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56. ふたり
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「賑やかだね」
リックは鞄を手に、ジークの席へとやってきた。明るい窓の外で、たくさんのはしゃいだ声が弾けている。
「ああ、今日は入学式だからな」
ジークは鞄に教本を投げ込みながら、たいして興味なさそうに答えた。
「なんかいいよね。こういうはつらつとした元気な声って。新鮮な気持ちになれるよ」
「なにじじくさいこと言ってんだよ、おまえ」
ジークが呆れた視線を送ると、リックは少し恥ずかしそうに、ごまかし笑いを浮かべた。
「なに? 私の声じゃ元気になれないっていうの?」
アンジェリカが口をとがらせながら、後ろからひょっこり顔をのぞかせた。しかし、目は怒っていない。すぐに、にっこりと笑顔に変わった。リックも優しく笑顔を返した。
「メシ、食ってくだろ?」
ジークは立ち上がり、鞄を肩にかけると、ふたりに振り向いた。今日は試験のため、午前のみとなっている。ジークとリックの家は遠いため、こういうときは食べてから帰ることが多いのだ。
しかし、今日のリックはいつもと反応が違った。
「ごめん、僕はセリカと約束してるんだ」
少し申しわけなさそうに、しかしどこか浮かれた声を返す。そのとき、アンジェリカの顔がわずかに曇ったのを、ジークは見逃さなかった。目を伏せ、少し考えると、静かに返事をする。
「……なら、仕方ねぇな」
アンジェリカの表情がさらに曇った。
「ごめんね」
リックは軽く右手を上げると、そそくさと出ていった。
「そんな暗い顔してんじゃねぇよ」
「別に、してないわよ」
アンジェリカはムッとしてジークを見上げた。彼も不機嫌さを顔中に広げている。
「鏡、見てみろよ」
「……」
ぶっきらぼうに言い放った彼のセリフに、彼女は言葉を失い、わずかにうつむいた。強がってはみたが、彼の言うとおりであることに、彼女自身も気がついていた。
「そんなに嫌なら、行くなって言えばよかっただろ」
感情を抑えた低い声が、追いうちをかける。彼女はカッとして、彼を睨み上げた。
「そんなの言えるわけないじゃない」
「だったらあきらめろ」
冷静をよそおったその声は、わずかに震えていた。だが、彼女はそれに気づく余裕はなかった。怒りまかせに声を張り上げる。
「どうしてそんなに冷たいことを言うの?!」
「ばっかやろう! そんな顔を見せられるこっちの身にもなってみろ!」
アンジェリカの感情的な責め言葉が、ジークの壁を崩した。抑えていた感情を一気に噴出させる。
「なに、そんなことで怒っているの?! わけがわからない!」
彼女は少しうろたえながらも、負けじと甲高い声をあげた。そして、激しく彼を睨みつけると、ぷいと背を向け、教室を出ていこうとした。
ジークはとっさに彼女の手首をつかんだ。
「なによ!」
「俺が、悪かった」
ジークは深くうつむき、噛み殺すように言った。
アンジェリカは大きく目を見開いて、彼を見上げた。ジークがこんなにすぐに自分から折れるなどめずらしい。いや、めずらしいどころか、今までなかったことだ。その衝撃が、彼女の怒りを吹き飛ばした。
「私も……ごめんなさい」
どまどったような小さな声で、彼女も謝った。
ジークは顔を上げ、ぎこちなく笑いかけた。アンジェリカも安堵して、表情を緩めた。
「気晴らしに、どっか外に行かねぇか? いま食堂に行っても、リックたちと鉢合わせるだろうし」
勢いづくジークに、アンジェリカは軽く首をかしげる。
「でも、あしたも試験よ」
「実技だけだろ」
ジークは引かなかった。
「まあ、そうだけど……」
アンジェリカはあいまいに答えながら、うつむき迷っている。ジークは、じっと彼女の返事を待った。
「……そうね、行くわ」
迷いを吹っ切ってそう答えると、にっこりと笑顔を見せた。
「ジークたちを放ってきて良かったの?」
セリカとリックは、食堂の窓際の席で、向かい合って昼食をとっていた。ちょうど昼どきということもあり、食堂内は空席が見つけられないほど混み合っている。それはいつもの光景だが、騒がしさはいつも以上だった。しかし、嫌な騒がしさではない。元気の良い新入生たちが、食堂内を歩き回りながら見学しているのが原因のようだ。
リックは、いつもより心持ち声を張って答える。
「悪いとは思ってるけど、でも正直、僕がいない方がいいのかなって思うときもあるんだ」
「そうなの?」
セリカはロールパンを持った手を止め、驚いたように彼に目を向けた。彼は少し寂しそうに笑ってうつむいた。
