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「始め!」
ラウルのその声と同時にふたりは構えた。
ジークは、短く呪文をとなえると、自分のまわりに結界を張った。そして間髪入れず、胸の前で両手を向かい合わせにし、早口で呪文の詠唱を始めた。
「結界を張りながら、同時に呪文を唱えられるなんて……」
セリカを始め、それを見ていた生徒の数人が驚きの声をあげた。
「実戦ではこれくらいのことができないと話にならない」
ラウルは冷たく言い放った。ざわめきがピタリと止み、マシンのモータ音だけがあたりに響きわたった。
アンジェリカは構えたまま微動だにせず、ジークの様子を凝視していた。彼の両手の光は次第に大きくなっていき、その手からあふれ始めた。すると、自分のまわりの結界を消滅させ、両手の中の光を一気にアンジェリカに向かって放出した。その光球と彼女が重なったかに見えた、その瞬間。アンジェリカはすさまじいスピードで横に飛び出し、それをかわした。すぐに足を止めたが、勢いに押され、そのまま地面を数メートル滑った。激しく砂ぼこりが巻き上がる。
ジークはかわされることも予想していたらしく、顔色ひとつ変えなかった。伸ばされていた右の手のひらを上に向ける。そして手首を返すと、重そうに歯を食いしばりながら、その手を引いた。
アンジェリカは何か気配を感じ、後ろを振り返った。彼女の目に飛び込んできたものは、自分の方にめがけて突進してくる、かわしたはずのジークの光球だった。
――ジークが操っているんだわ。
彼の様子から、アンジェリカはそう確信した。右へ、左へ、彼女はジグザグに走った。そして、彼女が向きを変えるたび、ジークは右手を動かし、光球の進行方向を変えた。
しかし、その作業は彼にかなりの負担を与えていた。
一度や二度ならともかく、アンジェリカは何度も何度も向きを変え走るのだ。もちろん、これは彼女の戦略である。その戦略にまんまとはまってしまったジークは、次第に疲れの色を濃くしていった。
それを見計らったアンジェリカは、真正面からジークに向かって突進を始めた。焦ったジークは右手をよりいっそう強く引き、光球の向きを変えた。アンジェリカの方、すなわち自分の方へ。アンジェリカの後ろから、大きな光球が自分へめがけて飛んでくるのを見たとき、ジークはようやく彼女の策略に気がついた。
彼が次の行動を起こすより早く、アンジェリカは短く呪文を唱え、その手の中に小さな光球を作り上げていた。彼女はすぐ近くまで迫ったジークをめがけ、それを放出した。それと同時に、ジークは自分の前面に結界を作り上げ、間一髪でそれを弾きとばした。
次の瞬間、ジークの視界からアンジェリカの姿が消えていた。耳障りな砂の摩擦音、舞い上がる砂ぼこり、そして、脚の内側をこする感触。
彼は気がついた。アンジェリカが勢いにまかせ足からスライディングし、自分の脚の間をすり抜けているのだということに。
背後をとられる!
とっさに振り返ろうとしたそのとき、ふいに強く背中を押された。体の向きを変えようとするところだったため、バランスを崩してしまった。よろけながら2、3歩、乱れたリズムを刻む。
そのとたん、激痛とともに目の前が白くなった。
何かがジークを飲み込んでいく。白く大きな光。それは、彼自身がアンジェリカに向け放ったはずのものだった。アンジェリカと共に自分の方へ向かってきていたことを、すっかり忘れていた。というより、そこまで気がまわらなかったといった方がいいかもしれない。
ジークが熱さと痛みにもがいているところへ、さらに後ろから新たな痛みがやってきた。今度はジークの背後へまわったアンジェリカが放ったものだった。ジークは弾きとばされ、顔から地面に落ちるとそのまま数メートル、砂ぼこりを巻き上げながら滑った。
うつぶせのまま、わずかに頭を持ち上げ、自分の足元に目をやる。砂煙りにゆらめく小さな影。やがてそこから無表情のアンジェリカが姿を現した。小さいはずのアンジェリカが覆いかぶさるような威圧感を持って近づいてくる。ジークは激痛と恐怖で、もはや考えることも動くこともできない。
アンジェリカは感情のない顔で、倒れている彼を見下ろす。ジークは、彼女と目が合うと、その顔をこわばらせ、歯をガチガチ鳴らしだした。
しかし、アンジェリカはそんなジークを見ても全く動じない。両手を空に向かって伸ばし、呪文を唱え始めた。顔を天に向け、最後の言葉を口にする。
ドドーン!
