Astray

雲乃みい

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第2部

16

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チャイムの音が遠くで聞こえて目を開けた。
ぼうっとしてそのまま寝ていたらカーテンが開かれた。

「澤野くん、起きてる?」
「……あ……はい」

保健の宮崎先生が顔をのぞかせて慌てて起き上がる。

「どう、具合は? 頭痛いところない? 気分はどう?」

ボールぶつかったの覚えてる?、と40代半ばの優しい雰囲気の宮崎先生に質問されて僕は頷きながら平気だと伝えた。
宮崎先生にタンコブ診てもらって、吐き気とかあったらまた来るようにとかいろいろ諸注意を受ける。

「――睡眠不足はダメよ。それに澤野くんちゃんとご飯食べてる? しっかり栄養もとってね」
「はい……」

気をつけますって謝りながらようやく保健室を出ることができた。
宮崎先生と喋っている間に眠気はすっかりなくなって意識ははっきりしてる。
さっきのチャイムで昼休みに入った校舎は少し騒がしくなっていた。
僕は―――口を押さえて、歩き出した。
保健室での先生とのことは全部覚えてる。
まるで夢だった気がするけど、そうじゃないっていうのは身体がしっかりわかってる。
スッキリしてるのに、身体の奥が疼いてる気がする。

それに―――すごく心が軽かった。

学校で先生が触れてくれたっていうそれだけなんだけど。
ずっとずっとあった胸のもやもやがウソみたいになくなってて、顔が勝手に緩んで手で押さえても締まりそうにない。
きっと周りからみたら今の僕は馬鹿みたいににやけてるんだろうな。
緩みっぱなしの口元を押さえながら歩いていたら前からスーツ姿のひとが歩いてくる。
一瞬先生って思ったけれどすぐに違うってことはわかった。

「お、澤野。お前、ボールぶつかったんだって?」
「……は、はい」

笑顔で声をかけてきたのは鈴木先生。
なんで知ってるんだろう、って疑問をそのまま聞いてみると、「そりゃ生徒が授業中倒れたら騒ぎになるよ」って笑ったまま答えてくれた。

「でもよかったな、元気そうじゃないか」
「はい。タンコブできたくらいで……。ご心配かけてすみません」
「俺より葛城先生に謝って、あとお礼言っておけよ」

不意に出てきた先生の名前に心臓が跳ねる。

「ちょうど葛城先生その場に出くわしたらしくて、澤野のことを保健室まで運んでくれたそうだぞ」
「……」

先生が?
驚いて、そして嬉しくて、また口元が緩みそうになるのを感じて堪えながら、

「はい……。あとでちゃんとお礼言います」

とそれだけをなんとか言って口をつぐんだ。

「ああ。そうしろ。そういや澤野、放課後勉強聞きにこなくなったな?」
「え……あ、えと」
「葛城先生の授業分かりやすいからもう質問なくなったのか?」
「……っ、あの」
「なんでそんなにキョドってるんだよ。またたまには遊びに来いよ。……って勉強な」

明るい笑顔を向けてくる鈴木先生につられて笑顔になる。

「はい。今度行きます」

きっと準備室に行っても、先生はいつもと変わらない態度だろうし。
僕を見ないかもしれない。
でも、でも―――それでもいいんだっていまは思える。
きっとそれが先生の学校と先生の部屋との線引きじゃないのかな。

「ところで先生は? 先生も保健室ですか?」

この先には保健室しかないから効いてみたら鈴木先生は頷いて、僕の耳元に顔を近づけてきた。

「ココだけの話だぞ」
「はい?」
「実は二日酔いでさー。なんか薬貰って昼休み中昼寝させてもらおうと思ってな」

悪戯気に笑って見せる鈴木先生に僕はおかしくてつい吹き出してしまった。

「ゆっくり休んでください」
「おう。澤野ももうボールにぶつからないよう気をつけろよ」
「はい」

笑って鈴木先生と別れて僕は教室に戻ったのだった。
教室では里ちゃんたちに心配されて、ボールを投げたらしいクラスメイトに謝られたけど悪いのは僕だから逆に謝って。

「……なんかハル、頭打って頭に春でも来た?」
「保健室でいいことでもあったのか?」

昼休み中笑顔の僕に、里ちゃんたちに不思議そうに訊かれて僕は笑いながら首を振った。

本当のことは言えない。
僕と先生だけの秘密。

6時間目にある先生の授業が楽しみで、ずっと曇っていた僕の心は晴れやかで。
ふとみた外の天気もとても綺麗な青空だった。
それから昼休みが過ぎて5時間目の授業も終わって、教室にやってきた先生。
もちろん僕の方を見ることはない。
でもそれもよく考えてみれば先生が特定の生徒を見ているっていうことは変なことだし、誰かに気づかれたらまずいし。
それに僕に限らず先生が誰かを見つめてる、なんていうことはない。
淡々と進んでいく先生の授業。
いつもと変わらない光景なのに、久しぶりに集中して授業を受けれた。
たまにぼーっと先生を見つめてしまっていたけど。
保健室のほんのわずかな時間で僕のすべては変わってしまった。

先生の手を掴んで―――よかった。

なんでこんなにも嬉しいのか。
本当はもう―――……気付いてる。
ノートを取りながら、説明をしている先生の声を聞きながら早く週末にならないかなってそればかり考えてた。
週末が来て、先生と会ったら、どうしよう?
たまには僕がお昼ご飯を作ってあげたい。
いつもいつも僕ばかり触れられてるから―――なにか先生にしてあげたい。
少しでもいいから、僕の中の変化を先生に知ってほしい。
週末が待ち遠しくて、早く僕の知ってる先生に会いたくて身体だけじゃなくて心も疼いてしかたなかった。
そうしてその日は終わって。
次の日、金曜日が来て。
あっという間に一日は過ぎていった。
馬鹿みたいに浮かれていた僕。
まるでなにも問題なんてないみたいに考えてた僕。
そんな僕を嘲笑うかのように―――金曜日も、土曜日も。



僕の携帯に先生から連絡が入ることはなかった。




***
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