Astray

雲乃みい

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第3部

29

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「……信じれない?」

沈黙が落ちて、しばらくして遥が呟く。
よく意味がわからない。と、そう顔に書いてある。
なんで、とその目が聞いてくる。

「……信じられるわけない」

どこで歪んだのかなんて覚えてない。
気づけば目で追っていた、鈴木を見ている姿に苛立った。
進級し担任が俺に変わっても遥が見ていたのは鈴木で。
純粋に鈴木を想っていた遥を身体だけでもいいから堕とそうとしたのは、紛れもなく汚れた俺の感情。

「俺はお前を犯した」

犯して、なにも知らない遥に、快楽を教えて、身体だけでも手に入れたいと思った。
憎まれても恨まれてもいいと思った。
仮に―――間違って好意を持ったとしたらそれでもいいと思っていた。

「……で、でも」

低く吐き出した言葉に、遥は目を見開いて息を飲んだあと否定するように俺を見つめる。

「ずっとお前を犯し続けた」
「……っ……でも、そうだけど……先生は僕を脅迫したりは……」

本当にそう思っているのか?
確かに例えば行為の写真を撮るとかして遥を脅すことはしなかった。
だが大人しい遥を一旦犯してしまえば―――恐怖に怯えさせれば次の機会を作るのなんて容易い。
無言の圧力で捩じ伏せて、何度も犯して。

「それに、先生が優しいこと……知ってます。だって、いつも出してくれてたココア、僕のために買ってくれてたんですよね? それに、それに……僕が用事があって行けないって言っても先生は怒らなかったし」

取り繕うように普段とは違い饒舌に遥が俺に訴えてくる。
勉強を教えてくれて嬉しかった、とか、ちゃんと家まで送ってくれたから、とか。

―――本当に、笑える。


「俺が優しい人間だったら、お前を犯したりなんてしない」

無理やり身体を開いて、欲を注ぎ込んで、縛りつけて。
恐怖と快楽を与えて、そこで遥が俺の優しさを見つけた?
それはそうだ。
怯える遥を抱く以外、なにも強要しなかった。
普段通りに接した。
甘いものが好きだと知っていたからココアを用意してやった。
恐怖の中で、そんな些細な甘さがひどく甘く感じた?
黒ければ黒いほどに白い一点が目につくことはある。
逆だってそうだ。
何度も犯されて、その中で俺の優しさを知って、それが好意になって?
それが、好きだ、って、想いにかわる?

「お前は勘違いをしてるんだよ」

自分を傷つける俺から身を守るために、恐怖を取り除くために、些細な優しさでもなんでもないものを良心だと思いこんで、価値を見出して。

「俺を好きになれば、優しさがあると思えばお前が楽になるから。犯されることに別に意味をもたせることができるから、だからお前は思いこんでるだけだ。―――俺のことを好きだ、と」

ひとの気持なんて難しそうでそうでないことだってたくさんある。
優しいのかもしれない、優しいに違いない?
無意味に犯されているよりも、もしかしたら好かれてるから"抱かれている"。
そう考えたほうが傷つかなくて済む。

「お前の気持ちはまやかしだよ」


それでも―――、あのときまではそうして遥が俺のことを好きだと思いこんでいてもいいと、思っていた。

初めて犯した日からずっと俺に怯え言われるままにこの部屋へ訪れていた遥。
ただひたすら理解できないままに耐えるように犯され続けていたそれがいつから変化した。
遥の目が疑問を覚えたように困惑し俺を盗み見るようになっていた。
次第に俺に問いかけたいと視線を投げかけるようになっていた。
怯えが次第になくなっていって、戸惑いながらも快楽を素直に受け入れるようになっていた。
授業中視線が向けられていることだって全部気付いていた。
鈴木を見ていたときのように、俺を見始めていることを、知っていた。

『……先生』

体育の授業中ボールがぶつかって気を失った遥を保健室へ運び、目覚めたとき。
俺の袖をつかんで誘うように見上げた遥が呟いて初めて学校で触れた。
保健室でということに罪悪感をよぎらせながら、それでも俺が触れると気持ち良さそうに顔を赤く染めて。
俺の咥内であっさり達する遥が可愛かったし愛おしかった。
身体だけでいい、憎まれてもいい。
怯えられてもいい、もし自衛のために俺を受け入れるのであればそれでいい。
快楽を好意と混同してもいい。
なんでもいい、手に入るなら。
ただ、そう思っていた。

