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19. 告白
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「え? これ……? お城じゃないの?」
アンジェリカの家を目の前にしたリックは、目を丸くして立ち尽くした。ジークは二度目なのでリックほど驚きはしないが、それでもやはりお城と見まがうような家を目の当たりにすると、さすがに圧倒され緊張する。
ギギギギ……。
重たげな扉の軋む音。扉がゆっくりと開いていく。その向こうには小柄な女性が立っていた。鮮やかなブロンドと金色のドレスが風になびき、光と風を受けて輝いている。彼女は扉から飛び出すと、小走りでジークたちの方へ駆け寄ってきた。
「ジークさん!」
ありったけの笑顔をジークに投げかけたその金髪の女性――レイチェルは、門を開き、ふたりを招き入れた。
「そろそろ来るころだと思ったの」
門を閉めながら、はしゃいだ声をあげる。
リックは彼女の後ろ姿をじっと見つめた。ふと、素朴な疑問が沸き上がった。
――この人は誰なんだろう……。
ジークに目で訴えかけようとしたが、彼は目を合わせてくれない。
ずいぶん雰囲気は違うが、顔はちょっと似ているし、やはりアンジェリカのお姉さんなのだろうか。そんなことを考えていたリックに、当の本人が話しかけてきた。
「リックさんですね。初めまして。レイチェル=エアリ=ラグランジェです。よろしくお願いします」
まっすぐにリックの目を見て、右手を差し出した。リックも慌てて右手を差し出し握手を交わした。
「リック=グリニッチです」
少しうわずった声で自分の名前を返す。レイチェルのまっすぐな瞳と、触れた手の柔らかさに、リックはどぎまぎした。
「あの、お姉さん、ですか?」
リックの言葉足らずな質問に、レイチェルはまず笑顔を返し、それから言葉を続けた。
「アンジェリカの母です」
「え……?」
思いもよらなかった返答に、リックはぽかんとしている。
「よく間違われるのよ。気にしないでね。ね、ジークさん」
急に振られたジークは、「ん……」と短く言葉を詰まらせた。
「アンジェリカ。おふたりがいらしたわよ」
レイチェルは大きな扉を押し開け、広い玄関ホールに声を響かせる。そして右手を家の中の方へ向けて、ふたりを導いた。
目の前に広がる大きな空間、緩やかなカーブを描く白い階段、赤いじゅうたん、きらびやかなシャンデリア……見なれない光景に、リックは再び呆然と立ち尽くした。一度見ているはずのジークも、その雰囲気に圧倒され、息をのむ。
「いらっしゃい」
少し照れくさそうに、応接間の扉から体半分だけを出し、アンジェリカがあいさつをした。
「入って」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、彼女は再び応接間へと姿を消した。
ふたりがとまどっていると、レイチェルがふたりの背中に後ろから片手づつ当て「どうぞ」と促した。
ジークは柔らかい手が触れると、びくりと体をこわばらせた。
レイチェルはジークの背中が揺れたのを感じると、不思議そうに横から覗き込んで尋ねた。
「どうかしたんですか?」
ジークは下方から迫ってきたレイチェルを避けるように少し上を向いた。
「なんでもないです」
少しうわずった声を上げて、あたふたと歩き始めた。
リックはジークの背中に向かって小さく笑うと、小走りで彼のあとを追っていった。
ふいに緩やかなメロディが流れ始める。
――ピアノ……?
