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番外 六 どんなふうにきもちいいのかおしえて?
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異空間セックスだと、心駄々洩れ感があったが、現実のセックスは肉体の境界線があるにも関わらず、翌日ダリオを妙に羞恥心へと向かわせ、抱えこませていた。
なんというか、生々しかった――! の一言に尽きる。
翌朝ダリオは、言葉少なに朝食を済ませ、テオドールに声をかけて、違和感満載の下半身でのたのたと家を出た。それからダリオは大学に行き、アルバイトをし、現在、商店街でガラガラと福引を回している。
『ダリオ、こういうの好きだろ?』
と大学の友人知人からアルバイト先の上司同僚まで、どういうわけか行く先々で福引チケットをもらったのである。
好きか嫌いかでいうと、そもそも福引など回したことがないんだが? 何故俺が好きだということに? と謎感がありつつも、保存食一か月分など当たればうれしいので礼を言って受け取ったわけだった。
大量のチケットを回しまくり、最後の一枚で、コロリ、と虹色ボールが出て来る。
いつの間にか背後から覗き込んでいたアルバイト同僚のクリスをはじめ、見知らぬ人々が『おおーっ』とどよめいた。
ハッピを着た中年男性が、遅れてくす玉をパッカーンと割り、おめでとーございます! とハンドベルを鳴らした。
三等保存食一か月分か!? とダリオの目の色が変わる。
「目玉のシシリア島チアフル旅行ペアチケット大当たり出ました!」
ダリオの目の輝きが地味に死んだ。
背後からクリスが飛びつくようにダリオの肩を揺さぶる。
「ダリオ君、がっかりするな! それ一番いいやつ!」
「クリス君、しかし俺は保存食一か月分が……交換できませんか?」
「いたしかねます」
おじさんは笑顔のままきっぱり拒否した。まあそうだよな……とダリオも理不尽クレーマーではないので黙って引き下がる。
換金したらいくらかな……と真顔で考えていると、
「ダリオ君、あのね、さしでがましいけれども、ペアチケットでしょ? 一度テオドール君に相談しないのかい? もうすぐ春休みだろう?」
遠慮がちに下から見上げるようにして尋ねて来る。
「え」
「いや、そんな思ってもみなかったことを聞かれたみたいな顔をされてもだね」
「あ、あー、いや、うん。そうだな。テオにも……聞いてみる……」
なんとなくダリオは語尾が小さくなっていった。
幼少期はもしかしたら家族旅行などしたのかもしれないが、記憶が胡乱である。アルバイトでリトル・レッド・フード村に同行などはあったが、基本的に人生全般で旅行イベントはスルーしてきたダリオだ。
なので旅行チケットといっても、換金チケットに脳直通で、自分で使うという発想が出てこなかった。よく考えたら、ペアチケットなのだから、テオドールに旅行に行くかと尋ねてもいいわけだ。
ええ? とダリオは混乱した。
旅行? テオドールと? 俺が?
絵面が浮かばなさ過ぎた。
折しも大学は春休みに突入しようとしている。アルバイトのシフトも提出前だ。モデル代で長期的家計も少し懐はあたたかいし、多少の自由はきく。
というわけで、お膳立ては割と整っている状態ではある。
ダリオは進呈されたペアチケット諸々一式を鞄にしまうと、少し眉根を寄せた。旅行――テオドールと? と想像の埒外だ。
とりあえず、クリスの言う通り、意向確認するしかあるまい。チケットを売り飛ばすのはそれからでも遅くはないだろう。結局、ダリオは換金ショップへ直行するのを先送りすることとした。
ダリオは帰宅して、開口一番テオドールに聞いてみた。
「あのさ、商店街の福引で、海外旅行チケット当たったんだが、チアフルってとこなんだけど……ペアなんで、テオがもしよければ一緒に旅行行くか?」
「……」