「ジークは人一倍、人目を気にするんだ。僕がいたんじゃ、ちょっとしたことでも、なかなか行動を起こせないんだよね」
「なんか、わかる気がするわ」
セリカがそうあいづちを打つと、リックは下を向いたまま小さく笑った。フォークでサラダをつつきながら、話を続ける。
「この前も、アンジェリカに誕生日プレゼントを渡すだけなのに、僕に隠れてこそこそやってたみたいだし」
セリカはその光景を想像し、ふふっと笑った。いかにもジークらしくて微笑ましい。
「だからときどきは、ふたりきりにしてあげるのも、いいんじゃないかなって」
「あら、なあに? それじゃ、私と一緒にいるのはジークのため?」
セリカはいたずらっぽい笑みを浮かべ、下から覗き込みながら、からかうように問いかけた。リックはたじろぎもせず、にこりと笑いかけた。
「まさか。もちろんセリカと一緒にいたいからだよ」
セリカは欲しかった答えをもらって、嬉しそうに、幸せそうに笑った。
「ジーク、もうずいぶん歩いたんだけど、どこまで行く気?」
アンジェリカは不審がって尋ねた。アカデミーを出てから、すでに一時間は歩いている。
「もうすぐだ」
ジークは茶色の紙袋を掲げ、にっと笑ってみせた。その紙袋には、途中で買ったサンドイッチが入っている。空腹を煽るその行為に、アンジェリカはムッとした。頬をふくらませ、うらめしそうに睨み上げる。
「着いたぜ」
ジークは細い道を渡り、薄汚れたガードパイプに手をかけた。アンジェリカも、彼の隣で、そっとガードパイプに手をのせた。下から涼風が吹き上がる。彼女はとっさに目を閉じ、再びゆっくりと開いた。開けた視界に飛び込んできたものは、その先に広がる光景。驚いたように大きく目を見開き、そして次第に笑顔へと変わっていく。
「いい景色だろ」
ジークはアンジェリカに振り向き、白い歯を見せ笑いかけた。下方には、白い川原と透明なせせらぎが、遠くまで広がっていた。水面に光が反射してきらきらと輝きを放ち、緩やかな流れはさらさらと軽やかな音を立てている。
ここは以前、レオナルドとジークがふたりきりで話し合ったところである。ジークにとって、いい思い出の場所とはいいがたい。しかし、それでもここへ来たのは、単純にこの風景が好きだったからだ。このせせらぎの音を聞きたいと思ったのだ。
アンジェリカは屈託なくジークに笑いかけた。
「あっちの階段から降りよう」
彼は、ガードパイプの切れ目を指さした。ふたりはそこからのびる幅の狭い石段を伝って、川原へと降りていった。
ジャ……。
砂利というには少し大きすぎる白い小石が、濁った音を響かせる。
「うわ、ぐらぐらして足がとられるわ」
スニーカーのジークと違って、革靴を履いているアンジェリカは、よりいっそう歩きづらいのだろう。こわごわと慎重に、でも楽しそうに、足を進めていく。
「もしかして、川原を歩くの、初めてか?」
「そうよ、悪い?」
「別に悪かねぇよ」
世間知らずのお嬢さんと馬鹿にされた気がして、アンジェリカは不機嫌になりジークにつっかかる。彼は慌ててそれを否定した。
ふたりは、安定の良い大きめの岩を選んで、それを椅子がわりにすることにした。腰を下ろし、買ってきたサンドイッチにかぶりつく。
「外で食べるのもいいわよね。こういうの、ピクニックっていうのかしら」
「ま、そんなもんだな」
ふたりは顔を見合わせて笑いあった。澄んだ空気が、気持ちも明るく爽快にさせる。
サンドイッチを食べ終わると、ジークは岩の上で仰向けに寝転がった。アンジェリカもそれを見て、同じように寝転がり、息を大きく吸い込んだ。適度に温まった岩肌が、心地よく眠りを誘う。ジークは大きくあくびをしながら伸びをした。アンジェリカは横目でそれを見ながら、くすりと笑った。
「試験はどうだった?」
アンジェリカはぽつりと尋ねた。ジークは上を向いたままで答えた。
「まあまあ、だな」
「私も」
ジークは頭の後ろで手を組み、大きく深呼吸をした。目を細めて空を見つめる。
「あいかわらず、あいつの試験はパターンが読めねぇっていうか、パターンがねぇっていうか……」
「きっと私たち、すごく鍛えられているわね」
「だろうな」
アンジェリカは笑いながら言ったが、ジークはため息まじりに返事をした。そして、再び目を細めて遠くを見やる。
「入学してから二年間、おまえには一度も勝ててねぇけど……」
アンジェリカは、ゆっくりジークに振り向いた。彼は、決意を秘めた瞳を、まっすぐ空に向けていた。
「今年こそは勝つつもりだぜ」
静かに、しかし強気に、そう言い切った。
「年下の女に負けるのが許せないとか、まだ思ってるの?」
