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第3部
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毎日放課後になればすぐに準備室へ行くというわけでもない。
会議もあればどうでもいい雑用をおしつけられることもある。
俺は部活動の顧問をしていない分、わりと自由が利くほうだとは思うが。
遥が鈴木に教わりにきた翌日、準備室へ行ったのは6時を回ったころだった。
鈴木はすでにいて一言二言交わし、互いに黙々と仕事をした。
そして、その翌日。
放課後職員室から準備室へと行けば鈴木の笑い声が廊下に漏れ響いていた。
ドアを開けようとしていた手を一瞬止め、開ければ「澤野って意外に面白いところあるよな」と鈴木の楽しそうな声がする。
笑顔の鈴木と、隣に座り顔を赤らめている遥が視界に入った。
ドアの開く音に顔を上げたふたりが俺を見る。
遥の表情が複雑な色を浮かべるのが目に移りながら素通りする。
「よ、お疲れ」
「お疲れ」
鈴木が声をかけてきて返事する。
担任教師として―――遥に声をかけるべき、なのだろう。
だが俺はそのまま自分の席についた。
「……あ、あの、葛城先生。僕……」
「俺は忙しいから、鈴木先生が大丈夫なら教えてもらえばいい」
途切れる言葉に先に言えば、遥は言葉を飲みこんで俯いた。
「な、平気だっただろ? 澤野は気使いすぎだって。ほら、さっきの続き。お前の天然ミスったところからな」
「……は、はい」
からかうような鈴木に恐縮しているような遥の様子が伝わってくる。
俺はすぐに自分の仕事をはじめた。
遥が準備室を後にしたのは15分ほどたってからだった。
さようなら、と挨拶をする遥に背を向けたまま「気をつけて帰れ」とだけ言った。
「またいつでも来いよ」
鈴木の明るい声だけが妙に準備室に響き、遥が去ったあとは沈黙が落ちた。
真面目に鈴木も仕事をしているのか紙をめくる音だけがしていた。
俺も仕事に没頭していて―――、集中していたのが途切れたのはデスクに置かれたカップに気づいてからだ。
コーヒーのいい匂いが漂っていて顔をあげれば鈴木が「休憩しようぜ」とコーヒーを飲んでいる。
短い礼を言い、俺もカップを口元へ運びながら時計を見た。
まだ遥が帰ってから30分ほどしか経っていない。
濃いめに入れられたコーヒーの強い苦みが逆にほっとする。
「なぁ葛城」
「なんだ」
「お前と澤野って付き合ってないんだよな?」
「―――あ? なに?」
「だから、付き合ってないだろ、って言ってるんだよ。ただの遊びだろ?」
「……」
眉間にしわがよるのを感じる。
鈴木は飄々とした表情でコーヒーをすすりながらイスごと俺のそばに来た。
俺のデスクに肘をつき、にやにやと口元を緩めながら視線を寄こす。
「お前、なに言ってるんだ?」
「隠すなよ、俺とお前の仲だろ?」
「ただの同僚だろ」
「冷たいなー。俺はさ、最初心配したんだよ。生徒に手を出してバレでもしたらどーすんだって。それで女紹介してやったわけだ」
「……」
「まーあれは別にいいけどな。でもほらお前遥ちゃんに冷たいし、もしかしてバレないためにかなって思ったらそうでもなさそうだし?」
「……鈴木お前いい加減に」
「どうせあれだろ? ピュアな遥ちゃんだまして食ったものの本気になられて面倒でヤリ捨て、な感じなんだろ?」
「……」
視線が至近距離で絡む。
俺と同じ歳の男はにやり、と見透かすように笑った。