「アンジェリカが弾いてるのかな」
リックは隣のジークにだけ聞こえるくらいの声でぽつりとつぶやいた。
応接間に入ると、音の聞こえてくる方を探し、目を向けた。
ふたの開いた漆黒のグランドピアノ。それにもたれかかるようにひじをついて立っているアンジェリカ。弾いているのは――。アンジェリカとピアノの陰に隠れてよく見えない。
リックは頭を右へ左へ動かし、なんとか見ようとささやかにあがいた。
きりのいいところでメロディが止み、ピアノの前に座っていた演奏者が立ち上がった。
「あっ」
ジークとリックの声がシンクロする。
「サイファさん!」
「よく来てくれた。ふたりとも」
そう言い、彼は笑みをたたえながら、ふたりに歩み寄った。
「ピアノ、弾けるんですね! かっこいいです!」
リックが驚嘆の声を上げる。
「たしなむ程度だよ。こういう家に生まれると習わされるものだ」
左手でソファを示しながら、ふたりをそこへ導き座らせた。そして自分も彼らの向かいに座った。
「アンジェリカも習ってるの?」
リックは、サイファの後ろにちょこんと立っているアンジェリカに尋ねた。
「ううん、私は何も」
「この子は魔導のこと以外、興味がなくてね」
サイファは笑いながら、後ろのアンジェリカの手をとると、軽く握った。
「アンジェリカも立ってないで座れば?」
紅茶を運んできたレイチェルがそう言うと、アンジェリカは素直にサイファの横に座った。
レイチェルは笑顔でひとりひとりに紅茶を配っていく。そしてそれが終わると、アンジェリカの横へ静かに腰を下ろした。アンジェリカは両親に挟まれて、少し気恥ずかしそうにうつむいた。
「学校って楽しそうね。私も行ってみたかったわ」
レイチェルは何気なくそう言ったのだが、ジークたちを驚かせるには十分だった。
「学校、行ったことないんですか?」
ジークが口を開くより早く、リックが反射的に尋ねた。
「私はずっと家庭教師だったの。サイファもそうよね」
レイチェルは少し前かがみ気味に横を向き、サイファを覗き込んだ。
「ああ。ラグランジェ家の本家はほとんどそうだな。アンジェリカもアカデミーに入るまでは学校へ行ったことはなかったよ」
「へぇ……そうだったんですか。それはうらやましいような、うらやましくないような……」
リックはあごのあたりに右手を添えてうつむき、なにやら真剣に悩む様子を見せた。
「私としては学校へ行ってほしかったけれど、この子がね。なかなか人見知りが激しくて行きたがらなかったんだ」
そう言いながらサイファは、アンジェリカの頭の上に手をのせた。
「人見知りじゃないわ。親しくもない人と楽しくおしゃべりができないだけよ」
「はいはい」
サイファは焦って抗議するアンジェリカをなだめるように、頭をぽんぽんと軽く叩いた。アンジェリカは頬を軽くふくらませて納得いかない様子を見せていたが、それ以上はもう言わなかった。
「ジークさんて無口ですよね。いつもそんな感じなの?」
レイチェルが少し身を乗り出して尋ねた。そして、上目づかいでじっとジークを見つめる。
ジークはますます言葉が出なくなった。
「緊張してるんですよ。知った人とじゃないと平和な話なんてあんまりしないし。突っかかっていくことはよくあるんですけど」
代わりにリックが明るく答えた。
それを聞いてジークは視線を落とし、少し考えたあと、ようやく声を発した。
「ていうか、そうじゃなくてな……」
そこまで言うと言葉につまり、また黙り込んでしまった。
「私、無口な人って好きよ」
レイチェルは唐突にそう言うと、ジークに笑いかけた。
ジークは驚きととまどいで表情が固まり、その目だけが泳いでいる。
「レイチェル、いたいけな少年をあまりからかうんじゃないよ」
サイファが穏やかに笑いかけながら言った。
「あら、からかっていないわ。本当のことよ」
レイチェルはきょとんとしている。