それは最初に会ったときにジークが言っていたことだった。彼は自分に対してずっと対抗意識を燃やしていたが、根底にはそういう気持ちがあるからではないか。そんなこと、今さらどうでもいいことかもしれない。だが、アンジェリカは少し気になっていた。
「そんなんじゃねぇよ。一回くらい勝っとかないと、格好がつかねぇっていうか……」
「かっこつけたいから勝ちたいの?」
「あー、そういう意味じゃなくて、なんていうか……」
「私、手は抜かないわよ」
アンジェリカのその言葉に反応して、ジークは思わず振り向いた。彼女は体ごと横向きになり、大きな漆黒の瞳でじっと彼を見つめていた。かすかに挑発的な表情。ジークはどきりとして、慌てて空に向き直った。
「あったりめぇだ。そんなんで勝っても、意味ねぇからな」
わずかに声がうわずっていた。彼は赤みのさした顔を隠すように、頭の後ろで手を組んだまま、顔の横でひじを立てた。
「うん」
アンジェリカも再び仰向けになり、まぶたを閉じて大きく空を吸い込んだ。
遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。アンジェリカは起き上がって、声のする方に目をやった。数人の子供たちが、浅瀬を素足で走り回ったり、水を掛け合ったりしている。
「気持ち良さそう。私も裸足になろうかしら」
「危ねぇぞ。何が落ちてるかわからねぇし」
ジークも体を起こした。
「じゃ、手だけひたしてくるわ」
アンジェリカは右手を広げてにっこり笑うと、岩から飛び降り、川辺に向かって走り出した。
「おい、走ると危ねぇぞ!」
ジークは慌てて追いかけた。
「平気よ。もう慣れたわ」
そう言って振り返ったとたん、足元が不安定に滑り、体のバランスを失った。
「あっ」
「おい!」
ジークは地面を強く蹴り、彼女に手を伸ばした。が、それと同時に、足を滑らせ、前につんのめった。そして、助けるつもりだった彼女の足に蹴つまずき、派手な音を立て、頭から浅瀬に突っ込んだ。全身を水流が飲み込み、あっというまにずぶ濡れになってしまった。
一方のアンジェリカは、水の中に手と膝をついただけで、体はほとんど濡れずにすんでいた。顔についた水滴を腕で拭いながら立ち上がる。そして前を向くと、ジークの惨状が目に入ってきた。すぐには声が掛けられず、しばらく呆然と眺めていた。
「大丈夫……?」
ジークはざぶざぶと音を立てながら立ち上がった。全身から雫が流れ落ちる。
「……っ……あははっ!」
「誰のせいだと思ってんだよ」
耐えきれずに吹き出したアンジェリカを、ジークはじとっと睨んだ。
「ごめんなさい。でもあんまり情けない顔をしてるから……ふふふっ」
謝りながらも笑いを止められない。
「あったまきた」
ジークは小さくつぶやくようにそう言うと、うつむいてその場にしゃがみ込んだ。アンジェリカは怪訝な顔で近づき、そっと覗き込んだ。
「ジーク?」
彼女の呼びかけに、彼はわずかに顔を上げた。上目づかいで不敵に笑う。アンジェリカは嫌な予感がして、後ろに下がろうとした。そのとき――。
「くらえっ!」
ジークは両手で水をすくい、彼女に向け、思いきり放った。
「やっ……ちょっ……ジーク!」
とっさに手で防いだものの、かなりの量を顔に浴びてしまった。再び水を掛けようとするジークから逃れようと、背を向け一歩踏み出そうとした。そのとき、再び小石に足をとられ、彼女の体が傾いた。
「きゃっ」
ジークは倒れそうな彼女の体を、後ろから抱きとめた。
「だから走るなって!」
「だってジークが!」
彼女は水滴を振りまきながら、勢いよく振り返った。
「……」
思ったよりずっと近くにジークの顔があった。驚いて無言で前に向き直る。彼女は気まずいものを感じ、彼から離れようとした。しかし、彼女にまわされた彼の腕が、それを阻んだ。気のせいか、さらに力が込められたように感じた。背中には服ごしに水がしみてきた。冷たくはない。体温と鼓動が伝わってくる。早い鼓動。それに呼応するかのように、彼女の鼓動も強く早くなっていく。息苦しくて、声を出すこともできない。沈黙が続く――。
「さ、そろそろ帰るか!」
ジークは明るく声を張り上げると、アンジェリカから手を放した。
「風邪ひかねぇうちにな」
そう言いながら、彼女を残し、さっさと岸へ上がっていった。上着を脱ぎ、ねじって絞ると、ザッと音を立てて水が流れ落ちた。靴と靴下も脱ぎ、同様に水を絞る。
アンジェリカは、まだ水辺で呆然と立ち尽くしていた。軽く握った左手で、胸を押さえる。
なんだったの、今の――。