「心配すんなよ。俺だってそういう経験あるから。ま、生徒に手を出したのは問題だと思うけどさ。でもアレ見たらお前の気持ちもわからないでもないなーって思ってさ」
「なにがだ」
否定も肯定もしないまま、鈴木の言葉に引っ掛かりを覚え目をすがめる。
「お前さ、鍵はかけたほうがいいぜ。学校でヤるときには」
学校で―――最後までシたのは、この準備室でしたあの日だけだ。
乱暴に遥を抱いて、ひとり残して立ち去った、あの日。
「いやーびっくりしたわ。授業で必要なテキスト忘れててさ慌てて取りに来たらヤってんだもんな。お前学校で生徒となんて羨ましいシチュひとりで楽しんでんじゃねーよ」
このこの、と鈴木はおかしそうに笑いながら肘でつついてくる。
そのうざさと、不気味さ。
生温い、妙な気持ち悪さが背筋を這う。
「残念ながら最後までは見れないし、俺は結局忘れ物持って行けないしで散々だったけど。でも、俺的にはいい経験だったわ。目覚めたっつーの?」
男とヤんのも面白そうだって、さ。
思い出し笑いをし目を輝かせ好奇心に顔を歪めた鈴木が肩を寄せてきた。
「なぁ、葛城」
そして俺たち以外、誰もいやしないのに声を潜めてくる。
気持ちの悪い、うすら笑いを浮かべて、
「―――俺も遥ちゃんとヤりたいんだけど。段取りしてくれよ」
そう、言った。
肩に鈴木の手が回ってくる。
「なぁ、葛城。頼むよ。一回でいいからさ。俺も一生に一度くらい経験してみたいわけだよ、男相手ってやつをさ」
コーヒーに手を伸ばし一口二口と飲む。
手元の書類に目を落とし見ていれば、
「葛城ー。同期だろ? 仲間だろ? 俺にも一回くらい楽しませろよ」
お前だけずるいぞ、と無理やり視線を合わせさせられる。
俺は嘆息ひとつつき、また書類を見た。
「お前巨乳好きだろ。女大好きのノンケのお前が男相手に勃つのか」
「遥ちゃんなら勃つな。あのときずっと見てたら勃ちそーだから慌てて教室戻ったってのもあるし。まさか授業中にテント張ってるわけにもいかねーだろ?」
問いにあっさりと返事しけらけらと笑う鈴木は俺の肩から手を外すとスマホを取り出し弄りはじめる。
「お前にヤられて喘いでる遥ちゃん可愛かったなー。ほんっと泣かせたくなる感じだよなぁ」
何かを探すようにスマホの画面を動く指。それが止まる。
その動作が視界の端に映りこむ。
「ほんと、このやらしー遥ちゃんの顔、可愛い。次は俺のでハメ撮りしたいわ」
「―――」
鈴木へと顔を向ければ、同時に鈴木の手の中のスマホの画面は暗くなった。
スマホを仕舞いながら鈴木は俺と視線をあわせる。
「生徒とヤッてるなんてバレたら……ヤバいなんてもんじゃないよな」
職場には不似合いな空気。
わずかに首を傾け日頃生徒に向けるモノとはまったく違う下卑た男の顔をした同僚。
「脅迫、か?」
「んな怖い言い方するなよ。お願いしてるだけだろ? 一回だけ俺にもお裾分けくれってさ」
「……」
「なぁ、葛城。頼むよ」
軽薄な笑み。口角を上げる鈴木の目は愉しそうに歪んでいて。
俺は―――視線をまたもとの書類へと戻しながら言った。
「一度だけだぞ。俺はもう澤野と関わるつもりはないから、最初で最後だ」
―――どうでも、いい。
もともとあいつは、こいつのことが好きだったんだ。
好きだった相手にならまんざらでもないだろう。
それに、あいつの目も覚めるはずだ。
「まじで! よっしゃ! じゃあ早速だけどさ――……」
好意を覚えるなんてことがいかに愚かだということを知った方がいい。
抱いた好意なんてもの、全部消えてしまえばいい。