「もう! こんなことのためにふたりに来てもらったわけじゃないでしょ!」
アンジェリカは気恥ずかしさに耐えかねて、耳を少し赤くしながら叫ぶと、ソファから立ち上がった。
そのセリフを聞いて、ふいに彼女の両親の顔が引き締まる。レイチェルのこんな真剣な表情を見るのは、リックはもちろんジークも初めてだった。ただならぬ雰囲気を感じとって、ふたりの表情もかすかにこわばった。
アンジェリカはゆっくり、ジークとリックの方に視線を落とす。
「話すわ。私の……私たちのこと」
「私たちは、外した方がいい?」
レイチェルが、アンジェリカを見上げて静かに尋ねる。
アンジェリカは少し首を振って
「いっしょにいて」
と、かすかな声で言うと、再びソファに腰を下ろした。
しばしの沈黙のあと、アンジェリカが切り出す。
「ふたりとも気づいてるかもしれないけど」
そこまで言うと、少し間をおき、伏せていた目をさらに深く伏せた。
「私は両親のどちらとも髪と瞳の色が違う」
ジークはその言葉につられるように目の前の三人を見比べた。
――本当だ。
彼はそこで初めて違いを認識した。
「でも、隔世遺伝とか、あるんじゃない?」
リックが口を挟む。
アンジェリカは少し寂しそうに笑って、続けた。
「ラグランジェ家はずっと、金の髪、青い瞳を守ってきたの。隔世遺伝だってこんなことありえない。入り込む余地なんてないんだから。だからよ。金の髪や青い瞳が魔導士の象徴みたいに言われるのは。ラグランジェ家の影響らしいわ」
レイチェルとサイファはアンジェリカの話を黙って聞いている。ときどき微かに苦しそうな表情を浮かべては、それを押し込めた。
「しかも黒でしょう? 闇の色、不吉な色、呪われた色……いろいろ言われたわ。物心がついたときには、呪われた子って呼ばれてた。下手に騒ぎ立てると一族の恥になるから、ラグランジェ家以外の人にはそういう話はしてはいけないことになってるみたいだけど」
ジークはセリカのことを思い出した。セリカ自身はラグランジェ家の人間ではないが、きっと祖父か誰か、ラグランジェ家の親戚に聞いていたのだろう。
「僕たちに言っちゃってもいいんですか……?」
リックが不安げに尋ねた。
「そういう明確な決まりがあるわけじゃないんだよ。暗黙の了解というやつだな」
サイファがそう補足すると、ジークとリックを交互に、まっすぐ見つめた。
「アンジェリカが君たちに話したいと言ったんだ。私たちはアンジェリカの意思を、何よりも尊重したいと思っている。そのことでアンジェリカに何らかの危害が及ぶことがあれば、私たちが全力で守るつもりだ」
ふたりは身じろぎひとつせず、サイファの話をただじっと聞いている。
「まあ偉そうなことを言っているが、私の力が及ばないばかりに、アンジェリカに辛い思いばかりさせてきたわけだが」
自嘲ぎみに笑みを浮かべ、斜め下に視線を落とした。
アンジェリカは膝の上の両手をぎゅっと握りしめた。そして、首を小さく横に振った。サイファは、今度は柔らかく、しかしどこか寂しげに笑い、彼女の頭にそっと手をのせた。ふたりを見守っていたレイチェルは、包み込むような笑顔を見せると、娘の背中に手をまわして引き寄せた。
「俺は……」
ずっと無言だったジークが、下を向いたまま口を開いた。
「俺は、いいと思う。その黒い髪も黒い瞳も……俺は、好きだ」
その言葉を聞くと、レイチェルはぱっと顔を輝かせた。
「そうでしょう? 私もかわいいと思うの」
自分のことのように喜ぶレイチェルを、サイファはあたたかく見守った。アンジェリカも、ほっとしたように小さく笑った。そして、顔を上げると、まっすぐジークを見つめた。
「ありがとう」
彼女の少し潤んだ瞳と揺れた声が、ジークの心を突き刺した。
「本当に帰ってしまうんですか? 泊まっていってくれると思っていたのに」