ジークのいなくなった背中に、冷たい風が吹きつけ、熱を奪い去っていった。
ラウルが扉を開けようとすると、中から初老の男が出てきた。白髪まじりの金髪をこざっぱりと刈りそろえ、濃青色のローブを品よく着こなしている。背筋をピンと伸ばし、青い瞳をラウルに向け、鋭く睨みつけた。
しかし、ラウルは気にとめることなく、入れ違いにサイファの部屋へ入っていった。魔導省の塔。その最上階の個室だ。広くはないが、きちんと整理されている。ただ、机の上には、書類やファイルが乱雑に広げられていた。
「たまにはおまえの方から出向いたらどうだ」
「誰かさんにやっかいごとを頼まれたせいで忙しくてね」
サイファは立ち上がり、ラウルの前に歩いていくと、書類の束で彼の肩を軽く叩いた。
「おまえの娘に関する手続きはこれで全てのはずだ。一部希望どおりにはいかなかったが、これが精一杯だ。あとで確認しておいてくれ」
ラウルはそれを受け取ると、パラパラと目を通した。
「ずいぶん時間がかかったな」
「これでも嫌みを言われながら、強引に押し通したんだぞ。もう少しいたわりの言葉が欲しいところだよ」
サイファは笑いながら肩をすくめた。しかし、すぐに真面目な顔になり、腕を組んだ。一歩前に出て、ラウルと反対向きで肩を並べる。
「入口ですれ違った男を見たか?」
「ラグランジェ家分家の隠居だろう」
ラウルには質問の意図がわからなかった。隣のサイファに視線を流す。彼は、無表情でまっすぐ前を向いたまま、わずかに目を細めた。
「私の母方の祖父。そして、長老会との連絡係だ」
長老会という言葉をきいて、ラウルの瞳に強い光が宿った。けわしい顔をサイファに向ける。
「何を言ってきた」
「くだらないお小言だよ。アンジェリカの婚約者を早く決めろ、ここ最近はこればかりだ」
サイファはラウルに振り向き、まいったというふうに両手を広げ、おどけて見せた。しかし、彼の真意を、ラウルは見抜いていた。
「不満そうだな」
「動きがないのが不気味だ」
「ジークたちを餌にして、長老たちをおびき出すつもりか」
核心をついた質問に、サイファは驚きの表情を見せた。しかし、すぐに顎を引き、挑みかけるようにニヤリと笑った。
「おまえにしては気づくのが遅かったな」
ラウルは彼を冷たく睨んだ。その無言の問いかけに、サイファは冷静に答える。
「初めて会ったときから、いや、会う前から、利用させてもらうつもりだったよ。そうでなければ、会ったばかりの彼らに長老会のことを話したりはしなかった」
「レイチェルを……アンジェリカを悲しませることになってもか」
「私が利用しなくても、いずれは目をつけられるさ。万が一のとき、早い方が傷は浅くてすむ」
真剣な顔でそう言ったあと、にっこり笑って追加した。
「彼がアンジェリカを託すに足る男か試す意味合いもあったんだがね」
それから再び張りつめた表情に戻った。
「しかし、動きがないのではどうしようもない」
「おまえが思うほど、彼らは愚かではないということだ」
ラウルは諭すように言った。サイファは上を仰いで、軽くため息をついた。
「だが、このままおとなしくしているとも思えない。私が彼らを無視し続ければ、いずれ実力行使に出るだろう」
強く前を見据え、淡々と語った。
「おまえの目的は復讐か」
ラウルは腕を組み、目を細めて視線を流した。サイファはふっと笑って目を閉じた。
「だとすれば……」
後ろの机に右手をつく。
「最初のターゲットはおまえだ」
シュッ――。
空を切る音。サイファは机の上のペーパーナイフをとり、ラウルの喉を目がけて突き出した。先端が喉に当たるか当たらないかのギリギリのところで、ピタリと止まる。彼は眉をひそめ、ラウルを睨みつけた。だが、ラウルは微動だにしなかった。眉ひとつ動かさず、サイファを見下ろす。ふたりは、そのまま無言で相対した。
先に動いたのはサイファだった。ふいに目を閉じ、表情をやわらげると、手を下ろした。
「私は復讐ではなく、幸せになるための行動を選んだ。それはこれからも変わらないよ」
ナイフを机の上に置き、にっこりと笑った。
「では、私も餌か」
ラウルは無表情で尋ねた。サイファは一瞬きょとんとして、それから吹き出した。
「獲物より強くては、餌にならないだろう」
笑いながら、ラウルの肩をポンと叩いた。
「おまえは、私が遠慮も気遣いも心配もしなくていい、唯一の存在だ」
「少しは遠慮くらいしてほしいがな」
ラウルは冷たい視線を送った。しかし、サイファはにっこりと笑顔を返した。
「おまえがいてくれて良かったよ」
深く気持ちを込めてそう言うと、ラウルの肩に手をかけ、ぐっと力をこめた。
