始まりの竜

朱璃 翼

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四部 朱華と華朱編

憎しみの先へ3

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 名前も聞かずに別れた。だから、最初に聞かされたときは気付けなかった。

 あの場で李蒼と李黄を見て、華朱があの女性だと気付いてしまったのだ。

「華朱ちゃん!」

――主殿、連れてきました――

 女性の声に華朱の身体が反応する。黒欧が村で深い繋がりがあった、一人の女性を連れてきたのだ。

「華朱ちゃん、ずっと捜していたのよ」

「あっ…あぁっ……」

 捻り上げられた手から剣が落ちる。空いている左手が耳を塞ぎ、華朱は激しく頭を振る。

「その声を聞くな! お前が聞く声はそっちじゃない!」

 それは植え付けられたもの。彼女の思考をひとつだけにし、堕ちるように仕向けるものだ。

 額の刻印へ直接干渉し、黒耀は本来の彼女を取り戻そうとした。自分へ無邪気に笑いかけてくれた、あの笑顔を取り戻したくて。

「華朱ちゃん、覚えてる? 私に話してくれたこと。よく、前を見て」

 優しく呼び掛ける声は、彼女の中にゆっくりと広がっていく。憎めと呼び掛ける声とはまったく違う。

 闇の中に暖かい光を差し込むようで、奥底で消えかけていた華朱の心を照らす。

「イリア…ちゃん……」

 発せられた声は今までと明らかに違う。

「そうよ。わかる?」

「イリア…ちゃん……やっ…いやぁ!」

 ビクリと身体が跳ねる。憎むように植え付けられた魔力と、華朱の心が戦っているのか、振り払うように頭を振り暴れだす。

「華朱ちゃん! 大丈夫だから、ゆっくり前を見て」

「主殿、見上げてみて」

 可愛らしい声で呼び掛けたのは、楓莉と呼ばれた女性。

 華朱の傍にずっといた魔道生物達は、誰よりも彼女の変化に気付いていた。昔の主を取り戻すには今しかない。そんな風に思ったのかもしれない。

 戦闘を止め、焔莉と楓莉は華朱を見ている。まるで祈るように。

 楓莉の声に促され、華朱が見上げる。

「あな…た……」

 本物であるかを確認するように、左手が黒耀の頬を触れた。

(柊稀に協力を願うべきか……)

 彼女は自分にかけられた呪縛と戦い出した。柊稀が励ませば、乗り越えられるかもしれない。

 本来の姿を取り戻せば、時間はかかるだろうが乗り越えられるはずだ。

 捻りあげたままだった腕を解放すれば、あとは彼に渡すだけ。けれど、華朱の視線は黒耀から離れない。

「また…会えた……」

 小さく苦しげに呟かれた言葉。

「もしかして…柊稀じゃなくて、黒耀が好き?」

「えっ…」

 朱華の言葉に、柊稀が驚いたように見る。

 彼女の中で柊稀が特別だったのは本当のことなのだろう。初恋も事実なのかもしれない。

 けれど、それから月日は経っている。他に好きな人がいてもおかしくはない。

「柊稀は初恋だったんじゃない? それから月日は経ってるし、他に好きな人がいてもおかしくないじゃん」

 邪教集団にとって、柊稀を好きでいることの方が朱華を使って陥れられ、都合がよかった。だから、そう仕向けたのかもしれないと朱華が言う。

 これだけのことをやっているのだから、それぐらいできてもおかしくない。

 逸らすことのできない金色の瞳を見ながら、黒耀も酷く驚いた。まさか、この女性が自分に好意を持つなど、思いもしなかったのだ。

「イリアさん、あなたならわかりますよね?」

 朱華の問いかけに、華朱と親しかったイリアは頷く。

「華朱ちゃんは、一度も口に出して言わなかったけれど、間違いないと思います」

「黒耀!」

 彼女を救えるのは彼だけだ。訴えかける二人の視線に、黒耀は酷く動揺する。

 こんな展開になるとは思ってもいなかった。どうするのが正解なのかと悩む。

 けれど、悩んだのは少しだけ。すぐさま胸に抱き抱える。

「うっ…あっ…あぁぁぁ!」

 強く刻印が輝き、黒い炎が暴れだす。

――主殿! その刻印を早く!――

「わかっている!」

 左手で強く抱き締め、右手は額の刻印へ。直接力を送り込み、植え付けられた物を根こそぎ抜いていく。精霊眼があるからこそできることで、このときほどこの力があってよかったと思う黒燿。

 光をまき散らかし、額の刻印が消えていく。身体にかかる負担は大きく、華朱は気を失い崩れ落ちた。

「ハァ…ハァ…」

 消そうとする力に反発し、暴れた魔力により黒耀は傷だらけとなっている。

 華朱が傷つかないようにしたのだろう。彼女には傷ひとつない。

「黒耀!」

「大丈夫だ。それより、次がくる!」

 警告するように言えば、黒い影が膨れ上がるところ。華朱が気を失ったことで、彼女といた九兎の制御ができなくなってしまったのだ。

 四枚の翼を広げ、九本の尻尾をもつ獣が咆哮をあげて姿を現した。

「黒欧、彼女を頼む」

――はい。お任せください――

 この獣を相手に後ろを護る余裕はない。相手は獣族の祖と言われているほどなのだ。

 この状態を察してくれれば、向こうで戦う二人が仲間を通してくれるかもしれない。

 今はそれを信じるしかなかった。



「九兎……李黄! 遊ぶのはやめろ!」

 遠くからでも見える黒い獣。主になにか起きたと察した李蒼が、相棒を止めに入る。

「陽霜! 行くぞ!」

 すでに全員が険しい表情を浮かべ、黒い獣を見ていた。

「お兄ちゃん達が危ない! 急ぎましょう!」

 今はどちらも通さないというわけにはいかない。互いに互いの仲間が危険なのだ。

 向こうが争っているかはわからないが、間違いなくどちらもが危険に晒されている。

「休戦だな」

 確認するように星霜が言えば、李蒼は頷く。彼女にとっては主を護ることが第一なのだ。

 仲間を護りたい彼らと目的が一致する以上、今は争う理由がない。

「あれは強い。気を付けろ。対抗できるとしたら……」

「みんなでやりゃあ、なんとかなるさ」

 李蒼の視線が莱緋に向けられるのを見て、星霜がやらせないと遠回しに言った。

「そうだな」

 彼の気持ちを察したのか、李蒼は微かに笑みを浮かべ丘へと向かった。





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