テオドールはダリオの上着を受けとりながら、硬直した猫のように動きを止めた。
何それどういう反応? とダリオは思うも、返事を待つ。が、テオドールが静止したまま動かないので、
「あー無理にとは言わんし、断ってくれて全然」
「行きます」
遮られた。
「ええと、本当に無理しなくて」
「行きます」
今度は食い気味に遮られる。上段から顔を、ずい、と寄せて言ってくるものだから、近い近い近い、とダリオは内心ドン引きした。行くらしい。お前なんでそう極端なの、ゼロと百しかないの、とダリオは言いたいことはあった。しかし、まあいいかと飲み込んだ。ダリオにはそういうところがある。
とりあえずダリオはパンフレットをテオドールと一緒に見ようと、リビングに使用している部屋でローテーブルに広げた。
「シシリア島のチアフルって都市。人口一万ちょいで、海がきれいだと。ふーん、海か……」
全然想像できない。テオドールと南の島で海。
「あのさ、俺こういう旅行とか無縁過ぎてよくわかんないんだよな。えーとだから、一緒に相談しながら計画立ててくれると助かる」
「はい。お任せください」
「お、おう。で、まずお前のパスポートどうするかなんだがな」
しょっぱなからつまづいた。こいつ本当に身分証明とかどーすんの、とダリオは口元に手を当てる。
「ダリオさん」
「ん?」
「旅券でしたら用意できますので問題ありません」
「……えー、それ俺聞かない方がいいやつか?」
「知らない方がよろしいかと」
「うん、よし、とりあえず次行くか」
ダリオは聞かなかったことにした。ダリオにはこのようなところが多々ある。彼自身のパスポートは、単発の漁船バイトの関係ですでに旅券ご用意があるので心配はない。ちなみに『船員手帳』ではないので、海外旅行で使えるやつだ。こうした調子でふたりの南の島旅行計画はざっくり進んで行った。
旅行の日が近づくにつれ、ダリオはそわそわとした。真面目に、彼が自分自身のために旅行計画をするのはおよそ人生初である。
しかも好きな子と一緒に南の島。凄い。出発日を指折り数える内に、換金脳直だった自分に一声かけてくれたクリスにダリオは感謝した。
ひとりだったらそのまま売りに行って、特に何も引っかかっていなかっただろう。
いよいよ出国当日。イーストシティ国際空港で、手荷物カウンターにキャスターなどを預けに行く。オンラインチェックインのため、二次元バーコードの『モバイル搭乗券』発行済みで、搭乗手続きは不要である。
テロやハイジャック防止を目的とする、危険物持ち込み確認の保安検査室を、テオドールは普通に通過した。ガバガバじゃねーかと内心ダリオは思った。こいつ、『控え目に申し上げて』と枕詞がついた上で、その気になればイーストシティが壊滅する程度の破壊活動が身一つで可能な人外だぞ、という疑義である。
そのまま出国審査も旅券が特に不審を買うこともなく、無事通過。
国際空港、近年取り締まり強化しているそうだが、銃器千丁合わせたより危険なテオドールをあっさり通すとか、マジでガバガバだ。
ダリオは内心で手を合わせた。
騒ぎを起こさないように尽力しますので――というお祈りだ。
搭乗ゲートに乗る前に、時間に余裕があったので、ラウンジでコーヒーをもらって休憩する。黒い高級感あふれるラウンジに、またもやダリオはそわそわしてくる。たぶん興奮してきているのだ。
テオドールは落ち着いているように見え、人間らしく擬態しているのか、洒落たスツールに座って足を組んでいる姿は、絵になり過ぎて、逆に現実味がないようだった。ラウンジ内の生活レベルがダリオと数段階違いそうな人々が、その姿に注視し始めている。熱心な視線が四方八方から刺さり、ダリオは急に興奮が冷めた。今にも席を立ちあがって、こちらに声をかけてきそうな紳士や婦人もいる。あまり一所にいるのも考えものだ。飛行機の中で愁嘆場を演じて事故など冗談ではなかった。
「テオ、そろそろ出るか」
「はい」
