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番外 二 ブライダル・ランジェリー・パニック事件

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 イーストシティのオールド・セントラル・ストリートに位置するオールド・セントラル・ショップ。その上がった二階。重厚なオーク材の扉に、黒御影石のプレートが掲げられ、金色のカリグラフィーでこうつづられている。クラブ・ラビット・ホール。
 扉を開けた先は、重厚な飴色の空間で、クラシカルなメイドスタイルの美少年たちが給仕を行っている。
 ダリオ・ロータスもまた、ラビット・ホールで給仕するメイドの一人である。しかし、ダリオ一人が異色となっているのは、彼に支給されたメイド服の規格と、彼のいささかとびぬけて立派な体格によるものだった。ムチムチムキムキはち切れそうな胸襟を、ひとりだけパツパツのミニスカートメイド服で給仕しているのだから、そこだけ異空間になっている。
 ダリオの言い分は、僕一人が店をいかがわしいものにしているような気がするのですが……と店長に申し出るものだったが、「需要があるので」と丁寧に却下された上、高い時給につられて「まあいいか」と現状に至る。
 今日のダリオは、キティのカチューシャを装備していた。彼はこうした小道具に対して、感想は一切の「無」である。特段恥とも思わないし、逆に気分が高揚することもない。
 今のところ、ダリオは以前のような生活に戻っていた。
 つまり、メンタルクリニックにかかるほどの性欲増強はマシになったので、アルバイトも支障がないということである。
 テオドール側からの食欲や破壊衝動の伝播が、意図せずしてダリオに伝わり、ダリオ側には性欲として発露していた件だ。
 事件が発覚して以来、この人外の青年は、意識して自らの衝動伝播をコントロールしているようで、よほどのことがない限り、ダリオの方ではだいぶ性欲増強は軽減されている。
 後にテオドールから聞いたことには、破壊衝動や食欲以外にも、メンテナンス以外で極力触れないようにしていたのは、脱皮が不完全であったためらしい。
『は!?』
 中途半端なところで呼び戻したせいかと聞けば、問題は力が増したにも関わらず、繊細なコントロール力の擦り合わせができていないことであると言う。加減が以前にもまして難しくなっているそうだ。
 本来この程度の制御不能は、『支配者』として特に困らないことなのだが、『花』に触れるには、その誤差は無視できない。そうテオドールは深刻にとらえているようだった。
 同時に、ダリオのメンテナンスについて、テオドールの影響を受けないで済むよう強化も兼ねているため、このまま進めたいと改めて許可を請われた。してもらわないと、以前のように舐められただけで絶頂する羽目になる。あれはまだトラウマじみて記憶に新しい。というわけで、よろしく頼む、と改めてお願いしたのだった。


 基本は真顔のダリオだが、適宜金の力で営業スマイルを浮かべ、卒なく今日も給仕のアルバイトをこなし、とうとう上がりの時間になった。
 バックヤードに入ると、カイゼル髭の店長が珍しく難しい顔をして段ボール箱を開いている。
「店長、どうされました?」
「おや、ダリオくんですか。お疲れ様です。実は発注ミスをしてしまったようでね」
 やれやれとご自慢のカイゼル髭を揺らし、店長は演技めいて肩を竦める。
「発注、ミス、ですか……?」
「これですよ」
 促され、ダリオは段ボール箱を覗き込んだ。開封された包みに、白いレースの塊が鎮座している。
「……」
 ダリオの顔は無表情となり、極めて一線を引くように沈黙を選択させた。
「実はこれ、ダリオくんの新衣装だったんですよ」
「……確かに白カラーですね」
 各メイドは、さりげなくイメージカラーでまとめる戦略らしく、ダリオは何かと白い衣装を割り当てられることが多かった。なんで自分のカラーが白なのか知らないが、店長曰く、そのような需要があるという。それに対するダリオの感想は特にない。ダリオの関心は時給額である。
「これ、僕の新衣装どうこう以前に、ほとんど下着じゃないでしょうか」
 というか、下着そのものである。
「そうですねえ。風営法でもろに摘発されてしまいます。うちの店では使えませんね」
 まあそうだろうなとダリオは思った。これを着ろと言われたら、前科がつくリスクを考えて、ダリオはアルバイトを辞める。
「使えないとなると、この下着……のような衣装は廃棄ですか?」
「つき合いもあるので、返品もできませんし、そうなりますかねえ。しかしせっかくの衣装を捨てるのも……」
 ふと、店長はダリオの顔を凝視した。
「サイズ的にうちの店ではダリオくん以外着られないでしょう。もしよかったら持って帰ってもらえませんか?」
「はあ」
 何を言いだしたんだ、店長は、とダリオは酷く冷たい目で店長を見下ろしそうになってしまった。しかし店長もさるもので、朗々と詩吟ボイスに変なアピールを始めた。
「ご覧なさい、このレースの美しいこと! 廃棄なんてもってのほか、箪笥の肥やしにするのはもったいない……よよよ、私を助けると思って貰ってくれませんかねえ。これを着てあげたら、きっと彼氏も喜びますよ!」
「店長、最後セクハラっすよ」
 ダリオの淡々とした指摘に、店長は「ノォン!」と額に手を当てて大袈裟によろける。もうどこからどこまで本気なのかふざけているのか判別がつかない。しかし、ジェントル道を外れたふるまいを謝罪してきたので、ダリオはとりあえず右から左に聞き流した。ダリオにはこういうところがある。
「いただいていいなら引き取りますが、質屋にそのまま流してもいいですか?」
「ははは、そういうところがダリオくんがお客様に愛される持ち味ですねえ。ええ、問題ないですよ。私は自分で処分したくないだけなので」
 それが本音か。しかしダリオは別に損をしないので、むしろありがたい申し出と受け止めた。今日の晩飯代くらいにはなるだろう。ダリオは店長に紙袋をもらい、丁寧にたたんでしまい込むと、礼を言って辞去した。目的の質屋までは帰り道を少し反れる程度だ。
 しかし、看板が見えてきて、店の前までたどり着いたはいいが、ダリオは足を止めた。のれんをくぐることもなく、しばらく真顔で店の奥を見つめる。
『これを着てあげたら、きっと彼氏も喜びますよ!』
 店長のセクハラボイスが脳裏によみがえった。
 テオドールは、果たして喜ぶんだろうか。ダリオの稼ぎでは、こうしたセクシーランジェリーを買う余裕はない。ダリオは勤労学生だし、奨学金をもらって大学に通っている。両親もいない。だから、余剰ができれば不意の事故や病気に備えて蓄財に回している。というか、余分なお金があるならセールの下着十枚を買うし、ちょっとした贅沢で外食したい。
 紙袋が、ぐしゃり、と音を立てて圧に変形していた。知らぬ間に強い力で握り込んでいたらしい。
 前回、意思疎通を怠って危機的状況に陥って以来、ダリオは強烈にテオドールに自分を全部差し出したいような、それだけは絶対にしたくないような、相反する葛藤と衝動に苛まれていた。
 さすがに自分を差し出すのはまずい。それは理解していて、ブレーキがかかる。
 手の中に紙袋がある。
 ダリオは「……」と考えた。
 こんなものを着て、引かれないだろうか。喜ばれなくてもダリオが勝手にすることなので問題ないが、相手にダメージを与えたいわけではない。
 ダリオは結局、質屋には入らず、きびすを返した。
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