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13 生かさず殺さず

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 ぴったり五分後に陛下が戻ってきたことで、二人との再会は呆気なく幕を閉じた。そのあと、私は戻ってきた陛下にある進言をした。

 その内容は、トリガー兄さんとガレスさんを扉前の衛兵にしてほしいというもの。そうすれば、私の知らないところで二人がこれ以上傷付けられないと思ったのだ。

 それに、この願いはきっと今しか通らない。そう思って、陛下に進言した。

 すると予想通り、いつもなら許可を出さないはずの陛下が、二人を扉前の衛兵にすることを認めた。その後、怪我が完治した二人は約束通り、扉前の衛兵に着任した。

 それから更に月日は経ち、私が生き神として祀り上げられた日から、あっという間に一年が経過した。


 ◇◇◇


――本当に綺麗な手……。

 私は自身の傷一つない純白の手を見て、複雑な気持ちを抱えた。

 メイドの仕事をしているとき、あんなに治らなかったあかぎれがすっかり治ったのだ。それはつまり、私が仕事を奪われた月日の表れでもあった。

 だからだろう。嘘みたいな話だが、あんなに嫌だったあかぎれに、私は今や恋しささえ覚えていた。

「オーロラ!」

 ああ、そうだ。今は着せ替え人形にされていたんだった。我に返り、自身の手から顔を上げて陛下を見た。

「オーロラ、どちらの指輪を着けたい?」
「いえ、どちらも結構です」

 愛想もなく告げた私を見て、陛下は炯炯たる瞳をパチパチと瞬かせる。だが気を取り直したように、陛下は片方の口角を上げた。

「そうか……。では、もっとオーロラに見合った指輪を探してやるからな!」

 残念ながら、陛下は私の言葉の意味を理解できなかったようだ。その証拠に、陛下はドングリを拾う子どものように、ジュエリーケースの中を再び夢中で漁り始めた。

――はあ……いつまで付き合わされるの?

 ワクワクとした陛下の眼差しを追い、彼の騒がしい手元に視線を移す。

 そのとき、普段は気にならない陛下がいつも着けている指輪が、なぜか妙に気になった。

「陛下」
「ん? どうした?」

 飼い主に名前を呼ばれた犬のように、陛下がこちらに振り向く。私はそんな陛下の手元から視線を移さず、言葉を続けた。

「陛下はいつも、その指輪を着けていらっしゃいますね」

 改めて見ると、その美麗な指輪の精巧な造りが、他の宝飾品とは別格レベルだと気付く。

 今までどうして気にならなかったのだろうか。陛下がいつも、最高品質のものばかりを身に着けているからだろうか。

 なんて考えていると、陛下が誇らしげな様子で指輪について語り出した。

「オーロラは見る目があるな! これはな、王の証として王家に代々伝わる神物なんだ。ふふん! 神の余に相応しい代物だろう?」

 陛下はそう言って、得意げに胸を張る。だが、すぐにハッと驚いた顔になり、気まずそうに口を開いた。

「愛しいオーロラの頼みでも、これだけは譲れないんだ。すまないな」

 何を言い出すかと思えば……。私は陛下の誤解を解くべく、慌てて声をかけた。

「欲しいのではありません。ただ、陛下がいつもお着けになっているので、ふと気になったのです」

 誰がそんなものいるか、という言葉は胸に秘める。

 すると、陛下は「そういうことか」と声を漏らし、ホッとした顔で指輪を一撫でした。

 そして不意に、別の話題を切り込んできた。

「そうだ、オーロラ。いい加減ロイスと呼んでくれと言っているだろう? さっきもまた、陛下と呼んだ……」

 つれないじゃないかと、陛下が拗ねたような顔をする。

 美形の王家の中でも歴代一の美貌と称される陛下のその顔は、見る人が見たら卒倒ものに違いない。

 でも、私は動じない。

「平民の私は、陛下を陛下としかお呼びできません」

 誰が嫌いな男を名前で呼ぶか。そんな意地をひっそりと込めて告げると、陛下は唇を噛み軽く顔を伏せた。

 その表情は悔しさで満ちている。普段はこんな表情はせず、拗ねるだけで終わるというのに……。

 おかしい。何だか嫌な予感がする。

 とりあえず、今は話を逸らして……そう思っていると、突然手首に痛みが走った。

 驚き反射で手首に目を向ける。すると、私の手首を強く握った陛下の手が視界に映った。

 その瞬間、私の脳内に警笛が鳴り響いた。

「陛下、いったい――」
「来い」

 陛下はそれだけ言うと、私を無理やり引っ張り、居間から寝室に繋がる扉を開いた。そして、すぐ目の前のベッドへ私を乱暴に打ち投げた。

「な、何をなさ――」
「最初からこうすれば良かったんだ」

 そう独り言ちると、陛下はまるで理性の箍が外れた獣のように私の上腕を掴み、覆い被さってきた。

――い、嫌だ……!
 近付かないで……!

