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第29話 罪滅ぼし
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「ん……ぅ……」
大きなベッドで眠っていた七海がぼんやりと目を覚ました。ゆるりとあたりに視線をめぐらせて、枕元で見守っていた遥の姿を認めると、記憶を探るように眉をひそめながら小首を傾げる。
「ここ、どこ?」
「ホテルだよ」
遥はやわらかく微笑んで答える。
廃工場から飛び出してきた七海を保護したあと、車で都心に戻り、剛三が予約してくれたこのホテルにチェックインした。スイートルームだ。そのほうが何かと便宜をはかってもらえるという判断らしい。
七海は服を切り裂かれて裸同然の格好だったため、毛布にくるんでここまで連れてきたが、いまはホテル備えつけのバスローブを着せてある。そのときに体の汚れはひととおり濡れタオルで拭いておいた。
右手首に掛けられていた手錠は、執事の櫻井がピンを使って開錠してくれた。手首にはうっすらと内出血や擦り傷があるが、さほど目立つものでもない。それより背中のスタンガンの痕のほうが痛々しかった。
「なんでわざわざホテル? 家に帰らないの?」
「じいさんが今日はここでゆっくり休めってさ」
「そう……」
いま、家はこの騒動の後処理でごたごたと慌ただしくしている。そんな様子を七海に見せたくない、聞かせたくない、気配すら感じさせたくない。そう考えて剛三はホテルをあてがったのだ。
遥もここに残って七海に付き添うように指示された。犯人を殺しかねないので家には戻るなということだ。遥も犯人に挑発されたら冷静でいられる自信はないので、素直に従うことにした。
あの犯人たちをどうするつもりなのかは聞いていないが、剛三に任せるしかない。彼らには依頼人がいるとのことなので、まずはあらゆる手段を用いてそれを突き止めることになるだろう。
そして、相応の報いを与えるはずだ。
七海とは血縁関係にないし、戸籍上の繋がりもないが、それでもひとつ屋根の下で暮らす大切な家族である。その七海を害そうなど橘に喧嘩を売ったも同然だ——そう剛三は息巻いている。
犯人が七海に何をしたのかはわかっている。すべてハンディカメラにおさめられていたのだ。目的を遂げていないという意味では未遂になるが、七海の心情を思えば未遂で片付けられるものではない。
できるならその映像は誰の目にも触れさせたくなかったが、そうもいかない。最初にその映像を見つけた護衛と、遥、櫻井、剛三の四人が見ている。ただ、他の人間には決して見せないと剛三は約束してくれた。
「あのさ……」
七海は天井のほうにじっと視線を向けたまま、緊張した声で言いづらそうに切り出したが、なかなか言葉が続かない。暫しの沈黙ののち、覚悟を決めたように真剣な面持ちで尋ねる。
「僕を襲ったヤツらって生きてるの?」
「残念ながら生きてるよ。意識もある」
「けっこう血が出てたと思うけど」
「応急処置が早かったからね」
「そっか……」
複雑な表情を見せながらも、ほっと息をつく。
犯人のひとりはナイフで腿を刺され、もうひとりは拳銃で腿を撃たれ、ベッドまわりは血まみれになっていた。ただ、応急処置が早く適切だったこともあり、どちらも致命傷にならずにすんだのだ。
死ねばよかったのにと思う気持ちもないわけではないが、たとえ正当防衛が認められたとしても、七海に人を殺めたという咎を負わせるわけにはいかない。そういう意味では死ななくてよかったといえる。
七海も殺すつもりがなかったから脚を撃ったのだろう。文字どおり足止めとして。もう十年近く拳銃に触れていないとはいえ、それ以前は毎日訓練していたのだから、狙って撃つこともできるはずだ。
「シャワー浴びてこようかな」
「ああ……ついていこうか?」
「ひとりで大丈夫」
七海はもぞもぞと上掛けをめくりながらベッドから降りると、スリッパを履いて歩き出した。その足取りはしっかりしている。ただバスルームの場所がわからず迷っていたようなので、遥が扉の前まで案内した。
「あー、さっぱりしたぁ」
三、四十分ほどして、七海がニコニコと上機嫌な様子でバスルームから出てきた。さきほどのバスローブをそのまま身に着けているようだ。髪はドライヤーで乾かしたらしくさらさらとしている。
彼女自身が望んだとはいえ、ひとりで行かせてよかったのかと気をもんでいたが、そこまで心配することはなかったのかもしれない。ただ、あまりにも普段と変わりないのがかえって気にかかる。
「そういえば、僕、服がないんだけど」
「一式クローゼットに用意してあるよ」
「ほんと?」
七海はさっそくクローゼットの中を確かめて、ほっと息をついた。着替えを手にとらずにクローゼットの扉を閉めると、ありがとうと礼を述べ、大きなベッドの端にぽすんと腰掛ける。