ダリオの注意もあってかどうか、特に修羅場も発生せず、無事搭乗ゲートを通過して、二人は座席を並んで座った。
飛行機に乗る人外面白いなとダリオは思った。本当にダリオにはこういうところがある。
ふあ、とダリオはあくびを噛み殺した。遠足前の児童ではあるまいが、色々興奮し過ぎて昨晩眠れなかったのだ。時差も考えると寝ていた方がよいのだが、テオドールを放置してよいものか気になる。
「ダリオさん」
テオドールが横から顔をのぞきこんで来た。目元を触れるか触れないか、親指を滑らせ、少し愁眉を寄せる。
「僕が起きていますので、眠いようでしたら寝てください」
「あー、そうだな……」
でも起きてないと……と呑み込んだ。この旅行は、初心者同士のふたりで計画した。どっちが主導ということもなく、相談しながら決めたのだ。
「んー……じゃあ、寝る。テオは眠くないのか?」
「僕は元々睡眠を必要としませんので」
そういえばそうだった。ダリオは頭が働いていない自分を自覚した。寝た方がいい。
「退屈だったら起こしてくれ。あと騒ぎ起こさないで欲しい」
「はい。ダリオさん、おやすみなさい」
珍しく声音がはっきりわかる形に優しいように聞こえたので、ダリオはそのまままどろんでいった。
気づけばテオドールが肩を貸していてくれたらしい。良く寝たダリオは、寝すぎたかと思って、「退屈じゃなかったか?」と聞いたが、テオドールは真顔で首を振り、ひいき目を別にしても無感情な表情がどこかうわついているようにも見えた。
テオドールなりになんらか楽しかったらしい。
このまま飛行機Uターンしても、俺満足だな……とダリオはすでに旅行評価☆五つである。
飛行機が着陸後、入国審査もガバガバのガバガバで、危険人物テオドールは涼しい顔で海を越えた。
そこから移動して、チアフルに入ると、ちょうど昼時になり、名物サンドで昼食を済ませ、チアフル大聖堂を見学し、路上でジェラートを買って、ふたりで食べた。テオドールはダリオのものを少し口にしたくらいであるが、
「美味しいか?」
「はい」
という単純なやり取りだけで、ダリオは指先まで痺れるように、多幸感いっぱいになった。あー来てよかった、クリス君ありがとう、ともはやクリス君は神に昇格した。
ダリオは自分のための旅行なんて初めてだし、テオドールと一緒だし、ふたりで顔を寄せて旅行計画立てたり、ラウンジを利用したり、飛行機に乗ったり、歴史的建造物を巡ったり、ジェラートも食べさせたり、幸せ過ぎて今死んでもいいやーくらいには胸いっぱいになっていた。そう思っているけれども、あまりダリオも内心が顔に出ないので、ふたりの青年が仲がよさそうに観光している姿は、友人同士といった感じに周囲からは見られているようだった。なので、何度か男女問わずに、ダリオもおまけでナンパされたが、丁重にお断りして、特に騒ぎも起こさずに歩く内、そろそろ太陽が水平線の向こうへと沈みだした。
空と海が、紫からオレンジへと濃淡を帯びて、白糸を掻き混ぜたような透明な波が同じ色に染まって行く。
日が完全に沈むと、しらしらと月明かりに照らし出される白い砂浜に、空を降るような満天の星々が覆った。
気候は熱すぎもせず、寒すぎもせず、本当にちょうどよい。
これが名物海岸かーとダリオはロマンティックの欠片もない感想で、砂浜に腰を下ろした。
別にダリオは、場所はどこでもよかった。
それこそ、イーストシティのセントラルパークでもいい。少し肌寒い春の魁に、缶コーヒー一本で、ベンチに座って、都会の弱々しい星を見るのでもよかった。
ダリオが嬉しかったのは、たぶんそういうことなのだ。
ただ、それを加味しても、好きな人と一緒に旅行できて、よかったなあ、と幸せに感じた。そういう未来を考えられないくらい、目の前のことでいっぱいの時期もあったのに、ずいぶん遠くまで来たように感じる。だが、結局それも過去のダリオの延長線が今なのだった。
