身の安全確保を盤石にして行ったのだった。
なお、『ツガイ』云々と言ってダリオたちを召喚した龍族たちとは取引しないことにした。強姦しようとしてきたクソの名前で何度かアポイントを取られていたようだが、「恥知らずの××××野郎。このプリシラ・ムーンリットが許しません」と代表プリシラが断り、更に、直接個人的に訪ねてこられたのも全て護衛が追い返した。今後一切関わりたくない。
以上が現在までの状況だ。
問題は、どうやったら元の世界に戻れるかである。プリシラも四方手を尽くしているようだが、今のところ状況は芳しくない。
確かに、異世界で金持ちになれたし、商団規模になるまで商いをプリシラが拡大もして、ダリオも人脈もそれなりにできた。現状は悪いことばかりではない。しかし、
「このプリシラ・ムーンリットの戦場はここではありません」
「僕もスクールカウンセラーの仕事にやりがい感じているし、ここじゃないんだよね」
「俺も家に帰りたいな。妻と子どもが心配だし、会いたいよ」
と他の成人組も、あくまで一時的な安全ホームでしかないと同じ考えのようだ。ダリオもやり残したことがたくさんあるし、テオドールに会いたかった。また、未成年の中には若干はしゃいでいた者たちもいたものの、娯楽の少なさにすぐに飽きたらしい。次に襲って来たのはホームシックで、子どもたちの精神状態には大人たちも気を配っている。彼らの手前、ダリオもあまり落ち込んでいられない状況だ。
「長期化すると、子どもたちの影響もそうだけど、本来の成長機会損失が大きいよね。社会復帰も大変だと思うし、早めに帰してあげたいよね」
とスクールカウンセラーのエドワードは懸念していた。全員、やりたいこともやり残したことも元の世界にあると、帰還を望んでいた。
時刻は晩を回り、商団の店舗二階。もはや金が勝手に金を産むから、特にすることもなくなってきたダリオは、割り当てられた自室で困ったなーと考えていた。
(異世界来ると、テオとすぐには連絡つかねーんだよな……)
テオドールいわく、どうも膨大な時空間から、座標指定もなしに特定の場所を見つけるのは難しいらしい。そうは言っても、ヘルムートの『闇のゲームやろうぜ! お前の意見は聞いてない』事件関係で以前異世界に飛ばされた際は、しばらくすればテオドールが迎えに来てくれたので、今回もそうなるのかなとは思っている。
ただ、それがいつになるのかわからない。
また、ダリオは元々けっこうドライな性格だ。召喚直後に、強姦未遂されて、この世界にはまったく未練がない。召喚組が帰還することになれば、資産はすべて最初の逃亡時に助けてくれたナーデンや行商人(商団に所属となっている)たちに譲るよう指定したし、後はもう元の世界に戻るだけだ。
それって俺の体感時間どれくらいになるんだろうと、異世界に来てすでに数か月経過しているダリオはため息が出る。ダリオ一人だったら色々考え込んでしまったかもしれない。今回は同時召喚被害者たちがいたことで、互いに意見交換し、ひとまず精神状態をフラットに保てているダリオである。
大学は休学扱いになっていればいいが、数か月だ。可能なら、元の時間に戻りたい。前回のヘルムート関連『闇のゲーム~お前の意見は聞いてない』事件の際は、帰ってきたらほぼ出発した時間に戻れていたので、今回もそうだとありがたいのだが。
寝台に腰かけたまま、ダリオはふと浮かんだ疑惑に、眉根を寄せた。
(もしかして、邪魔するって……)
以前から考えていたことだが、おそらく、『邪魔をすることにしようかな』と言っていた支配者のおっさんなら、ここの座標とやらも分かるんだろうなあ、とダリオは推測していた。
(テオがあの邪悪な支配者のおっさんと話つけてくれないと、たぶん迎えに来てもらえない感じか?)