 足をバタバタと暴れさせるも、陛下はベッドに腰掛けた体勢のため命中しない。

 代わりにベッドから抜け出そうと必死に藻掻もがくも、陛下が私を抑え込む力には敵わない。

「オーロラ、危ないではないか」

 危なげもなく陛下が囁く。

 すると、彼は私の両手首を片手で掴み、私の頭上へとベッドに縫い付けた。そして、自身の向う脛で私の前腿まえももを押さえつけた。

――逃げられないっ……。

 どう足掻あがいても無駄。そう確信し、私は恐怖により喉元で空回る声を必死に絞り出した。

「ロイス様、そうお呼びしますからっ……。だからもう……おやめくださいっ……」

 陛下の良心に賭けた切願だった。だというのに、返ってきたのはうわ言のように発された、耳を疑う言葉だった。

「なんと愛らしい……」

 陛下はそう声を漏らすと、私の髪を一房手に取りチュッと口付け言葉を続けた。

「よくぞ呼んでくれた。……なあ、オーロラ。余たちは神同士、だから……許されるよな?」

 恍惚こうこつの表情を浮かべる陛下が、その奥にある欲に塗れたギラギラとした眼差しで私を射抜く。

 その瞬間、私は悟った。

――終わった……。

 力で敵わない。助けを呼ぼうにも、喉から空気が漏れ出るような声しか出ない。

 もう最悪だ。こんなの助かりようが無いじゃないか。

 何でこんな目に遭うの。私が何をしたっていうの。
 こんなの、あんまりじゃないっ……。

「っ……くっ……うぅ……」

 絶望と悔しさで、自然と涙が溢れる。決壊したダムのように、それはとめどなく流れ出した。

「オーロラ……?」

 陛下が涙を流す私をポカンと見つめる。だが、直ぐに慌てた様子で私を引き起こすと、正面からガバリと抱き締めてきた。

「ど、どうしたんだ? なぜ泣く!? す、すまないっ……余が悪いことをしたのか? 今まで皆、喜んでいたのに、オーロラ、どうして……」

 なぜ泣くのか分からない。そんな陛下は、酷く戸惑った様子を見せる。

「名前で呼んでほしかったんだっ……。泣かせるつもりでは……」

 陛下が必死に弁明のような声を漏らす。
 その姿は、まるで純情と邪心をあわせ持つ無知な子どものようだった。


 ◇◇◇


 私は現在、寝室に立てもっていた。一人にしてくれと、陛下を追い出したのだ。
 窓一つない、蝋燭ろうそくの明かりのみある寝室だが、陛下が居なければそれだけで良かった。

 陛下が出て行ってから、どれほどの時間が経っただろう……。

 私は広いベッドの上で三角座りになり、ずっと呆然としていた。しかしふと我に返り、膝に抱えたクッションに顔を突っ伏して嘆いた。

「どうして……どうしてよっ……」

 人を助けただけで、誰がこんなことになると思うだろうか?

 仕事を失い、自由を失い、家族や仲間に会えず、周囲の人を傷付けることになるなんて、誰が考える?

 いったい私が何をしたというの? 前世のろくでもない記憶なんて、思い出さなければ良かった。

 つらいし、苦しいし、傷付いたり、傷付けたり……。
 胸が張り裂けそうで、これ以上は耐えられそうにない。

 この一年、何度逃げたいと思ったか。何度殺してくれた方が楽だと願ったか。

 もう心は限界の悲鳴を上げていた。

「ねぇ……神様、本当にいるんだったら助けてよ」

 クッションから顔を上げ、当てつけるように言い放つ。しかし、返事はない。

「っ……そう、だよね……」

 期待していたわけでは無いが、長いため息が涙とともに溢れ、私は再びクッションに顔を埋めた。

「神様じゃなくてもいいの……。だから、誰か助けてっ……」

 その願いが叶わないことは、誰よりも分かっている。だけど、私は酷く弱り切った声でそう独り言ちた。

 そのときだった。

「やっと見つけた……」

 聞こえるはずのない誰かの声が耳に届く。

――とうとう頭までおかしくなったのかな?

 そう思いながら、私はおもむろに顔を上げた。

 その瞬間、深い静寂の夜を映し出したような黒髪を持つ男性の、真っ赤に燃え盛る氷のような瞳と視線が交差した。
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