始まりの竜

朱璃 翼

文字の大きさ
上 下
105 / 174
五部 氷鬼なる琅悸編

氷鬼なる琅悸

しおりを挟む
「琅悸……」

 ふらふらと氷穂が近づいていく。冷ややかな目をした青年へと。

 ずっと会いたいと思っていた青年。氷穂にとって、誰よりも大切な存在だった。片時だって離れたことがなかっただけに、寂しかったのだ。

「危ない!」

「キャッ!」

 微かな異変を感じ、間一髪で柊稀が氷穂を引き寄せる。

 振り返れば、氷穂が立っていた場所には氷の柱が出来上がっていた。あと少し遅ければ、彼女は氷漬けになっていたことだろう。

 彼が自分を攻撃したと理解するに、少しばかり時間を要した。ようやく理解すれば、氷穂は呆然と座り込む。

「琅悸……どうして……」

 もう流れることがないと思っていた涙が頬を伝い、誰もが気遣うように氷穂を見る。

「琅悸! お前、どうしちまったんだよ!」

 誰よりも氷穂を大切にしていた彼が、攻撃をするなど普通ではない。普通ではないなにかが、彼の身に起きている。

 信じたくないことだが、ユフィにはこうなってしまったことへ心当たりがあった。氷穂という繋がりを無くせば、琅悸を落とすことなど簡単だとわかっていたのだ。

 それでも、呼びかければ戻ってくるかもしれない。

「琅悸!」

「ユフィ! くっ」

 叫ぶユフィに、琅悸は剣を一振りして真空の刃を放つ。すぐさま虚空が庇いに入り、右頬を赤いものが流れる。

「俺の声も、お前には届かねぇのか。俺が、助けてやれなかったからか……」

 小さく呟かれた言葉は、誰にも聞こえなかった。けれど、握り締められた拳は誰もが気付く。いつも飄々としていた彼が、苦しげに琅悸を見ている。

 殺気を放つ青年に、誰もが戸惑いを隠せない。なぜ、こんなことになってしまったのか。

「知りたい? 教えてあげようか?」

 そこへ、黒いローブを被った人物が現れた。抑揚のない声だが、高さからして女性だろう。

 明らかに邪教集団の者だった。

 感情は一切感じられない、少女と思われる人物。邪教集団の一味ならば、彼女が琅悸になにかをした。

 そう考えるのは当然のことだし、事実であろう。

 ただ、簡単に落ちるようなタイプでもないと虚空は思っていた。彼ほどの実力者なら、敵がどれだけ強かろうと抗えるはずだ。

「ずっと欲しかったの。だから、手放してくれてありがとう」

「狙っていたのか…琅悸が一人になるのを……」

 黒耀を欠いている現在、虚空はヤバイと感じていた。彼は、間違いなく誰よりも強い。

 この場に彼とまともに戦える者がいるのか。それすら危ういだろう。

 わかっていてもどうにかしなければいけない。虚空は頭をフル回転させながら、どうすればいいのか考えていた。

「当然。彼は強いから。ここで、あなた達を皆殺しにしてくれる」

 ハッタリなどではない。誰もがわかっていた。本気で殺しに来れば、琅悸なら皆殺しも可能だと。

 地の神具での戦いを見れば、彼の実力は十分すぎるほどわかっていた。

 途中合流した仲間ですら、立っているだけで相手の力量は理解できる。自分より強いと感じ取ることぐらいはできていた。

「正気に戻すしかないわ。できるはずよ」

 杖を構え、瑚蝶が戦闘体制に入る。自分達が助かるためには、彼を正気に戻すしか道はないのだ。

 邪教集団の少女は愚かなと呟く。彼が簡単に落とせたのは、それだけの理由があるから。そうでなければ、さすがに手が出せるような相手ではなかった。

 隙をつくことができなければ、彼ほどの手練れなら返り討ちにされてしまう。

 だが、彼らはその理由がわかっていない。原因である当の本人ですら。

「彼は戻らない。だって……フェンデの巫女、あなたがいけないんだもの」

「えっ……」

 思わぬ言葉に、氷穂はどういうことかというように見る。

「あなたが、繋がりを切ってしまった。彼にとって、唯一あなたの傍にいられる繋がりを……切ってしまった。だから、簡単に落とせたの」

 淡々と喋る少女。感情のこもらない声は、氷穂が知らない事実を知っているのだと含んでいる。

「マスターは、彼がいればあとはいらないそう。だから消しに来た」

 言い切る前に琅悸が動く。

「朱華!」

 あまりの速さに、柊稀は押し倒すので精一杯。ドサリと二人が地面へ倒れる。消す、の意味は、華朱のために造られた朱華を示していた。

 頭上に振り下ろされる剣を見て、受け止めたのは華朱だ。

「うっ…」

 速さだけなら、華朱も十分速い。けれど、力は男である琅悸の方が上で、ジリジリと押されていく。

 あっという間に体制を崩され、後ろへ倒れ込む華朱。

「主殿!」

 慌てたように李蒼が主を助け、柊稀が朱華を抱えて距離をとる。

 不意を打つよう瑚蝶が放つ水流が襲うが、一瞬で凍りつき粉々に粉砕されてしまう。

「瑚蝶! 避けろ!」

「キャァァァ!」

 虚空の警告と同時に炎の渦が瑚蝶を襲う。その速さに、一同表情が険しくなる。

 警告をしたときには遅すぎるのだ。自力で察するか、助けに入るしか選択肢はないということ。

「やめろ! 琅悸!」

 次の攻撃に移る姿を見て、ユフィは怒鳴る。彼が本気で戦えば、尋常ではない被害が出てしまう。

 なによりも、彼をずっと見ていたからこそユフィは止めたかった。