テオドールも隣に腰を下ろしたので、ダリオはそういえば、と気になっていたことを口にした。
「あのさ、前々から気になってたんだが、俺の感情が強いと、伝わって来ることがあるって言ってたよな」
「はい」
勝手に心を読むようなことは控えてほしいと言って以来、テオドールは律儀にそれを守っている。しかし、ダリオが特に強く動揺するなど感情が強く動くと、どうしても伝わってくることがあると言っていた。
「なんかテオ、あー、たまに、俺の感情伝わって来て気持ちいいとか言うだろ。あれどういうことなんだ? 全然わからんし想像がつかん」
言うことに事欠いて、ダリオは情緒ムードなど無視の上、前々から疑問に思っていたことをドストレートに尋ねる。
というのも、ダリオは毎回物理的に気持ちよくなってしまうのだが、テオドールの快楽が謎過ぎて、いやそれ本当にテオも気持ちいいのか? という疑念の水位が上がり続け、現実セックスにより大爆発してしまったのだ。
テオドールは黙り、口元に指先を当てて少し考えるようなポーズをした。擬態に余念のない人外一年生である。
「ダリオさんも追体験されてみますか?」
「は?」
「つまり、僕が感じているダリオさんの感情――それらを受容する感覚器官の情報スキンを、一時的にダリオさんに張り付けます。その上で、ログを元に疑似感情情報を再現して、僕の『快楽』をダリオさん自身が追体験できます」
「全然分からん。つまり、俺の感情が気持ちいい、とお前が感じてる状態を、感覚器官ごと俺に再現するって理解でいいのか?」
「ご賢察です、ダリオさん」
ご賢察じゃねーんだよ、とダリオは思った。それ自慰じゃないの? 俺。という気持ちだ。ダリオの強め感情で、快楽情報を受け取るテオドールの感覚を、ダリオ自身が追体験するなら、自慰じゃねーか、と思わざるを得ない。
「うーん、じゃあ、頼む」
しかしあっさりダリオは依頼した。わからないのなら、体験できるのが一番だ。
「では、そうですね。手始めにこちらから」
うん? とダリオは言ったか言わないか。
がくん、と腰が抜けた。
うあ、と口が開きっぱなしなのか、奥歯を噛みしめているのか、体がまっすぐなのか傾いでいるのかもわからない。
おそらく、二の腕を引っ掻くように抱きしめている。
いうなれば、犬が感じている人間の百万倍敏感な嗅覚で、わずかな嗅覚細胞に、数個のフェロモン分子を感知したような状態だった。
ものによっては、一億倍の敏感さで匂いの分子を検出する優れた感覚器官。
それをダリオは感覚スキン情報として一時的に間借りしている。
ダリオの感情が、テオドールにとっては、フェロモン分子のようなものだと、感覚で理解した。
色や形でいうなら、美しい多角形や帯だ。感度の高い嗅覚細胞が、空中を漂うリボンや立体構造をした粒子を感知して、はるかに優れたその感覚器官で感じ取る。
すき、と。
多角形や帯は感情を零しながら、ダリオの中に入り込んでくる。
すき。
すき。
テオ。
すき。
だいすき。
子供のような単純で明快で、時折複雑に屈折して、万華鏡のようになって、それでも、すき、すき、と囁きながら、時に大声で、入って来る。
脱皮失踪事件の折、手加減しかねたように異空間で心が駄々洩れどころか、心の奥の奥のひだまで入り込んできて伝わって来たあれに似ている。
でも、あの比ではない。あれはめちゃくちゃ手加減していたんだとダリオは理解した。
テオドールは理性を失うことがない。人外領域で、理性の手綱を失ったように見えても、どこまでもダリオを壊さないように、繊細に力を制御して触れてきている。
「ダリオさん」
ふ、と息のかかる距離で、テオドールの低い艶のある声がダリオの耳元に囁いた。
「『これ』はセックスしている時の」
少しだけ、とたぶん言われた。言われたのだと思う。
きもちいい。
すき。
テオ。
すき。
ておも。
ておもきもちよくなって。
おれで。
ておも。
きもちいい? ておもきもちいい?