傾いた陽の光は、空と街並みを紅く染める。そして、大きなガラス窓を通して、ふたりの横顔をも彩った。
リックは鞄を手に、ジークの席へとやってきた。明るい窓の外で、たくさんのはしゃいだ声が弾けている。
「ああ、今日は入学式だからな」
ジークは鞄に教本を投げ込みながら、たいして興味なさそうに答えた。
「なんかいいよね。こういうはつらつとした元気な声って。新鮮な気持ちになれるよ」
「なにじじくさいこと言ってんだよ、おまえ」
ジークが呆れた視線を送ると、リックは少し恥ずかしそうに、ごまかし笑いを浮かべた。
「なに? 私の声じゃ元気になれないっていうの?」
アンジェリカが口をとがらせながら、後ろからひょっこり顔をのぞかせた。しかし、目は怒っていない。すぐに、にっこりと笑顔に変わった。リックも優しく笑顔を返した。
「メシ、食ってくだろ?」
ジークは立ち上がり、鞄を肩にかけると、ふたりに振り向いた。今日は試験のため、午前のみとなっている。ジークとリックの家は遠いため、こういうときは食べてから帰ることが多いのだ。
しかし、今日のリックはいつもと反応が違った。
「ごめん、僕はセリカと約束してるんだ」
少し申しわけなさそうに、しかしどこか浮かれた声を返す。そのとき、アンジェリカの顔がわずかに曇ったのを、ジークは見逃さなかった。目を伏せ、少し考えると、静かに返事をする。
「……なら、仕方ねぇな」
アンジェリカの表情がさらに曇った。
「ごめんね」
リックは軽く右手を上げると、そそくさと出ていった。
「そんな暗い顔してんじゃねぇよ」
「別に、してないわよ」
アンジェリカはムッとしてジークを見上げた。彼も不機嫌さを顔中に広げている。
「鏡、見てみろよ」
「……」
ぶっきらぼうに言い放った彼のセリフに、彼女は言葉を失い、わずかにうつむいた。強がってはみたが、彼の言うとおりであることに、彼女自身も気がついていた。
「そんなに嫌なら、行くなって言えばよかっただろ」
感情を抑えた低い声が、追いうちをかける。彼女はカッとして、彼を睨み上げた。
「そんなの言えるわけないじゃない」
「だったらあきらめろ」
冷静をよそおったその声は、わずかに震えていた。だが、彼女はそれに気づく余裕はなかった。怒りまかせに声を張り上げる。
「どうしてそんなに冷たいことを言うの?!」
「ばっかやろう! そんな顔を見せられるこっちの身にもなってみろ!」
アンジェリカの感情的な責め言葉が、ジークの壁を崩した。抑えていた感情を一気に噴出させる。
「なに、そんなことで怒っているの?! わけがわからない!」
彼女は少しうろたえながらも、負けじと甲高い声をあげた。そして、激しく彼を睨みつけると、ぷいと背を向け、教室を出ていこうとした。
ジークはとっさに彼女の手首をつかんだ。
「なによ!」
「俺が、悪かった」
ジークは深くうつむき、噛み殺すように言った。
アンジェリカは大きく目を見開いて、彼を見上げた。ジークがこんなにすぐに自分から折れるなどめずらしい。いや、めずらしいどころか、今までなかったことだ。その衝撃が、彼女の怒りを吹き飛ばした。
「私も……ごめんなさい」
どまどったような小さな声で、彼女も謝った。
ジークは顔を上げ、ぎこちなく笑いかけた。アンジェリカも安堵して、表情を緩めた。
「気晴らしに、どっか外に行かねぇか? いま食堂に行っても、リックたちと鉢合わせるだろうし」
勢いづくジークに、アンジェリカは軽く首をかしげる。
「でも、あしたも試験よ」
「実技だけだろ」
ジークは引かなかった。
「まあ、そうだけど……」
アンジェリカはあいまいに答えながら、うつむき迷っている。ジークは、じっと彼女の返事を待った。
「……そうね、行くわ」
迷いを吹っ切ってそう答えると、にっこりと笑顔を見せた。
「ジークたちを放ってきて良かったの?」
セリカとリックは、食堂の窓際の席で、向かい合って昼食をとっていた。ちょうど昼どきということもあり、食堂内は空席が見つけられないほど混み合っている。それはいつもの光景だが、騒がしさはいつも以上だった。しかし、嫌な騒がしさではない。元気の良い新入生たちが、食堂内を歩き回りながら見学しているのが原因のようだ。
リックは、いつもより心持ち声を張って答える。
「悪いとは思ってるけど、でも正直、僕がいない方がいいのかなって思うときもあるんだ」
「そうなの?」
セリカはロールパンを持った手を止め、驚いたように彼に目を向けた。彼は少し寂しそうに笑ってうつむいた。
「ジークは人一倍、人目を気にするんだ。僕がいたんじゃ、ちょっとしたことでも、なかなか行動を起こせないんだよね」
「なんか、わかる気がするわ」