嬉々とした声で予定を立てはじめる鈴木の声を他人事のように聞き流しながら、可哀想な遥を想った。
***
会議もあればどうでもいい雑用をおしつけられることもある。
俺は部活動の顧問をしていない分、わりと自由が利くほうだとは思うが。
遥が鈴木に教わりにきた翌日、準備室へ行ったのは6時を回ったころだった。
鈴木はすでにいて一言二言交わし、互いに黙々と仕事をした。
そして、その翌日。
放課後職員室から準備室へと行けば鈴木の笑い声が廊下に漏れ響いていた。
ドアを開けようとしていた手を一瞬止め、開ければ「澤野って意外に面白いところあるよな」と鈴木の楽しそうな声がする。
笑顔の鈴木と、隣に座り顔を赤らめている遥が視界に入った。
ドアの開く音に顔を上げたふたりが俺を見る。
遥の表情が複雑な色を浮かべるのが目に移りながら素通りする。
「よ、お疲れ」
「お疲れ」
鈴木が声をかけてきて返事する。
担任教師として―――遥に声をかけるべき、なのだろう。
だが俺はそのまま自分の席についた。
「……あ、あの、葛城先生。僕……」
「俺は忙しいから、鈴木先生が大丈夫なら教えてもらえばいい」
途切れる言葉に先に言えば、遥は言葉を飲みこんで俯いた。
「な、平気だっただろ? 澤野は気使いすぎだって。ほら、さっきの続き。お前の天然ミスったところからな」
「……は、はい」
からかうような鈴木に恐縮しているような遥の様子が伝わってくる。
俺はすぐに自分の仕事をはじめた。
遥が準備室を後にしたのは15分ほどたってからだった。
さようなら、と挨拶をする遥に背を向けたまま「気をつけて帰れ」とだけ言った。
「またいつでも来いよ」
鈴木の明るい声だけが妙に準備室に響き、遥が去ったあとは沈黙が落ちた。
真面目に鈴木も仕事をしているのか紙をめくる音だけがしていた。
俺も仕事に没頭していて―――、集中していたのが途切れたのはデスクに置かれたカップに気づいてからだ。
コーヒーのいい匂いが漂っていて顔をあげれば鈴木が「休憩しようぜ」とコーヒーを飲んでいる。
短い礼を言い、俺もカップを口元へ運びながら時計を見た。
まだ遥が帰ってから30分ほどしか経っていない。
濃いめに入れられたコーヒーの強い苦みが逆にほっとする。
「なぁ葛城」
「なんだ」
「お前と澤野って付き合ってないんだよな?」
「―――あ? なに?」
「だから、付き合ってないだろ、って言ってるんだよ。ただの遊びだろ?」
「……」
眉間にしわがよるのを感じる。
鈴木は飄々とした表情でコーヒーをすすりながらイスごと俺のそばに来た。
俺のデスクに肘をつき、にやにやと口元を緩めながら視線を寄こす。
「お前、なに言ってるんだ?」
「隠すなよ、俺とお前の仲だろ?」
「ただの同僚だろ」
「冷たいなー。俺はさ、最初心配したんだよ。生徒に手を出してバレでもしたらどーすんだって。それで女紹介してやったわけだ」
「……」
「まーあれは別にいいけどな。でもほらお前遥ちゃんに冷たいし、もしかしてバレないためにかなって思ったらそうでもなさそうだし?」
「……鈴木お前いい加減に」
「どうせあれだろ? ピュアな遥ちゃんだまして食ったものの本気になられて面倒でヤリ捨て、な感じなんだろ?」
「……」
視線が至近距離で絡む。
俺と同じ歳の男はにやり、と見透かすように笑った。
「心配すんなよ。俺だってそういう経験あるから。ま、生徒に手を出したのは問題だと思うけどさ。でもアレ見たらお前の気持ちもわからないでもないなーって思ってさ」
「なにがだ」