レイチェルは残念そうに言った。
隣のサイファは、そんな彼女を見て、愛おしそうに目を細めた。そして、彼女の頭に後ろから手をまわし、自分の方へ軽く引き寄せた。
「レイチェル、あんまり彼らを困らせるんじゃないよ。あしたはふたりともバイトだっていうんだから、仕方ないだろう?」
そう言って、優しくなだめた。
「バイトって、何のバイトなの?」
じゃれあう両親を無視して、アンジェリカはジークたちに尋ねた。
「えーっと、せ……」
「リック!!」
アンジェリカの質問に答えかけたリックを、ジークは驚くほどの大声で制した。アンジェリカも、彼女の両親も、目を丸くしている。
ジークも自分の声の大きさに少し動揺した。
「すみませんでした!」
そう一言告げると、リックの腕を引き、慌てて扉の外へ飛び出した。その扉が閉まるのを確認すると、ジークは軽くため息をついた。
「……言っちゃ、まずかった?」
リックのその質問に、ジークは少し顔をそむけ、ぼそりとつぶやいた。
「なんか、カッコ悪いだろ」
再び扉が軋み音をあげる。ふたりがびくりとして振り返ると、中からサイファが姿を現した。
「途中まで送るよ」
とまどっているふたりに、さらに畳み掛ける。
「まだ話したいこと……というか、話さなければならないこともあるしな」
この辺は民家があまりないせいか、日が暮れるか暮れないかの時間にもかかわらず、ひっそりとしている。静寂が三人の足音がいっそう際立たせた。
「君たちみたいな友達ができて良かったよ。今日は来てくれて本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ、いろいろごちそうにもなりましたし」
リックが笑顔で答えたあと、ジークは真顔で言葉を続けた。
「アンジェリカの話も聞けました」
サイファはしばしの沈黙のあと、無表情のまま口を開く。
「君たち、アルコールは大丈夫か?」
尋ねられたふたりは、顔を見合わせ、お互い目をぱちくりさせた。
「少しくらいなら平気ですけど?」
リックがとまどいぎみに語尾を上げて答えると、サイファは口の端を少し上げ、にやりと笑ってみせた。
「少し、付き合ってくれるか?」
そう言ったサイファの親指は、暗い路地裏を指していた。
アンジェリカの家を目の前にしたリックは、目を丸くして立ち尽くした。ジークは二度目なのでリックほど驚きはしないが、それでもやはりお城と見まがうような家を目の当たりにすると、さすがに圧倒され緊張する。
ギギギギ……。
重たげな扉の軋む音。扉がゆっくりと開いていく。その向こうには小柄な女性が立っていた。鮮やかなブロンドと金色のドレスが風になびき、光と風を受けて輝いている。彼女は扉から飛び出すと、小走りでジークたちの方へ駆け寄ってきた。
「ジークさん!」
ありったけの笑顔をジークに投げかけたその金髪の女性――レイチェルは、門を開き、ふたりを招き入れた。
「そろそろ来るころだと思ったの」
門を閉めながら、はしゃいだ声をあげる。
リックは彼女の後ろ姿をじっと見つめた。ふと、素朴な疑問が沸き上がった。
――この人は誰なんだろう……。
ジークに目で訴えかけようとしたが、彼は目を合わせてくれない。
ずいぶん雰囲気は違うが、顔はちょっと似ているし、やはりアンジェリカのお姉さんなのだろうか。そんなことを考えていたリックに、当の本人が話しかけてきた。
「リックさんですね。初めまして。レイチェル=エアリ=ラグランジェです。よろしくお願いします」
まっすぐにリックの目を見て、右手を差し出した。リックも慌てて右手を差し出し握手を交わした。
「リック=グリニッチです」
少しうわずった声で自分の名前を返す。レイチェルのまっすぐな瞳と、触れた手の柔らかさに、リックはどぎまぎした。
「あの、お姉さん、ですか?」
リックの言葉足らずな質問に、レイチェルはまず笑顔を返し、それから言葉を続けた。