『―――』

遥を置いて保健室をあとにし、そして昼休みまた保健室へ足を向けたあのときまでは。
保健室に差し掛かったところで見慣れた鈴木と喋っている生徒の姿が目に止まった。
その生徒が遥だと気づいた。
楽しそうに笑っている遥。
一瞬、胸の内がざわめいた。
だけど、鈴木を見上げる遥の眼差しがその他大勢の教師へ向けるものとなんら変わらないことを知った。
それにほっとして、だけど。

「……好きだなんて、ただの思い違いだ」

もう鈴木のことは好きじゃなくなったのだろう。
俺がそう仕向けた。
遥は俺のことが好きになったのかもしれない。
手に入るのならなんでも、と思っていた―――なのに……。

「犯して、お前の気持ちを歪ませて、そこでお前は俺を好きになった方が楽だからそうしたんだよ、無意識に」

鈴木に恋している遥はいじらしかった。
それを無理やり消したのは俺だ。
俺を気にする遥。
呼び出されなかったことに不安そうに俺を見つめていた週明け、そして拒絶したときの呆然とした顔。
でもそんなもの。

「……そ、そんな、僕、本当に先生のこと」

驚きに固まっていた遥が俺の腕をきつく握りしめる。
伝わる体温、俺を必死で見つめる目。
いま向けられる眼差しもすがりつく身体も全部欲しかったものだ。
どんな形でもいい、なんでもいいと思っていたのに、人間なんてものは強欲で。
鈴木と喋っている遥を見て俺の心にわいたのは、俺の我儘だ。
俺が歪めたのに、なんでもいいと思ったのに。
遥が鈴木に向けていたものと同じように―――俺を想って、いる?
そんなわけない。

「本当ならお前はずっと鈴木を好きだった。別にその想いが届くなんて思ってはいなかった。あいつはノンケで彼女もいる。いつかお前は諦めるかふられるかするだろう。そしてまた別の恋をする」

その時まで待てばよかったのか。
犯して壊して俺のものになんてしようとせず。

「でも俺はお前のことを犯した。全部捻じ曲げた。お前は選択しただけだよ。自分が楽な方に。俺は……そんなものいらない」

なんでもいい、と犯したのは俺だったのに。

「いつか冷めるに決まってる。いつかまやかしだって気づく。俺はそんなのいらない」

鈴木が羨ましかった。
純粋な想いを向けられていて。
でも、俺は歪めて割り込んで。
鈴木を想っていたのと同じものが、いま俺にも向けられている?
そんなわけあるわけない。
俺はこいつを犯したのに。
間違ったのは俺だ。
間違った行為だと知っていたのに、行動したのは俺だ。
いつかときを待って、遥の想いが俺へと向くように努力をすべきだったのか。
悔んだってどうしようもない。

「そのうち目が覚める、お前を犯した俺のことを好きになるはずなんてない」

なんでもいいと目をつむって俺のものにし続けたとしても、そのうちほころんでくる。
いまは好きでも、我に返って俺を憎むかもしれない。
遥のやわらかな心を傷つけたけがまだ十代だ。
これからたくさんの出会いがある。
新しい出会いや時間とともに冷静になって気づくだろう。
ただのまやかしだと。
そのとき俺は―――……もう手放せないだろう。
またこいつを傷つけるかもしれない。
信じきれないまま受け入れたところで遥を苦しめるかもしれない。
無理やり奪って尚、傷つける。
そんなことはもうしたくない。
信じられないなんて考える余地のない純粋な気持ちが欲しかった。
なんてことは後悔したって遅い。
鈴木への恋心と同じように派生した気持ちを欲しかった、なんて。


叶うわけないんだ。

「無理だ。俺はお前を犯し―――」
「好きです」

ぐるぐると、終わらないねじれたループ。
もう過ぎたことを後悔してもどうしようもない。
それなのに、だけど、と悔やんで。

「俺は」
「僕は先生を、……理哉さんのことが好きですっ」

遥の声が思考を遮り、そして唇に温かな感触。
数秒で離れていく。
至近距離で涙を耐えるように眉を寄せた遥は、

「好きです」

と続けた。





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