光が空を裂き、柱となってジークを直撃した。
「ひ……」
モニター前の生徒たちの何人かがひきつった声をあげた。
セリカは両手で顔を覆っている。リックは口を半開きにしたまま、画面から目を離せずにいた。
ラウルはVRMのスイッチを切り、ヘッドセットを外して首にかけた。そして、ジークのコクピットへ大きな足どりで歩み寄り、赤いボタンを押した。
機械音を響かせながら、コクピットが開いていく。
そして、ジークのその生身が姿を現した。
彼は目を開けたまま、ピクリとも動かなかった。ラウルはジークの頬を、数回、軽く叩いたが反応はない。今度は右手で開いたままの目を閉じさせながら、もう片方の手をジークの首筋に当てた。五秒ほどそうしたあと、ラウルはジークを両手で抱えた。
扉へ向かおうと振り返ったラウルに、生徒たちは一斉に注目を浴びせた。しかし、彼は構うことなく歩き出した。
「試験はここまで。解散」
扉ぎわでその言葉を残し、ジークを抱えたラウルは部屋を後にした。
ウィーン――。
もうひとつのコクピットがようやく開いた。
「どうかしたの?」
コクピットから上体だけ起こしたアンジェリカが、きょとんとしながら問いかけた。
「あなた! ちょっとおかしいんじゃないの?!」
目に涙をためたセリカが叫び声をあげる。
「ジークはもう動けなかったのよ! なのに……あんなに決定的なまでにとどめを刺すなんて!! どういうつもりなのよ!! なんとか言いなさいよ!!」
青い瞳が揺れ、その瞳から涙がこぼれ落ちた。アンジェリカは戸惑いながらあたりを見渡す。
恐怖に覆われた顔、怪訝な表情、怯えた瞳……。
彼女はますます混乱した。
「だって、これはバーチャルなんでしょう?」
自信がなさそうに、おそるおそる疑問をぶつけてみる。
「そうだけど……」
リックが口を開く。
「ジークが意識をなくしたみたいで……ラウルが抱えていったよ」
「え……?」
アンジェリカはそれを聞くと驚きの表情を見せたが、次の瞬間、コクピットから飛び降り、勢いよく走って部屋を出ていった。リックもその後を追った。
ガラガラガシャン!
息をきらせたアンジェリカが、ラウルの医務室の扉を勢いよく開ける。白いパイプベッドに寝かされたジークを見つけると、一目散にその枕元に駆け寄った。
「ごめんなさい……わたし……こんなことになるなんて……!!」
白い布団に顔をうずめ、肩を震わせている。
あとから入ってきたリックが、ラウルに尋ねた。
「ジーク、どうなんですか?」
ラウルはカルテをデスクの上に置きながら答える。
「軽いショック症状だ。心配ない。すぐに目を覚ます」
その声が聞こえていないのか、アンジェリカがずっと肩を震わせ、しゃくりあげ続けている。ふいに、アンジェリカは、頭の上に何かが置かれたのを感じた。
――暖かい……手?