障害が云々言っていたし、ありえない話ではない。
(時間経過してるなら……俺はプリシラさんたちももいるし、ともかく……テオが心配していたらどうしよう、大丈夫か、テオ)
なるべく意識しないようにしているが、考え出すと止まらなくなってくる。
ダリオは嘆息し、開け放した窓の外を見た。バルコニーとなっており、手すりの向こうにしんしんとした闇が広がっている。
ん? と彼は違和感に気づいた。先ほどまで聞こえていた虫の鳴き声が止まっている。
「……」
ダリオはしばし窓の外の虚空を凝視し、突如立ち上がった。
バルコニーに出る。
闇が深い。
墨を引いたような漆黒が濃淡を帯びて、バルコニーの一角にとりわけ深い凝りがある。
手すりの下部、隅っこに、小さく、まるでブラックホールのように光を吸収して更に落ち込む黒色のそれ。
ダリオはおそるおそるしゃがみ込んで、両手で空間を作って包み込んだ。
「テオ?」
手のひらにのってしまうような、小さく醜い物体だった。ぶしゅ、と液体がスライム状のそれから不意に噴き出て、怪我を負っているのがわかる。深手だ、もしこれがテオドールなら、生きているのが不思議なくらい酷い状態だった。
触っていいのかもわからない。
小さなそれは、ダリオの手の中から逃れるようにじりじり手すりの隙間の方へ後退したが、
「テオだろ?」
行かないでくれ、とすでにかすれた声でダリオが懇願すると、沈黙の末に動きを止めた。
ダリオは涙が出て来た。
会えてうれしいとかではない。会えなくてもよかった。こんな酷い状態になるくらいなら、あと一年でも何年でも待ってたってよかった。
何も言われなくても、ダリオとて察するところがある。テオドールにこんな深手を負わせることができるのは、彼の同族くらいだろう。あの白スーツの男――あの支配者とやりあったのだ。そうとしか考えられなかった。
ダリオは性交時以外、滅多に泣かない人間だ。恥ずかしいからではない。基本的にそこまで思いつめない性質だからだ。
だが、今は目の奥がカッと熱くなって、泣くのを止めようとしても次から次に涙があふれてきた。
「い、痛くない? 痛いよな……手当て……手当てしてもいいのか? どうしよう、俺、テオの手当ての仕方もわからない……」
人間と同じようにしていいのかわからない。情けなかった。時間はいくらでもあったのに、テオドールの強さに胡坐をかいて、彼が怪我をした時に自分が何をしたらいいのか、何ができるのか、何一つ確認して来なかった。
情けなさ過ぎて、それ以上にテオドールの状態があまりに酷くて、こらえようとするのに視界が歪む。
『だりおさん……』
声ではなく、頭に直接響いてくるような不思議なそれが聞こえて来た。
「テオ……! 俺、触ってもいいか? 部屋の中に運ぶから」
手当ての仕方を教えて欲しいと言う前に、すみません、というような思念が伝わってくる。そうじゃない、そうじゃない、とダリオの方が情けなかった。
許可をとって部屋に運ぶと、光の下では本当に怪我が酷くて、絶え間なく液体が零れてくる。
ああ、とダリオは言葉を失う思いだった。代われるものなら代わりたい。
「テオ……」
どうしよう、どうしよう、と手のひらに乗せたまま、焦る自分を必死に抑え込む。人間相手なら、医者を呼ぶし、洗ったり、薬を塗ったり、色々できることもあるが、支配者の場合、それをして害がないのかすら、わからない。とにかく、彼の意向を聞くしかなかった。
他の人間は呼ばないで欲しいと言われ、この状態で他者と接触したくないという。傷は時間が経過すれば自然と治るからこのままでよいとも。
できることが何もない。
『すみません……回復してから……つもりでしたが……』
切れ切れの言葉から、万全になってからダリオの元に訪れる予定が、この状態でバルコニーに訪れたことを詫びられているのはわかった。
本当にそうじゃなかった。その方が安全ならそれでいいが、そうじゃない。
「テオ、俺にしてほしいことないか?」
ダリオは怒鳴るようなことはせず、寝台に座ると、できるだけいつものように、あるいは優しい声で尋ねた。
『側に……置いていただけると……』
「うん。ベッドの近くに、籠用意するから、そこに布敷き詰めて、乗せてもいいか?」
『……』
テオドールは沈黙する。