「アンジェリカの母です」
「え……?」
思いもよらなかった返答に、リックはぽかんとしている。
「よく間違われるのよ。気にしないでね。ね、ジークさん」
急に振られたジークは、「ん……」と短く言葉を詰まらせた。
「アンジェリカ。おふたりがいらしたわよ」
レイチェルは大きな扉を押し開け、広い玄関ホールに声を響かせる。そして右手を家の中の方へ向けて、ふたりを導いた。
目の前に広がる大きな空間、緩やかなカーブを描く白い階段、赤いじゅうたん、きらびやかなシャンデリア……見なれない光景に、リックは再び呆然と立ち尽くした。一度見ているはずのジークも、その雰囲気に圧倒され、息をのむ。
「いらっしゃい」
少し照れくさそうに、応接間の扉から体半分だけを出し、アンジェリカがあいさつをした。
「入って」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、彼女は再び応接間へと姿を消した。
ふたりがとまどっていると、レイチェルがふたりの背中に後ろから片手づつ当て「どうぞ」と促した。
ジークは柔らかい手が触れると、びくりと体をこわばらせた。
レイチェルはジークの背中が揺れたのを感じると、不思議そうに横から覗き込んで尋ねた。
「どうかしたんですか?」
ジークは下方から迫ってきたレイチェルを避けるように少し上を向いた。
「なんでもないです」
少しうわずった声を上げて、あたふたと歩き始めた。
リックはジークの背中に向かって小さく笑うと、小走りで彼のあとを追っていった。
ふいに緩やかなメロディが流れ始める。
――ピアノ……?
「アンジェリカが弾いてるのかな」
リックは隣のジークにだけ聞こえるくらいの声でぽつりとつぶやいた。
応接間に入ると、音の聞こえてくる方を探し、目を向けた。
ふたの開いた漆黒のグランドピアノ。それにもたれかかるようにひじをついて立っているアンジェリカ。弾いているのは――。アンジェリカとピアノの陰に隠れてよく見えない。
リックは頭を右へ左へ動かし、なんとか見ようとささやかにあがいた。
きりのいいところでメロディが止み、ピアノの前に座っていた演奏者が立ち上がった。
「あっ」
ジークとリックの声がシンクロする。
「サイファさん!」
「よく来てくれた。ふたりとも」
そう言い、彼は笑みをたたえながら、ふたりに歩み寄った。
「ピアノ、弾けるんですね! かっこいいです!」
リックが驚嘆の声を上げる。
「たしなむ程度だよ。こういう家に生まれると習わされるものだ」
左手でソファを示しながら、ふたりをそこへ導き座らせた。そして自分も彼らの向かいに座った。
「アンジェリカも習ってるの?」
リックは、サイファの後ろにちょこんと立っているアンジェリカに尋ねた。
「ううん、私は何も」
「この子は魔導のこと以外、興味がなくてね」
サイファは笑いながら、後ろのアンジェリカの手をとると、軽く握った。
「アンジェリカも立ってないで座れば?」
紅茶を運んできたレイチェルがそう言うと、アンジェリカは素直にサイファの横に座った。
レイチェルは笑顔でひとりひとりに紅茶を配っていく。そしてそれが終わると、アンジェリカの横へ静かに腰を下ろした。アンジェリカは両親に挟まれて、少し気恥ずかしそうにうつむいた。
「学校って楽しそうね。私も行ってみたかったわ」
レイチェルは何気なくそう言ったのだが、ジークたちを驚かせるには十分だった。
「学校、行ったことないんですか?」
ジークが口を開くより早く、リックが反射的に尋ねた。
「私はずっと家庭教師だったの。サイファもそうよね」
レイチェルは少し前かがみ気味に横を向き、サイファを覗き込んだ。
「ああ。ラグランジェ家の本家はほとんどそうだな。アンジェリカもアカデミーに入るまでは学校へ行ったことはなかったよ」