恐る恐る、顔を上げる。
「なに泣いてんだよ。死んでねーぞ」
天井を向いたまま、アンジェリカの髪をくしゃっと掻き、ジークはいつものようにぶっきらぼうな言葉を口にする。
「実戦だったら確実に死んでいるがな」
ラウルが口をはさむ。重い空気が医務室に淀んだ。
ジークはもう一度アンジェリカの髪を掻き、ラウルを無視するかのように続けた。
「おまえは何も悪くないんだ。俺の力が足りなかったんだよ」
アンジェリカは再びしゃくりあげ
「でも……」
と言いかけた。そのとき。
「ふたりとも悪くない。悪いのはこいつだ」
その場にいた四人が、一斉に声の方を振り向く。
鮮やかな金髪、深い蒼の瞳の男が、親指でラウルを指さし立っていた。ラウルに歩み寄りながら、憤然とした表情で、さらに続けた。
「だから、私はあれには反対だと言っただろう。どこまで安全性が確保されているかわからない代物だぞ。ただでさえ戦闘意欲を冗長させる危険なものだ。戦時中ならともかく、今の世には必要ないだろう。だいたい、リミッターが付いているはずではなかったのか?!」
金髪の男はそこまで一気にまくしたてた。
「死なない程度にな」
責めれらたラウルの方はまったく表情を変えず、さらりと受け流すように答えた。相手の男はあきらめの表情を浮かべ、ため息をつく。
「とりあえず……リミット値を下げておけ。いいな」
ラウルにそう念を押すと、今度はジークとアンジェリカの方へ歩き出した。
「ジーク君だね。娘がいつもお世話になっている」
後ろからアンジェリカの両肩に手を置き、かがみこむと、品のある笑顔を見せた。
「え……?!」
ジークは慌てて上体を起こそうとした。
「そのまま、そのまま」
両手でジークを制し、ベッドに寝かせる。
「サイファ=ヴァルデ=ラグランジェ。アンジェリカの父だ。魔導省保安課に勤めている。ここから近いのでいつでも訪ねてきてくれ。もちろん家の方にもな」
そういい、サイファはジークの右手をとった。
「ジーク=セドラックです」
ジークははっきりとした口調で自分の名を告げると、お互いそれぞれの手を固く握り合った。サイファがジークに穏やかに笑いかける。ジークの顔にも微かに笑みが浮かんだように見えた。
サイファは立ち上がると、扉に向かって歩き出した。ラウルとすれ違いざま、足を止め、横目で彼を一瞥する。
「大丈夫だとは思うが、念のため、彼の脳波、心電図のデータを提出しろ。いいな」
そう言い、自分の顔のすぐ横にあるラウルの肩を軽く叩くと、部屋を出ていった。
「サイファ。おまえの欲しがっていたものを持ってきた」
ラウルは無遠慮に部屋の中央まで進み、机の上に書類の束を投げ置いた。
魔導省の塔、その最上階の一室がサイファの部屋だ。広くはないがきちんと整理され、すっきりとしている。
サイファは椅子を後ろ向きにし、外の風景を見ていたが、書類の置かれる音が聞こえると、くるりと椅子をまわし、それを手にとった。一通り目を通したあと書類を机の上に戻し、深く息を吐く。
「すべて正常値。安心した」
そういうと再び椅子を半回転させた。
「なぁ、おまえから見てアンジェリカはどうだ?」
ラウルに背を向けたまま問いかけた。ラウルは大きな机の横をすり抜けると、サイファの横に並んだ。ふたりの目の前には、薄い霧に包まれた世界が一面に広がっていた。
「正直いって恐ろしいな。彼女は戦闘が始まるとそれにのめり込んでしまうようだ。レイチェルにもそういうところがあったから遺伝だと思うが。それに加え、あの魔導力、戦闘能力。この国で彼女にかなうものはほとんどいないだろう。父親のおまえですらな」
サイファは背もたれに深く身を預ける。少し、椅子のきしむ音がした。
「それは、仕方のないことだな」
目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「なぁ……」
サイファがそう切り出したあと、しばし沈黙が流れた。ふたりはまっすぐ前を向いたまま、ガラス越しに広がる世界を眺めていた。そして、再び口を開く。
「おまえ、気がついてるんじゃないのか?」
ラウルがをサイファに横目を送る。
「何をだ」
サイファはわずかに目を細め、遠くを見つめた。
「……いや、何でもない」
そう言い、椅子から立ち上がるとラウルの横に並び、彼の背中に手をやった。
「アンジェリカのことを頼むよ。先生」