すき。
すき。
だいすき、すき。てお、すき。すき。すき。
頭おかしくなる、やばい、むり、終わった。と思ったのを最後に、ダリオは失神した。
翌日、神妙な顔でテオドールがベッドのそばにいて、謝罪してきたが、頼んだの俺だしなとダリオは気にしなかったし、こっちも甘く見ていたと謝った。同時に、もう俺別に悩む必要なかった――と心底思った。あれ、たぶん、氷山の一角っぽい、笑うもう、死ぬ――けど、まあよかったな、と割と嬉しい方が大きかった。
あんなに俺で気持ちよくなってくれてるならよかったという、ダリオもなんだかんだ安堵より好きな子が気持ちよくなってくれるのは本当にうれしいことなのだった。
一日ほど寝込んで旅程は潰れてしまったが、旅行はよい思い出となり、帰国後ダリオはお礼がてらお土産を奮発して、福引チケットをくれた面々に配ったのだった。
なんというか、生々しかった――! の一言に尽きる。
翌朝ダリオは、言葉少なに朝食を済ませ、テオドールに声をかけて、違和感満載の下半身でのたのたと家を出た。それからダリオは大学に行き、アルバイトをし、現在、商店街でガラガラと福引を回している。
『ダリオ、こういうの好きだろ?』
と大学の友人知人からアルバイト先の上司同僚まで、どういうわけか行く先々で福引チケットをもらったのである。
好きか嫌いかでいうと、そもそも福引など回したことがないんだが? 何故俺が好きだということに? と謎感がありつつも、保存食一か月分など当たればうれしいので礼を言って受け取ったわけだった。
大量のチケットを回しまくり、最後の一枚で、コロリ、と虹色ボールが出て来る。
いつの間にか背後から覗き込んでいたアルバイト同僚のクリスをはじめ、見知らぬ人々が『おおーっ』とどよめいた。
ハッピを着た中年男性が、遅れてくす玉をパッカーンと割り、おめでとーございます! とハンドベルを鳴らした。
三等保存食一か月分か!? とダリオの目の色が変わる。
「目玉のシシリア島チアフル旅行ペアチケット大当たり出ました!」
ダリオの目の輝きが地味に死んだ。
背後からクリスが飛びつくようにダリオの肩を揺さぶる。
「ダリオ君、がっかりするな! それ一番いいやつ!」
「クリス君、しかし俺は保存食一か月分が……交換できませんか?」
「いたしかねます」
おじさんは笑顔のままきっぱり拒否した。まあそうだよな……とダリオも理不尽クレーマーではないので黙って引き下がる。
換金したらいくらかな……と真顔で考えていると、
「ダリオ君、あのね、さしでがましいけれども、ペアチケットでしょ? 一度テオドール君に相談しないのかい? もうすぐ春休みだろう?」
遠慮がちに下から見上げるようにして尋ねて来る。
「え」
「いや、そんな思ってもみなかったことを聞かれたみたいな顔をされてもだね」
「あ、あー、いや、うん。そうだな。テオにも……聞いてみる……」
なんとなくダリオは語尾が小さくなっていった。
幼少期はもしかしたら家族旅行などしたのかもしれないが、記憶が胡乱である。アルバイトでリトル・レッド・フード村に同行などはあったが、基本的に人生全般で旅行イベントはスルーしてきたダリオだ。
なので旅行チケットといっても、換金チケットに脳直通で、自分で使うという発想が出てこなかった。よく考えたら、ペアチケットなのだから、テオドールに旅行に行くかと尋ねてもいいわけだ。
ええ? とダリオは混乱した。
旅行? テオドールと? 俺が?
絵面が浮かばなさ過ぎた。
折しも大学は春休みに突入しようとしている。アルバイトのシフトも提出前だ。モデル代で長期的家計も少し懐はあたたかいし、多少の自由はきく。
というわけで、お膳立ては割と整っている状態ではある。
ダリオは進呈されたペアチケット諸々一式を鞄にしまうと、少し眉根を寄せた。旅行――テオドールと? と想像の埒外だ。
とりあえず、クリスの言う通り、意向確認するしかあるまい。チケットを売り飛ばすのはそれからでも遅くはないだろう。結局、ダリオは換金ショップへ直行するのを先送りすることとした。
ダリオは帰宅して、開口一番テオドールに聞いてみた。
「あのさ、商店街の福引で、海外旅行チケット当たったんだが、チアフルってとこなんだけど……ペアなんで、テオがもしよければ一緒に旅行行くか?」