「へぇ……そうだったんですか。それはうらやましいような、うらやましくないような……」
リックはあごのあたりに右手を添えてうつむき、なにやら真剣に悩む様子を見せた。
「私としては学校へ行ってほしかったけれど、この子がね。なかなか人見知りが激しくて行きたがらなかったんだ」
そう言いながらサイファは、アンジェリカの頭の上に手をのせた。
「人見知りじゃないわ。親しくもない人と楽しくおしゃべりができないだけよ」
「はいはい」
サイファは焦って抗議するアンジェリカをなだめるように、頭をぽんぽんと軽く叩いた。アンジェリカは頬を軽くふくらませて納得いかない様子を見せていたが、それ以上はもう言わなかった。
「ジークさんて無口ですよね。いつもそんな感じなの?」
レイチェルが少し身を乗り出して尋ねた。そして、上目づかいでじっとジークを見つめる。
ジークはますます言葉が出なくなった。
「緊張してるんですよ。知った人とじゃないと平和な話なんてあんまりしないし。突っかかっていくことはよくあるんですけど」
代わりにリックが明るく答えた。
それを聞いてジークは視線を落とし、少し考えたあと、ようやく声を発した。
「ていうか、そうじゃなくてな……」
そこまで言うと言葉につまり、また黙り込んでしまった。
「私、無口な人って好きよ」
レイチェルは唐突にそう言うと、ジークに笑いかけた。
ジークは驚きととまどいで表情が固まり、その目だけが泳いでいる。
「レイチェル、いたいけな少年をあまりからかうんじゃないよ」
サイファが穏やかに笑いかけながら言った。
「あら、からかっていないわ。本当のことよ」
レイチェルはきょとんとしている。
「もう! こんなことのためにふたりに来てもらったわけじゃないでしょ!」
アンジェリカは気恥ずかしさに耐えかねて、耳を少し赤くしながら叫ぶと、ソファから立ち上がった。
そのセリフを聞いて、ふいに彼女の両親の顔が引き締まる。レイチェルのこんな真剣な表情を見るのは、リックはもちろんジークも初めてだった。ただならぬ雰囲気を感じとって、ふたりの表情もかすかにこわばった。
アンジェリカはゆっくり、ジークとリックの方に視線を落とす。
「話すわ。私の……私たちのこと」
「私たちは、外した方がいい?」
レイチェルが、アンジェリカを見上げて静かに尋ねる。
アンジェリカは少し首を振って
「いっしょにいて」
と、かすかな声で言うと、再びソファに腰を下ろした。
しばしの沈黙のあと、アンジェリカが切り出す。
「ふたりとも気づいてるかもしれないけど」
そこまで言うと、少し間をおき、伏せていた目をさらに深く伏せた。
「私は両親のどちらとも髪と瞳の色が違う」
ジークはその言葉につられるように目の前の三人を見比べた。
――本当だ。
彼はそこで初めて違いを認識した。
「でも、隔世遺伝とか、あるんじゃない?」
リックが口を挟む。
アンジェリカは少し寂しそうに笑って、続けた。
「ラグランジェ家はずっと、金の髪、青い瞳を守ってきたの。隔世遺伝だってこんなことありえない。入り込む余地なんてないんだから。だからよ。金の髪や青い瞳が魔導士の象徴みたいに言われるのは。ラグランジェ家の影響らしいわ」
レイチェルとサイファはアンジェリカの話を黙って聞いている。ときどき微かに苦しそうな表情を浮かべては、それを押し込めた。
「しかも黒でしょう? 闇の色、不吉な色、呪われた色……いろいろ言われたわ。物心がついたときには、呪われた子って呼ばれてた。下手に騒ぎ立てると一族の恥になるから、ラグランジェ家以外の人にはそういう話はしてはいけないことになってるみたいだけど」
ジークはセリカのことを思い出した。セリカ自身はラグランジェ家の人間ではないが、きっと祖父か誰か、ラグランジェ家の親戚に聞いていたのだろう。
「僕たちに言っちゃってもいいんですか……?」