「うん、そうじゃない方がいいか? 俺にできることなんでもするから、したいこと教えてくれ」
やさしく声をかけながら、ダリオはまた涙が出そうになり、誤魔化すようまばたきをした。
『撫でたり……抱きしめていただけると』
ダリオは瞠目した。
「いいのか? 痛くないか?」
それはダリオの方がしたいことで、怪我を見たら触れない方がいいのかと思っていたことだ。
テオドールが問題ないと言うので、ダリオは痛くないか? と何度も確認しながら、小さくなって表皮の破れたスライムのような物体になってしまったテオドールをそっと撫でた。
こらえようとしていたが、結局涙がぼたぼたと落ちてしまい、それでもダリオは一晩中テオドールを撫でたり、大丈夫か聞いて、キスしたりして、一緒に過ごした。
「話を聞かせて欲しいというより、自分の話を聞いてくれって感じじゃないか」
おや、と相手の男は眉を上げたようだ。
「なんだ、君、けっこう丈夫だね。ああ、なるほど。そこそこお世話されてるのかな?」
メンテナンスはされている。ダリオは少しずつ呼吸を整えながら、本当に面倒くさいのにからまれたと思った。
「で、俺に結局どうしてほしいんだ」
「どうしてほしいとかはないな~。しかも君勘違いしているようだけれど、僕は何もしていない」
「あ?」
ダリオは礼儀を完全に捨てている。この流れは、テオドールが不法侵入してきた時を彷彿とさせた。最初それなりに丁寧な対応をこころがけていたが、初邂逅時のテオドールの無法ぶりに、相手を尊重する気が失せたのと同じだ。
「むしろ、君、悪いことが起きそうだから、隔離してあげてただけ。でももう、いいかな」
は? と口を開けた瞬間。
「少し予定を変更する。君たちの邪魔することにしようかなァ」
「待った」
ものすごく嫌な予感がして、ダリオは待ったをかけた。男は目を猫のように見開いて、素直に止まるあたり、少しテオドールと似ている。
「悪いことが起きそうって、どういう」
「君の支配者――名前テオドール君だっけ? いいね、名づけてもらえて。そのテオドール君のマーキングがあちこち穴だらけになってるだろう? 特に悪さするものは個別に排除されてきたみたいだけれど、そこまでするほどじゃないと放置されていたサーチ系の呪法が君を追いかけて来ているね。追いついたら、んー? これだと、執拗に『呼んでいる』から、向こうに『呼ばれる』んじゃないかな」
「……ご丁寧にどうも」
「もう追いつきそうになっていたから、僕がこっちに呼んで、助けてあげたんだよ」
「それは、ありがとうございます」
「嫌味のひとつも言う前に、どっかにお呼ばれされてしまったら後悔しそうじゃないか」
全然いい人ではなかった。しかし今のところ、結果としてダリオは助けられているようなので、意図はどうあれお礼は言う。
「しかし、君本当に思ったより丈夫だなァ。僕、あまり抑えてないんだけれど……けっこうすぐ立ち直ってるし、図太いねぇ」
しゃがみ込んで、白のスーツが汚れるのもかまわず片膝をつくとダリオをまじまじ見てくる。
「よくメンテナンスされてる。無理もせずに、丁寧な仕事だ。僕たちって、あまり忍耐はないんだけれど、ふーん、凄いね……君も嫌がらずにちゃんと協力したみたいだね。もう立てそうかな? さすがに無理か」
ダリオはなんとか上半身は起こして、座り込む程度までは回復した。男は顎に手を当て、しばらく何か考えている。と、「よし」と何ごとか決めたらしい。
「僕はテオドール君と君の場合、何も障害がなかった点において、非常に幸運だった例だと思っている。僕らって、大体花にものすごく嫌われちゃって、支配者でも馬鹿な奴だと、自分の花を殺しちゃうんだよねェ。でもそいつらだって、最初はそんなつもりないんだよ。大事にするつもりで近づくんだ」
何かの話が始まった。考える時間ができるし、情報収集のつもりでダリオは黙って聞く。
「障害っていうのは――花って、大体パートナー……恋人や配偶者いるんだよね……寿命短すぎるから、僕らが会いに行く頃には、もう子どもまで作ってたりさァ。ショックだよねェ。こっちはずっと会いに行くことだけ考えてたのに、初対面から拒絶されるし、なんなら恋人や配偶者を守るためにこっち敵視してくるし……まあ馬鹿だから、彼の大切な人たちを排除しようとしてそうなっちゃうんだよね。僕もやったけど」