セリカがそうあいづちを打つと、リックは下を向いたまま小さく笑った。フォークでサラダをつつきながら、話を続ける。
「この前も、アンジェリカに誕生日プレゼントを渡すだけなのに、僕に隠れてこそこそやってたみたいだし」
セリカはその光景を想像し、ふふっと笑った。いかにもジークらしくて微笑ましい。
「だからときどきは、ふたりきりにしてあげるのも、いいんじゃないかなって」
「あら、なあに? それじゃ、私と一緒にいるのはジークのため?」
セリカはいたずらっぽい笑みを浮かべ、下から覗き込みながら、からかうように問いかけた。リックはたじろぎもせず、にこりと笑いかけた。
「まさか。もちろんセリカと一緒にいたいからだよ」
セリカは欲しかった答えをもらって、嬉しそうに、幸せそうに笑った。
「ジーク、もうずいぶん歩いたんだけど、どこまで行く気?」
アンジェリカは不審がって尋ねた。アカデミーを出てから、すでに一時間は歩いている。
「もうすぐだ」
ジークは茶色の紙袋を掲げ、にっと笑ってみせた。その紙袋には、途中で買ったサンドイッチが入っている。空腹を煽るその行為に、アンジェリカはムッとした。頬をふくらませ、うらめしそうに睨み上げる。
「着いたぜ」
ジークは細い道を渡り、薄汚れたガードパイプに手をかけた。アンジェリカも、彼の隣で、そっとガードパイプに手をのせた。下から涼風が吹き上がる。彼女はとっさに目を閉じ、再びゆっくりと開いた。開けた視界に飛び込んできたものは、その先に広がる光景。驚いたように大きく目を見開き、そして次第に笑顔へと変わっていく。
「いい景色だろ」
ジークはアンジェリカに振り向き、白い歯を見せ笑いかけた。下方には、白い川原と透明なせせらぎが、遠くまで広がっていた。水面に光が反射してきらきらと輝きを放ち、緩やかな流れはさらさらと軽やかな音を立てている。
ここは以前、レオナルドとジークがふたりきりで話し合ったところである。ジークにとって、いい思い出の場所とはいいがたい。しかし、それでもここへ来たのは、単純にこの風景が好きだったからだ。このせせらぎの音を聞きたいと思ったのだ。
アンジェリカは屈託なくジークに笑いかけた。
「あっちの階段から降りよう」
彼は、ガードパイプの切れ目を指さした。ふたりはそこからのびる幅の狭い石段を伝って、川原へと降りていった。
ジャ……。
砂利というには少し大きすぎる白い小石が、濁った音を響かせる。
「うわ、ぐらぐらして足がとられるわ」
スニーカーのジークと違って、革靴を履いているアンジェリカは、よりいっそう歩きづらいのだろう。こわごわと慎重に、でも楽しそうに、足を進めていく。
「もしかして、川原を歩くの、初めてか?」
「そうよ、悪い?」
「別に悪かねぇよ」
世間知らずのお嬢さんと馬鹿にされた気がして、アンジェリカは不機嫌になりジークにつっかかる。彼は慌ててそれを否定した。
ふたりは、安定の良い大きめの岩を選んで、それを椅子がわりにすることにした。腰を下ろし、買ってきたサンドイッチにかぶりつく。
「外で食べるのもいいわよね。こういうの、ピクニックっていうのかしら」
「ま、そんなもんだな」
ふたりは顔を見合わせて笑いあった。澄んだ空気が、気持ちも明るく爽快にさせる。
サンドイッチを食べ終わると、ジークは岩の上で仰向けに寝転がった。アンジェリカもそれを見て、同じように寝転がり、息を大きく吸い込んだ。適度に温まった岩肌が、心地よく眠りを誘う。ジークは大きくあくびをしながら伸びをした。アンジェリカは横目でそれを見ながら、くすりと笑った。
「試験はどうだった?」
アンジェリカはぽつりと尋ねた。ジークは上を向いたままで答えた。
「まあまあ、だな」
「私も」
ジークは頭の後ろで手を組み、大きく深呼吸をした。目を細めて空を見つめる。
「あいかわらず、あいつの試験はパターンが読めねぇっていうか、パターンがねぇっていうか……」
「きっと私たち、すごく鍛えられているわね」
「だろうな」
アンジェリカは笑いながら言ったが、ジークはため息まじりに返事をした。そして、再び目を細めて遠くを見やる。
「入学してから二年間、おまえには一度も勝ててねぇけど……」
アンジェリカは、ゆっくりジークに振り向いた。彼は、決意を秘めた瞳を、まっすぐ空に向けていた。
「今年こそは勝つつもりだぜ」
静かに、しかし強気に、そう言い切った。
「年下の女に負けるのが許せないとか、まだ思ってるの?」
それは最初に会ったときにジークが言っていたことだった。彼は自分に対してずっと対抗意識を燃やしていたが、根底にはそういう気持ちがあるからではないか。そんなこと、今さらどうでもいいことかもしれない。だが、アンジェリカは少し気になっていた。