「水、飲む?」
「うん」
遥が冷蔵庫からペットボトルの水を持ってきて手渡すと、一気に半分ほど飲んでふうと息をつき、きっちりとキャップを閉めてからベッドサイドに置く。そのあいだに、遥は一人掛けソファを彼女のほうに向けて座った。
「遥はもう帰っていいよ」
「いや、僕もここに泊まるから」
「僕ならひとりで大丈夫だしさ」
「じいさんの命令なんだ」
「そう……」
剛三の命令であれば七海も受け入れざるを得ない。困惑ぎみにぽつりとつぶやいて、深くうつむく。まるで遥に顔を見せまいとしているかのように——。
「僕のまえでは泣きたくない?」
「…………」
ほどなくして彼女の体がわずかに震え始めた。それでも泣くのは必死にこらえているようだ。遥は何も言わずにソファから立ち上がり、隣に腰掛け、ビクリとこわばる体をそっと抱き寄せる。
「うっ……ぐ……うう……」
嗚咽とともに、堰を切ったように大粒の涙があふれ出した。こうなるともう止めようとしても止まらないだろう。拭いきれずに落ちた滴が、濃色のスラックスをじわじわと濡らしていく。
やがて泣くだけ泣いて落ち着いてくると、静かに話し始める。
「怖かった……ずっと逃げる隙ができるのを待ってたけど、うまくいくかどうかなんてわからなかったし、失敗したら殺されるかもって思ったし……でも、このままやられるだけなんて死んでも嫌だったから」
「頑張ったね」
遥は寄りかかる頭に優しく手をのせる。
今回は七海が行動を起こさなければ確実に間に合わなかった。あまり無謀なことをしてほしくないというのが本音だが、今回に限っては、結果的に正しい判断だったというより他にない。けれど——。
「ごめん、僕が不甲斐ないせいで」
本当はこうなるまえに遥が守らなければならなかったのに。そもそもこんなことになったのは遥の交際相手だと誤解されたからである。そこまでわかっていながら守ることも助けることもできなかった。
その謝罪に、七海はゆるゆると頭を振って答える。
「護衛を断ったのは僕なんだしさ」
「それでもどうにかすべきだった」
「これからは遥の言うこと聞くよ」
「そうしてくれるとありがたい」
彼女は彼女で反省しているのだろう。このまえとは打って変わっての殊勝な態度に、遥は冗談めかした口調で応じた。彼女は肩に寄りかかったまま曖昧に微笑むと、小さく吐息を落とす。
「なんで遥をふっちゃったんだろ」
瞬間、遥は息をのんだ。勢いよく彼女の両肩を掴んで引きはがすと、驚いて目を丸くする彼女と向かい合い、その双眸をまっすぐに見つめる。
「いまならまだ間に合う。僕と付き合おう」
「えっ……あ、いや、それは……」
ひとりごとを聞かれていたとは思わなかったのだろう。もしかしたら声に出した自覚すらなかったのかもしれない。彼女はしどろもどろになりながら気まずそうに顔をそむけた。すぐに顎を掴んでこちらに向きなおらせたものの、目は泳いでいる。
「僕をふったことを後悔してるんだろう?」
「えっと……でもそういうつもりじゃ……」
「付き合いたくないの?」
畳みかけるように問い詰めるが、彼女は目をそらしたまま何も答えようとしない。そのうちにじわりじわりと頬に赤みが差してきた。この状況で否定しないなど肯定しているも同然である。だとすれば——。
「何が問題なわけ?」
グイッと顔を近づけて覗き込む。
彼女は必死に目をそらした状態のまま、瞼を震わせ、何かをこらえるように唇を引きむすんだ。頑固な性格だということはよく知っているが、遥としてもあきらめるわけにはいかない。
「七海、こっちを見て」
それでも彼女は視線を戻そうとしなかった。ならば——遥は顎から手を離して立ち上がり、不安そうにうつむいた七海を見下ろすと、その体を横抱きにする。
「ちょっ……!」
抵抗する彼女をものともせず、広いベッドの中央に投げるように置いた。そして遥自身もベッドに上がり、膝立ちで彼女の体をまたいで見下ろしながら、スーツの上着をバッと脱ぎ捨てる。
「どういうつもりだよ」
「いまから七海を抱く」
「はぁ?!」
七海の声は裏返った。
それでも遥は表情を動かさない。乱暴な手つきで自身のネクタイを抜き去ると、七海の両側に手をつき、真上から覆いかぶさるようにじっと見つめる。
「ちょっと、えっ……落ち着けよ!」
そう訴える彼女自身はまったく落ち着いていないが、遥は落ち着いていた。シャツの胸ポケットにさしていたボールペンを取り、彼女に見せつけるように眼前に掲げてから、隣に転がす。
「嫌ならそれで腕でも脚でも刺せばいい。痛みで正気に戻るかもしれないね。まあ、僕はいまも十分正気のつもりだけど」
「え、ちょっ、ま……」