うわーーーーーとダリオは引いた。こいつら本当に駄目だ。そういえばダリオもテオドールと出会う前に、エヴァとつきあっていたのだ。たまたま、別れていただけで。
ぞっ、と心胆を寒からしめたのは、ダリオに恋人がいない状況は偶然であって、同じような目になっていても何もおかしくなかったことに気づかされたからだ。
もしテオドールがエヴァに危害を加えていたら、二人がまともに対話することはそもそもなく、今の状態になることは決してなかっただろう。
男は顎に手を当てたまま、にっこりと笑った。
「僕、知りたくなっちゃったよ。障害があれば、君たちの仲って壊れちゃうのかなァ? さすがに僕らの状況再現は、もう無理だし……ねぇ、君ってどうしたらテオドール君嫌いになるの?」
何かわけのわからない質問が来た。一応助けてもらったことから、ダリオは真面目に答える。
「……俺はテオが今のテオだから好きなので……あんたたちみたいになったら嫌いになりますね」
「君、言うねェ。嫌いになることなんかない! とか言わないんだ」
「テオは俺の意に沿わないこと無理にしてきません。いつも必要な時は助けてくれました。俺の友人や恩人に危害を加えたり、俺を支配しようとしたりしてきたら、もうガワがテオでも、中身別人でしょう。中身別人のやつは愛せないです」
「なるほど」
男は深く感じ入ったらしく、納得したように頷いた。
「テオドール君が強くて、君を助けてくれるから好きなんだね!」
ちげーよ、とダリオは思考停止した。何をどう聞いたらそうなるんだ。それはテオドールの性質が、表に現れた一面に過ぎない。
「とても参考になったよ。君のことは嫌いだが、ありがとう」
ダリオも男のことが好きになれそうにないので、その点は気が合いそうだ。
「じゃあ、もうそろそろいいかな」
ざぁ、っ、と枝鳴りがして。
花嵐に男の姿は花びらと砕け散った。はらはらと、花びらがダリオの髪や肩口、衣服に降り積もる。
花びらがすべて消え去ると、元のネオン街の路地裏にダリオはいた。
呆然とするダリオの足元に、異様な光を放つ模様が浮き上がる。
「うわ!」
思わず避けると、移動して足下に滑り込んで来た。更に迂回しようとしたら、某映画のように通路いっぱいに回転しながら垂直に迫って来て避けられなかった。
察するに、さっきの支配者はこの召喚魔法陣ストーカーを差し止め、ダリオを隔離してくれていたらしい。
その上で、予定を変更して、隔離を「もういいかな」と取りやめ、なにがしか悪さをすることに決めたようだ。
結局ダリオは魔法陣につかまって、よくわからない場所に転送された。
記憶に残したくないので、ダイジェストでお送りする。結論から言うと、ストーカー魔法陣みたいなやつに出会って、迂回しようとしたら、某映画のように通路いっぱいに回転しながら垂直に迫って来て避けられなかった。
というわけで、ダリオは『召喚の間』とかいう場所に、数名の大人と未成年とともに同時多発集団誘拐されてしまったのだった。
理由は、各龍族のツガイ? とかにされるためらしい。というか、ツガイなので呼んだのだという。
龍族版の『花』みたいなものだとダリオは理解した。
俺は支配者流には既婚なんだが……とダリオは引いた。重婚はしないし、そもそも生理的にも道義的にも無理なダリオである。
龍族の言うことは無理過ぎて、結局、同時に呼ばれたらしい成人面々と協力し、未成年を守って隣国に逃げ込むこととなった。
これが大筋だ。もう少し詳しく言うと、ダリオより背が大きい人々に囲まれ、『ツガイ』が云々言われ、強姦されそうになって、なんとか逃げたのだが、
『龍族のツガイへの執着は深く、仕方ない』
『そのようなかっこうで出歩いては、ツガイの龍族も目に毒だったのだろう。若い者のすることだから、許してやってほしい』
などと周囲の執着ほほえましいムーブまでかまされ、いや本当に無理だなとダリオは思った。こんなところに『ツガイ』候補で同時召喚された未成年までいるのだから、彼らの安全を思うといつまでもここにいられるわけもない。
これはよくないと思ったのはダリオだけではなく、召喚された大人組は全員同じ結論に至った。
一応龍族にも未成年には手を出さないようなルールはあるようだが、『ツガイ相手に我慢できないのはしょうがない』と許してしまう空気を見ると、暴行の後で我慢できなかったなどと言いだしかねないと、成人組は意見の一致を見たのである。