「そんなんじゃねぇよ。一回くらい勝っとかないと、格好がつかねぇっていうか……」
「かっこつけたいから勝ちたいの?」
「あー、そういう意味じゃなくて、なんていうか……」
「私、手は抜かないわよ」
アンジェリカのその言葉に反応して、ジークは思わず振り向いた。彼女は体ごと横向きになり、大きな漆黒の瞳でじっと彼を見つめていた。かすかに挑発的な表情。ジークはどきりとして、慌てて空に向き直った。
「あったりめぇだ。そんなんで勝っても、意味ねぇからな」
わずかに声がうわずっていた。彼は赤みのさした顔を隠すように、頭の後ろで手を組んだまま、顔の横でひじを立てた。
「うん」
アンジェリカも再び仰向けになり、まぶたを閉じて大きく空を吸い込んだ。
遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。アンジェリカは起き上がって、声のする方に目をやった。数人の子供たちが、浅瀬を素足で走り回ったり、水を掛け合ったりしている。
「気持ち良さそう。私も裸足になろうかしら」
「危ねぇぞ。何が落ちてるかわからねぇし」
ジークも体を起こした。
「じゃ、手だけひたしてくるわ」
アンジェリカは右手を広げてにっこり笑うと、岩から飛び降り、川辺に向かって走り出した。
「おい、走ると危ねぇぞ!」
ジークは慌てて追いかけた。
「平気よ。もう慣れたわ」
そう言って振り返ったとたん、足元が不安定に滑り、体のバランスを失った。
「あっ」
「おい!」
ジークは地面を強く蹴り、彼女に手を伸ばした。が、それと同時に、足を滑らせ、前につんのめった。そして、助けるつもりだった彼女の足に蹴つまずき、派手な音を立て、頭から浅瀬に突っ込んだ。全身を水流が飲み込み、あっというまにずぶ濡れになってしまった。
一方のアンジェリカは、水の中に手と膝をついただけで、体はほとんど濡れずにすんでいた。顔についた水滴を腕で拭いながら立ち上がる。そして前を向くと、ジークの惨状が目に入ってきた。すぐには声が掛けられず、しばらく呆然と眺めていた。
「大丈夫……?」
ジークはざぶざぶと音を立てながら立ち上がった。全身から雫が流れ落ちる。
「……っ……あははっ!」
「誰のせいだと思ってんだよ」
耐えきれずに吹き出したアンジェリカを、ジークはじとっと睨んだ。
「ごめんなさい。でもあんまり情けない顔をしてるから……ふふふっ」
謝りながらも笑いを止められない。
「あったまきた」
ジークは小さくつぶやくようにそう言うと、うつむいてその場にしゃがみ込んだ。アンジェリカは怪訝な顔で近づき、そっと覗き込んだ。
「ジーク?」
彼女の呼びかけに、彼はわずかに顔を上げた。上目づかいで不敵に笑う。アンジェリカは嫌な予感がして、後ろに下がろうとした。そのとき――。
「くらえっ!」
ジークは両手で水をすくい、彼女に向け、思いきり放った。
「やっ……ちょっ……ジーク!」
とっさに手で防いだものの、かなりの量を顔に浴びてしまった。再び水を掛けようとするジークから逃れようと、背を向け一歩踏み出そうとした。そのとき、再び小石に足をとられ、彼女の体が傾いた。
「きゃっ」
ジークは倒れそうな彼女の体を、後ろから抱きとめた。
「だから走るなって!」
「だってジークが!」
彼女は水滴を振りまきながら、勢いよく振り返った。
「……」
思ったよりずっと近くにジークの顔があった。驚いて無言で前に向き直る。彼女は気まずいものを感じ、彼から離れようとした。しかし、彼女にまわされた彼の腕が、それを阻んだ。気のせいか、さらに力が込められたように感じた。背中には服ごしに水がしみてきた。冷たくはない。体温と鼓動が伝わってくる。早い鼓動。それに呼応するかのように、彼女の鼓動も強く早くなっていく。息苦しくて、声を出すこともできない。沈黙が続く――。
「さ、そろそろ帰るか!」
ジークは明るく声を張り上げると、アンジェリカから手を放した。
「風邪ひかねぇうちにな」
そう言いながら、彼女を残し、さっさと岸へ上がっていった。上着を脱ぎ、ねじって絞ると、ザッと音を立てて水が流れ落ちた。靴と靴下も脱ぎ、同様に水を絞る。
アンジェリカは、まだ水辺で呆然と立ち尽くしていた。軽く握った左手で、胸を押さえる。
なんだったの、今の――。
ジークのいなくなった背中に、冷たい風が吹きつけ、熱を奪い去っていった。
ラウルが扉を開けようとすると、中から初老の男が出てきた。白髪まじりの金髪をこざっぱりと刈りそろえ、濃青色のローブを品よく着こなしている。背筋をピンと伸ばし、青い瞳をラウルに向け、鋭く睨みつけた。