否定も肯定もしないまま、鈴木の言葉に引っ掛かりを覚え目をすがめる。
「お前さ、鍵はかけたほうがいいぜ。学校でヤるときには」
学校で―――最後までシたのは、この準備室でしたあの日だけだ。
乱暴に遥を抱いて、ひとり残して立ち去った、あの日。
「いやーびっくりしたわ。授業で必要なテキスト忘れててさ慌てて取りに来たらヤってんだもんな。お前学校で生徒となんて羨ましいシチュひとりで楽しんでんじゃねーよ」
このこの、と鈴木はおかしそうに笑いながら肘でつついてくる。
そのうざさと、不気味さ。
生温い、妙な気持ち悪さが背筋を這う。
「残念ながら最後までは見れないし、俺は結局忘れ物持って行けないしで散々だったけど。でも、俺的にはいい経験だったわ。目覚めたっつーの?」
男とヤんのも面白そうだって、さ。
思い出し笑いをし目を輝かせ好奇心に顔を歪めた鈴木が肩を寄せてきた。
「なぁ、葛城」
そして俺たち以外、誰もいやしないのに声を潜めてくる。
気持ちの悪い、うすら笑いを浮かべて、
「―――俺も遥ちゃんとヤりたいんだけど。段取りしてくれよ」
そう、言った。
肩に鈴木の手が回ってくる。
「なぁ、葛城。頼むよ。一回でいいからさ。俺も一生に一度くらい経験してみたいわけだよ、男相手ってやつをさ」
コーヒーに手を伸ばし一口二口と飲む。
手元の書類に目を落とし見ていれば、
「葛城ー。同期だろ? 仲間だろ? 俺にも一回くらい楽しませろよ」
お前だけずるいぞ、と無理やり視線を合わせさせられる。
俺は嘆息ひとつつき、また書類を見た。
「お前巨乳好きだろ。女大好きのノンケのお前が男相手に勃つのか」
「遥ちゃんなら勃つな。あのときずっと見てたら勃ちそーだから慌てて教室戻ったってのもあるし。まさか授業中にテント張ってるわけにもいかねーだろ?」
問いにあっさりと返事しけらけらと笑う鈴木は俺の肩から手を外すとスマホを取り出し弄りはじめる。
「お前にヤられて喘いでる遥ちゃん可愛かったなー。ほんっと泣かせたくなる感じだよなぁ」
何かを探すようにスマホの画面を動く指。それが止まる。
その動作が視界の端に映りこむ。
「ほんと、このやらしー遥ちゃんの顔、可愛い。次は俺のでハメ撮りしたいわ」
「―――」
鈴木へと顔を向ければ、同時に鈴木の手の中のスマホの画面は暗くなった。
スマホを仕舞いながら鈴木は俺と視線をあわせる。
「生徒とヤッてるなんてバレたら……ヤバいなんてもんじゃないよな」
職場には不似合いな空気。
わずかに首を傾け日頃生徒に向けるモノとはまったく違う下卑た男の顔をした同僚。
「脅迫、か?」
「んな怖い言い方するなよ。お願いしてるだけだろ? 一回だけ俺にもお裾分けくれってさ」
「……」
「なぁ、葛城。頼むよ」
軽薄な笑み。口角を上げる鈴木の目は愉しそうに歪んでいて。
俺は―――視線をまたもとの書類へと戻しながら言った。
「一度だけだぞ。俺はもう澤野と関わるつもりはないから、最初で最後だ」
―――どうでも、いい。
もともとあいつは、こいつのことが好きだったんだ。
好きだった相手にならまんざらでもないだろう。
それに、あいつの目も覚めるはずだ。
「まじで! よっしゃ! じゃあ早速だけどさ――……」
好意を覚えるなんてことがいかに愚かだということを知った方がいい。
抱いた好意なんてもの、全部消えてしまえばいい。
嬉々とした声で予定を立てはじめる鈴木の声を他人事のように聞き流しながら、可哀想な遥を想った。
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