one night

雲乃みい

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contact3.そして、その手を掴むのは

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バイトは経験あっても、学生じゃなくなって社会人という枠に入るのは当然初めてだ。
仕事に就くっていう事実に不安と、だけど希望していた職種につけてやる気も大きい。
スーツを着、そのネクタイは智紀さんから就職祝いにともらったものだった。
派手過ぎない色合いのネクタイは入社式につけていってね、と言われたから……つけただけだけど。
出社する前にも智紀さんからメールあったし。
あの人何気にマメだよな。
と、そんなことを考えながらも緊張はなかなかほどけず俺は入社式に向かったのだった。



***




『どうだった? 入社式は』
智紀さんから電話があったのは夜の10時を過ぎたころだった。
あの告白からもうすぐ一週間。
電話に出る瞬間は多少緊張したけど以前と変わらない雰囲気を感じホッとする。
ゆっくり考えていいと言っていたから急かされることはないのかもしれない。
「……あっという間でした」
―――あの日の告白にいまだ気持ちは混乱してるまま。
ただ入社した今日、俺の脳内を占めているのは智紀さんとのこともだけど仕事のこともかなり大きくなってた。
『初日だし、そうだろうね』
ざっくりした感想なのに智紀さんは同意するように明るい笑い声を発した。
その声を聞きながら憂鬱だった気持ちが少しだけ紛れる。
『それで、』
「智紀さん」
俺は言いかけられた言葉を遮った。
智紀さんはきっと仕事のことを聞こうとしたんだろう。
職場の雰囲気とかいろいろ。
でもいまは仕事の話はあまりしたくない。
『ん? なに?』
電話越しでよかったと内心ため息をつく。
きっと面と向かって喋っていたらつっこまれてそうだ。
「ちゃんとネクタイつけていきましたよ」
『まじで? 写メ撮った?』
「撮るわけないでしょ……」
『えー。見たかったなぁ、新入社員なちーくん』
「はいはい」
だけど―――電話越しであれ、この人には悟られてるんじゃないか。
俺の思惑通りに話を脱線させ、仕事とは無関係のことへと運んでくれる。
『それじゃあ、今日は疲れただろうし早く休むんだよ』
他愛ないやり取りのあと優しく響く声に、おやすみなさい、と返して電話を切った。
スマホをベッドに放り出し深いため息。
別に仕事でなにがあったってわけじゃない。
ただ―――希望していた部署じゃなかったって、それだけだ。
希望の業種につけただけでもマシなんだから、だから。
と、そう思ったって落胆は大きくて情けないくらい凹んでいる自分にさらに凹む。
昨日まであった仕事に対する緊張とそれを上回るやる気や楽しみな気持ちは正直萎んでいた。
幾度となくため息をつきながら夜は静かに更けていった。