この逃亡劇の成功は、一緒に召喚された多国籍企業ムーンリット・インターナショナルの経営一族、プリシラ・ムーンリットをリーダーに、龍族の武人ナーデンという青年の手助けがあったことも大きい。
「このような人権無視のクソ国家には一秒だっていられませんわーーーー!! 未成年を皆さんで守って、安全な場所に脱出し、経済基盤を築くことも第一目標とし、元の世界にもどる手立てを探すことを第二目標といたします。安全ホームと経済力なしに、がむしゃらに動くと死にますわ!!!!」
プリシラは当面の目標を提示した上で、凄まじい行動力を発揮した。ナーデンを筆頭に話の分かりそうな龍族を人材発掘ならぬ龍材発掘し、護衛として出世払いで雇い、召喚された面々の強み弱みを把握して、第一目標に取り組んだ。
「ダリオさんの育毛剤作成能力は素晴らしいと言わざるを得ません! 毛生え薬として、この世界で売って売って売りまくりますわ! 生産体制と販売ルート確保、宣伝はわたくしたちにお任せなさい!!」
龍族の青年ナーデンは、プリシラに一事が万事つき合わされて、
「こんなはずでは……」
と段々目が死んでいったが、ほぼもうプリシラ専属の護衛兼秘書みたいになっていた。ちなみに、ナーデンはプリシラのツガイでもなんでもない。いちいち、「お嬢、もう無理。え、無理。やるの? 嘘だろ」と必死に抵抗していたが、今はもう完全に目が死んでいる。
ダリオも生産体制責任者として、協力者たちに材料確保や作成法を伝え、ひたすら育毛剤を作りまくった。
納期当日に、ヘルムートに育毛剤を大量生産させられたのは無駄ではなかったのだ。
芸は身を助けるよな~、こればっかりはヘルムートさんに感謝だなと思った。
この世界でも、頭髪に関する悩みは共通だったらしく、毛生え薬は売れに売れ、下手に既得権益とも衝突せずに済んだ。プリシラ曰く、ニーズはあったが、マーケット形成されていないブルーオーシャンだったらしい。切実に悩む有力者複数の庇護も取りつけることもできた。これもプリシラが龍族の青年ナーデン(目が死んでいる)を護衛に、あちこち足を運んだものだ。庇護者が一人だけだと監禁搾取されるかもしれないが、毛に悩む者は権力者層に少なくなく、互いに相互監視となって、ダリオたちの自由は保障された形だ。
毛生え薬を元手に、商団を結成し、次の事業を立ち上げる。ムーンリット・インターナショナルグループの後継者、プリシラが現代知識無双投資をするのを横目に、ダリオは育毛剤を作りまくった。
更に金が金を産むというループに入るにいたって、召喚組は身の安全確保を盤石にして行ったのだった。
なお、『ツガイ』云々と言ってダリオたちを召喚した龍族たちとは取引しないことにした。強姦しようとしてきたクソの名前で何度かアポイントを取られていたようだが、「恥知らずの××××野郎。このプリシラ・ムーンリットが許しません」と代表プリシラが断り、更に、直接個人的に訪ねてこられたのも全て護衛が追い返した。今後一切関わりたくない。
以上が現在までの状況だ。
問題は、どうやったら元の世界に戻れるかである。プリシラも四方手を尽くしているようだが、今のところ状況は芳しくない。
確かに、異世界で金持ちになれたし、商団規模になるまで商いをプリシラが拡大もして、ダリオも人脈もそれなりにできた。現状は悪いことばかりではない。しかし、
「このプリシラ・ムーンリットの戦場はここではありません」
「僕もスクールカウンセラーの仕事にやりがい感じているし、ここじゃないんだよね」
「俺も家に帰りたいな。妻と子どもが心配だし、会いたいよ」
と他の成人組も、あくまで一時的な安全ホームでしかないと同じ考えのようだ。ダリオもやり残したことがたくさんあるし、テオドールに会いたかった。また、未成年の中には若干はしゃいでいた者たちもいたものの、娯楽の少なさにすぐに飽きたらしい。次に襲って来たのはホームシックで、子どもたちの精神状態には大人たちも気を配っている。彼らの手前、ダリオもあまり落ち込んでいられない状況だ。
「長期化すると、子どもたちの影響もそうだけど、本来の成長機会損失が大きいよね。社会復帰も大変だと思うし、早めに帰してあげたいよね」