前を見たまま、サイファは感情を隠した静かな声を落とした。
ラウルのその声と同時にふたりは構えた。
ジークは、短く呪文をとなえると、自分のまわりに結界を張った。そして間髪入れず、胸の前で両手を向かい合わせにし、早口で呪文の詠唱を始めた。
「結界を張りながら、同時に呪文を唱えられるなんて……」
セリカを始め、それを見ていた生徒の数人が驚きの声をあげた。
「実戦ではこれくらいのことができないと話にならない」
ラウルは冷たく言い放った。ざわめきがピタリと止み、マシンのモータ音だけがあたりに響きわたった。
アンジェリカは構えたまま微動だにせず、ジークの様子を凝視していた。彼の両手の光は次第に大きくなっていき、その手からあふれ始めた。すると、自分のまわりの結界を消滅させ、両手の中の光を一気にアンジェリカに向かって放出した。その光球と彼女が重なったかに見えた、その瞬間。アンジェリカはすさまじいスピードで横に飛び出し、それをかわした。すぐに足を止めたが、勢いに押され、そのまま地面を数メートル滑った。激しく砂ぼこりが巻き上がる。
ジークはかわされることも予想していたらしく、顔色ひとつ変えなかった。伸ばされていた右の手のひらを上に向ける。そして手首を返すと、重そうに歯を食いしばりながら、その手を引いた。
アンジェリカは何か気配を感じ、後ろを振り返った。彼女の目に飛び込んできたものは、自分の方にめがけて突進してくる、かわしたはずのジークの光球だった。
――ジークが操っているんだわ。
彼の様子から、アンジェリカはそう確信した。右へ、左へ、彼女はジグザグに走った。そして、彼女が向きを変えるたび、ジークは右手を動かし、光球の進行方向を変えた。
しかし、その作業は彼にかなりの負担を与えていた。
一度や二度ならともかく、アンジェリカは何度も何度も向きを変え走るのだ。もちろん、これは彼女の戦略である。その戦略にまんまとはまってしまったジークは、次第に疲れの色を濃くしていった。
それを見計らったアンジェリカは、真正面からジークに向かって突進を始めた。焦ったジークは右手をよりいっそう強く引き、光球の向きを変えた。アンジェリカの方、すなわち自分の方へ。アンジェリカの後ろから、大きな光球が自分へめがけて飛んでくるのを見たとき、ジークはようやく彼女の策略に気がついた。
彼が次の行動を起こすより早く、アンジェリカは短く呪文を唱え、その手の中に小さな光球を作り上げていた。彼女はすぐ近くまで迫ったジークをめがけ、それを放出した。それと同時に、ジークは自分の前面に結界を作り上げ、間一髪でそれを弾きとばした。
次の瞬間、ジークの視界からアンジェリカの姿が消えていた。耳障りな砂の摩擦音、舞い上がる砂ぼこり、そして、脚の内側をこする感触。
彼は気がついた。アンジェリカが勢いにまかせ足からスライディングし、自分の脚の間をすり抜けているのだということに。
背後をとられる!
とっさに振り返ろうとしたそのとき、ふいに強く背中を押された。体の向きを変えようとするところだったため、バランスを崩してしまった。よろけながら2、3歩、乱れたリズムを刻む。
そのとたん、激痛とともに目の前が白くなった。
何かがジークを飲み込んでいく。白く大きな光。それは、彼自身がアンジェリカに向け放ったはずのものだった。アンジェリカと共に自分の方へ向かってきていたことを、すっかり忘れていた。というより、そこまで気がまわらなかったといった方がいいかもしれない。
ジークが熱さと痛みにもがいているところへ、さらに後ろから新たな痛みがやってきた。今度はジークの背後へまわったアンジェリカが放ったものだった。ジークは弾きとばされ、顔から地面に落ちるとそのまま数メートル、砂ぼこりを巻き上げながら滑った。
うつぶせのまま、わずかに頭を持ち上げ、自分の足元に目をやる。砂煙りにゆらめく小さな影。やがてそこから無表情のアンジェリカが姿を現した。小さいはずのアンジェリカが覆いかぶさるような威圧感を持って近づいてくる。ジークは激痛と恐怖で、もはや考えることも動くこともできない。
アンジェリカは感情のない顔で、倒れている彼を見下ろす。ジークは、彼女と目が合うと、その顔をこわばらせ、歯をガチガチ鳴らしだした。
しかし、アンジェリカはそんなジークを見ても全く動じない。両手を空に向かって伸ばし、呪文を唱え始めた。顔を天に向け、最後の言葉を口にする。
ドドーン!