「……」
テオドールはダリオの上着を受けとりながら、硬直した猫のように動きを止めた。
何それどういう反応? とダリオは思うも、返事を待つ。が、テオドールが静止したまま動かないので、
「あー無理にとは言わんし、断ってくれて全然」
「行きます」
遮られた。
「ええと、本当に無理しなくて」
「行きます」
今度は食い気味に遮られる。上段から顔を、ずい、と寄せて言ってくるものだから、近い近い近い、とダリオは内心ドン引きした。行くらしい。お前なんでそう極端なの、ゼロと百しかないの、とダリオは言いたいことはあった。しかし、まあいいかと飲み込んだ。ダリオにはそういうところがある。
とりあえずダリオはパンフレットをテオドールと一緒に見ようと、リビングに使用している部屋でローテーブルに広げた。
「シシリア島のチアフルって都市。人口一万ちょいで、海がきれいだと。ふーん、海か……」
全然想像できない。テオドールと南の島で海。
「あのさ、俺こういう旅行とか無縁過ぎてよくわかんないんだよな。えーとだから、一緒に相談しながら計画立ててくれると助かる」
「はい。お任せください」
「お、おう。で、まずお前のパスポートどうするかなんだがな」
しょっぱなからつまづいた。こいつ本当に身分証明とかどーすんの、とダリオは口元に手を当てる。
「ダリオさん」
「ん?」
「旅券でしたら用意できますので問題ありません」
「……えー、それ俺聞かない方がいいやつか?」
「知らない方がよろしいかと」
「うん、よし、とりあえず次行くか」
ダリオは聞かなかったことにした。ダリオにはこのようなところが多々ある。彼自身のパスポートは、単発の漁船バイトの関係ですでに旅券ご用意があるので心配はない。ちなみに『船員手帳』ではないので、海外旅行で使えるやつだ。こうした調子でふたりの南の島旅行計画はざっくり進んで行った。
旅行の日が近づくにつれ、ダリオはそわそわとした。真面目に、彼が自分自身のために旅行計画をするのはおよそ人生初である。
しかも好きな子と一緒に南の島。凄い。出発日を指折り数える内に、換金脳直だった自分に一声かけてくれたクリスにダリオは感謝した。
ひとりだったらそのまま売りに行って、特に何も引っかかっていなかっただろう。
いよいよ出国当日。イーストシティ国際空港で、手荷物カウンターにキャスターなどを預けに行く。オンラインチェックインのため、二次元バーコードの『モバイル搭乗券』発行済みで、搭乗手続きは不要である。
テロやハイジャック防止を目的とする、危険物持ち込み確認の保安検査室を、テオドールは普通に通過した。ガバガバじゃねーかと内心ダリオは思った。こいつ、『控え目に申し上げて』と枕詞がついた上で、その気になればイーストシティが壊滅する程度の破壊活動が身一つで可能な人外だぞ、という疑義である。
そのまま出国審査も旅券が特に不審を買うこともなく、無事通過。
国際空港、近年取り締まり強化しているそうだが、銃器千丁合わせたより危険なテオドールをあっさり通すとか、マジでガバガバだ。
ダリオは内心で手を合わせた。
騒ぎを起こさないように尽力しますので――というお祈りだ。
搭乗ゲートに乗る前に、時間に余裕があったので、ラウンジでコーヒーをもらって休憩する。黒い高級感あふれるラウンジに、またもやダリオはそわそわしてくる。たぶん興奮してきているのだ。
テオドールは落ち着いているように見え、人間らしく擬態しているのか、洒落たスツールに座って足を組んでいる姿は、絵になり過ぎて、逆に現実味がないようだった。ラウンジ内の生活レベルがダリオと数段階違いそうな人々が、その姿に注視し始めている。熱心な視線が四方八方から刺さり、ダリオは急に興奮が冷めた。今にも席を立ちあがって、こちらに声をかけてきそうな紳士や婦人もいる。あまり一所にいるのも考えものだ。飛行機の中で愁嘆場を演じて事故など冗談ではなかった。
「テオ、そろそろ出るか」
「はい」
ダリオの注意もあってかどうか、特に修羅場も発生せず、無事搭乗ゲートを通過して、二人は座席を並んで座った。
飛行機に乗る人外面白いなとダリオは思った。本当にダリオにはこういうところがある。