 彼の抱えていることも、フェンデの巫女護衛巫女に固執したことも、ユフィはすべてを知っていたのだ。

(やっぱり、氷穂に言うべきだった。あそこで引き留めれば……)

 このような状態にはならなかったのだろう。

 悔いても現状は変わらない。今は、この状態を打破することだけを考えるべきだ。どうすれば彼を止められるのかを。





.
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

天才になるはずだった幼女は最強パパに溺愛される

雪野ゆきの
ファンタジー
記憶を失った少女は森に倒れていたところをを拾われ、特殊部隊の隊長ブレイクの娘になった。 スペックは高いけどポンコツ気味の幼女と、娘を溺愛するチートパパの話。 ※誤字報告、感想などありがとうございます! 書籍はレジーナブックス様より2021年12月1日に発売されました! 電子書籍も出ました。 文庫版が2024年7月5日に発売されました!

DNAの改修者

kujibiki
ファンタジー
転生させられた世界は、男性が少なく、ほとんどの女性は男性と触れ合ったことも無い者ばかり…。 子孫は体外受精でしか残せない世界でした。 人として楽しく暮らせれば良かっただけなのに、女性を助ける使命?を与えられることになった“俺”の新たな日常が始まる。(使命は当分始まらないけれど…) 他サイトから急遽移すことになりました。後半R18になりそうなので、その時になれば前もってお知らせいたします。 ※日常系でとってもスローな展開となります。

剣聖の娘はのんびりと後宮暮らしを楽しむ

O.T.I
ファンタジー
かつて王国騎士団にその人ありと言われた剣聖ジスタルは、とある事件をきっかけに引退して辺境の地に引き籠もってしまった。 それから時が過ぎ……彼の娘エステルは、かつての剣聖ジスタルをも超える剣の腕を持つ美少女だと、辺境の村々で噂になっていた。 ある時、その噂を聞きつけた辺境伯領主に呼び出されたエステル。 彼女の実力を目の当たりにした領主は、彼女に王国の騎士にならないか?と誘いかける。 剣術一筋だった彼女は、まだ見ぬ強者との出会いを夢見てそれを了承するのだった。 そして彼女は王都に向かい、騎士となるための試験を受けるはずだったのだが……

気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした

高坂ナツキ
ファンタジー
衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!? これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。 日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。

異世界でネットショッピングをして商いをしました。

ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。 それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。 これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ) よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m hotランキング23位(18日11時時点) 本当にありがとうございます 誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。

転生幼女の攻略法〜最強チートの異世界日記〜

みおな
ファンタジー
 私の名前は、瀬尾あかり。 37歳、日本人。性別、女。職業は一般事務員。容姿は10人並み。趣味は、物語を書くこと。  そう!私は、今流行りのラノベをスマホで書くことを趣味にしている、ごくごく普通のOLである。  今日も、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに帰りにスーパーで惣菜を買って、いつも通りに1人で食事をする予定だった。  それなのに、どうして私は道路に倒れているんだろう?後ろからぶつかってきた男に刺されたと気付いたのは、もう意識がなくなる寸前だった。  そして、目覚めた時ー

迷宮に捨てられた俺、魔導ガチャを駆使して世界最強の大賢者へと至る〜

サイダーボウイ
ファンタジー
アスター王国ハワード伯爵家の次男ルイス・ハワードは、10歳の【魔力固定の儀】において魔法適性ゼロを言い渡され、実家を追放されてしまう。 父親の命令により、生還率が恐ろしく低い迷宮へと廃棄されたルイスは、そこで魔獣に襲われて絶体絶命のピンチに陥る。 そんなルイスの危機を救ってくれたのが、400年の時を生きる魔女エメラルドであった。 彼女が操るのは、ルイスがこれまでに目にしたことのない未発見の魔法。 その煌めく魔法の数々を目撃したルイスは、深い感動を覚える。 「今の自分が悔しいなら、生まれ変わるしかないよ」 そう告げるエメラルドのもとで、ルイスは努力によって人生を劇的に変化させていくことになる。 これは、未発見魔法の列挙に挑んだ少年が、仲間たちとの出会いを通じて成長し、やがて世界の命運を動かす最強の大賢者へと至る物語である。

処理中です...