光が空を裂き、柱となってジークを直撃した。
「ひ……」
モニター前の生徒たちの何人かがひきつった声をあげた。
セリカは両手で顔を覆っている。リックは口を半開きにしたまま、画面から目を離せずにいた。
ラウルはVRMのスイッチを切り、ヘッドセットを外して首にかけた。そして、ジークのコクピットへ大きな足どりで歩み寄り、赤いボタンを押した。
機械音を響かせながら、コクピットが開いていく。
そして、ジークのその生身が姿を現した。
彼は目を開けたまま、ピクリとも動かなかった。ラウルはジークの頬を、数回、軽く叩いたが反応はない。今度は右手で開いたままの目を閉じさせながら、もう片方の手をジークの首筋に当てた。五秒ほどそうしたあと、ラウルはジークを両手で抱えた。
扉へ向かおうと振り返ったラウルに、生徒たちは一斉に注目を浴びせた。しかし、彼は構うことなく歩き出した。
「試験はここまで。解散」
扉ぎわでその言葉を残し、ジークを抱えたラウルは部屋を後にした。
ウィーン――。
もうひとつのコクピットがようやく開いた。
「どうかしたの?」
コクピットから上体だけ起こしたアンジェリカが、きょとんとしながら問いかけた。
「あなた! ちょっとおかしいんじゃないの?!」
目に涙をためたセリカが叫び声をあげる。
「ジークはもう動けなかったのよ! なのに……あんなに決定的なまでにとどめを刺すなんて!! どういうつもりなのよ!! なんとか言いなさいよ!!」
青い瞳が揺れ、その瞳から涙がこぼれ落ちた。アンジェリカは戸惑いながらあたりを見渡す。
恐怖に覆われた顔、怪訝な表情、怯えた瞳……。
彼女はますます混乱した。
「だって、これはバーチャルなんでしょう?」
自信がなさそうに、おそるおそる疑問をぶつけてみる。
「そうだけど……」
リックが口を開く。
「ジークが意識をなくしたみたいで……ラウルが抱えていったよ」
「え……?」
アンジェリカはそれを聞くと驚きの表情を見せたが、次の瞬間、コクピットから飛び降り、勢いよく走って部屋を出ていった。リックもその後を追った。
ガラガラガシャン!
息をきらせたアンジェリカが、ラウルの医務室の扉を勢いよく開ける。白いパイプベッドに寝かされたジークを見つけると、一目散にその枕元に駆け寄った。
「ごめんなさい……わたし……こんなことになるなんて……!!」
白い布団に顔をうずめ、肩を震わせている。
あとから入ってきたリックが、ラウルに尋ねた。
「ジーク、どうなんですか?」
ラウルはカルテをデスクの上に置きながら答える。
「軽いショック症状だ。心配ない。すぐに目を覚ます」
その声が聞こえていないのか、アンジェリカがずっと肩を震わせ、しゃくりあげ続けている。ふいに、アンジェリカは、頭の上に何かが置かれたのを感じた。
――暖かい……手?