とスクールカウンセラーのエドワードは懸念していた。全員、やりたいこともやり残したことも元の世界にあると、帰還を望んでいた。
時刻は晩を回り、商団の店舗二階。もはや金が勝手に金を産むから、特にすることもなくなってきたダリオは、割り当てられた自室で困ったなーと考えていた。
(異世界来ると、テオとすぐには連絡つかねーんだよな……)
テオドールいわく、どうも膨大な時空間から、座標指定もなしに特定の場所を見つけるのは難しいらしい。そうは言っても、ヘルムートの『闇のゲームやろうぜ! お前の意見は聞いてない』事件関係で以前異世界に飛ばされた際は、しばらくすればテオドールが迎えに来てくれたので、今回もそうなるのかなとは思っている。
ただ、それがいつになるのかわからない。
また、ダリオは元々けっこうドライな性格だ。召喚直後に、強姦未遂されて、この世界にはまったく未練がない。召喚組が帰還することになれば、資産はすべて最初の逃亡時に助けてくれたナーデンや行商人(商団に所属となっている)たちに譲るよう指定したし、後はもう元の世界に戻るだけだ。
それって俺の体感時間どれくらいになるんだろうと、異世界に来てすでに数か月経過しているダリオはため息が出る。ダリオ一人だったら色々考え込んでしまったかもしれない。今回は同時召喚被害者たちがいたことで、互いに意見交換し、ひとまず精神状態をフラットに保てているダリオである。
大学は休学扱いになっていればいいが、数か月だ。可能なら、元の時間に戻りたい。前回のヘルムート関連『闇のゲーム~お前の意見は聞いてない』事件の際は、帰ってきたらほぼ出発した時間に戻れていたので、今回もそうだとありがたいのだが。
寝台に腰かけたまま、ダリオはふと浮かんだ疑惑に、眉根を寄せた。
(もしかして、邪魔するって……)
以前から考えていたことだが、おそらく、『邪魔をすることにしようかな』と言っていた支配者のおっさんなら、ここの座標とやらも分かるんだろうなあ、とダリオは推測していた。
(テオがあの邪悪な支配者のおっさんと話つけてくれないと、たぶん迎えに来てもらえない感じか?)
障害が云々言っていたし、ありえない話ではない。
(時間経過してるなら……俺はプリシラさんたちももいるし、ともかく……テオが心配していたらどうしよう、大丈夫か、テオ)
なるべく意識しないようにしているが、考え出すと止まらなくなってくる。
ダリオは嘆息し、開け放した窓の外を見た。バルコニーとなっており、手すりの向こうにしんしんとした闇が広がっている。
ん? と彼は違和感に気づいた。先ほどまで聞こえていた虫の鳴き声が止まっている。
「……」
ダリオはしばし窓の外の虚空を凝視し、突如立ち上がった。
バルコニーに出る。
闇が深い。
墨を引いたような漆黒が濃淡を帯びて、バルコニーの一角にとりわけ深い凝りがある。
手すりの下部、隅っこに、小さく、まるでブラックホールのように光を吸収して更に落ち込む黒色のそれ。
ダリオはおそるおそるしゃがみ込んで、両手で空間を作って包み込んだ。
「テオ?」
手のひらにのってしまうような、小さく醜い物体だった。ぶしゅ、と液体がスライム状のそれから不意に噴き出て、怪我を負っているのがわかる。深手だ、もしこれがテオドールなら、生きているのが不思議なくらい酷い状態だった。
触っていいのかもわからない。
小さなそれは、ダリオの手の中から逃れるようにじりじり手すりの隙間の方へ後退したが、
「テオだろ?」
行かないでくれ、とすでにかすれた声でダリオが懇願すると、沈黙の末に動きを止めた。
ダリオは涙が出て来た。
会えてうれしいとかではない。会えなくてもよかった。こんな酷い状態になるくらいなら、あと一年でも何年でも待ってたってよかった。
何も言われなくても、ダリオとて察するところがある。テオドールにこんな深手を負わせることができるのは、彼の同族くらいだろう。あの白スーツの男――あの支配者とやりあったのだ。そうとしか考えられなかった。
ダリオは性交時以外、滅多に泣かない人間だ。恥ずかしいからではない。基本的にそこまで思いつめない性質だからだ。
だが、今は目の奥がカッと熱くなって、泣くのを止めようとしても次から次に涙があふれてきた。