彼女は顔を紅潮させながら身をよじって逃げようとするが、逃げられるはずがない。腕力も体力も武術も何もかも遥のほうが上なのだ。華奢な肩を押さつけえて仰向けにしたまま腰の上に座り、動きを封じると——。
「ぎゃっ!」
すでに乱れぎみのバスローブの襟を掴み、一息に前を開いた。
・
・
・
「強姦されたって訴える?」
「……ばか」
まだ濃密な空気が色濃く残るベッドの中で、遥がからかうように尋ねると、隣の七海は恨めしげに睨んで口をとがらせた。ほんのりと上気した肌、気怠げな声が、先ほどまでの行為を思い起こさせる。
もしも本気で嫌がっていれば、やめていた。
しかし彼女が抵抗らしい抵抗をみせたのは最初だけで、肌に触れるとすぐに受け入れてくれた。むしろねだられた。まるで離れていた時間を埋め合わせるかのように、互いが互いを求め合った。
いまになって思えば、乱暴されかかったばかりの彼女を抱こうとするなど、正気の沙汰ではない。自分のことしか考えていないと非難されても仕方がない。だが、結果的にはこれでよかったのだと思う。
「もう付き合わないなんて言わないよね」
「負けたよ」
ドクン、と遥の鼓動が跳ねた。
これまでなぜ意固地に拒絶していたのかはわからないが、もうどうでもよかった。あきらめていたはずの未来がひらけたのだから。目を細めながら、熱っぽく紅潮した彼女の頬に手を伸ばそうとする。しかし——。
「遥が結婚するまでなら付き合うよ」
「……え?」
意味がわからない。
思わず体を起こして問いかけるように彼女を見つめる。彼女も上掛けで胸元を隠しながら体を起こし、真剣なまなざしで挑むように見つめ返すと、きっぱりと告げる。
「不倫はしない。それだけは譲れないから」
「……え?」
ますます意味がわからない。
だが、冷静に思考をめぐらせると何となく話が見えてきた。まさか、と思いつつもそれしか考えられない。頭が痛くなるのを感じて額を掴むように押さえる。
「ちょっと待って。僕は七海と結婚するつもりなんだけど」
「え、しかるべき家のお嬢さんと結婚するんじゃないの?」
「それは七海とよりを戻せなかったときの話」
そういえば七海の十六歳の誕生日に別れて以来、付き合ってほしいとはさんざん言ったが、結婚してほしいとは言わなかったかもしれない。遥としては結婚前提のつもりだったが伝わっていなかったようだ。
そのうえ近いうちに見合いをするとまで告げた。七海とよりを戻せなかったらそうなるという話で、七海と結婚するなら見合いをする必要もないのだが、明確には言っていなかった気がする。
だからといって、まさか他の女性と結婚するつもりでいながら、平然と交際を迫るような男と思われていたなんて。不倫するような男と思われていたなんて。七海を愛人にするつもりだと思われていたなんて。
どうして肝心なことを伝えていなかったのか、どうして七海の心情に気づけなかったのか、いくら後悔してもしきれない。それでも手遅れではない。まだ結婚どころか見合いさえしていないのだから。
だが、七海は納得のいかない顔をしていた。
「でも僕、高校生のときに、剛三さんの姉ってひとに釘を刺されたんだけど。遥はしかるべき家のお嬢さんと結婚するから夢を見るなって」
「ああ……」
それが誤解の発端だったのか——。
遥の大伯母である彼女は、橘の跡取りならしかるべき家柄の令嬢と結婚すべきだと、他家に嫁いだ身でありながらしつこく口を出していた。その強硬さには剛三もうんざりしていたようだ。
しかし、七海にまでそんな牽制をしているとは思わなかった。剛三が同席していれば黙っていなかったはずなので、おそらく二人きりのとき、廊下ですれ違ったときにでも言ったのだろう。
「それはあのひとが先走っただけ。じいさんは昔から七海と結婚することを認めてくれてたよ。ただし七海の気持ちが最優先だから無理強いは許さない、七海が二十歳になるまでによりを戻せなかったらあきらめろって」
「うそ……」
七海は唖然としているが誤解は解けたはずだ。だからといってすぐにがっつくのはどうかと思うし、余裕がなさすぎてみっともないという自覚もあるが、悠長に待っている時間はない。
「七海、僕と結婚してくれるよね?」
「……ごめん、やっぱり結婚は無理」
「は?」
一瞬、耳を疑ったが聞き違いではない。
七海は気まずそうにうつむき、胸元で上掛けを押さえていた手をゆっくりと握りこんだ。表情だけでなく全身がこわばっているのがわかる。別れを切り出そうとしていたあのときのように——。
「武蔵に未練があっても構わないよ」
「それはもうとっくにふっきれてる」
「え……じゃあ、何が問題?」
武蔵のことをふっきれているというのは意外だったが、彼女がそこまではっきりと言うのなら事実だろう。嘘をついているようには見えなかったし、そもそも嘘をつく理由もない。
ただ、そうなると渋る理由がわからない。
