遠くの光に踵を上げて

瑞原唯子

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64. 忘却の中の再会

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「ジーク=セドラックです。よろしくお願いします」
 ジークは前を向いて、ぺこりと頭を下げた。パラパラと寂しい拍手が起こる。ほとんどはちらりと顔を向けただけで、すぐに自分の仕事に戻った。中には手を止めることすらしない者もいた。まるで歓迎されていないようだが、そういうわけではない。この研究所では手が離せないほど忙しい、もしくは仕事中に手を離すことを嫌がる人が多いのだ。昨年も同じ状態だった。
 ジークを連れてきた制服の女性・アンナは、気にすることなく声を張り上げた。
「今年も彼に来てもらうことになりました。今年は第三分析チームを手伝ってもらいます」
「足手まといにならなければいいけどな」
 ジークのすぐ近くにいた若い男が、キーボードを打ちながらつんとして言った。昨年もよく突っかかってきた怒りっぽい男だ。ジークは眉をひそめた。
「ジョシュ!」
 アンナは咎めるように彼の名を呼んだ。彼は仏頂面でモニタに向かったまま、返事をすることなく仕事を続けた。
「気にしない、気にしない」
 アンナは、親しみを感じさせる丸顔でにっこりジークに微笑むと、どこか甘ったるい声で明るく元気づけた。ジークはふいに懐かしさを感じた。昨年は彼女のもとで魔導のデータ提供を行っていた。その際、いつもこんな調子で声を掛けてくれていたのだ。今年も彼女のもとで仕事をすることになるのだろうか。
「君の席はそこね。仕事のことは彼に聞いて」
 ジークの考えはどうやら違ったらしい。彼女はテキパキとそう言って席を指し示すと、忙しそうにフロアから出ていった。
 取り残されたジークは、彼女の指さした方に目を向けた。ひとつの空席がある。そこはジョシュの隣の席だった。「彼」というのはジョシュのことだろう。ジークはわずかに顔を曇らせた。ジョシュはあえて無反応を装っているようだった。ひたすら無言でキーボードを叩き続けていた。

「ジーク!」
 はつらつとした女性の声が、彼の名を呼んだ。アンナとは違う声だ。ジークは顔を上げた。
「こんなところでキミと会うなんてビックリ」
「あ!」
 彼女には見覚えがあった。ユールベルの元ルームメイトだ。アカデミーではジークのひとつ先輩にあたる。だが、名前が思い出せない。
「えーと……」
 彼女を指さしながら、顔をしかめて唸る。
「ターニャ。ターニャ=レンブラントよ。ユールベルのルームメイトだった」
 彼女はそう自己紹介すると、腰に両手をあて呆れ顔で彼を見た。
「頭はいいはずなのに、興味ないことはちっとも覚えないのね」
「ていうか、何でここに……」
 いまだに彼女を指さしたまま、ジークは不思議そうに尋ねた。
「ああ、私? アカデミーを卒業したら、ここに就職するのよ。今は実習期間ってわけ」
 ターニャは首からぶら下げていた職員証を見せた。肩書きは実習生となっている。
「私語は他でやってくれないか」
 隣のジョシュが、モニタを見つめたまま苛ついた声をあげた。ターニャははっとして口を押さえ、肩をすくめながら小さく頭を下げた。ジークもムッとした表情で頭を下げた。
「それじゃ、またあとでね」
 彼女はジークに顔を近づけ小声でそう言うと、小走りで自分の席へ戻っていった。

 時はお昼をまわり、スタッフはばらばらと席を立ち始めた。ジークもひと区切りがついたところで立ち上がった。
「ジーク、お仕事順調?」
 ターニャは軽い足どりで彼の席へやってきた。
「まあまあ、だな」
 ジークがそう答えると、隣のジョシュはあからさまに不愉快な表情で彼を睨んだ。ジークは無言で顔をそむけた。ターニャはジョシュに背を向けるようにしてジークに並ぶと、声をひそめて話しかけた。
「ね、お昼一緒しない? おごるから」
「ん、ああ」
 ジークはとにかく一刻も早くこの場を離れたかった。