「い、痛くない? 痛いよな……手当て……手当てしてもいいのか? どうしよう、俺、テオの手当ての仕方もわからない……」
人間と同じようにしていいのかわからない。情けなかった。時間はいくらでもあったのに、テオドールの強さに胡坐をかいて、彼が怪我をした時に自分が何をしたらいいのか、何ができるのか、何一つ確認して来なかった。
情けなさ過ぎて、それ以上にテオドールの状態があまりに酷くて、こらえようとするのに視界が歪む。
『だりおさん……』
声ではなく、頭に直接響いてくるような不思議なそれが聞こえて来た。
「テオ……! 俺、触ってもいいか? 部屋の中に運ぶから」
手当ての仕方を教えて欲しいと言う前に、すみません、というような思念が伝わってくる。そうじゃない、そうじゃない、とダリオの方が情けなかった。
許可をとって部屋に運ぶと、光の下では本当に怪我が酷くて、絶え間なく液体が零れてくる。
ああ、とダリオは言葉を失う思いだった。代われるものなら代わりたい。
「テオ……」
どうしよう、どうしよう、と手のひらに乗せたまま、焦る自分を必死に抑え込む。人間相手なら、医者を呼ぶし、洗ったり、薬を塗ったり、色々できることもあるが、支配者の場合、それをして害がないのかすら、わからない。とにかく、彼の意向を聞くしかなかった。
他の人間は呼ばないで欲しいと言われ、この状態で他者と接触したくないという。傷は時間が経過すれば自然と治るからこのままでよいとも。
できることが何もない。
『すみません……回復してから……つもりでしたが……』
切れ切れの言葉から、万全になってからダリオの元に訪れる予定が、この状態でバルコニーに訪れたことを詫びられているのはわかった。
本当にそうじゃなかった。その方が安全ならそれでいいが、そうじゃない。
「テオ、俺にしてほしいことないか?」
ダリオは怒鳴るようなことはせず、寝台に座ると、できるだけいつものように、あるいは優しい声で尋ねた。
『側に……置いていただけると……』
「うん。ベッドの近くに、籠用意するから、そこに布敷き詰めて、乗せてもいいか?」
『……』
テオドールは沈黙する。
「うん、そうじゃない方がいいか? 俺にできることなんでもするから、したいこと教えてくれ」
やさしく声をかけながら、ダリオはまた涙が出そうになり、誤魔化すようまばたきをした。
『撫でたり……抱きしめていただけると』
ダリオは瞠目した。
「いいのか? 痛くないか?」
それはダリオの方がしたいことで、怪我を見たら触れない方がいいのかと思っていたことだ。
テオドールが問題ないと言うので、ダリオは痛くないか? と何度も確認しながら、小さくなって表皮の破れたスライムのような物体になってしまったテオドールをそっと撫でた。
こらえようとしていたが、結局涙がぼたぼたと落ちてしまい、それでもダリオは一晩中テオドールを撫でたり、大丈夫か聞いて、キスしたりして、一緒に過ごした。
70
お気に入りに追加
963
あなたにおすすめの小説
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。
全17話、約6万文字。
変態村♂〜俺、やられます!〜
ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。
そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。
暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。
必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。
その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。
果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
俺の義兄弟が凄いんだが
kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・
初投稿です。感想などお待ちしています。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる