Astray

雲乃みい

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第2部

18

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考えても考えてもどうしてこうなってしまったのかわからない。
その日は眠れずに気付いた時には朝日が昇っていた。
寝不足でぼうっとした頭。
でも眠くはなく全身を覆う倦怠感に思考がうまく働かない。
でもそっちのほうがいい。
先生のことを考えて、うまく考えれなくて、だから先生から言われたことを実感できてないから。
不安と恐怖と、まだ信じれない信じたくない想いを抱えたまま朝ごはんも食べずにいつもより早く学校へ向かった。
先生と同じ場所にいるお思えば少しほっとする。
もちろん先生は―――僕を見ないだろうけど。
先生はもう学校に来てるのかな。
数学の教科書を出してパラパラめくる。
今日は一時間目が数学だった。
予習復習できるほど落ちついてるはずもなくて無為に教科書を眺めてるだけ。
早く、先生の声が聞きたい。
教室の中に増えていくクラスメイトたちの声をぼんやりと聞きながら先生が来るのをじっと待った。
そしてそれから40分近くしてようやく先生が教室に入ってきた。
学級委員が号令をかけて挨拶をして席について、その間もずっと僕は先生を見ていた。
目が離せなかった。
もちろん先生は僕のほうを見ることなくて、出欠をとるときも一切視線を向けられなかった。
澤野―――と事務的な声だけ。
はい、と馬鹿みたいに震えそうになってた僕の声。
いつもと変わらない様子の先生。
朝のホームルームが終わってそのまま数学の授業が始まってからもずっと僕は先生を見ていた。
見てるだけでなにかなるわけでもないのに。
こんなにも近いところにいるのに先生が僕を見ることも喋ることもない。
他のクラスメイトのところではたまに立ち止まったり視線を向けたり、質問に答えたりするのに、僕のところには全然こない。
自意識過剰、被害妄想?
違う、違う。
別に誰も不審になんて思いもしない。
誰も僕と先生の関係を知らないから。
知らないまま、誰にも気づかれないまま―――僕と先生の接点は……消える?
もちろん知られたらダメなんだろうけど、なんだかすごくいままでの全部がなくなってしまうって、まるで夢だったかのようになってしまうようでいやだった。
恐怖から始まって不安ばかりだったけど、でも、でもなかったことにはしたくない。

―――先生。

あっという間にチャイムが鳴り、授業の終わりを知らせる。
目線なんて一度も会うこともないまま僕は教室を出ていく先生の後ろ姿を見送る。
だけどいてもたってもいられなくて僕はノートを掴むと先生のあとを追った。
先生の歩く速度は早くて、階段に差し掛かっていた先生を震える声で呼びとめた。

「先生っ」

でも止まらない先生。

「か、葛城、先生っ」

名前で呼びかけてようやく先生は立ち止まってくれた。
階段を二段ほど降りたところで先生が振り返る。
まわりには生徒たちも多いし、こんなところで昨日のことなど話せることはないけれど。

「あの、先生」

放課後に時間を取ってほしいってそれだけでも言いたかった。

「先生―――」
「澤野」

先生が一段二段と階段を上って僕の傍に立つ。
まわりには生徒たちも多いし、こんなところで昨日のことなど話せることはないはずなのに。

「俺に―――話しかけるな」

僕を見る先生の目が一瞬昨日の続きのように冷たく光って。
先生は僕に背を向ける。
昨日と同じように。

「――……なんで」

なんで。
考えても分からない。
考えることもできなくて。
立ちつくして霞む視界を手の甲で強く擦ってノートを握りしめた。




***



先生の冷たい目が脳裏にこびりついて離れない。
突き離されて放課後準備室に行く勇気もなくてその日はそのまま家に帰った。
でもどうしても先生のことを考えてしまう。
僕は先生の気に障るようなことをしてしまったのか。
どうすればいいんだろうか。
わからないまま考えつづけて、ため息ばかりついていた。
そんな僕に、

「ハル、大丈夫か。お前」

って心配そうに声をかけてくれたのは充くんと里ちゃんだった。
食欲のない僕をお昼休み裏庭に連れてってくれた二人は奢りだって僕に売店で人気の総菜パンをくれた。
女子に人気のホイップ入りのメロンパンに、男子に人気の豚肉たっぷりのボリューム焼きそばパン。
僕はお弁当を持ってきてたけど「いいから食え」って里ちゃんにお弁当箱の上に乗せられた。

「なんか悩みあるならいえよ」

僕にくれたのと同じ焼きそばパンを口いっぱいに頬張りながら里ちゃんが言ってくる。

「そーだぜ、ハル。相談したら楽になるってこともあるんだからさ」

これもやるから、って紙パックのコーヒー牛乳を充くんが渡してきた。

「お前最近ほんっと顔色悪いし、ため息ばっかりだし。見てるこっちが胃が痛くなってくるんだぞ」
「そうそう。ハルはそりゃ普段から大人しいほうだけどさ、でももうずーっと大人しいっていうか暗いになっちゃってんぞ?」

里ちゃん、充くん、交互に言って僕の頭を軽く叩くようにして髪をぐちゃぐちゃにしてくる。
そのちょっと乱暴な仕草に心配してくれてるって実感がわいて、ごめんね、って少しだけ笑い返した。

「……ありがとう。でもなんでもないよ」

先生とのことを言えるわけない。
言えるはずない。

「俺たちには話せないのか?」
「なんでもないってことないだろ」

充くんが少し寂しそうに眉を寄せて、里ちゃんが心配そうに僕を見つめる。

「……」
「いじめ……とかじゃないよな」

里ちゃんが恐る恐る訊いてきた。
まさか、と首を振る僕と同時に、

「違うだろ。どう考えても恋!だよな!」

って充くんが言ってきた。

「え、そうなの?」
「俺もだいぶ前はいじめでも受けてるんじゃないかって思ってたけどさ」
「ああ。春休み前とか様子おかしかったもんな」
「でも学校じゃなにもなかったしな」
「そうそう。一応見張ってたけどなにも変わりないし」
「で、いまは物憂げなため息だろ? だからさ、ハルは初めての恋ってやつに翻弄されてたんだよ、ずっと!」
「……」

春休み前っていうと僕が先生に犯された頃。
そんな前から心配かけてたんだって驚くのと同時に申し訳なく思う。
だけど―――恋って。
充くんの口から出てきた言葉に僕はメロンパンを喉に詰まらせかけた。
慌ててコーヒー牛乳を飲む僕の両隣で里ちゃんと充くんはトークを白熱させていく。

「初恋!? そうだったのか! どうりでなんつーのあれ、物憂げっていうの? そんなため息だって思ってたわ、俺!」
「だろ? 夜も眠れてないみたいだし食欲もない、そして頻繁なため息に遠くを眺める目。恋の症状だよ」
「なるほど、そうか。そうだったのか」
「里ちゃんはなーまだ彼女出来たことないどうてーくんだから分からないだろうけど」
「あ? 充、お前なに言ってんだ。俺は彼女いたぞ、一年のとき!」
「一週間で別れたろ」
「うっせぇ!」
「それに手も握れずに終わった癖に」
「じゃあお前はど、ど、どーてーじゃねーのかよ」
「黙秘」
「あ? ふざけんな!」
「……」

話しがどんどん脱線していってる気もするけど二人の会話を聞いていると面白くて少しだけ心が楽になった。
食欲がなかったけど二人のお陰でだいぶ食べることができた。
ひとしきり言い合っていた二人は疲れたのかお腹空いたのかため息をついて食べることに集中しだす。
そして口いっぱいに頬張っていた里ちゃんが食べながらもごもごと話しかけてきた。

「でもふぁ、はるー」
「……食べてから喋れよ」

充くんのツッコミを受けて里ちゃんはコーヒー牛乳で口の中のものを飲みこんでしまうと真剣な顔で僕を見つめた。

「もしまじで恋の悩みーとかならさ、お前も男なんだしうじうじ悩んでないで相手に告白しちまえば?」
「里ちゃん、もしかしたらもう付き合ってるかもしれねーじゃん」
「え、遥付き合ってんの?」

ふたりの視線に一瞬呆けて慌てて強く首を横に振る。
先生と僕が付き合ってる――なんてない。ありえない。

「付き合ってないよ」
「だよなー」

里ちゃんはほっとしたように笑って、充くんはからかうように笑った。

「なんかその口調だと付き合ってないけど、わりといい線いってるーって感じだな」
「え!?」
「ち、ちがうよ! 本当に……なにもない……んだ。別に……」

先生とセックスしてた。
でも先生からもういいって言われた。
ふたりにそんなこと言えない。


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