催促するようにじっと無言で見つめて圧力をかける。彼女はうつむいたまま困ったように目を泳がせていたが、そうしていても逃がしてもらえないと悟ったのか、観念して話し始める。
「遥が好きだったはずなのに、武蔵と再会したら気持ちが移って、武蔵にふられたら遥に気持ちが戻って。僕はこんなふらふらと心変わりするような人間なんだ。期間限定で付き合うならまだしも結婚はしないほうがいい。もう二度と遥を傷つけるようなことはしたくないし、遥だってされたくないだろ」
自責の念をにじませつつも最後まで冷静さを失わなかった。しかしその瞳はうっすらと潤んでいる。曖昧に目を伏せて隠しているつもりかもしれないが、隠しきれていない。
「舐められたもんだね」
「…………?」
当惑ぎみにおずおずと上げられた視線を、遥は鋭く捉える。
「それしきのことで七海をあきらめるわけないだろう。いったい何回ふられつづけたと思ってるんだ。せっかく僕に気持ちがあるとわかったのに、不確定な未来を理由に断られて、はいそうですかと引き下がれると思う?」
「それ、は……」
「だいたい七海は何も悪くないだろう。もともと七海が好きなのは武蔵だったんだ。それを承知のうえで付き合おうと押し切ったんだから、やっぱり武蔵がいいと言われても仕方がない。武蔵が戻るまでに七海の心を掴みきれなかった僕の力不足。でも、もう二度とほかの誰にも心変わりなんかさせない」
そう断言すると、鼻先に人差し指を突きつけてずいっと迫る。
「それよりわかってる? 七海が僕にどれだけ残酷なことをしようとしているか。七海に断られたら僕は好きでもない女と結婚することになる。一生、七海を想い続けたまま別の女を抱かなければならないんだ。本当に申し訳ないことをしたと思ってるなら、罪滅ぼしに僕と結婚してよ」
七海は困惑を露わにする。
彼女は責任感が強い。こういう言い方をすれば断りづらくなることはわかっている。だからこそ言うべきではないし言わないようにしていた。彼女の気持ちを無視して縛り付けることになるからだ。
しかし、その気持ちが自分にあるとわかれば話は別である。どんな手を使っても必ず承諾させてみせる——居住まいを正し、胸元に上掛けを当てたままの七海と膝をつきあわせる。
「七海、僕と結婚してくれるよね?」
「……後悔したって知らないからな」
「しないし、させないよ」
七海はじとりと睨むが、遥が両手を伸ばすと戸惑いつつも身を預けてくれた。上掛けが落ちて肌と肌が触れあう。やがてあたたかい手が遠慮がちに背中にまわされて、遥も抱きしめる手に力をこめた。
ピンポーン——。
心当たりのない真夜中のチャイムに、遥は思わず眉をひそめて怪訝な面持ちになった。コンシェルジュに何か頼んだ覚えもなければ、来客の予定もない。腕の中にいる七海も不安そうに顔を曇らせている。
「ちょっと出てくる」
「うん……」
安心させるように微笑んでぽんと頭に手をのせると、床に落ちていた彼女のバスローブを身につけて玄関に向かう。ドアスコープから見えたのは、ホテルスタッフの制服を身につけた壮年の男性だった。
「呼んだ覚えはないんだけど」
「橘剛三様より承りました」
男性スタッフがドアスコープから見える位置に移動させたワゴンには、ワインクーラーで冷やされたシャンパンが載っていた。そうか——遥は腕時計を確認してひとり静かにふっと笑うと、扉を開けた。
男性スタッフが一礼してメッセージカードを差し出す。そこには思ったとおりのことが書き記されていた。遥はその場でワゴンごと受け取って男性スタッフを帰し、七海のいる寝室へと運んだ。
「それ、何?」
「シャンパン」
「えっ?」
きょとんとした七海に、先ほどのメッセージカードを手渡しながら言う。
「二十歳の誕生日おめでとうって、じいさんが」
「あ……そっか……」
七海はベッドサイドのデジタル時計に振り向いた。
もう零時を越えている。つまり日付が変わって七月三日になったということだ。シャンパンは七海への成人祝いといったところだろう。メッセージカードにも祝いの言葉がシンプルにしたためられていた。
「これどうしようか?」
「飲みたい!」
七海は目を輝かせて訴えた。
遥はくすりと笑うと、用意されていた二つのグラスにシャンパンを注ぎ、ベッドに腰掛けてその一つを七海に手渡した。そろりと慎重な手つきで受け取った彼女は、興味深そうにグラスを覗き込む。
「成人おめでとう」
「ありがと」
そう言葉を交わしたあと、遥がグラスを傾けるのをちらりと見て、七海も緊張ぎみにグラスに口をつける。喉が何度かこくりと動くのが見えた。
「どう?」
「うん、おいしい!」
七海ははじけるような笑顔を見せて、そう答えた。
二人とも喉が渇いていたこともあって、あっというまにボトルを空けてしまい、もう一本追加した。それでも七海はなぜか一向に酔う気配がなく、不覚にも遥のほうが先に酔いつぶれて寝てしまったのだが、それは二人だけの秘密である。