リックが不安げに尋ねた。
「そういう明確な決まりがあるわけじゃないんだよ。暗黙の了解というやつだな」
サイファがそう補足すると、ジークとリックを交互に、まっすぐ見つめた。
「アンジェリカが君たちに話したいと言ったんだ。私たちはアンジェリカの意思を、何よりも尊重したいと思っている。そのことでアンジェリカに何らかの危害が及ぶことがあれば、私たちが全力で守るつもりだ」
ふたりは身じろぎひとつせず、サイファの話をただじっと聞いている。
「まあ偉そうなことを言っているが、私の力が及ばないばかりに、アンジェリカに辛い思いばかりさせてきたわけだが」
自嘲ぎみに笑みを浮かべ、斜め下に視線を落とした。
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「俺は……」
ずっと無言だったジークが、下を向いたまま口を開いた。
「俺は、いいと思う。その黒い髪も黒い瞳も……俺は、好きだ」
その言葉を聞くと、レイチェルはぱっと顔を輝かせた。
「そうでしょう? 私もかわいいと思うの」
自分のことのように喜ぶレイチェルを、サイファはあたたかく見守った。アンジェリカも、ほっとしたように小さく笑った。そして、顔を上げると、まっすぐジークを見つめた。
「ありがとう」
彼女の少し潤んだ瞳と揺れた声が、ジークの心を突き刺した。
「本当に帰ってしまうんですか? 泊まっていってくれると思っていたのに」
レイチェルは残念そうに言った。
隣のサイファは、そんな彼女を見て、愛おしそうに目を細めた。そして、彼女の頭に後ろから手をまわし、自分の方へ軽く引き寄せた。
「レイチェル、あんまり彼らを困らせるんじゃないよ。あしたはふたりともバイトだっていうんだから、仕方ないだろう?」
そう言って、優しくなだめた。
「バイトって、何のバイトなの?」
じゃれあう両親を無視して、アンジェリカはジークたちに尋ねた。
「えーっと、せ……」
「リック!!」
アンジェリカの質問に答えかけたリックを、ジークは驚くほどの大声で制した。アンジェリカも、彼女の両親も、目を丸くしている。
ジークも自分の声の大きさに少し動揺した。
「すみませんでした!」
そう一言告げると、リックの腕を引き、慌てて扉の外へ飛び出した。その扉が閉まるのを確認すると、ジークは軽くため息をついた。
「……言っちゃ、まずかった?」
リックのその質問に、ジークは少し顔をそむけ、ぼそりとつぶやいた。
「なんか、カッコ悪いだろ」
再び扉が軋み音をあげる。ふたりがびくりとして振り返ると、中からサイファが姿を現した。
「途中まで送るよ」
とまどっているふたりに、さらに畳み掛ける。
「まだ話したいこと……というか、話さなければならないこともあるしな」
この辺は民家があまりないせいか、日が暮れるか暮れないかの時間にもかかわらず、ひっそりとしている。静寂が三人の足音がいっそう際立たせた。
「君たちみたいな友達ができて良かったよ。今日は来てくれて本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ、いろいろごちそうにもなりましたし」
リックが笑顔で答えたあと、ジークは真顔で言葉を続けた。
「アンジェリカの話も聞けました」
サイファはしばしの沈黙のあと、無表情のまま口を開く。
「君たち、アルコールは大丈夫か?」
尋ねられたふたりは、顔を見合わせ、お互い目をぱちくりさせた。
「少しくらいなら平気ですけど?」
リックがとまどいぎみに語尾を上げて答えると、サイファは口の端を少し上げ、にやりと笑ってみせた。
「少し、付き合ってくれるか?」
そう言ったサイファの親指は、暗い路地裏を指していた。
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