***



「うん、美味しい」
智紀さんがワインをあおり、満足げに頷く。
俺はテーブルに置かれたワイングラスを手に取り眺める。
入社してあっというまの一週間を終えた週末。土曜の夜、誘われるまま智紀さんの部屋に来ていた。
手にしている赤ワインは智紀さんの会社で取り扱っているもので、美味しいチーズとか買ってきたからたまにはゆっくり飲まないかと誘われたのだ。
正直俺にはあんまりワインの味はわからない。
美味しいと言われれば確かに、という程度だ。
わりと飲みやすいワインを飲みながらチーズを食べて……なんて智紀さんと一緒じゃなきゃしないだろうな。
まるでバーでもきたかのように皿に綺麗に盛りつけられたおつまみに手を伸ばしチーズを取ろうとしたらそれを横から伸びた手に取られてしまった。
「はい、あーん」
にこにこ笑った智紀さんが俺の口元にチーズを持ってくる。
「……ひとりで食べれます」
もうだいぶ慣れはしたけど男同士で食べさせあうのってどうなんだよ、と俺は智紀さんの手からチーズを奪って食べた。
「ちーくん、けちだなー」
「……ケチとかいう問題じゃないと思いますけど」
「あーんしたいなー」
「俺はしたくないです」
だいたい食べさせあうとかどこのカップルだよ―――。
過った思いに、ふっと告白のこともよみがえって気まずさを感じて視線を逸らした。
「ちーくん」
「……なんですか」
テレビを眺めながら返事だけをした。
その直後、腕を勢いよく引っ張られて顔を向ければ、目を細めた智紀さんがドアップで。
え、と思った瞬間、唇を塞がれ割りこんでくる舌とともにワインがはいってくる。
「っ、ん」
とてもじゃないけどいきなりで飲み込めるはずもなく、ワインが口端からこぼれていくのがわかる。
否応なしにワインを飲みこんでようやく智紀さんは離れた。
口を手の甲で拭いながら、
「なにするんですか……」
本当にこの人は……って呆れたため息が出た。
「あーんしてくれないから強行突破?」
「強行って……」
「こっちのほうが手っ取り早いし、キスもできて一石二鳥だったね」
にこにこと爽やかな満足気な笑顔を浮かべている智紀さんに脱力感。
二度目のため息をつきながら口直しとばかりにチーズを食べる。
そんな俺に笑いながら智紀さんは腰を抱いてきた。
もしかして、このままソファで襲われるのか?
「俺まだ飲みたいんですけど」
「俺も飲むよ。はい、カンパーイ」
「……」
思い違いか?
だけどまだ智紀さんの手は腰にあって、動いてはないけど気になる。
「ちーくん」
「はい?」
あんまりいまそう言う気分じゃないんだよな。
智紀さんがチーズを取ってるのを見ながら相槌を打てば、そのチーズがまた俺の口元に。
また?
「仕事どう? 頑張れそう?」
不意に聞かれ、心臓が跳ねる。
「……ええ。頑張りま……っ」
平静を装い口を開いた俺に、言葉途中でチーズが放り込まれる。
反射的にチーズを食べれば、
「希望の部署だった?」
と続けて聞かれた。
希望の、という言葉にどうしても気分が沈むのを感じて、きっと少しだけど顔に出たかもしれない。
敏い智紀さんが気づかないわけ……ないだろうな。
ため息をつきながら、
「希望の部署ではありませんでした」
と、入社して一週間の日々を思い出した。
入社初日、配属される部署を伝えられたときの動揺。
顔には出さないよう気をつけたけど、正直ショックだった。
「それは残念だったね。確か出版社だったっけ? 希望はなんだったの」
「……小説やりたかったんです海外の」
「え、ハーレクイン?」
「……智紀さん死にますか?」
「なんで、いーじゃん。俺とちーくんでハーレクインしちゃう?」
「……」
本当このひとバカなんじゃないのか。
顔に出さないように気をつける必要なんてなく、思い切り思いをそのまま表情にして、ため息を吐きだす。
「……海外小説が好きで、まだ出会ったことのない小説を見つけて翻訳して、日本で出版する。それがしたかったんです。―――……結局配属は絵本を扱う部署でしたけどね」
「ふうん」
絵本出版の部署は二年前新設されたばかりで、フロアは明るく絵本にぴったりな可愛らしいインテリアで、そこで働くひとたちも優しそうな方が多かった。
「出会ったことのないものを見つけて日本で、か。俺の仕事と似てるね」
そういえば智紀さんは輸入業だ。
よくいろんなところへ行ってることは知ってる。
俺とは違い自分で起業して、自分でいいと思ったものを日本で売って。
すごいな、と素直に思える。
「……そうですね」
自分でも気付かないうちに返事をする声のトーンは落ちてしまっていた。
つ、と智紀さんが俺の頬を指でつついてくる。
なんですか、と視線だけで返せば、妙に優しい笑顔を向けられて、視線を泳がせる。
「どうしても海外小説がしたいのなら配置異動の希望だしておく、とか。翻訳がしたいのならいずれ独立目指すっていうのも手だと思うよ。同じ会社で希望するところがあるんだから、逆に自分で見つけた海外の小説を翻訳して持っていく―――のもアリじゃない? まあ人脈作りが先決だとは思うし、当面はいまの部署で頑張ることが一番だろうけどね」
手が俺の頭に乗っかってぽんぽんと叩く。
「希望部署じゃなくても希望していた会社に入れたっていうことはマイナスにはならないよ」
「……」
「俺も希望してた会社入ったけど、4年で辞めたしねー」
あははは、と笑う智紀さんに、それはあんたがバイタリティありすぎるすごいひとだからだろ、って思ったけど、口をついて出たのは別のものだった。
「智紀さんはなんでその希望していた会社を辞めて、起業したんですか?」
なんだかんだいって、智紀さんは仕事の面では尊敬できるひとだし。
前向きなアドバイスは受け入れるべきものだって、頷ける。
「俺? 俺は―――」
智紀さんが以前働いていた会社は一流企業だ。
そこをたった4年で辞めたのは、最初から起業する気でいたんだろうか。
「んー……別に」
少し間を置いて、智紀さんはワインを一飲みし、微笑んだ。
「俺の親父がオーベルジュ開いていて、そこに置くワインとかいろいろ一緒に選んだりしてて……輸入業も楽しそうだなーって。そのくらいだよ」
人生バクチだよね!、と、だからちーくんも俺がなぐさめてあげるからあんまり凹むなよ、なんて意味不明なことを言ってくる。
「智紀さんに慰めてもらう必要はないです」
「ひどい!!」
実際―――少しは慰められたけど。
ただ。
「ちーくん」
「なんですか」
「いまのちーくんの言葉に傷ついたから、慰めて」
「……いやです―――ちょっ、っん」
ただ、なんとなく。
どこがというわけじゃないけど、なんとなく―――智紀さんが"別に"と言った答えに違和感を覚えた。
でもそれも不意打ちに奪われたキスに溶けて消えていった。





***


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