大きなベッドで眠っていた七海がぼんやりと目を覚ました。ゆるりとあたりに視線をめぐらせて、枕元で見守っていた遥の姿を認めると、記憶を探るように眉をひそめながら小首を傾げる。
「ここ、どこ?」
「ホテルだよ」
遥はやわらかく微笑んで答える。
廃工場から飛び出してきた七海を保護したあと、車で都心に戻り、剛三が予約してくれたこのホテルにチェックインした。スイートルームだ。そのほうが何かと便宜をはかってもらえるという判断らしい。
七海は服を切り裂かれて裸同然の格好だったため、毛布にくるんでここまで連れてきたが、いまはホテル備えつけのバスローブを着せてある。そのときに体の汚れはひととおり濡れタオルで拭いておいた。
右手首に掛けられていた手錠は、執事の櫻井がピンを使って開錠してくれた。手首にはうっすらと内出血や擦り傷があるが、さほど目立つものでもない。それより背中のスタンガンの痕のほうが痛々しかった。
「なんでわざわざホテル? 家に帰らないの?」
「じいさんが今日はここでゆっくり休めってさ」
「そう……」
いま、家はこの騒動の後処理でごたごたと慌ただしくしている。そんな様子を七海に見せたくない、聞かせたくない、気配すら感じさせたくない。そう考えて剛三はホテルをあてがったのだ。
遥もここに残って七海に付き添うように指示された。犯人を殺しかねないので家には戻るなということだ。遥も犯人に挑発されたら冷静でいられる自信はないので、素直に従うことにした。
あの犯人たちをどうするつもりなのかは聞いていないが、剛三に任せるしかない。彼らには依頼人がいるとのことなので、まずはあらゆる手段を用いてそれを突き止めることになるだろう。
そして、相応の報いを与えるはずだ。
七海とは血縁関係にないし、戸籍上の繋がりもないが、それでもひとつ屋根の下で暮らす大切な家族である。その七海を害そうなど橘に喧嘩を売ったも同然だ——そう剛三は息巻いている。
犯人が七海に何をしたのかはわかっている。すべてハンディカメラにおさめられていたのだ。目的を遂げていないという意味では未遂になるが、七海の心情を思えば未遂で片付けられるものではない。
できるならその映像は誰の目にも触れさせたくなかったが、そうもいかない。最初にその映像を見つけた護衛と、遥、櫻井、剛三の四人が見ている。ただ、他の人間には決して見せないと剛三は約束してくれた。
「あのさ……」
七海は天井のほうにじっと視線を向けたまま、緊張した声で言いづらそうに切り出したが、なかなか言葉が続かない。暫しの沈黙ののち、覚悟を決めたように真剣な面持ちで尋ねる。
「僕を襲ったヤツらって生きてるの?」
「残念ながら生きてるよ。意識もある」
「けっこう血が出てたと思うけど」
「応急処置が早かったからね」
「そっか……」
複雑な表情を見せながらも、ほっと息をつく。
犯人のひとりはナイフで腿を刺され、もうひとりは拳銃で腿を撃たれ、ベッドまわりは血まみれになっていた。ただ、応急処置が早く適切だったこともあり、どちらも致命傷にならずにすんだのだ。
死ねばよかったのにと思う気持ちもないわけではないが、たとえ正当防衛が認められたとしても、七海に人を殺めたという咎を負わせるわけにはいかない。そういう意味では死ななくてよかったといえる。
七海も殺すつもりがなかったから脚を撃ったのだろう。文字どおり足止めとして。もう十年近く拳銃に触れていないとはいえ、それ以前は毎日訓練していたのだから、狙って撃つこともできるはずだ。
「シャワー浴びてこようかな」
「ああ……ついていこうか?」
「ひとりで大丈夫」
七海はもぞもぞと上掛けをめくりながらベッドから降りると、スリッパを履いて歩き出した。その足取りはしっかりしている。ただバスルームの場所がわからず迷っていたようなので、遥が扉の前まで案内した。
「あー、さっぱりしたぁ」
三、四十分ほどして、七海がニコニコと上機嫌な様子でバスルームから出てきた。さきほどのバスローブをそのまま身に着けているようだ。髪はドライヤーで乾かしたらしくさらさらとしている。
彼女自身が望んだとはいえ、ひとりで行かせてよかったのかと気をもんでいたが、そこまで心配することはなかったのかもしれない。ただ、あまりにも普段と変わりないのがかえって気にかかる。
「そういえば、僕、服がないんだけど」
「一式クローゼットに用意してあるよ」
「ほんと?」
七海はさっそくクローゼットの中を確かめて、ほっと息をついた。着替えを手にとらずにクローゼットの扉を閉めると、ありがとうと礼を述べ、大きなベッドの端にぽすんと腰掛ける。
「水、飲む?」
「うん」