ふあ、とダリオはあくびを噛み殺した。遠足前の児童ではあるまいが、色々興奮し過ぎて昨晩眠れなかったのだ。時差も考えると寝ていた方がよいのだが、テオドールを放置してよいものか気になる。
「ダリオさん」
テオドールが横から顔をのぞきこんで来た。目元を触れるか触れないか、親指を滑らせ、少し愁眉を寄せる。
「僕が起きていますので、眠いようでしたら寝てください」
「あー、そうだな……」
でも起きてないと……と呑み込んだ。この旅行は、初心者同士のふたりで計画した。どっちが主導ということもなく、相談しながら決めたのだ。
「んー……じゃあ、寝る。テオは眠くないのか?」
「僕は元々睡眠を必要としませんので」
そういえばそうだった。ダリオは頭が働いていない自分を自覚した。寝た方がいい。
「退屈だったら起こしてくれ。あと騒ぎ起こさないで欲しい」
「はい。ダリオさん、おやすみなさい」
珍しく声音がはっきりわかる形に優しいように聞こえたので、ダリオはそのまままどろんでいった。
気づけばテオドールが肩を貸していてくれたらしい。良く寝たダリオは、寝すぎたかと思って、「退屈じゃなかったか?」と聞いたが、テオドールは真顔で首を振り、ひいき目を別にしても無感情な表情がどこかうわついているようにも見えた。
テオドールなりになんらか楽しかったらしい。
このまま飛行機Uターンしても、俺満足だな……とダリオはすでに旅行評価☆五つである。
飛行機が着陸後、入国審査もガバガバのガバガバで、危険人物テオドールは涼しい顔で海を越えた。
そこから移動して、チアフルに入ると、ちょうど昼時になり、名物サンドで昼食を済ませ、チアフル大聖堂を見学し、路上でジェラートを買って、ふたりで食べた。テオドールはダリオのものを少し口にしたくらいであるが、
「美味しいか?」
「はい」
という単純なやり取りだけで、ダリオは指先まで痺れるように、多幸感いっぱいになった。あー来てよかった、クリス君ありがとう、ともはやクリス君は神に昇格した。
ダリオは自分のための旅行なんて初めてだし、テオドールと一緒だし、ふたりで顔を寄せて旅行計画立てたり、ラウンジを利用したり、飛行機に乗ったり、歴史的建造物を巡ったり、ジェラートも食べさせたり、幸せ過ぎて今死んでもいいやーくらいには胸いっぱいになっていた。そう思っているけれども、あまりダリオも内心が顔に出ないので、ふたりの青年が仲がよさそうに観光している姿は、友人同士といった感じに周囲からは見られているようだった。なので、何度か男女問わずに、ダリオもおまけでナンパされたが、丁重にお断りして、特に騒ぎも起こさずに歩く内、そろそろ太陽が水平線の向こうへと沈みだした。
空と海が、紫からオレンジへと濃淡を帯びて、白糸を掻き混ぜたような透明な波が同じ色に染まって行く。
日が完全に沈むと、しらしらと月明かりに照らし出される白い砂浜に、空を降るような満天の星々が覆った。
気候は熱すぎもせず、寒すぎもせず、本当にちょうどよい。
これが名物海岸かーとダリオはロマンティックの欠片もない感想で、砂浜に腰を下ろした。
別にダリオは、場所はどこでもよかった。
それこそ、イーストシティのセントラルパークでもいい。少し肌寒い春の魁に、缶コーヒー一本で、ベンチに座って、都会の弱々しい星を見るのでもよかった。
ダリオが嬉しかったのは、たぶんそういうことなのだ。
ただ、それを加味しても、好きな人と一緒に旅行できて、よかったなあ、と幸せに感じた。そういう未来を考えられないくらい、目の前のことでいっぱいの時期もあったのに、ずいぶん遠くまで来たように感じる。だが、結局それも過去のダリオの延長線が今なのだった。
テオドールも隣に腰を下ろしたので、ダリオはそういえば、と気になっていたことを口にした。
「あのさ、前々から気になってたんだが、俺の感情が強いと、伝わって来ることがあるって言ってたよな」
「はい」
勝手に心を読むようなことは控えてほしいと言って以来、テオドールは律儀にそれを守っている。しかし、ダリオが特に強く動揺するなど感情が強く動くと、どうしても伝わってくることがあると言っていた。
「なんかテオ、あー、たまに、俺の感情伝わって来て気持ちいいとか言うだろ。あれどういうことなんだ? 全然わからんし想像がつかん」
