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43 家出

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 ヴァルド様に提案をされてからしばらくし、シドが突然帰ってきた。かと思えば、彼は脇目もふらず一直線に自室へと入っていった。

「今のシドよね? 見間違いじゃないわよね!?」
「は、はいっ……! シド様だったです!」

 まさかこんなにすぐ帰って来るとは思っておらず、私は近くにいたアールと驚き顔を見合わせた。

 すると、ルニーさんの毛繕いから帰ってきたベリーが、私たちの声を聞いて、驚き駆け寄ってきた。

「シ、シド様が帰ってきたの!?」
「ええ」

 うんうんと頷きながら返すと、ベリーはそれは嬉しそうに目に涙を滲ませた。

「オーロラさん」

 私の服の裾を引っ張り、アールが名前を呼ぶ。

「どうしたの?」
「シド様が心配なのです。みんなで様子を見に行かないですか?」

 私はこの提案に少し戸惑った。
 死神姫が家にやって来たときにシドが言った言葉が、抜けない棘のように未だに心に引っかかっているのだ。

 だが、シドが心配なのは私も同じだった。

――三人でなら大丈夫よね?

 その可能性にかけて、私は提案を受けることにした。

「行ってみましょうか」

 私たちは三人でシドの部屋に向かった。

「シド様、入っても良いですか?」

 ベリーがドアをノックし、室内にいる彼に声をかける。
 すると、小さく「ああ」という言葉が聞こえたため、私たちはシドの部屋に入室した。

「失礼します……」

 そう声をかけながら室内にいたシドに目を向けると、彼は私から気まずそうに目を逸らした。

 だが、天然なアールはそのシドの態度に気付いていないのだろう。入室早々、いきなり爆弾を落とした。

「シド様、フレイア様が来ていたときオーロラさんに言ってたことは嘘なのですよね? やめさせるって……」

 問われたシドは顔を強張らせ、見開いた目をアールに向けた。しかし、彼は直ぐに無の表情を取り戻して言った。

「……ホントだよ」
「そうですか!嘘で……え?」

 予想外の答えだったのだろう。
 アールはシドに信じられない光景でも見ているかのような眼差しを向けた。隣にいるベリーも同様だった。

 そして、私はというと傷口に塩を塗られたかのように、そのたった五文字にしっかりと傷付いていた。

 だから、訊ねることにした。本人から問われても、本当にさきほどと同じことを言えるのか知りたかったのだ。

「シド、それは本気で仰っているのでしょうか?」

 怖くて身体が震えそうになるのを必死でこらえる。
 もしそうだと言われてしまったら?

 そう考えるだけで、体温がグッと下がる感覚がする。そんな私に返ってきたのは、容赦のない一言だった。

「本気だよ」
「え?」
「だから本気だって。あんたが来てから落ち着かねーし、あんたのせいでヴァルド様が家にいるし、正直もう限界だったんだよ」

 シドはそう言うや否や、アクセルを思い切り踏み込んだ車のような勢いで言葉を続けた。

「でも契約は契約だ。そうだ、解雇の日まで出向って形でヴァルド様の家に行けよ。あの場所から抜け出せさえすれば、俺の家じゃなくても良いんだろ? 良かったな、再就職先がすぐに見つかって」

 ショック過ぎる言葉に、シドが何をしゃべっているのか一瞬理解できなかった。

 だが、ワンテンポ遅れて意味を理解し、あまりの言いざまにショックを通り越した私は、気付けばシドに自身の意思を叫んでいた。

「嫌ですっ……! 私はここで働きたいの! シドの――」
「あんたってこんなにしつこかったっけ?」

 シドは私の言葉をにべもない言葉で遮ると、嘲笑の笑みを浮かべてきた。そして、私が絶句し黙ったのをいいことに更に続けた。

「出会いは別れの始まり。ってか、俺とあんたはそもそも本当は出会うはずも無かったんだよ。その程度の関係なんだから、別にここにこだわらなくていいだろ」
「なんでそんな言い方っ……」

 あまりにも酷いだろう。
 死神姫のところから帰って来て、人が変わったみたいに冷たくなったシドに悲しくなる。

 だが、それと同時にある一つの可能性も思い浮かんだ。

――これすらもすべて演技だとしたら?

 彼なら有り得る。さっき死神姫の前で私をぞんざいに扱ったことで、死神姫は思ったより素直に家を出て行った。

 もし、彼が何かの理由で私を突き放すふりをしなければならないのだとしたら?

 死神姫に浮気なんて言われていたし、もしかして私が彼女の標的にならないように、わざとキツイことを言っているのだとしたら?

 彼は私が自分から出て行くことを望んでいるのかもしれない。

 だけど――それでは彼が独りになってしまう。

「シド」

 この仮説を信じて、私は彼にはっきりと宣言した。

「あなたがいくらそんな酷い言い方をしたって、私はここに居ますからね!」

 売り言葉に買い言葉といったように強い口調で告げると、シドは豆鉄砲を食った鳩のように驚いた顔をした。

 だが、彼はすぐにもどかしそうに苛立った表情を浮かべ、今までで一番の怒声をぶちまけた。

「っ……そうかよ! そんなに出て行かないって言うなら、俺が出て行くよ! お前の顔を見るだけでもう……うんざりだっ!」

 彼はマシンガンのような言葉を私にぶつけたかと思えば、突然双子に顔を向けた。

「ベリー! こいつがここから出ないように監視してろ! アールは俺と来いっ……」

 シドはそう言うと椅子から立ち上がり、ヒョイとアールを小脇に抱えた。
 
「うわわっ……!」
「アール!」

 ベリーが叫ぶも、シドの足は止まらない。

 そして結局、私とベリーの抵抗虚しく、シドはまたも家の外に飛び出して行ってしまった。

 本当に、出て行ってしまった……。

 求めれば突き放す彼に、取り残された私は泣きそうになっていた。

『お前の顔を見るだけでもう……うんざりだっ!』

 シドがさっき言っていた言葉が脳内を反芻する。だけど、シドは気付いていないだろう。

――あんな泣きそうな表情で言われて、誰が信じるのよ。

 またこの人は独りで戦っているんだと心が痛む。

 そんな中、私は一緒に残されたベリーとともに玄関からリビングに移動し、長椅子に力なく腰を掛けた。

 すると突然、隣に座るベリーが座面で正座し、私に向き直った。

「オーロラ……ボク、シド様にオーロラのこと言ってあげられなかったっ……。約束したのにごめんねっ……うぅっ……」

 ベリーはうるうると目に涙を溜めた顔でそう言うと、いきなり私の膝に顔を突っ伏して号泣し始めた。

 いつも高潔さに誇りを持ち、アールのお兄さんポジションを務める彼が、こうしてなりふり構わず泣く姿は初めてだった。

「どうして謝るの? ベリー、あなたは何も悪くないわよ。いつも助けてくれているじゃない。どうか謝らないで」
 
 むしろ謝らなければならないのは私の方だ。
 もし私がここにいなければ、双子たちが傷付くことも無かったのだから。

 私のせいであなたを傷付けて泣かせてしまった。

――ごめんね、ベリー。

 ついその言葉が口を衝いて出そうになる。しかし、私はグッと口を噤んだ。

私が謝ったら、気遣いの塊であるベリーは私を優先して、後でこっそりと独りで泣くことになってしまうからだ。だからあえて、ベリーの前で口にしなかった。

 その変わり、私は小さい彼のさらに小さくなった背中を、謝罪の気持ちをこめて泣き止むまで優しく撫で続けた。
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