遥が冷蔵庫からペットボトルの水を持ってきて手渡すと、一気に半分ほど飲んでふうと息をつき、きっちりとキャップを閉めてからベッドサイドに置く。そのあいだに、遥は一人掛けソファを彼女のほうに向けて座った。
「遥はもう帰っていいよ」
「いや、僕もここに泊まるから」
「僕ならひとりで大丈夫だしさ」
「じいさんの命令なんだ」
「そう……」
剛三の命令であれば七海も受け入れざるを得ない。困惑ぎみにぽつりとつぶやいて、深くうつむく。まるで遥に顔を見せまいとしているかのように——。
「僕のまえでは泣きたくない?」
「…………」
ほどなくして彼女の体がわずかに震え始めた。それでも泣くのは必死にこらえているようだ。遥は何も言わずにソファから立ち上がり、隣に腰掛け、ビクリとこわばる体をそっと抱き寄せる。
「うっ……ぐ……うう……」
嗚咽とともに、堰を切ったように大粒の涙があふれ出した。こうなるともう止めようとしても止まらないだろう。拭いきれずに落ちた滴が、濃色のスラックスをじわじわと濡らしていく。
やがて泣くだけ泣いて落ち着いてくると、静かに話し始める。
「怖かった……ずっと逃げる隙ができるのを待ってたけど、うまくいくかどうかなんてわからなかったし、失敗したら殺されるかもって思ったし……でも、このままやられるだけなんて死んでも嫌だったから」
「頑張ったね」
遥は寄りかかる頭に優しく手をのせる。
今回は七海が行動を起こさなければ確実に間に合わなかった。あまり無謀なことをしてほしくないというのが本音だが、今回に限っては、結果的に正しい判断だったというより他にない。けれど——。
「ごめん、僕が不甲斐ないせいで」
本当はこうなるまえに遥が守らなければならなかったのに。そもそもこんなことになったのは遥の交際相手だと誤解されたからである。そこまでわかっていながら守ることも助けることもできなかった。
その謝罪に、七海はゆるゆると頭を振って答える。
「護衛を断ったのは僕なんだしさ」
「それでもどうにかすべきだった」
「これからは遥の言うこと聞くよ」
「そうしてくれるとありがたい」
彼女は彼女で反省しているのだろう。このまえとは打って変わっての殊勝な態度に、遥は冗談めかした口調で応じた。彼女は肩に寄りかかったまま曖昧に微笑むと、小さく吐息を落とす。
「なんで遥をふっちゃったんだろ」
瞬間、遥は息をのんだ。勢いよく彼女の両肩を掴んで引きはがすと、驚いて目を丸くする彼女と向かい合い、その双眸をまっすぐに見つめる。
「いまならまだ間に合う。僕と付き合おう」
「えっ……あ、いや、それは……」
ひとりごとを聞かれていたとは思わなかったのだろう。もしかしたら声に出した自覚すらなかったのかもしれない。彼女はしどろもどろになりながら気まずそうに顔をそむけた。すぐに顎を掴んでこちらに向きなおらせたものの、目は泳いでいる。
「僕をふったことを後悔してるんだろう?」
「えっと……でもそういうつもりじゃ……」
「付き合いたくないの?」
畳みかけるように問い詰めるが、彼女は目をそらしたまま何も答えようとしない。そのうちにじわりじわりと頬に赤みが差してきた。この状況で否定しないなど肯定しているも同然である。だとすれば——。
「何が問題なわけ?」
グイッと顔を近づけて覗き込む。
彼女は必死に目をそらした状態のまま、瞼を震わせ、何かをこらえるように唇を引きむすんだ。頑固な性格だということはよく知っているが、遥としてもあきらめるわけにはいかない。
「七海、こっちを見て」
それでも彼女は視線を戻そうとしなかった。ならば——遥は顎から手を離して立ち上がり、不安そうにうつむいた七海を見下ろすと、その体を横抱きにする。
「ちょっ……!」
抵抗する彼女をものともせず、広いベッドの中央に投げるように置いた。そして遥自身もベッドに上がり、膝立ちで彼女の体をまたいで見下ろしながら、スーツの上着をバッと脱ぎ捨てる。
「どういうつもりだよ」
「いまから七海を抱く」
「はぁ?!」
七海の声は裏返った。
それでも遥は表情を動かさない。乱暴な手つきで自身のネクタイを抜き去ると、七海の両側に手をつき、真上から覆いかぶさるようにじっと見つめる。
「ちょっと、えっ……落ち着けよ!」
そう訴える彼女自身はまったく落ち着いていないが、遥は落ち着いていた。シャツの胸ポケットにさしていたボールペンを取り、彼女に見せつけるように眼前に掲げてから、隣に転がす。
「嫌ならそれで腕でも脚でも刺せばいい。痛みで正気に戻るかもしれないね。まあ、僕はいまも十分正気のつもりだけど」
「え、ちょっ、ま……」
彼女は顔を紅潮させながら身をよじって逃げようとするが、逃げられるはずがない。腕力も体力も武術も何もかも遥のほうが上なのだ。華奢な肩を押さつけえて仰向けにしたまま腰の上に座り、動きを封じると——。
「ぎゃっ!」
すでに乱れぎみのバスローブの襟を掴み、一息に前を開いた。