恐る恐る、顔を上げる。
「なに泣いてんだよ。死んでねーぞ」
天井を向いたまま、アンジェリカの髪をくしゃっと掻き、ジークはいつものようにぶっきらぼうな言葉を口にする。
「実戦だったら確実に死んでいるがな」
ラウルが口をはさむ。重い空気が医務室に淀んだ。
ジークはもう一度アンジェリカの髪を掻き、ラウルを無視するかのように続けた。
「おまえは何も悪くないんだ。俺の力が足りなかったんだよ」
アンジェリカは再びしゃくりあげ
「でも……」
と言いかけた。そのとき。
「ふたりとも悪くない。悪いのはこいつだ」
その場にいた四人が、一斉に声の方を振り向く。
鮮やかな金髪、深い蒼の瞳の男が、親指でラウルを指さし立っていた。ラウルに歩み寄りながら、憤然とした表情で、さらに続けた。
「だから、私はあれには反対だと言っただろう。どこまで安全性が確保されているかわからない代物だぞ。ただでさえ戦闘意欲を冗長させる危険なものだ。戦時中ならともかく、今の世には必要ないだろう。だいたい、リミッターが付いているはずではなかったのか?!」
金髪の男はそこまで一気にまくしたてた。
「死なない程度にな」
責めれらたラウルの方はまったく表情を変えず、さらりと受け流すように答えた。相手の男はあきらめの表情を浮かべ、ため息をつく。
「とりあえず……リミット値を下げておけ。いいな」
ラウルにそう念を押すと、今度はジークとアンジェリカの方へ歩き出した。
「ジーク君だね。娘がいつもお世話になっている」
後ろからアンジェリカの両肩に手を置き、かがみこむと、品のある笑顔を見せた。
「え……?!」
ジークは慌てて上体を起こそうとした。
「そのまま、そのまま」
両手でジークを制し、ベッドに寝かせる。
「サイファ=ヴァルデ=ラグランジェ。アンジェリカの父だ。魔導省保安課に勤めている。ここから近いのでいつでも訪ねてきてくれ。もちろん家の方にもな」
そういい、サイファはジークの右手をとった。
「ジーク=セドラックです」
ジークははっきりとした口調で自分の名を告げると、お互いそれぞれの手を固く握り合った。サイファがジークに穏やかに笑いかける。ジークの顔にも微かに笑みが浮かんだように見えた。
サイファは立ち上がると、扉に向かって歩き出した。ラウルとすれ違いざま、足を止め、横目で彼を一瞥する。
「大丈夫だとは思うが、念のため、彼の脳波、心電図のデータを提出しろ。いいな」
そう言い、自分の顔のすぐ横にあるラウルの肩を軽く叩くと、部屋を出ていった。
「サイファ。おまえの欲しがっていたものを持ってきた」
ラウルは無遠慮に部屋の中央まで進み、机の上に書類の束を投げ置いた。
魔導省の塔、その最上階の一室がサイファの部屋だ。広くはないがきちんと整理され、すっきりとしている。
サイファは椅子を後ろ向きにし、外の風景を見ていたが、書類の置かれる音が聞こえると、くるりと椅子をまわし、それを手にとった。一通り目を通したあと書類を机の上に戻し、深く息を吐く。
「すべて正常値。安心した」
そういうと再び椅子を半回転させた。
「なぁ、おまえから見てアンジェリカはどうだ?」
ラウルに背を向けたまま問いかけた。ラウルは大きな机の横をすり抜けると、サイファの横に並んだ。ふたりの目の前には、薄い霧に包まれた世界が一面に広がっていた。
「正直いって恐ろしいな。彼女は戦闘が始まるとそれにのめり込んでしまうようだ。レイチェルにもそういうところがあったから遺伝だと思うが。それに加え、あの魔導力、戦闘能力。この国で彼女にかなうものはほとんどいないだろう。父親のおまえですらな」
サイファは背もたれに深く身を預ける。少し、椅子のきしむ音がした。
「それは、仕方のないことだな」
目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「なぁ……」
サイファがそう切り出したあと、しばし沈黙が流れた。ふたりはまっすぐ前を向いたまま、ガラス越しに広がる世界を眺めていた。そして、再び口を開く。
「おまえ、気がついてるんじゃないのか?」
ラウルがをサイファに横目を送る。
「何をだ」
サイファはわずかに目を細め、遠くを見つめた。
「……いや、何でもない」
そう言い、椅子から立ち上がるとラウルの横に並び、彼の背中に手をやった。
「アンジェリカのことを頼むよ。先生」
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