遠くの光に踵を上げて

瑞原唯子

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10. とまどい

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 あれ以来、アンジェリカはアカデミー内では知らない人がいない存在になった。もともと史上最年少トップ合格者ということで噂になっていたところに、あの広告が輪を掛けた形となった。普通に歩いているだけでも先輩、他の学科の生徒から先生に至るまで、いろいろな人に頻繁に声を掛けられる。アンジェリカはそういった声を掛けてくる人たちと、笑顔で気軽に話をしている。今まであまり多くの人と接する機会が少なかっただけに、こういったことが嬉しいらしい。
 一方のジークはそれが不愉快らしい。ジーク、リック、アンジェリカの3人でいることが多いだけに、そういった現場に遭遇することも当然多くなってくる。ジークはそのたびに不満をあからさまにしていた。ときには、話をしているアンジェリカの腕を引き、無理やりその場から引き離したこともあった。本人は授業に間に合わなくなるからといっているが、それ以外の感情が入っていることは、その顔を見れば明らかである。
「もう! ヤキモチ焼くのもほどほどにしてほしいわ!」
 ジークのあからさまな態度や行動に、アンジェリカも少し困っている様子だった。
「誰がおまえなんかにヤキモチ焼くか。おまえだけチヤホヤされてるのが気に入らないんだよ」
「……ジーク。それをヤキモチっていうんだよ」
 リックが苦笑いを浮かべながら言った。

 アンジェリカだけがチヤホヤされているのが気に入らない。ジークは自分の不愉快な感情の理由付けをこう考えていた。が、なにかもやもやしたものが残る。間違ってはいない。だが、それだけではなにかが足りない。なのに、自分で説明できないのである。そのことが、彼の不愉快な感情を増幅させていた。しかし、彼はこのことを誰にも言わなかった。あえて言わなかったというよりは、言おうと思わなかったのだ。

「そうだ、リック。今日は私たち当番よ。そろそろやらない?」
 今日最後の授業が終わって、しばらく外で缶ジュースを飲んでくつろいでいたところで、アンジェリカが切り出した。当番は教室の片づけをすることになっている。今日はアンジェリカとリックがふたりで当番だった。
「そうだね。そろそろ行こうか」
 リックのその言葉と同時に、アンジェリカは座っていたベンチから立ち上がった。そして、横に立っていたジークの顔を見上げた。
「ジークは? どうするの?」
「ん? ……待ってるよ」
 ちょっと迷ったような、歯切れの悪い答え。
「待ってるだけ? 手伝ってくれないんだったら先に帰っていいわよ」
 挑発するように、アンジェリカが切り返す。ジークはすぐに返答することができなかった。
「私を待っていたいっていうんならいいけど」
 アンジェリカは悪戯っぽく笑いながらそう続けた。
「誰がおまえなんか待ってるか! 先に帰るからな!」
 売り言葉に買い言葉でとっさに口を突いて出たその言葉に、ジークはあとに引けなくなってそのまま背中を向けて歩き出した。
「ジーク!」
 リックのその声にジークは足を止めた。
「またあしたね」
 ジークは振り返らず、ぶっきらぼうに片手を上げて、今度は早足で歩き出した。やり場のない怒りと、早くそこから立ち去りたいという思いが、彼にそうさせていた。リックが止めてくれると思ってしまった自分自身に腹が立った。同時に、恥ずかしくも思った。

 ジークは今まではいつも自分の思うように、迷いなく行動してきた。だが、最近はとまどいが彼を揺さぶっていた。原因となっている人物はわかっている。が、なぜなのかという理由がまったくわからずにいた。

「ジークって……」
 去っていくジークを眺めながら、アンジェリカが問いかけた。
「昔からあんな感じだったの?」
 リックは少し首を傾げて考えた。
「最近ちょっとおかしいかも。昔はもっと強引でわがままで自分勝手だったかな」
 言いたい放題である。
「そう。あ、そういえば最初に逢ったときってかなりそんな感じだったわよね」
 そう言って笑ったアンジェリカの笑顔には、屈託がなかった。
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