・
・
・
「強姦されたって訴える?」
「……ばか」
まだ濃密な空気が色濃く残るベッドの中で、遥がからかうように尋ねると、隣の七海は恨めしげに睨んで口をとがらせた。ほんのりと上気した肌、気怠げな声が、先ほどまでの行為を思い起こさせる。
もしも本気で嫌がっていれば、やめていた。
しかし彼女が抵抗らしい抵抗をみせたのは最初だけで、肌に触れるとすぐに受け入れてくれた。むしろねだられた。まるで離れていた時間を埋め合わせるかのように、互いが互いを求め合った。
いまになって思えば、乱暴されかかったばかりの彼女を抱こうとするなど、正気の沙汰ではない。自分のことしか考えていないと非難されても仕方がない。だが、結果的にはこれでよかったのだと思う。
「もう付き合わないなんて言わないよね」
「負けたよ」
ドクン、と遥の鼓動が跳ねた。
これまでなぜ意固地に拒絶していたのかはわからないが、もうどうでもよかった。あきらめていたはずの未来がひらけたのだから。目を細めながら、熱っぽく紅潮した彼女の頬に手を伸ばそうとする。しかし——。
「遥が結婚するまでなら付き合うよ」
「……え?」
意味がわからない。
思わず体を起こして問いかけるように彼女を見つめる。彼女も上掛けで胸元を隠しながら体を起こし、真剣なまなざしで挑むように見つめ返すと、きっぱりと告げる。
「不倫はしない。それだけは譲れないから」
「……え?」
ますます意味がわからない。
だが、冷静に思考をめぐらせると何となく話が見えてきた。まさか、と思いつつもそれしか考えられない。頭が痛くなるのを感じて額を掴むように押さえる。
「ちょっと待って。僕は七海と結婚するつもりなんだけど」
「え、しかるべき家のお嬢さんと結婚するんじゃないの?」
「それは七海とよりを戻せなかったときの話」
そういえば七海の十六歳の誕生日に別れて以来、付き合ってほしいとはさんざん言ったが、結婚してほしいとは言わなかったかもしれない。遥としては結婚前提のつもりだったが伝わっていなかったようだ。
そのうえ近いうちに見合いをするとまで告げた。七海とよりを戻せなかったらそうなるという話で、七海と結婚するなら見合いをする必要もないのだが、明確には言っていなかった気がする。
だからといって、まさか他の女性と結婚するつもりでいながら、平然と交際を迫るような男と思われていたなんて。不倫するような男と思われていたなんて。七海を愛人にするつもりだと思われていたなんて。
どうして肝心なことを伝えていなかったのか、どうして七海の心情に気づけなかったのか、いくら後悔してもしきれない。それでも手遅れではない。まだ結婚どころか見合いさえしていないのだから。
だが、七海は納得のいかない顔をしていた。
「でも僕、高校生のときに、剛三さんの姉ってひとに釘を刺されたんだけど。遥はしかるべき家のお嬢さんと結婚するから夢を見るなって」
「ああ……」
それが誤解の発端だったのか——。
遥の大伯母である彼女は、橘の跡取りならしかるべき家柄の令嬢と結婚すべきだと、他家に嫁いだ身でありながらしつこく口を出していた。その強硬さには剛三もうんざりしていたようだ。
しかし、七海にまでそんな牽制をしているとは思わなかった。剛三が同席していれば黙っていなかったはずなので、おそらく二人きりのとき、廊下ですれ違ったときにでも言ったのだろう。
「それはあのひとが先走っただけ。じいさんは昔から七海と結婚することを認めてくれてたよ。ただし七海の気持ちが最優先だから無理強いは許さない、七海が二十歳になるまでによりを戻せなかったらあきらめろって」
「うそ……」
七海は唖然としているが誤解は解けたはずだ。だからといってすぐにがっつくのはどうかと思うし、余裕がなさすぎてみっともないという自覚もあるが、悠長に待っている時間はない。
「七海、僕と結婚してくれるよね?」
「……ごめん、やっぱり結婚は無理」
「は?」
一瞬、耳を疑ったが聞き違いではない。
七海は気まずそうにうつむき、胸元で上掛けを押さえていた手をゆっくりと握りこんだ。表情だけでなく全身がこわばっているのがわかる。別れを切り出そうとしていたあのときのように——。
「武蔵に未練があっても構わないよ」
「それはもうとっくにふっきれてる」
「え……じゃあ、何が問題?」
武蔵のことをふっきれているというのは意外だったが、彼女がそこまではっきりと言うのなら事実だろう。嘘をついているようには見えなかったし、そもそも嘘をつく理由もない。
ただ、そうなると渋る理由がわからない。
催促するようにじっと無言で見つめて圧力をかける。彼女はうつむいたまま困ったように目を泳がせていたが、そうしていても逃がしてもらえないと悟ったのか、観念して話し始める。