しかし、ラウルは気にとめることなく、入れ違いにサイファの部屋へ入っていった。魔導省の塔。その最上階の個室だ。広くはないが、きちんと整理されている。ただ、机の上には、書類やファイルが乱雑に広げられていた。
「たまにはおまえの方から出向いたらどうだ」
「誰かさんにやっかいごとを頼まれたせいで忙しくてね」
サイファは立ち上がり、ラウルの前に歩いていくと、書類の束で彼の肩を軽く叩いた。
「おまえの娘に関する手続きはこれで全てのはずだ。一部希望どおりにはいかなかったが、これが精一杯だ。あとで確認しておいてくれ」
ラウルはそれを受け取ると、パラパラと目を通した。
「ずいぶん時間がかかったな」
「これでも嫌みを言われながら、強引に押し通したんだぞ。もう少しいたわりの言葉が欲しいところだよ」
サイファは笑いながら肩をすくめた。しかし、すぐに真面目な顔になり、腕を組んだ。一歩前に出て、ラウルと反対向きで肩を並べる。
「入口ですれ違った男を見たか?」
「ラグランジェ家分家の隠居だろう」
ラウルには質問の意図がわからなかった。隣のサイファに視線を流す。彼は、無表情でまっすぐ前を向いたまま、わずかに目を細めた。
「私の母方の祖父。そして、長老会との連絡係だ」
長老会という言葉をきいて、ラウルの瞳に強い光が宿った。けわしい顔をサイファに向ける。
「何を言ってきた」
「くだらないお小言だよ。アンジェリカの婚約者を早く決めろ、ここ最近はこればかりだ」
サイファはラウルに振り向き、まいったというふうに両手を広げ、おどけて見せた。しかし、彼の真意を、ラウルは見抜いていた。
「不満そうだな」
「動きがないのが不気味だ」
「ジークたちを餌にして、長老たちをおびき出すつもりか」
核心をついた質問に、サイファは驚きの表情を見せた。しかし、すぐに顎を引き、挑みかけるようにニヤリと笑った。
「おまえにしては気づくのが遅かったな」
ラウルは彼を冷たく睨んだ。その無言の問いかけに、サイファは冷静に答える。
「初めて会ったときから、いや、会う前から、利用させてもらうつもりだったよ。そうでなければ、会ったばかりの彼らに長老会のことを話したりはしなかった」
「レイチェルを……アンジェリカを悲しませることになってもか」
「私が利用しなくても、いずれは目をつけられるさ。万が一のとき、早い方が傷は浅くてすむ」
真剣な顔でそう言ったあと、にっこり笑って追加した。
「彼がアンジェリカを託すに足る男か試す意味合いもあったんだがね」
それから再び張りつめた表情に戻った。
「しかし、動きがないのではどうしようもない」
「おまえが思うほど、彼らは愚かではないということだ」
ラウルは諭すように言った。サイファは上を仰いで、軽くため息をついた。
「だが、このままおとなしくしているとも思えない。私が彼らを無視し続ければ、いずれ実力行使に出るだろう」
強く前を見据え、淡々と語った。
「おまえの目的は復讐か」
ラウルは腕を組み、目を細めて視線を流した。サイファはふっと笑って目を閉じた。
「だとすれば……」
後ろの机に右手をつく。
「最初のターゲットはおまえだ」
シュッ――。
空を切る音。サイファは机の上のペーパーナイフをとり、ラウルの喉を目がけて突き出した。先端が喉に当たるか当たらないかのギリギリのところで、ピタリと止まる。彼は眉をひそめ、ラウルを睨みつけた。だが、ラウルは微動だにしなかった。眉ひとつ動かさず、サイファを見下ろす。ふたりは、そのまま無言で相対した。
先に動いたのはサイファだった。ふいに目を閉じ、表情をやわらげると、手を下ろした。
「私は復讐ではなく、幸せになるための行動を選んだ。それはこれからも変わらないよ」
ナイフを机の上に置き、にっこりと笑った。
「では、私も餌か」
ラウルは無表情で尋ねた。サイファは一瞬きょとんとして、それから吹き出した。
「獲物より強くては、餌にならないだろう」
笑いながら、ラウルの肩をポンと叩いた。
「おまえは、私が遠慮も気遣いも心配もしなくていい、唯一の存在だ」
「少しは遠慮くらいしてほしいがな」
ラウルは冷たい視線を送った。しかし、サイファはにっこりと笑顔を返した。
「おまえがいてくれて良かったよ」
深く気持ちを込めてそう言うと、ラウルの肩に手をかけ、ぐっと力をこめた。
傾いた陽の光は、空と街並みを紅く染める。そして、大きなガラス窓を通して、ふたりの横顔をも彩った。
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