「いつからここに来てるんだ?」
 食堂へ向かう道すがら、ジークは何気なく尋ねた。
「つい二日前よ。知った人がいなくて不安だったから、キミを見たときは嬉しかったわ」
 ターニャは屈託なく笑いかけた。ジークは少し照れくさいような気持ちになった。別に自分がどうこうというわけではなく、単に顔見知りだからということは十分に理解している。それでもまっすぐにそう言われて悪い気はしない。
「ね、あそこの人、窓際にひとりで座ってる茶髪の」
 ターニャはトレイを取りながらひじでジークをつつき、視線でひとりの男を指した。その若い男は、まっすぐに背筋を伸ばし、年季の入った分厚い本を読んでいた。どことなく神経質そうな感じがした。
「私と一緒に採用されたもうひとりの人なの。でも、なんか話しづらくて。一応アカデミーで同じクラスなんだけど、ほとんど口をきいたことがないのよね」
 ジークはサラダをトレイに載せながらなんとなく振り返り、もういちど彼を見た。確かに話しづらそうな雰囲気を醸し出している。ジョシュといい勝負だと思った。
「やっぱりここに来る人って、ああいうエリートタイプが多いのかなぁ」
 ターニャはトレイを机に置いて、軽くため息をつきながら座った。
「自分だってここ受かったんだろ?」
 ジークも彼女の向かいに腰を下ろした。
「んー……私は奇跡みたいなものかな」
 ターニャは頬杖をつき視線を落とした。フォークを手にとり、ぼんやりとサラダをつつく。
「私の力じゃとても受かるとは思えないもの。ほんの力試しのつもりだったのに受かっちゃって」
 彼女は申しわけなさそうに、肩をすくめて笑ってみせた。
「難しいのか? ここ」
 ジークはパンをほおばったままで尋ねた。
「そうよ、知らないの?」
 ターニャはレタスを突き刺したフォークを彼の鼻先に向けた。
「魔導省の次くらいじゃないかな。まあキミならここでも魔導省でも行けちゃうだろうけどっ」
 少し突き放したようにそう言うと、フォークの向きを変えレタスにぱくついた。
「キミももうすぐ進路を決めなきゃいけない時期でしょ? 何か考えてるわけ?」
「いや……別に、まだ……」
 ジークは口いっぱにほおばりながら、あまり興味なさそうに返事をした。
「そろそろ考え始めた方がいいわよ。キミのとこの担任、手取り足取り教えてくれるタイプじゃなさそうだし」
「そりゃ、確かに……」
 思わず「優しく指導するラウル」を想像してしまい、ジークは背筋が寒くなった。慌てて温かいスープを流し込み、小さく息をつく。ターニャはそんな彼を見て、あははと笑った。
「悪い人じゃないんだけどね」
「そうかぁ?」
 ジークは思いきり嫌な顔をして、パンにかぶりついた。
「根はいい人だと思うわよ。それに強くて頼りになりそうじゃない?」
「頼ろうなんてしたら、逆にボコボコにされるぜ」
 意地でも認めようとしないジークを見て、ターニャはくすりと笑った。
「ユールベルの担任なんか、かなり気弱そうよ。ずいぶんレオナルドに手こずってるみたい」
 それを聞いて、ジークはようやく笑った。
「あ、そうだ」
 ターニャは手を止めた。
「私、帰りにユールベルのところに寄ってくつもりだけど、せっかくだしキミも一緒に来ない?」
「せっかくの意味がわからねぇよ」
 ジークはサラダにフォークを突き立てた。
「減るもんじゃないんだし、会うくらい会ってあげてもいいんじゃない?」
 ターニャはコーヒーカップを手にとり、軽い調子で言った。浮かない顔でうつむく少年を目に映しながらコーヒーを口に運ぶ。ジークはフォークの先をじっと見つめて顔をしかめた。
「会わねぇ方がいいんだよ」
「そうかなぁ? たとえ望みがなくたって、会えるだけで嬉しいものだと思うけど」
 彼はその考えに納得がいかなかった。眉をひそめて首をひねる。
「あいつがそんなノーテンキだとは思えねぇ」
「悪かったわね、ノーテンキで」
「は?」
 素頓狂な声をあげ、きょとんとして顔を上げた。
「私は嬉しいわよ。ほんのちょっと姿を見られるだけでもね」
 ターニャはにっこりと笑った。ジークはぽかんとして彼女を見つめた。
「言っとくけど、キミじゃないわよ」
「わ、わかってる!!」
 いたずらっぽくからかうターニャに、彼は耳元を紅潮させて言い返した。