「遥が好きだったはずなのに、武蔵と再会したら気持ちが移って、武蔵にふられたら遥に気持ちが戻って。僕はこんなふらふらと心変わりするような人間なんだ。期間限定で付き合うならまだしも結婚はしないほうがいい。もう二度と遥を傷つけるようなことはしたくないし、遥だってされたくないだろ」
自責の念をにじませつつも最後まで冷静さを失わなかった。しかしその瞳はうっすらと潤んでいる。曖昧に目を伏せて隠しているつもりかもしれないが、隠しきれていない。
「舐められたもんだね」
「…………?」
当惑ぎみにおずおずと上げられた視線を、遥は鋭く捉える。
「それしきのことで七海をあきらめるわけないだろう。いったい何回ふられつづけたと思ってるんだ。せっかく僕に気持ちがあるとわかったのに、不確定な未来を理由に断られて、はいそうですかと引き下がれると思う?」
「それ、は……」
「だいたい七海は何も悪くないだろう。もともと七海が好きなのは武蔵だったんだ。それを承知のうえで付き合おうと押し切ったんだから、やっぱり武蔵がいいと言われても仕方がない。武蔵が戻るまでに七海の心を掴みきれなかった僕の力不足。でも、もう二度とほかの誰にも心変わりなんかさせない」
そう断言すると、鼻先に人差し指を突きつけてずいっと迫る。
「それよりわかってる? 七海が僕にどれだけ残酷なことをしようとしているか。七海に断られたら僕は好きでもない女と結婚することになる。一生、七海を想い続けたまま別の女を抱かなければならないんだ。本当に申し訳ないことをしたと思ってるなら、罪滅ぼしに僕と結婚してよ」
七海は困惑を露わにする。
彼女は責任感が強い。こういう言い方をすれば断りづらくなることはわかっている。だからこそ言うべきではないし言わないようにしていた。彼女の気持ちを無視して縛り付けることになるからだ。
しかし、その気持ちが自分にあるとわかれば話は別である。どんな手を使っても必ず承諾させてみせる——居住まいを正し、胸元に上掛けを当てたままの七海と膝をつきあわせる。
「七海、僕と結婚してくれるよね?」
「……後悔したって知らないからな」
「しないし、させないよ」
七海はじとりと睨むが、遥が両手を伸ばすと戸惑いつつも身を預けてくれた。上掛けが落ちて肌と肌が触れあう。やがてあたたかい手が遠慮がちに背中にまわされて、遥も抱きしめる手に力をこめた。
ピンポーン——。
心当たりのない真夜中のチャイムに、遥は思わず眉をひそめて怪訝な面持ちになった。コンシェルジュに何か頼んだ覚えもなければ、来客の予定もない。腕の中にいる七海も不安そうに顔を曇らせている。
「ちょっと出てくる」
「うん……」
安心させるように微笑んでぽんと頭に手をのせると、床に落ちていた彼女のバスローブを身につけて玄関に向かう。ドアスコープから見えたのは、ホテルスタッフの制服を身につけた壮年の男性だった。
「呼んだ覚えはないんだけど」
「橘剛三様より承りました」
男性スタッフがドアスコープから見える位置に移動させたワゴンには、ワインクーラーで冷やされたシャンパンが載っていた。そうか——遥は腕時計を確認してひとり静かにふっと笑うと、扉を開けた。
男性スタッフが一礼してメッセージカードを差し出す。そこには思ったとおりのことが書き記されていた。遥はその場でワゴンごと受け取って男性スタッフを帰し、七海のいる寝室へと運んだ。
「それ、何?」
「シャンパン」
「えっ?」
きょとんとした七海に、先ほどのメッセージカードを手渡しながら言う。
「二十歳の誕生日おめでとうって、じいさんが」
「あ……そっか……」
七海はベッドサイドのデジタル時計に振り向いた。
もう零時を越えている。つまり日付が変わって七月三日になったということだ。シャンパンは七海への成人祝いといったところだろう。メッセージカードにも祝いの言葉がシンプルにしたためられていた。
「これどうしようか?」
「飲みたい!」
七海は目を輝かせて訴えた。
遥はくすりと笑うと、用意されていた二つのグラスにシャンパンを注ぎ、ベッドに腰掛けてその一つを七海に手渡した。そろりと慎重な手つきで受け取った彼女は、興味深そうにグラスを覗き込む。
「成人おめでとう」
「ありがと」
そう言葉を交わしたあと、遥がグラスを傾けるのをちらりと見て、七海も緊張ぎみにグラスに口をつける。喉が何度かこくりと動くのが見えた。
「どう?」
「うん、おいしい!」
七海ははじけるような笑顔を見せて、そう答えた。
二人とも喉が渇いていたこともあって、あっというまにボトルを空けてしまい、もう一本追加した。それでも七海はなぜか一向に酔う気配がなく、不覚にも遥のほうが先に酔いつぶれて寝てしまったのだが、それは二人だけの秘密である。
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