言うことに事欠いて、ダリオは情緒ムードなど無視の上、前々から疑問に思っていたことをドストレートに尋ねる。
というのも、ダリオは毎回物理的に気持ちよくなってしまうのだが、テオドールの快楽が謎過ぎて、いやそれ本当にテオも気持ちいいのか? という疑念の水位が上がり続け、現実セックスにより大爆発してしまったのだ。
テオドールは黙り、口元に指先を当てて少し考えるようなポーズをした。擬態に余念のない人外一年生である。
「ダリオさんも追体験されてみますか?」
「は?」
「つまり、僕が感じているダリオさんの感情――それらを受容する感覚器官の情報スキンを、一時的にダリオさんに張り付けます。その上で、ログを元に疑似感情情報を再現して、僕の『快楽』をダリオさん自身が追体験できます」
「全然分からん。つまり、俺の感情が気持ちいい、とお前が感じてる状態を、感覚器官ごと俺に再現するって理解でいいのか?」
「ご賢察です、ダリオさん」
ご賢察じゃねーんだよ、とダリオは思った。それ自慰じゃないの? 俺。という気持ちだ。ダリオの強め感情で、快楽情報を受け取るテオドールの感覚を、ダリオ自身が追体験するなら、自慰じゃねーか、と思わざるを得ない。
「うーん、じゃあ、頼む」
しかしあっさりダリオは依頼した。わからないのなら、体験できるのが一番だ。
「では、そうですね。手始めにこちらから」
うん? とダリオは言ったか言わないか。
がくん、と腰が抜けた。
うあ、と口が開きっぱなしなのか、奥歯を噛みしめているのか、体がまっすぐなのか傾いでいるのかもわからない。
おそらく、二の腕を引っ掻くように抱きしめている。
いうなれば、犬が感じている人間の百万倍敏感な嗅覚で、わずかな嗅覚細胞に、数個のフェロモン分子を感知したような状態だった。
ものによっては、一億倍の敏感さで匂いの分子を検出する優れた感覚器官。
それをダリオは感覚スキン情報として一時的に間借りしている。
ダリオの感情が、テオドールにとっては、フェロモン分子のようなものだと、感覚で理解した。
色や形でいうなら、美しい多角形や帯だ。感度の高い嗅覚細胞が、空中を漂うリボンや立体構造をした粒子を感知して、はるかに優れたその感覚器官で感じ取る。
すき、と。
多角形や帯は感情を零しながら、ダリオの中に入り込んでくる。
すき。
すき。
テオ。
すき。
だいすき。
子供のような単純で明快で、時折複雑に屈折して、万華鏡のようになって、それでも、すき、すき、と囁きながら、時に大声で、入って来る。
脱皮失踪事件の折、手加減しかねたように異空間で心が駄々洩れどころか、心の奥の奥のひだまで入り込んできて伝わって来たあれに似ている。
でも、あの比ではない。あれはめちゃくちゃ手加減していたんだとダリオは理解した。
テオドールは理性を失うことがない。人外領域で、理性の手綱を失ったように見えても、どこまでもダリオを壊さないように、繊細に力を制御して触れてきている。
「ダリオさん」
ふ、と息のかかる距離で、テオドールの低い艶のある声がダリオの耳元に囁いた。
「『これ』はセックスしている時の」
少しだけ、とたぶん言われた。言われたのだと思う。
きもちいい。
すき。
テオ。
すき。
ておも。
ておもきもちよくなって。
おれで。
ておも。
きもちいい? ておもきもちいい?
すき。
すき。
だいすき、すき。てお、すき。すき。すき。
頭おかしくなる、やばい、むり、終わった。と思ったのを最後に、ダリオは失神した。
翌日、神妙な顔でテオドールがベッドのそばにいて、謝罪してきたが、頼んだの俺だしなとダリオは気にしなかったし、こっちも甘く見ていたと謝った。同時に、もう俺別に悩む必要なかった――と心底思った。あれ、たぶん、氷山の一角っぽい、笑うもう、死ぬ――けど、まあよかったな、と割と嬉しい方が大きかった。
あんなに俺で気持ちよくなってくれてるならよかったという、ダリオもなんだかんだ安堵より好きな子が気持ちよくなってくれるのは本当にうれしいことなのだった。
一日ほど寝込んで旅程は潰れてしまったが、旅行はよい思い出となり、帰国後ダリオはお礼がてらお土産を奮発して、福引チケットをくれた面々に配ったのだった。
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