 食堂から戻る途中、ふたりは廊下でサイファと出会った。大量の資料を抱えた若い研究員とともに、奥の会議室へ向かうところのようだ。
「やあ、ジーク君」
 サイファは右手を上げ、にっこり笑って声を掛けてきた。
「こんにちは」
 ジークは少し緊張ぎみに、しかしはっきりと挨拶をした。まっすぐサイファと目を合わせる。
「今日からだったな」
「はい」
「ここでの経験は必ず君のためになる。頑張れ」
「はい!」
 サイファはジークの腕を、力づけるように軽く叩いた。そして、一歩後ろで様子を窺っていたターニャに目を向けた。
「君は……ターニャ=レンブラントか?」
「え? あ……はい、そうです!」
 彼女は大きくうろたえながら返事をした。息を詰まらせながらサイファを見つめる。彼はにっこりと笑顔を返した。
「ユールベルが世話になったね」
「世話だなんて、そんなっ! 私たち、友達ですから」
 ターニャは胸元で両手をひらひら振り、頬を赤らめながら慌てて訂正した。サイファは彼女を見つめて優しく微笑みかけた。
「ありがとう」
「サイファさん、急がないと……」
 若い研究員が遠慮がちに口をはさんだ。
「ああ、すまない」
 サイファはとたんに仕事の顔に戻った。
「また今度ゆっくり話そう」
 ジークに振り向きそう言うと、ふたりは奥の会議室へと消えていった。

「嘘みたい。サイファさんが私のことを知っててくれたなんて……」
 ターニャはほんのり頬を染めたまま、夢見心地でつぶやいた。
「声を掛けてくれて、笑いかけてくれて……そのうえありがとうだって!」
 浮かれて嬉しそうに声を弾ませると、ジークの背中をバシッと思いきり叩いた。
「痛ぇな! なんだよ!」
「最近、奇跡つづきで怖いくらい」
 彼女は無邪気にえへへと笑った。ジークはムッとして顔をしかめていたが、彼女のその表情に毒気を抜かれた。疲れたようにふぅとため息をつく。
「あっ」
 彼はふいに短く声をあげた。脳裏にある考えがよぎった。
「まさかとは思うけど……」
 疑いのまなざしを彼女に向ける。
「おまえの好きな人って、サイファさん……なわけないよな、いくらなんでも」
「あら、朴念仁かと思ったけど、意外とするどいのね」
 ターニャはしれっとして言った。
「本気かよ!」
 ジークは廊下の真ん中で叫んだ。あたりにいた何人かが振り返ったが、彼はまるで気に留めなかった。それどころではなかった。
「わかってんのか?! サイファさんは……」
「わかってる、わかってるわよ!」
 ターニャは彼の前で両手を広げ、必死に話をそこで止めた。これ以上、大声で続けられては、内容によってはあらぬ誤解を招きかねない。まわりをちらちら窺いながら、彼に顔を近づけた。
「知ってるわ。結婚してることも、アンジェリカの父親だってことも」
 声をひそめて耳打ちする。
「だから言ったじゃない。姿を見られるだけで嬉しいって。それ以上の希望は持ってないわ」
 ターニャはにっこりと笑ってみせた。
 ジークは口を閉ざしたまま、複雑な表情でうつむいた。
「もうっ、そんな顔しないでよ」
 ターニャは口をとがらせながら、腰に手をあて彼を覗き込んだ。そして、ふと思いついたように尋ねた。
「ね、奥さん見たことある?」
「ああ」
 ジークはレイチェルの笑顔を思い浮かべた。もともと実年齢よりも若く見える彼女だが、笑うとさらに若く見えた。あどけなささえ感じられるほどである。
「すっごい綺麗な人だって噂だけど、本当?」
「ん……ああ」
 ジークは少しのためらいのあと頷いた。綺麗というよりも可愛い感じだと思ったが、それを口に出すのはなんとなく気恥ずかしかった。
「やっぱりそうかぁ」
 彼女は上を向いて、残念そうに声を上げた。
「どのみち私じゃかなわないってことね」
「そうだな」
 ジークはさらりと返事をした。ターニャはぽかんとして彼を見た。そして、我にかえると眉をひそめ腕を組んだ。
「あーもうっ。事実だとしても、そこであっさり同意するかなぁ。傷心の女のコをいたわろうって気持ちはないわけ?」
「なんだよ、自分で言ったんじゃねぇか。わけわかんねぇ」
 ジークはムッとして言い返した。ターニャは彼の鼻先に人さし指を立てた。
「いいわ、今度アイスクリームをおごってね。それで手を打ってあげる」
「なんでだよっ!」
 彼女はあははと笑って、再び歩き出した。

 夕刻も終わりという頃、ジークは仕事を終え、帰り支度を始めた。定時は過ぎていたが、まわりはまだ忙しく仕事を続けていた。誰も帰ろうとしない。自分だけ帰るのは少し気がひけたが、だからといって単なるアルバイトの身では残ることもできない。目立たないように立ち上がりそっとフロアから出た。
「ジーク!」
 廊下を歩いていると、後ろからターニャが声を掛けてきた。実習生である彼女も早く帰らされるようだ。
「ユールベルのところ、寄ってかない?」
「行かねぇって言っただろう」
 ジークは面倒くさそうに答えた。しかし、次の瞬間、はっとして彼女に振り返った。
「もしかして、おまえがユールベルに良くしてるのって、サイファさんに近づくためか?」
 ターニャは大きく目を見張った。そして、弾けたようにあははと笑うと、急に怒った表情になり彼にぐいと顔を近づけた。
「違うわよ!」
 ジークは目をぱちくりさせ、顔を赤くしながら身をそらせた。
「寮で同じ部屋になったのはただの偶然。私がどうこうしたわけじゃない。それに私、ユールベルのことは本当に可愛く思ってるわよ。サイファさんは関係ない」
 一気にそれだけ言うと、彼から離れふぅと小さく息をついた。
「ま、信じてくれなくてもいいけどね。そういう期待もまったくなかったわけじゃないし」
「悪かった、うたぐったりして」
 ジークは神妙な面持ちで素直に詫びた。ターニャはくすりと笑った。
「じゃ、ユールベルのところへ行ってくれる?」
「それとこれとは話が別だ!」
 今度はジークがため息をついた。腕を組み口をとがらせ首をひねる。
「そもそも何で俺なんだ? 俺、あいつに別に何かしてやった覚えもねぇし、まともに話したこともあんまりねぇぞ」
「こら、そんな迷惑そうに言わないの」
 ターニャは先輩ぶった口調でたしなめた。
「うん、でもそーよね。確かに私もすっごく不思議。どうしてよりによってキミなのか」
 そう言うと人さし指をあごにあて、斜め上に視線を向けた。そのとぼけた表情を見ているうちに、ジークは昼休みの彼女の言葉をそっくりそのまま返したい気分になった。
「……なんてね」
 ターニャはいたずらっぽくくりっとした黒い瞳を彼に向けた。
「人を好きになるのに理由なんてないのよ。理由があったとしてもそれはあとづけ。好き嫌いは本能が決めるものよ。そう思わない?」
 ジークは返答に困ってうつむいた。彼女は構わず続けた。
「だいたい理性で人を好きになるんだったら、10歳の女のコなんて好きにならないでしょ?」
「今は 13だ。……あ」
 ジークの顔から血の気が引いた。
「だっ、誰から聞いた?!」
 今度は一気に顔を上気させ後ずさった。ターニャはそんな彼を見てにこにこしていた。
「聞かなくてもわかるわよ。なんとなくね」
 彼女は研究所の外に足を踏み出した。ひんやりとした空気が頬をかすめた。空はすでにほとんどが紺色に塗り替えられ、わずかにその端に赤みを残しているだけである。その濃紺の空に両手を向け、大きく伸びをすると、冷えた空気を思いきり吸い込んだ。体の中からリフレッシュしたような心地よさを感じ、思わず顔もほころぶ。
 だが、ジークはそれとは対極の表情を見せていた。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、背中を丸め、恨めしそうに彼女を睨んでいる。先ほどの誘導尋問がよほどくやしかったようだ。
「じゃあね。あしたアイスクリームおごってよね」
 門の外に出たところで、ターニャは陽気にそう言った。
「本気だったのかよ……」
 ジークは呆れたようにつぶやいた。

「ターニャ……?」
 ふいに横から彼女の名前が呼ばれた。弱々しく自信がなさそうな声である。ふたりが振り向くと、中年の女性がおどおどしながら近づいてきた。しっかりした身なりだが、どこかくたびれたような印象を受けた。
 ターニャはきょとんとしてその女性を見た。
「え? はい、ターニャ=レンブラントですけど。どちら様でしょう?」
 女性はじわりと目に涙をにじませた。しかし、それを必死にこらえているようだった。口元を震わせ、喉の奥から乾いた声を絞り出した。
「……覚えてなくても、当然……ね……」
 ターニャはいぶかしげにその女性を見た。彼女はぎこちなく笑って言葉をつなげた。
「私は、ずっと会いたかった……ターニャ……大きくなったわね……」
「まさか……」
 ターニャの表情はみるみるうちにこわばっていった。その瞳はまるで何かに激しく怯えているかのように震えていた。まばたきすら忘れている。
 中年の女性は、そんな彼女を見て顔を曇らせた。ためらいながら口を開く。
「あなたがここで働いてるって聞いて……」
 ターニャはピクリとも動かない。それでも女性は言葉を続ける。
「いきなりごめんなさい。でも、どうしても、ひとこと謝りたくて……」
 そう言いながら、足を踏み出し近づこうとする。ターニャはそれと同時にびくんと体を震わせ、身を庇うように両手と右足を同時に引いた。そして、じりじりと何歩か後ずさると、唇を噛みしめ深くうつむいた。額から汗が滴り落ちる。
「何を……何のことだかわかりません。失礼します」
 感情を殺した声で口早に言うと、踵を返しその場から走り去った。
「ターニャ! ごめんなさい……どう謝れば……どう償えば許してもらえるの?!」
 女性は、彼女の背中に向かって泣きながら叫んだ。
 ジークは何度かその女性とターニャを交互に見た。そして、迷ったすえターニャを追うことに決めた。全速力で駆け出す。
「待てよ!」
 後ろから声を掛け、彼女の腕を掴んで止めた。彼女も本気で走っていたのでなかなか追いつけず、研究所からはだいぶ離れてしまった。もうあの女性の姿も見えない。
「もしかして、母親か? さっきの……」
「知らないって言ったでしょ」
 背中を向けたまま、強気な言葉を返す。しかし、その声は涙まじりだった。掴んだ華奢な腕も不規則に震えている。
「何があったか知らねぇけど……あの人、あやまってたぞ」
「謝れば何をしても許されるって言うの?!」
 ターニャはジークの手を振りほどき、勢いよく振り返った。瞳に涙を浮かべ、彼を睨むように強く見つめる。
「私、あの人に殺されかけたのよ」
「え……?」
 ジークは目を見開いて絶句した。
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